(12月27日)コガラ、シジュウカラ、ヤマガラなどカラ類でにぎわう餌台を遠くからじっと窺う一羽の鳥、シメ。なんと孤独な、小心な野鳥だろうか。さぞ空腹の事だろうに。好物のヒマワリの種を食べに来ればいいのに餌台に近付こうとしない。見ていてイライラするほど用心深い。(庭にて)
屋根裏の奥の片隅に鈍く光るピッケルを発見。手に取れば一瞬に思い出が駆け巡る。1963年、美津濃の店頭でその美しいフォルムに魅せられ、一目ぼれしたFRITSCH。学生の身分では高価な買い物だった。当時、登山家の垂涎の的だったスイスのベント、シェンク、ウィリッシュなどはオールドファッション、人気は機能的に優れた特殊鋼使用のフランスのシモン、シャルレに移りつつあった。そんな時代、岳友の中でスイスのピッケルを使用する者はいなかった。炭素鋼の古めかしいそれは硫黄ガスの漂う山中では赤錆だらけの赤いわし、惨めな思いをしたものだった。それでも手放すことなく多くの冬山を共にし、大いなる楽しき思い出を残し、FRITSCHはここに存在する。ピックに刻印されたFRITSCHの生まれ故郷ZURICH。今年この憧れの地に足を踏み入れていたのだ。
今年も楽しみにしていたエラブユリが届いた。毎年知人が送ってくれる。永良部島を訪れたイギリス人がユリ栽培を奨励したことから始まり、歴史は100年を超えているという。遠い南の島から来たユリは雪の裏磐梯で正月ごろから開き始め、一月下旬ごろまで咲き続ける。清楚な花と香りは雪の中の生活者を心から楽しませてくれる。感謝。(玄関にて)
餌台が激しく揺れている。吹雪の森からやってきた野鳥がそんな餌台の雪に埋もれたヒマワリの種を必死で掘り起こし、ついばんでいる。彼らの受難の季節がやってきた。それは彼らと身近で付き合えるgive and takeの季節が始まったということなのだ。(吹雪の庭にて)
気温1℃、ようやく真冬日から脱出。雪の積もった湖畔には空腹のハクチョウたちが餌をねだって親しげに近付いてくる。その姿から4,000kmも日本から離れた北緯50度以北のシベリアから飛んでくる精悍な姿やたくましさ、激しさをまったく感じとる事はできない。(猪苗代湖湖畔にて)
昼の外気温-6℃、こんな日の散歩はしっかりした身支度が必要。一歩外に出れば気分爽快、寒さを忘れてしまう。この寒波、気温は低いものの予想外に裏磐梯の降雪は少なかった。秋元湖の湖面は数日前と変化がない。強い雪混じりの風の中、シャッターを押す手はすぐに感覚を失う。(秋元湖にて)
予想に反し快晴、暖かい日差し。郡山から眺める安達太良山はくっきりとても美しい。安達太良山といえば、どうしても智恵子抄を想い起こしてしまう。
智恵子は東京に空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは、切つても切れないむかしなじみのきれいな空だ。どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多良山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとうの空だといふ。あどけない空の話である。高村光太郎、智恵子抄より (郡山から安達太良山遠望)
智恵子は東京に空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは、切つても切れないむかしなじみのきれいな空だ。どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多良山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとうの空だといふ。あどけない空の話である。高村光太郎、智恵子抄より (郡山から安達太良山遠望)