昨日は五色沼の遊歩道を早足、これ以上歩行速度を上げるとジョギングになってしまう。
改装された木の香漂うビジターセンターに立ち寄り、後は木漏れ日、静かな涼しい森の小道を
桧原物産館までいってUターン、立ち止まるのはシャッターを押すときだけ、
けど、風の音、森の香り、ヤマユリの香り、蝉の鳴き声、青く輝く沼沼、視覚、聴覚、嗅覚、
早足とて感覚は研ぎ澄まして・・・
昨夜は23時就寝、中途覚醒なし、目覚めは8時過ぎ、若者のように快眠。
昨日は五色沼の遊歩道を早足、これ以上歩行速度を上げるとジョギングになってしまう。
改装された木の香漂うビジターセンターに立ち寄り、後は木漏れ日、静かな涼しい森の小道を
桧原物産館までいってUターン、立ち止まるのはシャッターを押すときだけ、
けど、風の音、森の香り、ヤマユリの香り、蝉の鳴き声、青く輝く沼沼、視覚、聴覚、嗅覚、
早足とて感覚は研ぎ澄まして・・・
昨夜は23時就寝、中途覚醒なし、目覚めは8時過ぎ、若者のように快眠。
午後秋元湖散歩、重苦しく雲垂れ込め小雨さへ。
湖畔に立つと雲間から日差し、中津川渓谷へ向かう小道を落ち葉を踏みしめ少し辿ろうかと。
歩を進めたがすぐに8月の大雨による道路崩壊修理作業中、立ち入り禁止、諦める。
帰宅、家に入る前に素手で煙突に触ってみたがほの暖かい程度、断熱性に優れる二重煙突、
煙突の性能がいかにストーブの効率アップに寄与するか計り知れない。
暖かい家、コートを脱ぐ、
ダンパー閉、サーモスタットレバー半開の薪ストーブが相変わらず気持ちよく燃えている。
今日も晴天、冷え込む。
雪の森を抜け、青空の下、甲府沼、磐梯山を眺める。
湖面に映るいつもの磐梯山の姿はない。青く鈍い氷の反射のみ。
一面の雪原になるのもすぐ。
水源の甲府沼が氷結しようとも庭の小川は決して凍りつくことなく,雪の下で流れ続ける。
快晴、気温が高い。
小川を渡り甲府沼へ。吾妻山を見るため、結氷した沼の上に立つ。
雪解けはどんどん進む。この冬最後だろう。
氷上から振り返れば森の隙間から左に西大嶺、そして西吾妻山のピークが見える。
高山植物の美しく咲き乱れる初夏、ヒナザクラに出会いにまた登ってみたい。
裏磐梯には大きな湖、桧原湖、小野川湖、秋元湖の三湖がある。
一周できるのは桧原湖だけ。天気の良さにつられ、一周30kmを二時間かけて、ドライブ。
あちこち車を止め、散らばる集落を歩き回る。
穴沢氏一族の墓、養魚場などこれまで気づかなかった発見多数。
湖畔には営業中の店はない。
帰宅後、乾いた喉にビール美味し。
暖かい春の雨が降っている。
甲府沼、この冬は一度も氷上に立つことができなかった。
これはいつもの4月中旬過ぎの甲府沼の風景。
まだ2月、信じられない暖かさ。
赤く燃える秋元湖の日の出、朝焼けはアマチュアカメラマンにとても人気がある。
ずっと前、20年ほど前になろうか、早朝の燃える秋元湖を観ようと行ったことがある。
堰堤はカメラの放列、びっくりして戻ったことがあった。以来行ったことがない。
珍しく妻が秋元湖の日の出を観に行こうという。
日の出時間は6時40分、6時20分、凍てつく道路、スリップに注意し、歩いて秋元湖に。
カメラマンは2,3組、静寂の秋元湖、だが、日の出時間はとうに過ぎたが太陽は顔を出さない。
冬のこの時期、日の出位置はずっと南に移動、白布山の後からになる。
これでは赤く燃える秋元湖になるはずはないのだ。不勉強。
とは言え、暁の寒月、燃える磐梯山はとても魅力的であった。
妻のIphoneで撮った写真が最も良く今朝の雰囲気を写しとっていた。
朝の気温-7°c、冷え込む。
雪を踏みしめ、森を抜け快晴の甲府沼に。全面結氷した湖面に朝日が眩しい。
まもなく氷上は雪で覆われ、甲府沼は真白き雪原に化す。
12月6日、7日
釜石の義兄の一周忌、釜石に行く。雪の影響で6日前日は北上泊まり。
一周忌の式後、釜石一泊。
義兄が亡くなって早一年経ってしまった。あまりに時の流れが早い。
どこにいても心が晴れない、重苦しさが抜けない。
天気が良い。今朝は放射冷却でおよそ-15°cに冷え込む。昼過ぎスノーシューを履いて甲府沼の水源を訪ねる。
積雪期でないとブッシュが深く、行くことが困難。沼をぐるり巡ろうか、と歩き始めたが、面倒になり湖上を歩き、対岸に渡ってしまう。
湖上ではいつもは見えない風景が展開、白い雪の西吾妻山が美しい。
対岸の森の中に磐梯山の伏流水が湧き上がる小池がすぐに見つかる。
相当の水量が流れとなって甲府沼に注いでいる。20数年ぶりの水源の出会いにすっかり満足し、再び湖上を渡り、家に帰る。
甲府沼
カーティスクリークの庭づたい、カラマツ林の小道をたどれば1,2分で静かに清水をたたえた秘密の沼に出会える。
湖面に磐梯山を映しこみ、その美しさはたとえようもない。この神秘的な秘密の沼にも残念ながら無粋な名前がついている。
その名は甲府沼。村の古老のお話では、当時は鉱夫沼と呼ばれていたそうである。(国土地理院の思い込みによる地図の誤記)
水路がない谷地に失業した鉱夫たち(硫黄価格下落による沼尻硫黄鉱山閉山があった)が人夫として雇われ、長瀬川までの長い水路を掘った。
水路の完成により、水が捌け、湿地帯は狭まり、現在の沼が形作られたそうだ。
現在もその水路跡は残っているが、その後秋元集落の防火用水確保のために作られた小川の完成(現在、カーティスクリークの庭を流れる小川)
によって今では鉱夫たちの掘った水路にはまったく水の流れはない。
雪道を歩く。相変わらず小雪舞う真冬日なれど、忍び寄る春をなぜか感じる。
気温の低さは別にして、この頃の日差しの強さ、日暮れが遅くなった事など実感するからだろうか。
とはいえ、久しぶりの秋元湖は一面の雪原、春はまだまだ遠い。
曇天小雨、夕方秋元湖まで散歩。
秋元湖手前、集落のはずれにある古橋の架け替え作業が行われている。
ふと剥き出しになった古橋の橋桁に付けられた銘板に目が吸い寄せられる。
橋桁の中心にふくらみのある形状もとても美しい。
銘板に刻まれたCRAVEN BROTHERS、(イギリスの企業、今は存在しないらしい)
この橋梁は遥遥1896年(明治29年)イギリス、マンチェスターからやってきた。
すでに120年以上の時が経っている・・・
年代からして1888年(明治21年)磐梯山の大爆発後の復旧事業の為に架けられたものなのだろう。
到底電力事業のためとは考えられない。村役場に問合わせても詳細は全く不明、1960年東京電力より村に移譲されたらしい。
いずれにせよ希に見る鉄製の古橋、何らかの形でモニュメントを残して欲しいと願う。
晴れ。
五色沼の森を休むことなく2時間黙々と歩く。
弁天沼は一面の雪の原、なんの趣もない、
いっそ湖上を歩いて対岸に渡ってみようか、そんな勇気ある者の踏み跡はない。
私も意気地ない、やめにする。いつもどおりぐるっと回って五色沼の水源、瑠璃沼へ。
瑠璃沼の高台に展望台ができた。沼越しの磐梯山がとてもいい。
これから森を歩く人々の素敵な憩いのスポットになるだろう。
昼過ぎ薄日射す。心配された台風の被害、裏磐梯では杞憂に終わったようだ。
秋元湖に行ってみる。雲の流れ早く、時々小雨。中津川渓谷にゆく湖畔沿いの遊歩道の車両通行が禁止された。
これは大変いいことだと思う。これで車を気にせず散策できる。
500mほど小道をたどってみる。紅葉と水の風景、秋元湖の風景、やはり素晴らしい。
ずっと歩き続けてみたい。だが、雨、激しくなり、引き返すしかない。
近いうち半日かけ、中津川渓谷往復の散策を楽しんでみたいと思う。