昨日は地元秋元地区の総会に出席、初めて総会終了後の酒席に参加、
少し飲み過ぎたか、昼過ぎまでダラダラと時が過ぎてしまった。
これではイカン、だらけた肉体に喝を入れようと薪運びを始める。
薪置場の薪すべて運ぶつもりだったが残念ながら3時間ほどで疲れ果て、
後1時間もあれば終了するであろうがだらしなく作業中止。
今日はこれで良しとしよう、入浴、はや夕食、肉体酷使したためか、おかげでビールが旨い。
昨日は地元秋元地区の総会に出席、初めて総会終了後の酒席に参加、
少し飲み過ぎたか、昼過ぎまでダラダラと時が過ぎてしまった。
これではイカン、だらけた肉体に喝を入れようと薪運びを始める。
薪置場の薪すべて運ぶつもりだったが残念ながら3時間ほどで疲れ果て、
後1時間もあれば終了するであろうがだらしなく作業中止。
今日はこれで良しとしよう、入浴、はや夕食、肉体酷使したためか、おかげでビールが旨い。
今やオーディオ趣味は過去のノスタルディーを追い続ける物悲しい老人の趣味になってしまった。
老人には理解できない最新の技術、理解不能な世界であり、非科学的、邪教蔓延する世界、
そう考え、逃げこまなければ成立しない趣味になってしまった、と老人の私でさえそう思う。
10、000Hz以上が聞こえなくなってしまった(重低音20Hzは聴ける)老人の私、
だが少しは科学的に考えようと努力する少しマシな老人かも知れない、
アナログ、真空管など古い技術、劇的に進化するデジタル、トランジスタ技術に遠く及ばないと思っているし、
むやみに非科学的コード類や家の電源など、その他ごく些末なことに真剣に取り組んでいる、
最早そういった類なことに目を向けなければオーディオファンとして存在できない、木を見て森を見ず、
そういた人々を邪教信者とさえ私は思っている。
デジタルアンプ、サブウーファーの早期から取り入れ、
音楽を楽しみたいときはできるだけ計測はしていないが85db以上の大音量で楽しんでいると思う。
オーディオファンの老人はすでに承知の事かもしれない、が、
趣味の世界は広大、深淵であることは承知の上、言い訳はいくらでもできよう、
まだの御仁、是非ご覧あれ。が、初めての方は刺激が強すぎるかもしれない。
目覚め、小雨の音、外は春の雨、雪の森から種々の野鳥のさえずり、
残雪がすごい勢いで解けている。
つられて庭に出れば除雪している駐車場隅にフキノトウの芽生え発見、いよいよ春。
3月27日
ペンション・ヴァンブランご夫妻来、妻仏前に素敵な花束、線香を手向けてくれる。
天の妻も感激しているに違いない。
ご持参いただいた手作りケーキでコーヒー、しばし楽しい会話の時を楽しむ、
独居老人にこれ以上のものはない、ご夫妻にはいつもながら心より感謝申し上げる。
3月24から2日間、長男と次女の二人、独居老人を心配、慰めにやってきてくれる。
孫娘と深夜2時過ぎまで映画を観たり、長距離ドライブ、上山コストコに買い物にいたり、
2日間楽しい時間を過ごす、感謝。
だが、めでたく新居を構えた長男、今春大学、高校に合格、入学する長女、次女、
我が息子、孫たちに満足な祝金さえ出せぬ年金生活金欠老人、我の不甲斐なさ、まさに哀れ・・・
窓辺の粉粧楼ようやく開花、薄ピンク、小輪、本来の花ではない。
だがたくさんの新たな蕾が上がってきている、これからも期待が膨らむ。
昼の外気温8℃、温かい、庭の雪もどんどん解け、気分良し、
いよいよ春の訪れ、が、まだ寒の戻りも数度はあろう、油断なきように、と思う。
3月21、22日
那須のK氏ご夫妻がすべて美味しいお料理、お酒、お菓子、亡き妻の仏壇に飾る花束、等など、
たくさんご持参してお泊りにやってきてくれた。
いつもどおりの楽しい酒宴になる、ビール、酒、シングルモルト、締めはマーテル・コルドンブルー、
酒宴は2時近くまで・・・独居老人の飲み相手、話相手を我慢強く付き合いに、
慰めにやってきてくれる、心より感謝いたします、またの機会を楽しみにしております。
ご迷惑を十分承知しております・・・
秋にエントランスに運び、積んだ最後の薪を部屋に運び入れる。
この冬は例年に比べ、薪の消費が早かった気がする。
小雪、気温は1℃、いやいや薪運びをする。
薪置場から2輪車でエントランスに運ぶ、雪道のせいか車輪が沈み込み、
非常に効率が良くない、5,6往復でやめにする。
後で思えばママダンプのほうが効率が良かった、と思う。
4月になり通路の雪がなくなってからにしよう、それまでこれで足りるだろう。
3月18日
ナビに身を任せ、一般道で仙台ガーデンガーデン愛子本店に向かう、往復高速道路は使用しない。
田園風景の中、ゆったりと300km?近くの長距離ドライブ、ここに行くのは10数年前ぶりだと思う。
入店、ガーデンガーデンのスケールの大きさに驚く、1時間ほど丁寧にあちこち店内外を巡る。
が、すぐに慣れてしまい、冷静に目をやると反動的にこんなものか、とかえって落胆大。
欲しいものがない、魅力を感じる物がない悲しさ、何も買わずに店を後にする。
今日も馬鹿げた長距離ドライブを楽しんだ、としておく。
飲み過ぎ、夜ふかしの2日間、キリッと肉体に少し刺激を与えよう、
リフトには乗らず、歩いて登る、軽いスノートレッキング、
激しさは必要で無い、適度な軽い肉体的負荷、銅沼へ。
すでに手に入れてから20年以上か?TSL、ビンディング部分のプラスチック部分の経年劣化、
切れてしまった部分を結束バンドでつなぐ応急修理、もう寿命買い替えの必要ありか。
ゲレンデ端を直登1時間と少しで銅沼、昨年はイエローフォールに向かいあわや遭難?
そんなことを思い出す。土曜日にもかかわらすスキー場はガラガラ、この先どうなるのだろうか、
ちょっと心配、銅沼でテルモスのコーヒーを飲んで下山、ちょうどいいトレーニング。
3月14日
友Mを郡山に送る、2日間、飲んだくれ過ごした楽し時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
Mはあの世に旅立ってしまった「みの もんた」と同じ1944年8月22日生まれ、
8月24日生まれの私の2日先輩、80といえども互いにこれと行った持病はない、
これほど幸運、幸福なことはないだろう、が、いつまでも続くことはない、あの世は近い、確実に。
サラリーマン時代の同期、友、Mがやって来てくれる、
郡山駅まで出迎え。
お互い80歳を迎えても未だ元気に日常生活を送っている幸せ、幸運を互いに感謝。
今日も夜遅くませ飲んだくれることになるだろう。
3月10日
朝方、亡き妻の夢を見た、今年は水戸偕楽園に行くつもりはまったくなかった、が、
何故かいかねばならぬ、そんな気分に襲われる、アレクサ、今日の水戸の練気予報は?
アレクサの答えは快晴、天気良し気温も高い、と。
7時半、急遽、年中行事、儀式となっていた、偕楽園に行き、車を向ける。
昨年1月19日、妻の定期検診日、昼食は回転寿司スシロー、
(思えばこれが最後の外食となってしまった)
生臭さを特別嫌う妻は不思議に数の子が大好物、そして炙り穴子、
途中、出くわしたスシローに立ち寄り、数の子、穴子を買い込み、
昼食のおにぎりをいつも食べる同じベンチに座り、遺影とともに食する、
満開の梅はどうでもいいこと。
いつも帰路のハンドルの殆どは彼女が握った・・・
車窓に流れる風景、いろいろの思い出も数々、抑え込むに必死、
今年の偕楽園行の行事はかくして終わった。
呆れるほど政治家の無能により導かれた今日の日本の危機的状況、
この状況は構成員たる馬鹿な日本国民が生み出し、積み重ねられた結果である。
私も馬鹿な日本国民の一人、その上、ボケの始まった老人、
だが少しは有用と思われる情報に接しようと試みている。
「その国民のレベル以上の政治はできない」
日本人としてこの言葉を改めて噛み締めようではないか。
1時間以上の長い動画だが伊藤貫氏の意見に耳をを傾け、
日本の行われている現実の政治、世界の中での立ち位置を自身の頭で考え、
比較、判断してみることは非常に価値があること、と考える。
教育無償化・・・学力低下、教育ビシネス・・・簡単に考えるな、深く考えてみよう。
「大革命家トランプ!
気温2℃、温かい。
真冬日を脱すると気温の差以上に暖かく感じる、早春を感じる。
昼近く、ダイニングルームの窓の除雪作業、1時間近く。
暗かった部屋が明るくなる。
窓辺のカーテンレールに吊るされたハンギングバスケットに植えられたビオラ、
明るくなり、咲き始めていることに気付く。
今年はガーデニングに励もう、そんな気分がふつふつと。
ゼレンスキーはなぜトランプを怒らせたのか?
このまま停戦しなければウクライナは無条件降伏で終戦を迎えることにになるだろう、
さらなるウクナイナ国民の命を犠牲にしてまでも、いや最悪の場合第3次世界対戦の可能性も含んでいる、
それなのにイギリス首相のスターマーのあのゼレンスキー大歓迎の理由、
スターマーの現状の支持率は40%を切る不人気首相、人気取りの歓迎見え見えの行為か?
【米ウ会談】トランプ氏 大激怒...異例の口論はなぜ起きた?#ウクライナ #アメリカ
3月、真冬日は数日連続で脱出、日中気温は5℃、雪国も何やら春の気配をかすかに感じる。
燃え続けている薪ストーブ前で寛ぐ気分でない、一週間に1,2回行う溜まった洗濯、
洗濯機はすでに20数年使用しているドラム式の古いやつ、
乾燥まで行うとシワが酷い、したがってストーブ前で寛ぐ予定のない日はダイニングで室内干し、
薪ストーブのお陰で半日でカラカラに乾く。
電気代の節約、こんなところにも薪ストーブの存在の大きさ、感謝。
そう、忘れていた、明日は月曜日、念の為森林組合に確認の電話せねば、
すでに昨年春、頼んであるが念の為・・・
3月の棚卸しで原木をパルプ工場に卸してしまった後で大変苦労した年があった。