今日の表題<神の摂理とは何?>と言う言葉に触れて、わー、気味が悪い、と感じた人は人類誕生以来の原始の心を忘れ、ひたすら現代病に走っている遠因を作りつつあると思って間違いありません。この言葉はキリスト教の概念ですが、私達日本人の概念に置き換えれば、祖先様のおかげ、仏様のおかげ、ということです。比較宗教学を学びますと、その表現は国、文化、歴史で全部違いますが、同じことを言いたいだけの話です。神様の愛を信じると、いろいろのものが見えてきます。人は魂、心、身体で成立構成されています。心と魂の世界に潜む温かい人情、愛情、友情、優しさは、全部見えないものばかりです。人間は悪も多いのですが、それ以上に実は愛そのものの動物とも言われています。見えないものに一番大切な愛の世界があります。信じて見えてくるもの、信じて見えなくなるもの、この研究は非常に面白い世界です。
Aさんはいつお会いしても元気で明るく爽やかです。Bさんはいつも暗く世間の悪口と不満をぶつぶつ言い続けています。周囲は自然とAさんと共に生きていきたいと思います。さて生き甲斐の心理学で定義している<自己実現への道>とはどんな意味かと言いますと次のように生きている人の事を言います。暗い感情と明るい感情は生身の人間ですから当然存在していますが、セルフコントロールが上手で自分の思考と感情と行動を全て人生の目的に統合しています。現実吟味力も的確で、自然に湧いてくる感情も否定も肯定もせず受け止めています。どんな事件が身近に生起しても解釈が明るく、教訓として現実を受け止めています。さてこの理想的なあり様は自分に出来ないと思っている人が多すぎます。自分の生きている意味を明確に意識し知覚すれば誰でもこの自己実現への道を歩き出します.
危険が迫れば人は当然回避します。ここでは暴走車を回避する、といった逃避ではなく、無意識に真実から逃避している習性が無ければ、自分はもっと幸せになれるのに、と言った意識で苦しんでいる人の場合を考えてみます。この意識があれば必ず解決します。理由はすでに意識化出来ているからです。ストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5段階)の第3段階である身体症状を感じるまで自分を追い込むストレスは回避すべきでしょう。人間の器が大きくなれば、どんなストレスでもそれをばねにして飛躍できるようになります。その折々の器において、身体症状が出るまで自分を追い込むと人生そのものが破滅していきます。器を大きくする修行を楽しむようにすればストレスもかえって貴重な刺激剤となります。
成育史が違うので、現実をどう受け止めるか、避けることが悪い事とは一概に言えませんが現実を避けるタイプは本当の愛にも遭遇しないし、本当の幸福も中々得られないタイプではあります。理想と現実の混濁は精神病が生まれやすくなります。まずは現実を素直に受け止める必要があり、その為には、悔いのない大きな夢を持たないと厳しい現実だけですと、現実生活は地獄となります。可能性のある夢、ひょっとして可能かなあ、という夢、駄目かも、しかし諦められない楽しい大きな夢、この3種類の段階の夢を持って生きていると必ず大きなチャンスがありそうです。<人は考えた通りの人間になる><求めよ、さらば与えられん>。この考え方は数千年前からのもので、長い歴史のある重みのある思想です。
人は身体症状(眠れない、食欲がない、お色気喪失?)が出てくるくらいの悩みを時々持ちます。その悩みの原因を心理学では、その人の理想(こうありたい、こうあらねばならない)と現実のギャップからのストレスだと診断しています。人間は何故か、その理想と夢に固執し、10分といえども捨て去る勇気がありません。10分間、1日、1ケ月、1年、とりあえず捨てておく勇気がないのです。理想を捨てる、ということは現実をあるがままに受け入れて生きる、ということになります。大切な理想と夢を時間限定で捨て去ると、信じられない開放感が訪れてきます。大きな気づきも生まれてきます。一度全部を捨ててみる勇気は更なる明るい人生を見させてくれます。
人間の自然な心の流れとして<神聖で頼りがいがあり、優しい偉大な天>に向かって語りかける習性があります。この古代からの習性を科学的ではないと軽蔑すると神経症的な心の病が必ず生まれてきます。この習性に気付かない現代人が犯罪、自殺、愛の欠落、自己否定、他者否定に陥る傾向があります。艱難に遭遇したとき、困り果てた時、愛に餓えて孤独を感じた時、この偉大なサムシンググレートに向かって素直に感情をぶつけ祈ってみましょう。この習慣を3年続けると体験的に心が明るく爽やかに、平安感を感じだします。難しい哲学の習得の前に、この祈りの習慣から得た体感を楽しんでいくと大きな勇気と自信と困難を恐れない心が必ず生まれます。感情の転移は人間ばかりでなく相手が天の場合も起きてきます。心が貧しいとそれなりの会話しか出来ませんが、心が豊かであれば、豊かな会話がサムシンググレートとの間で出来ます。
憎しみの感情があると心の自由は生まれません。同じ病気の人でも幸せな気分で生き抜いている人と人生を怨んで生きている人がいるのは何故でしょうか?答えは日々の出来事の解釈の仕方に問題があります。コップの中の水が半分の時、まだ水があると感謝するタイプと,もう水が無いと不満を言うタイプの違いです。この違いはどこからくるのでしょうか?その答えは人間観にあります。人間の心とは何か?<人間の心の本質はもともと不安なのです>という真理を知らないからです。不安定な人間、宇宙の中の小さな人間の存在そのものが不安定なことに気づいていないと、いまこうして生きていること自体が感謝の状態であることに気づきません。もっと焦点を絞ると呼吸が出来る幸せな自分、心臓が動いている幸せな自分に、ああ、生きていて幸せだと手を合わせる哲学がないと何をしても幸せは訪れません。この基本哲学を生き甲斐の心理学では平安感の原型と言います。