五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

片付けと陰陽

2014年09月25日 | 第2章 五感と体感
昨日は、大きく頷く面白い勉強会でした。
心も行動も何が何だかわからない散らかりようで、足元もおぼつかない状態での感情の整理は直ぐにできるわけではなく、よくよく傾聴していくことによって、個人の戻る場所に落ち着くことで、自分のとっちらかった感情が段々と焦点付けされていきます。私の場合にしても、どんな感情に振り回されていても、最終的に自分の傾向と居場所に落ち着くと、腹も括られてきますし、今の状態を受容する心が生まれてきます。

他者の死生観と向き合う時も、ケアする人が自分自身の死生観を意識化しておかないと、ケアする側が混乱に陥ります。そのためには「自分は死んだらどこに行くのか?」「自分がイメージする死後の世界は?」をレポートに綴り思索します。
自分自身が死という現実と向き合った時に、今まで描いていたイメージとは違うものが表われてくるかもしれませんが、その時はその時です。その時に、また改めて考える機会を頂くわけです。感情や思考は留まり続けるものではなさそうです。

昨日は、ターミナルケアがテーマでした。

昨日学んだことは、傾聴によって自らの感情の曼荼羅を整理していくことと同じで、自分が戻るべきところに戻る、つまり、部屋の片付けと同じニュアンスであることです。

確かに私の周囲を見ても、ある年齢に達すると物の整理をし出す人が多い半面、物を整理することは自分の身を剥がされるようで整理に興味を示さない人もいます。

私自身、物の整理の情動が起きない時は、何かに捉われているときであり、仕事にしても作品制作にしても、それが片付かない限り、物を動かす情動が起きません。
確かに、身体の具合が悪かったり、悩みが深かったりすると、それに執着しているせいか、片付けようと云う気持になりません。
そして、何かを始めようとするときは、まず物の片付けが始まります。

感情の整理にしても、物の片付けにしても呼吸の如くかもしれません。

気功で呼吸法を習うと、必ず吐くことから始めなさいと教えられます。吐くことから始めると、自ずとそれなりの吸うべき空気が身体に入ってきます。
吸う事ばかりを意識していると、吐くことがぞんざいな感じになります。

出すことと入れることのバランスは、許容量が決まっており、そのバランスが崩れると、自分の心と身体の整理も何かに片よっていくはずです。

物の片付けは、感情の曼荼羅の整理と同じであり、それを怠り続けているといつしか自分の足元が見えなくなることに繋がります。足元が見えなくなると、自分がどこに回帰するか解らず慌てます。慌てると感情が乱れます。

物の片付けにしても感情の整理にしても、陰陽の廻りの中でバランスが取られているはずなのです。

「何をどこに戻すか。。。?」

昨日もまた、禅問のような問いを頂き、夜は更けたのでありました。

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