五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

本音って何なのさ!

2012年06月07日 | 第2章 五感と体感
昨日の続きです。

或る人にとっては本音に辿りつくまでの道のりは長い、と昨日のブログで書きました。

本音って一体何なのでしょう?

私自身、それを自分に問うと本音が自分の理想にかき消されて見えていないことがシバシバあるし、もともと本音が見えていないかもしれないのです。

「自分の主訴」は何か?

子供の素行を変えたい。
夫の習慣を変えたい。
職場の環境をどうにかしたい。
こんな自分をもっとすっきりさせたい等、

「本当に訴えたいことを「主訴」とするならば、果たして上記の内容が主訴と言えるのだろうか?」

「~したい、~すべきだ、~すべきでない、~で当たり前だ」
自分自身の感情を置き去りにして、これらの理想をひたすら想い巡らせているだけでは、それは主訴ではないようです。

このように理想を並べ立て、あたかもそれが主訴であるかのように置き換えている自分の思考には、必ず何らかの感情が背景にあるはずです。理想が叶えば自分の悩みが解決するわけではないようです。

つまり、湧き出している何らかの感情が、自分の理想を創造し、その理想と実際自分が経験している現状のギャップが何らかの感情を湧かせているようです。湧いてくる感情が自分で意識できていると、自ずと叶わない理想との戦いをしている自分に気付くことがあるのです。

叶わない理想と戦っている自分の何らかの不安感、つまり自分の本音に蓋を閉めているのであれば、きっと同じことの繰り返しです。

この本音の感情は、とても恥ずかしくて他者には言うことなどできないかもしれません。

他者に言ったところで、他者が答えを導き出してくれるわけではありません。本音の感情と向き合い、その感情をどうにかするのは自分自身です。

じだんだ踏みたいくらいの感情の中に更に潜んでいる「自分の不安感に焦点が合った」としたら、それが「自己受容」であるように私は思います。自分の身体に腑に落ちたような体感が得られたら、光が見えてきた証拠であるかもしれません。

それまでの道のりを共に歩んでいくのが私の役割なのですが、私自身も答えを探している一人の人に過ぎません。

「自己受容と他者受容」は、生きている以上日々の課題です。

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