五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

趣味の悪い置物

2008年08月13日 | 悔いのない人生とは?
「自分の趣味」というのは、あくまでも個人的なことです。

義父が生きていた頃、時々とんでもないものが突然送られてきました。

一番、びっくりしたのは、いきなり大きなヤシの木が送られてきたことです。
「家、小さいのに、ムリ!」
義母に相談すると、お店に送り返しなさい、との指示。

まだ少しばかり若かった私は、自分の趣味に合わない物に関しては、徹底的に排除する体制で生活していました。
だから、いきなりヘンな物が送られてくることに、ものすごい不快感を感じました。

確かに、送る側にとっては、その人の人生から醸し出される「趣味」というものがあり、何時間も選んだ末のものかもしれません。でも、相手にとっても同じこと。理解しがたいもの、ということもあるわけです。

義父は、戦争を体験しています。戦争が終わり、南方から帰国するのに二年かかっています。
「なぜヤシの木?」 わからないわけではありません。

義父の住む家も、物で溢れていました。その物とは、仏像や、ギリシャ神話の像とか、七福神とか観音様とか、簡単にいえば、神様仏様キリスト様のごった煮のようなものです。

これらの「ごった煮神仏収集」は、戦争を体験した義父にとって必要なものだったのでしょう。

もうすぐ、終戦記念日。
その日が近づくと、義父の集めた「趣味の悪い置物」が懐かしく思い出されます。

「選ぶ物」は自分の心を投影するものだから、一概に「ヘン!」と思うことを慎むようになったのも、義父の趣味の背景のおかげかもしれません。

「選ぶ」行為には、必ず選ぶ意味があります。

さてさて、お墓参り、旧盆まで引き延ばしてしまったので、行ってこなくては


クリック応援お願いします
人気blogランキング ☆ありがとうございます☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分にふさわしい場所

2008年08月11日 | 第2章 五感と体感
自分に心地の良い場所。

個人個人、その場所の好みは違うはずです。

それは場所であったり、人間関係であったり、学問であったり、趣味であったり、いろいろです。

今日は、ある場所に行き、「私の素地」を改めて検証し直しました。
わかりやすくいえば「私のアイデンティティを確認・納得できた」ということです。

自分がいま行っている仕事は、理想ばかりで夢のようなことかもしれません。
でも、それが実現すれば、もっともっと人と人が心地よく繋がっていくのに。。。
と常々思います。
そういった自分の信ずることを変えないで、なんとかこの仕事を遂行したい、と願いながら、身の回りでコツコツと活動をしているわけです。

社会が求めていることと、個人が求めていることが同じ方向性のものであっても、社会全般に対して総合的に出来ることと、個人対象に出来ることは、悲しいかな、違うのです。

今日、私は個人対象に出来ることをコツコツやることを選ぶことが、自分にとって最良の方向性であると、再確認しました。
頭では分かっていても、総体的に考えていきたい「縛り」のような概念が自分の内にあり、それにこだわっていたような気がします。

個性の美。
この言葉がいかに美しい言葉であるか・・・

正午の梵鐘とともに祈る自分がいました。

自分にとってふさわしい場所は、意外にも近くにあったのです。でもそこは、今まで遠いと思いこんでいた場所でした。

世の中は夏休みシーズン。
賑やかな電車の中で、こんなことを思いながらにやにやする私は、やっぱり楽天的というべきでしょうか。

クリック応援お願いします
人気blogランキング ☆ありがとうございます☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一服のお茶とアイデンティティ

2008年08月10日 | 第2章 五感と体感
日曜日の八時からは「大河ドラマ」が我が家の定番です。

特に篤姫は、江戸時代から明治維新にかけて登場する人物の相関図が良く分かり、江戸時代年表(小学館)をペラペラと捲りながら楽しんでいます。

本日は、「桜田門外の変」でした。

お茶を愛した井伊直助が篤姫と語らう場面は、篤姫の懐の深さを感じさせ、井伊直助の茶の湯の極みをクローズアップさせた上手な演出だと感心しながら見ておりました。

茶室の場面

篤姫、、いやいや天障院は、井伊大老に不快を示しながらも、彼のたてた茶を褒めます。

相手が自分にとってどうであれ、湧き出した想いを正直に伝える。
正直さから見える太い柱。

このアイデンティティは、鹿児島の桜島と青い海、棕櫚が茂るダイナミックな日本庭園、動かず見える意思の強さは、こんなことろからくるのかしら、と生まれた場所というのは自己の人生観にずいぶん影響するのかもしれない、とも思います。

ちなみに私は高知生まれ。
太平洋の大波と台風のすさまじさは、幼いころから持っている自然の印象です。
気性は荒い、とは言いませんが、白黒はっきりしているところは、そんな自然環境から育んだ性格なのかもしれません。

年末まで大河ドラマで愉しめそうです。

しかし、ひとつもの申すならば、本日の演出、、天障院に幾島が献上する掛け軸、あんな見せ方しないのでは。。。?しかも、いきなり軸の真ん中をつかんじゃう、、、「あ、、、そんな持ち方、、いけないわよ!」とつぶやく私。
それに、掛け軸が入れられていた桐の無地の箱?それはどうかな??
本当は塗りの箱でしょう。。。
ドラマひとつ作ると、いろいろな自称スペシャリストから御意見が届くのでしょうね。
NHKの受信料、ちゃんとお支払いしていますので、このくらいのコメントはお許しくださいませ。

クリック応援お願いします
人気blogランキング ☆ありがとうございます☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌のやりとりは漫才と同じ

2008年08月09日 | 第9章 愛
ボケとツッコミ。

関西の方なら、これは当たり前のコミュニケーションですよね。

関東となると、ボケたことに対して、あからさまに不快感を表す人も少なくありません。もしくは、ボケられたことをどう突っ込んでいくか、言葉に詰まったりすることもしばしば経験します。

日頃、この漫才のようなやり取りをしていれば、とっさに切り返すこともできるのでしょうが、こればかりは、環境に影響することなので、なかなか上達しません。

大阪の駅の売店で飴を買うだけでも、このやりとりの重要性を痛感します。

そんな関東人の私が、源氏物語を読むにつれて、ある印象が頭に浮かんだのです。
光源氏が女性に宛てるこまめなお手紙。つまり「歌」、これに切り返して歌を返す女性の皆様。

重要なのは隠喩の使い方。

光源氏が胸ときめく女性ほど、隠喩の使い方がお上手なのです。
冷静に読んでみると、
ボケた光源氏に、突っ込みを入れる女性。という関係というわけです。

突っ込まれば、またボケる・・・

「なぁんだ、、漫才の原点じゃないの~」と思うと、一層このやり取りに引き込まれていく私がいるのです。

漫才も然り。
うまい!と思えるラップの歌詞も然り。
サザンの桑田圭祐さんも然り。

隠喩の達人は、いつの世も、人の心を動かします。

残暑厳しい夏の日を、言葉遊びで涼んでみましょう~

クリック応援お願いします
人気blogランキング ☆ありがとうございます☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こじつけで涼しく過ごす

2008年08月08日 | 第2章 五感と体感
立秋。

・・・ですが、

真夏の蝉が、ジンジンと鳴き、酷暑の日中、汗だくの毎日。
昨晩のオリンピック初戦であるサッカーの試合を見、ますます気だるくなりました。

さて、少しは涼しいお話を・・・

源氏物語の中で気になるのは自然の風景。植物の描写は、古の風景を想い起こします。
それによって私が記憶している体感で、物語の風景を歩くことができるのです。

萩。
毎年恒例、我が家の萩は、他の植物を押しのけて、元気にぐんぐん育ちます。
唯一、立秋を感じるのは、伸びた枝が朝晩の風にそよがれ、はらはらと音を立てる時でしょうか。耳をそばだてて、音を意識することも、暦の上での季節の感じ方かもしれません。

秋を感じないのなら、自分で「こじつけて」感じてみるのも、涼しい酷暑の過ごし方。

源氏物語の中の野宮は、六条の御息所が嵯峨野に住まうシーンです。
光源氏が供の者と、その風情を愉しみながら嵯峨野を歩む描写は、萩のそよぐ音が聴こえてきそうです。

それと、宇治十帖。都から離れたこの場所。宇治川のほとりになびく萩が、私の頭に浮かんできます。草茂る雛びな場所は、隠れて育つ二人の姉妹にぴったりな場所です。

想像すると、秋風がそよぎます。

・・・こんな感じで、
今日も涼を求めて、立秋描写を想像しながら過ごすことにします。

クリック応援お願いします
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行動と思考の整理

2008年08月06日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
これだと信じて動いてきても、数年経つと、何となく次の方向性が見えてくる時期がやってきます。

その機会を無視して現状維持とするか、与えられた機会に乗っかり、新たな扉を開いてみるか。。。

それは、その時の状況で違います。

自分の中で、整理統合してきたものをいったん崩し、また整理し直すことは、事の大きさに関わらず随分経験してきました。

その時期がどうもまた、訪れているようです。
今回は、自分の内で自然に芽生えてきたものと、外から与えられることが一致しているような気がしています。

乗るか乗らぬか、

「えーい!乗っちゃえ!!」
これが私の結論ですが。。。

流れの中で出合うものすべてが、現在、自分の欲しているものと符合することにちょっとした興奮を覚えながら、この夏、心を静めて扇子の先を見据えてみようと思います。

同時に自分の「思考と行動」の整理を湧き出す感情から丁寧にしていきたいものです。

自分の転換期。波立つ器を静めながら自分の鞘に納まるまで、暫し不動の我が身を愉しみます。

クリック応援お願いします
人気blogランキング
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

源氏物語は感情の宝庫

2008年08月05日 | 第3章 無意識の世界
雷雨のおかげで、少しは涼しくなるかと思いきや、一向に涼しくならない夏の夕暮れ。

鎌倉の勉強会では、源氏物語の光源氏を中心とした相関図から登場人物の立場と感情に触れ、人物の的を絞って平安時代の習慣やまつりごと、宗教感から源氏物語の入口を皆さんと一緒に楽しんでみました。

私自身、これぞと思うテーマに出合えたことに、安堵感を感じています。

ひとことでいうと、源氏物語は、感情表現の宝庫。

ひとりひとりの生い立ちと、光源氏に翻弄されながらも自らの生き抜く様は、読む者の心をみるみる捉えていきます。
一人の人間にとらわれることなく生きようとする生き抜こうとする人の「自由意思」が見えてくることに注目しています。

その中で、ただひとり、嫉妬深さの余り、生き霊となって、光源氏が寵愛する女性達にことごとく襲いかかる六条の御息所。彼女の存在は物語の中での道化師役的なもの(トリックスター)を感じますが、現代社会に直接繋がる嫉妬の表現です。

怒り、悲しみ、嫉妬、恨み、疎外感、孤独感、傲慢さ、歪曲、勘違い、思いこみの強さ、我がまま、、、、

「まさか、私に限ってそんなこと思いませんわ・・・」と思う六条の御息所の無意識が生き霊となって、女性たちを苦しめるのです。

本音を意識しない怖さ。

人の感情の曼陀羅を垣間見ることのできる源氏物語の面白さがあるのです。

また少し、読み深めながら、ぼちぼちと源氏物語をブログのネタに使わせていただきます。

クリックお願いします
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信じて見えてくるもの

2008年08月04日 | 第3章 無意識の世界
夏の海を山の上から眺めながらの勉強会で思索と対話を愉しんできました。

5万年前の人類の誕生から今日までを辿りながら、およそ二千年前、一世紀頃のキリスト教と源氏物語に焦点を当てた心理学の学びでした。

信じて見えてくるもの。

一つのものを見据えて、そこから見えてくるもの。

見えてくるものは、それぞれの個性から生まれてくるものです。
だから、個々に違う解釈となり概念となっていきます。

そうはいっても、アフリカから出発した自分の祖先である母の数を計算してみると
、二千人から二千五百人位の数となります。
その中の一人でも欠けたら、「私」という存在は無かったはず。

そのようなことを考えると、今在る自分は、奇跡の存在といっても過言ではありません。そして、よくぞここまで生き延びてくださったと思うわけです。

何が好きか嫌いか?
誰が好きか嫌いか?
その判断は、ご先祖様から受け継がれてきた経験と解釈で、ずいぶん違ってくると思います。

見えない記憶も見える記憶も、脳に記憶され、自分という個性が成り立っていることが自分でもよく分かります。

・・・・
千年前からの母親を辿ると、およそ80人~100人くらいです。
源氏物語の誕生以降から私が生まれてくるまでの期間、遺伝子の継承はたった100人程度の人からのものなのです。

千年前の暮らしぶりが、何か懐かしく感じるのは、まだ私たちの遺伝子に鮮やかに記憶されているからなのかもしれません。

人は皆手を繋ぎながら生きています。

誰かが欠ければ、誰かの人生も変わります。誰かの人生が変われば、そのまた別の人の人生も変わっていきます。

自分が与えられた尊い命は、どんなものでも次の世代に継承されていきます。

自分が遺していきたいもの、それを意識すると、ちょっとはピリッとした夏の生活ができるかもしれない、と自分に言い聞かせて、酷暑を乗り切ろう・・・

クリックお願いします
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする