「自分の趣味」というのは、あくまでも個人的なことです。
義父が生きていた頃、時々とんでもないものが突然送られてきました。
一番、びっくりしたのは、いきなり大きなヤシの木が送られてきたことです。
「家、小さいのに、ムリ!」
義母に相談すると、お店に送り返しなさい、との指示。
まだ少しばかり若かった私は、自分の趣味に合わない物に関しては、徹底的に排除する体制で生活していました。
だから、いきなりヘンな物が送られてくることに、ものすごい不快感を感じました。
確かに、送る側にとっては、その人の人生から醸し出される「趣味」というものがあり、何時間も選んだ末のものかもしれません。でも、相手にとっても同じこと。理解しがたいもの、ということもあるわけです。
義父は、戦争を体験しています。戦争が終わり、南方から帰国するのに二年かかっています。
「なぜヤシの木?」 わからないわけではありません。
義父の住む家も、物で溢れていました。その物とは、仏像や、ギリシャ神話の像とか、七福神とか観音様とか、簡単にいえば、神様仏様キリスト様のごった煮のようなものです。
これらの「ごった煮神仏収集」は、戦争を体験した義父にとって必要なものだったのでしょう。
もうすぐ、終戦記念日。
その日が近づくと、義父の集めた「趣味の悪い置物」が懐かしく思い出されます。
「選ぶ物」は自分の心を投影するものだから、一概に「ヘン!」と思うことを慎むようになったのも、義父の趣味の背景のおかげかもしれません。
「選ぶ」行為には、必ず選ぶ意味があります。
さてさて、お墓参り、旧盆まで引き延ばしてしまったので、行ってこなくては
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一番、びっくりしたのは、いきなり大きなヤシの木が送られてきたことです。
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まだ少しばかり若かった私は、自分の趣味に合わない物に関しては、徹底的に排除する体制で生活していました。
だから、いきなりヘンな物が送られてくることに、ものすごい不快感を感じました。
確かに、送る側にとっては、その人の人生から醸し出される「趣味」というものがあり、何時間も選んだ末のものかもしれません。でも、相手にとっても同じこと。理解しがたいもの、ということもあるわけです。
義父は、戦争を体験しています。戦争が終わり、南方から帰国するのに二年かかっています。
「なぜヤシの木?」 わからないわけではありません。
義父の住む家も、物で溢れていました。その物とは、仏像や、ギリシャ神話の像とか、七福神とか観音様とか、簡単にいえば、神様仏様キリスト様のごった煮のようなものです。
これらの「ごった煮神仏収集」は、戦争を体験した義父にとって必要なものだったのでしょう。
もうすぐ、終戦記念日。
その日が近づくと、義父の集めた「趣味の悪い置物」が懐かしく思い出されます。
「選ぶ物」は自分の心を投影するものだから、一概に「ヘン!」と思うことを慎むようになったのも、義父の趣味の背景のおかげかもしれません。
「選ぶ」行為には、必ず選ぶ意味があります。
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