理論と感性2016年1月21日
生き甲斐の心理学は、理論だけ学ぼうとしても、感性、つまり感受性だけを育もうとしても学びは進んでゆかないのが現実でありましょう。
ロジャーズの理論やエリクソンを繰り返し学びながら体得に近づくには、同時に自己の感性を開いて出し入れを自由にする訓練を積んでいかないと、前に進んだ実感が湧かないように思います。
学び進めてゆくと、理論が突出して体得される時期があったり、感受性が自由になることを自ら体感する時期があったり、と、少しずつ、ずれながら「学びの体感」を得ていると私自身も実感する処です。
体感した事を言葉で表現する事は、自分の「生まれてから今日までの生育史」で育んできた「考え方・思考」「感情」「行動」と一致しているようです。もし、言葉で表現する事に不一致を感ずるならば、その不一致を一致に近づけるための訓練が必要でしょう。言葉を紡ぐことは、自分の中にある違和感を解消するためにとても大事な事なのです。
「はじめに言葉ありき」と、聖書に書かれてあることは、人間の本質をずばり突いているとしみじみと思います。
「言わなきゃ解らない」と「言ったって解るものじゃない」は、常に共存しているものでもありますが、これらの感情を少しでも自分の体感に近づけていくためには、「誰に何を伝えたいか」という願望を意識化することにも繋がっていくようです。
「言わなきゃ解らない」を「理論」、「言ったって解るものじゃない」を「感性」と例えると、この一致を自分の内のどこにアクセプタンス(前向きな受容)していくかの焦点付けが理論と感性のバランスの取り様にあると云えるようにも感じています。
そうなると、自分は何処に向かっていくか?という「自己実現」の意識化を図ることが大きなテーマであることにも気付かされます。
自分の思いや紡ぐ言葉が「どんなに小さくてくだらないことだ」と、思うことこそ勿体ない事です。「なんで?」という小さな問い掛けが自分の感性を磨いていることを忘れずに学びを進めてゆきたいものです。
☆☆ ☆☆
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学び進めてゆくと、理論が突出して体得される時期があったり、感受性が自由になることを自ら体感する時期があったり、と、少しずつ、ずれながら「学びの体感」を得ていると私自身も実感する処です。
体感した事を言葉で表現する事は、自分の「生まれてから今日までの生育史」で育んできた「考え方・思考」「感情」「行動」と一致しているようです。もし、言葉で表現する事に不一致を感ずるならば、その不一致を一致に近づけるための訓練が必要でしょう。言葉を紡ぐことは、自分の中にある違和感を解消するためにとても大事な事なのです。
「はじめに言葉ありき」と、聖書に書かれてあることは、人間の本質をずばり突いているとしみじみと思います。
「言わなきゃ解らない」と「言ったって解るものじゃない」は、常に共存しているものでもありますが、これらの感情を少しでも自分の体感に近づけていくためには、「誰に何を伝えたいか」という願望を意識化することにも繋がっていくようです。
「言わなきゃ解らない」を「理論」、「言ったって解るものじゃない」を「感性」と例えると、この一致を自分の内のどこにアクセプタンス(前向きな受容)していくかの焦点付けが理論と感性のバランスの取り様にあると云えるようにも感じています。
そうなると、自分は何処に向かっていくか?という「自己実現」の意識化を図ることが大きなテーマであることにも気付かされます。
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