五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

卒業式と修二会と四旬節

2011年03月03日 | 第2章 五感と体感

[ルーブルで彫刻とあそぶシリーズ]

昨日は職場の卒業式でした。

ご卒業、おめでとうございます。

毎年、こうやって高校三年生を見送りながら、自分の高校時代の反省が沸々と蘇ってくるのです。
過ぎてしまったことをあれこれ思い巡らすことは、建設的なことではないとは思うのですが、「どれだけ自分の中に集中していたか?」ということに対する罪悪感みたいなものが湧きあがるわけです。

そんなことを思いながら、卒業証書を手にする生徒のお顔を拝見し、これからの人生のほうが長いのだから、高校生活までの自分を素地にして、あらゆることを体験するなか、そこから学びとり、前に進んでいく感性を磨いてほしいなぁ~と
節に願いました。

保護者会の会長が「人生において一番大切な時期である中学高校時代をここで過ごされ…」とおっしゃったことが、深く心に沁み入りました。イエズス会の神父様の言葉で「皆さんは、一人の人間であり、その主体性においての権利を大切にしてほしい」とおっしゃっられたことが強く響きました。つまり自分は自分であって、自分を守り育てていくのも自分である、ということを言われていたのだと思います。

学校という箱が一番苦手であった私が、学校の中で仕事をしていること自体、きっと自分と向き合いたくない自分と再度向き合う機会を天から与えられているのだろうな。。。とも思います。

互いに育み合うという事は、その人間関係において年齢差とか経験とかは、関係ありません。

人それぞれの体の奥から湧き出してくる感情は、自分を思考と行動に導いていく大切な要でもあると思います。
その積み重ねがいつしか個性の美となって自分を受容していくのに時間がかかる人もいれば、中高生ですでに備わっている人もいます。
遅かれ早かれ「自分は何のために生きているのか?」という問いかけに身を置く経験をするのは、人の業でもあると思っています。

見えない答えを追い求めているような求道者である自分をもう一度括るために、ここで修業を積みなさい、という事なのかもしれません。

東大寺・二月堂の「お水取り」も始まっています。昨日は若狭でお「水送り」が行われました。
「春」の到来は、区切りなくして始まりません。
修二会と四旬節の時期は、不安な自分に留まる勇気を与えてくれる尊い時期であるといってもよいかもしれません。

新しい出会いを楽しみたいものです。

改めてご卒業おめでとうございます。そして保護者の皆様、大きな節目の日を迎えられ、おめでとうございます。
子育てという言葉と概念から、徐々に解放されていくための儀式でもあるかもしれませんね。それぞれの旅立ちをそれぞれの立場で思索していく機会を、大切にしていきたいものです。


クリック応援お願いします♪♪
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする