五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

平素の考え方・行動の仕方・感情の傾向

2011年03月29日 | 第2章 五感と体感


「写真:鹿島神宮の地震封じの石。香取神宮にもあります。鹿島と香取はこの石で繋がれているという伝説があります」

3月11日から19日目

「真善美」という言葉があります。

真とは何か

善とは何か

美とは何か

それぞれの定義は、人によって違います。

人はこれらをテーマに、長い年月をかけて哲学してきました。
そして、人はこのテーマを引き続き永遠に考えていくはずです。

「今回の地震の最中、自分はこの三つの言葉の中で、何を一番大切にしただろうか・・・」
ふと、そんなことが頭に過りました。

平素、私は「美」を自分の思考の中枢に置いています。「置いている」というより、結果的に「置かれている」と表現したほうがしっくりきます。

地震当日は、表装の指導員勉強会でした。師匠の持ちビルは大揺れに揺れ、ビルが崩壊したらこのまま瓦礫に埋もれて生きてはいないだろうな、と思う反面、このビルは大丈夫大丈夫。。。と落ち着きはらった言い方で動悸が起こり震えている人に励ましの声を掛けていました。そう言いながら、自分の荷物をまとめて、しっかりと自分の身体につけました。何故かと言うと、遺体捜索を想像したからです。少しでも自分のものを身につけることで家族に迷惑をかけたくない、という気持ちが湧いたというわけです。表装の裂地や道具に埋もれて死ぬのも私らしいかもしれない、という思いも湧きました。
電車が動かない、と解った瞬間、家族と家の状況さえわかれば、安心してここに泊まることができることを考え、携帯と固定電話を借り、家族とお隣さんと最低限の連絡を取り合い地震2時間後には、待避することに腹を括りました。

今回は、通信がいかに大切なツールであるか、心底思い知った次第です。

帰宅難民になった私は、行き慣れた場所で被災したため、幸運でした。

さて、そんな自分が真善美の何を選択したか。考えてみました。
断言するには難しいですが、私の場合、「美」を中心とした「真」と言えそうです。

普段は「美」である、と言い切っていますが、「真」を意識することで真実をそのまま受け容れる感情が湧いてきたことは、真から見えてくる美が、私の柱を支えているのだという解釈に行きついたわけです。

地震当日の思考と感情と行動は、どうも私の確信性に繋がっているようです。

「美を中心とした真」これが私が自問自答した現在の自己解釈です。

ちょっと哲学的な話題になってしまいましたが、自分が大事にしているのは「真善美」のどれでしょう…?

上記の思索は、自分の生き方に繋がっていくと、宗教心理学で学びました。(宗教心理学は、あらゆる宗教、民族、文化哲学の中から人が信じて見えてくるものを心理学を通して比較考察していく学問です。比較考察をフィルターにするか、心理学をフィルターにするかは、色々なようです。詳しくは師のブログをお読みください。リンク貼っています。「生き甲斐の心理学」です)

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