見えないものの力を信じる感性は、すでに人に宿っていると思います。
「宗教」という用語に嫌悪感を感じる人は多いようですが、「癒し」とか「ヒーリング」という曖昧な表現の用語に関しては好意的な人が多いようです。
言葉の虚しさを感じながらも、私は言葉でしか表現できないので、たぶん一生かけながら自分の内に湧きでる感情を言葉に置き換えていくことが私の生き甲斐なのだ、と思っています。
私の内にある宗教観の目覚めは、たぶん5歳の頃です。
「人は死んだらどうなるのだろう」この問いが自分の頭に廻り出したことと、
私自身のDNAの記憶には、人を弔う経験が確かにあってその経験が体に宿っていることを意識しだしたことがほぼ同時に意識化されたのです。
そこから私の時間の旅が始まりました。
ユングの云う無意識の意識化です。
どんなに幼い子供でも「死んだらどうなるのか」を考えるのです。
私自身がその経験をしているのですから間違いありません。
「人は死んだらどうなるのか?」
この問いかけを自問自答しながら生きていると、喜びは、より喜びとなり、悲しみは、より悲しみとなり、怒りは、一層強く怒りとなっていくように感じます。
感情を生み出す自分の体に宿る過去の記憶は、生まれてから今日までのことだけでは無いはずです。宇宙の塵であった頃からの記憶は、私たちの体に含まれています。
人は死んだらどうなるのか…
人に還り、人に宿りながら、人を継承していくことは宇宙の将来に繋がっていくのだと信じています。その連鎖が生命を生かしているのではないでしょうか。
ガンジスの一粒の砂は、その砂一粒一粒に意味があり、繋がり合い、一つの体系として創造されていくのです。(華厳思想から)
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「宗教」という用語に嫌悪感を感じる人は多いようですが、「癒し」とか「ヒーリング」という曖昧な表現の用語に関しては好意的な人が多いようです。
言葉の虚しさを感じながらも、私は言葉でしか表現できないので、たぶん一生かけながら自分の内に湧きでる感情を言葉に置き換えていくことが私の生き甲斐なのだ、と思っています。
私の内にある宗教観の目覚めは、たぶん5歳の頃です。
「人は死んだらどうなるのだろう」この問いが自分の頭に廻り出したことと、
私自身のDNAの記憶には、人を弔う経験が確かにあってその経験が体に宿っていることを意識しだしたことがほぼ同時に意識化されたのです。
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ユングの云う無意識の意識化です。
どんなに幼い子供でも「死んだらどうなるのか」を考えるのです。
私自身がその経験をしているのですから間違いありません。
「人は死んだらどうなるのか?」
この問いかけを自問自答しながら生きていると、喜びは、より喜びとなり、悲しみは、より悲しみとなり、怒りは、一層強く怒りとなっていくように感じます。
感情を生み出す自分の体に宿る過去の記憶は、生まれてから今日までのことだけでは無いはずです。宇宙の塵であった頃からの記憶は、私たちの体に含まれています。
人は死んだらどうなるのか…
人に還り、人に宿りながら、人を継承していくことは宇宙の将来に繋がっていくのだと信じています。その連鎖が生命を生かしているのではないでしょうか。
ガンジスの一粒の砂は、その砂一粒一粒に意味があり、繋がり合い、一つの体系として創造されていくのです。(華厳思想から)
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