五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

宗教観その1「華厳経」

2010年07月16日 | 第2章 五感と体感
いま華厳経を読み返しています。

奈良の東大寺は華厳宗のお寺です。

華厳経は、
微粒子(塵)が繋がっていくことで万物が成り立っている。
そして、微粒子(塵)一つ一つに意味があります。
これを人に例えると、他者同士繋がることで何かが生み出され、世界が作り出され、でも個人一人一人は一つの宇宙であり、宇宙に含まれている。。。

おおざっぱに表現するとこんな感じです。

日本の仏教のお寺はいつしか葬式をするための宗教と化してしまい、生きるための思索は寺ではなく、仏教的なことを書いた書籍に頼る人が多くなってしまったように思います。

鑑真和上が中国から「仏教の律法」を整えるためにやってきても、日本では楽したい僧、癒着に頼る僧が蔓延し、なかなか思うようにはいきませんでした。
だから、日本人の「信じ方」は、今も1200年前もそう違いは無いように思っています。

東大寺に赴いても、鑑真和上が造った戒壇院は、観光の穴場といっても良いかもしれません。波を越えてきた鑑真和上を称え設えられている玉砂利は「波」を模しています。

「私とは何者であろう」
「私は死んだらどこにいくのだろう」

この普遍的な問いには、答えは一つではないと思うのですが、自問自答することによって自分自身を見出していくはずです。

でも、これらを自問自答することが「自分の生き甲斐」に繋がってゆくのです。

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