今大会、サウジアラビアは韓国、バーレーンと同居するイスラム教最大の国インドネシアのグループDに所属する事に。そして最初の試合は韓国との対戦となった。
韓国対サウジアラビア、これは1次リーグと言うよりもアジアでは“ゴールデンカード(こんな古い言い方はもうしないか??)の一つだ。韓国は対サウジ戦1994年リヤドでの親善試合に 1-0で勝って以来3連敗中で一昨年のワールトカップ予選ではホーム、アウェーで連敗している。アジアカップでも2000年大会の準決勝で 1-2 , 1988年大会の決勝戦でも0-0 のあと PK 戦で敗れている。この試合は前日にインドネシアがバーレーンを 2-1 で降しているだけに共に負けたくない試合。特に第二戦を中2日でインドネシアと対戦するサウジアラビアは絶対に引き分け以上で終わりたい試合であった。
試合のあったGelora Bung Karno Stadium はホテルからタクシーで約20分。渋滞がなければ30分はかからなかったであろう。競技場の周りには韓国人、サウジアラビア人の集団、そして前日の快勝で気勢の上がる地元インドネシアのサポーターが沢山いた。
私の座席は韓国人サポーターの真ん中。赤で統一されたその中にぽつりと一人サムライブルーの NAKAMURA のユニフォーム姿で座っていたのだがこの競技場は陸上競技のトラックがある上にその周りに壕があり、スタンドの傾斜が緩やか過ぎて非常に見通しが悪く、少しでも見易い所をと座席を移動したら、そこはサウジアラビアの大サポーター集団の近くだった。
大歓声に迎えられて両チームの選手が入場し国歌演奏が始まる、しかし最初にサウジの選手達がスクリーンに映し出され韓国サポーターからはブーイングが、李雲在が映し出されると今度は歓声に替わる。続いてサウジアラビアの国歌演奏が始まり、両選手がピッチに散っていよいよキックオフを迎える。サウジは開始39秒いきなり左サイドを突破し入れられたクロスを Marek Maaz がヘッドで合わせるがクロスバーを僅かに超える。サウジはこの Maaz が左に Yasser Al Qahatani が右に入って2トップを組む。Al Qahatani はワールトカップメンバー。チュニジア戦でゴールを決めている。韓国は曹宰榛のワントップに2列目は左から廉基勳、金正友そして崔成国の3人。廉基勳の起用はイラク戦での得点がそして李東国より曹宰榛が起用されたのはウズベキスタン戦での2ゴールがそれぞれ評価されたのだろう。そして名古屋グランパスの金正友が金斗に替ってスタメン入りしたのが個人的に嬉しかった。左サイドバックには Zenit St. Petersburg の金東珍でなく金致佑が起用され時折サイド攻撃を仕掛ける。同じ St.Petersburg 所属のワールトカップメンバー李浩もベンチスタートだ。立ち上がりは両チーム中盤を省略したロングパスが主体で、サウジは2トップに入った時、特に Maaz に入った時にそのドルブル突破からチャンスを掴む。23分には曹宰榛が打点高いヘッドを放ち24分には金正友が Walid Abdrabh Jahadli に倒されFKを得るが、セットプレーになると184cmのDF姜敏壽が上がって来る。そのFKのこぼれ球を拾ったサウジはカウンター攻撃を展開、Ahmed Al Mousa から最後は Maaz に縦パスが通り放たれたドリブルシュートはGK李雲在がセーブ。Maaz はこれで決定機を2回逸した事になる。27分にはカウンターから曹宰榛がドリブルで持ち込むところを倒されてFKを貰い、そのFKから金致佑、廉基勳と繋ぎ最後は曹宰榛にクロスがあがるがそのヘッドはGKの正面に。その直後に曹宰榛は相手DFに体当たりをしてイエローカードを貰ってしまう。20分を過ぎるとお互いにカウンターから交互にゴール前に迫るシーンが続き、見ていて面白い。そしてその度に大歓声があがる。38分を過ぎるとサウジが韓国のロングパスのこぼれ球を拾って中盤でつなぐようになって来た。それでも41分には韓国最大のチャンスをつかむ。崔成国からのクロスをオーバーヘッドで曹宰榛が合わせるがGK Yasser Al Mosailem がファインセーブ。韓国は40分を過ぎたあたりから選手がスペースに走り込んでその先でボールを受ける様になりボールがよく繋がる様になる。そして43分、今度はサウジがゴールチャンスを迎えた。パス交換から攻撃参加したDF Ahmed Al Bahri がミドルを放ち、イレギュラーバウンドしたボールを李雲在が何とか体にあてて弾き出した。 Al Bahri は昨年のワールトカップメンバーがだが出場機会は無かった。前半は得点こそなかったがお互いに素早いカウンター攻撃から観客を沸かせるシーンを多く演出した。
後半開始早々、私がジュースを買っている間に Al Qahatani が韓国ゴールにドリブルで迫り放ったショットは惜しくもゴールポストを外れて行く。ハーフタイム中に買いにいったら売り切れていたのだ….. 開始から韓国は崔成国が右サイドだけでなく左にも出て来るようになり、そこを起点にチャンスを作る。一方のサウジは 左サイドバックの Kamil Al Mousa がよく上がって来るようになった。両チームの背番号7番がカギを握る様になるか?65分にはその崔成国が右サイドをドリブルで上がり入れたクロスはGKの正面に飛びサウジサポーター達からは大歓声があがるが、その直後に韓国サポーターが狂喜の歓声を上げる事になる。左から廉基勳のきれいなクロスが入り、崔成国が頭でドンピシャのタイミングで合わせて先制ゴールを挙げた。スタジアム内に有名な “テ~ミングック !! “の大歓声が響き渡る。こう言うところで先制ゴールを決めるところは流石韓国だ。
74分には右サイド を曹宰榛、呉範錫のパス交換から惜しいシュートが飛ぶが、それは李天秀がはなったものであった。いつの間に出てきたのだろう?後でわかったのだが崔成国が得点する前に李天秀が入る準備をしていのだが、ボールアウトになる前に崔成国がゴールを決めてそのまま李天秀と交替したのであった。崔成国も残しておきたかっただろうがこの日は廉基勳の出来も良かったので左サイドのバランスを考えたのかも知れない。李天秀はさすがのプレーを見せる。彼がボールを持つたびに韓国人サポーターから歓声があがる。大会後は本当に Premiership に移籍するのかな?
しかし77分、今度はサウジサポーターが歓喜するシーンが。韓国PAにドリブルで切れ込んだ Malek Maaz に入れた呉範錫のタックルがファールに取られPKを献上してしまった。確かに呉のタックルはやや後方からだったけど少し厳しい判定に思えた。そのPKを Al Qahtani が冷静に決めて同点に追いついた。
そして3分後に Al Qahtani は Saad Al Harthi に替ってベンチに下がる。 Al Qahtani はキャプテンマークを DF の Walid Abdrabh Jahdali に渡しベンチに向かうがサウジサポーターからは大歓声が。交替出場の Al Harthi はワールトカップのスペイン戦に出場した23歳の選手だ。韓国は相変わらず李天秀がレベルの違うドリブル突破でチャンスを演じ韓国サポーターを喜ばせる。81分には曹宰榛に替って李東国がワントップにはいるが、2トップにしなかったのは勝点を失いたくないと言う意図が強かったのか?
84分突然ピッチが暗くなる。何と停電だ。メインスタンド側の照明が落ちてしまったのだ。掲示板のデジタル時計も84分35秒のままで止まっている。後のAFCの記者会見である女性担当者が“スタジアム内だけでなくこの地区の電圧が落ちてしまって….”と弁解していたが競技場内の半分の照明は問題無く点灯していたのでこれは競技場の設備の問題だと思う。選手達はベンチ前に戻ったりピッチに入ったりと気の毒な状態に。結局17分後に照明の半分が復旧したのをきっかけに大歓声に包まれて試合再開となった。再開後の両チームの集中力が懸念された。がそんな中交替出場の Al Harthi が決定的なシュートを2本はずしてしまう。GK李雲在、そして韓国イレブン、サポーター達は本当に命拾いをした。
そしてこの試合は両者の実力を表すように 1-1 でタイムアップ。この結果と言うよりも停電前の呉範錫のタックルの判定に最も安堵したのが決定機を逃し続けた Marek Maaz と Al Harthi ではなかっただろうか?
第三者の私はアジアレベルでは最高級の試合を堪能できた。下手な欧州での試合よりも面白かった。それは日本代表ではあまり見られないカウンター攻撃の応酬だ。日本代表にも李天秀、崔成国、 Malek Maaz の様な高速ドリブルで数十メートルを突破する選手は…..オシム氏が代表監督である限りは招集されないかもしれない。それでも試合後何人かのサウジ、韓国のサポーターと話をすると、ナカムラ、タカハラの賞賛の声が絶たない。そして日本が優勝候補と韓国人でさえ何人かは口にする。かつては社交辞令でもそんな事を言わなかったのに。そして多くのサウジのサポーター達はこう言った “決勝で会おう。” 1992年、2000 年大会のリベンジを考えているのか?しかしこの時日本はまだカタールと引き分けただけでそんな事を考える余裕は私にはなかった…. しかし、最も心配していた帰りのタクシーを容易に拾えて本当にこの時点では一安心。翌日は朝4時にバンコックに移動だ。手配したタクシーが時間どおりに来る事を祈りながらベッドにもぐりこんだ……