アジアのサッカーの祭典、Asian Cup 2007がついに開幕した。日本は終了間際の失点で勝利を逃したが、今回は開催国の健闘が早速注目され、今後のグループリーグの戦いが非常に楽しみだ。
私が初めてタイの首都バンコックを訪れたのは1999年。2年前に東南アジアを襲った通貨危機から2年後であった。
街中で工事中の建物をいくつも見たが、現地の人にそれらはもう何か月もそのままになっており通貨危機の影響で予算が付かずに工事途中になっているものと教えて貰った。そして2度目に訪れた2002年4月。地獄の4月と言われる高温多湿のバンコックではあったが経済は回復に向かっており、一般消費が進み好景気が始まろうとしていた。それから毎年ここを訪れているが今でも景気自身は悪くなさそうだ。
ASEAN 諸国の中でのサッカーの勢力図は1970年代はマレーシアが最も強い時期であったが1990年代に入るとタイが他国を圧倒し始めた。 South East Asian Games では2005年まで7度の優勝、そして ASEAN を越えた大会では1990年 、1998年そして2002年のアジア大会ではべスト4。アジアカップは1992年大会から4大会連続出場中だ。しかし、アジアの壁を破って世界の大会に進出したのは 1956年メルボルン五輪(1回戦で英国に 0-9 ) と1968年メキシコ五輪 (1次リーグで敗退。0-7 ブルガリア 1-4 グアテマラ、0-8 ブルガリア)くらいで、U-17 が1997年と1999年大会にアジア代表で出場しているがいずれも3連敗で大会を後にしている。
2004年に始まったワールトカップ予選も 1次予選で U.A.E. 北朝鮮と同組になり、良いところ無く敗退し当時のタクシン首相から“スピリットが感じられない。”と酷評された。そして同年行われた ASEAN CUP では決勝に進めず大会3連覇を逃してしまった。
現在の代表監督は2005年5月からタイ人の Chanvit 氏が務めているが、最近は監督の座になんとか落ち着いて座っているようには見えるが、だが世論の Chanvit 下しは聞こえてこない。むしろ批判の矛先は選手に集中している。それはこの国のサッカーのシステムにある。東南アジア諸国では抜群の強さをみせながら、自国のリーグはセミプロで優秀な選手達はシンガポールやヴェトナムの“プロリーグ”に移っていく。そして代表チームに招集されても定められた日に集まってこない選手が少なくない。
更にヴェトナムでは外国人選手(特にタイが多いけど)と地元の選手との待遇に差がありすぎて様々な問題も起きている。例えば八百長に関与するとか….
それに Chanvit 監督以前は 1966年ワールトカップ準優勝のメンバーでもあったドイツ人のSiegfried Held 氏が務めたが言葉や独特のタイ人気質のギャップがありチームとのコミュニケーションが満足にとれなかったり、2004年1月から16ヶ月間で4人の監督が交代しようやく Chanvit 氏に落ち着いた。 Siegfried Held
まず Chanvit 監督はこれまでのしがらみに捉われずに若手、ヴェテランにこだわらないチーム作りを始めた。結果的に 1997, 1999 年のFIFA U-17 大会に出場した36人の選手でこのアジアカップに選ばれたのはわずか3人。Teerathep Winothai, Udorn Pimpak, Choechiu Pichitpong 。他の選手達はどうしてしまったのだろう?
就任7か月後の South East Asian Games では U-23 チームを率いて難なく大会7連覇を収める。
そしてかつての英雄、地元では史上ピヤポン=プオンに次ぐスーパースター Kiatisak Senamuang が昨年末に開催された King’s Cup で代表に復帰、代表チームも6年振りの優勝を果たした。2004年にワールトカップ予選1次予選敗退して以来の代表復帰だけどその前も何年か代表を離れていた。今年8月で34歳になるベテラン、スーパースター。かつてはEngland の Hudders Field Town でプレーし、マレーシアやシンガポールのクラブチームを渡り歩いた。私がよくバンコックを行き来し始めたのが2002年。その時はヴェトナムの Hoang Anh Jia Laiの中心選手として活躍中だったが、地元マスコミからは“何故タイの英雄はもっと上を目指さないのか?”と言われていた。Hoang Anh Jia Lai 時代には ACL のゲームで来日した事もある。昨シーズンからタイのBEC Tero Sasana でプレーをしていたが今は所属先がまだ決まっていない。
また2003年Asia Champions League の最優秀選手で所属チーム BEC Tero Sasana を準優勝に導いた Therdsak Chaiman も代表に復帰させ、若い選手達との融合をはかった。 現在Therdsak はシンガポール・リーグの Singapore Armed Force FC に所属するが、一度アルビレックス・シンガポールとの試合を観戦し一目で他の選手よりもレベルが一つ上と解るプレーを披露した。
2007年に入ると ASEAN CUP ではシンガポールの後塵を拝し、シンガポールの大会2連破を許しこの直後にヴェトナムリーグのDong Thapとの契約締結ニュースが報じられ彼自身も“プロのコーチとしてこれまでのキャリアーを試したい”とコメントを残した。彼は代表監督とは言えそれ自身が Part Timer で政府の役人が本業であった。しかし最終的締結には至らなかった。それはヴェトナムに移住するに際して本業の政府の役人業も廃業せなばならずその分の補償金、数百万バーツ(1バーツが約3.5円)を求めたのに対し Dong Thap 側が応じなかった為。既に後任監督にThongsuk Sampahangsit コーチを昇格させる事を決定していたが Chanvit 監督続投を決め Sampahangsit はヘッドコーチ職に戻る事となった。
Asian Cup に向けてのチーム完成、仕上げの時期を迎え、開催国としてこのアジアカップに賭ける掛ける意気込みは協会の準備した親善試合を見てもよくわかる。5月16日には中国 ( 1-0 ) 6月6日にはオランダ ( 1-3 ) そして6月30日にカタール ( 2-0 : ただし7月30日に行われたこの試合は前半終了時 1-1 の後豪雨の為7月2日に再試合となった。)
5月16日 Thailand 1-0 China
GK1李雷雷、DF12曹陽、13徐云龍、4張耀坤、21矯(86・3張帥) MF5閻嵩(46・17蒿俊閔)、15肇俊哲、8李鉄(46・27姜坤)、7曲波 FW9李金羽(76・16季銘義)、19韓鵬(70・28王棟)
Kosin Hathairattanakool, Jetsada Jitsawad, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit, Suree Sukha, Jakkrit Bunkhum, Suchao Nutnum, Tawan Sripan, Therdsak Chaiman, Manit Noyvech Pipat Tonkanya.
得点者 44 分Pipat Tonkanya.
対戦相手の中国は董方卓、鄭智といった選手は不在であったがそれでも李鉄や李金羽らは先発出場していた。これまで17年間勝てなかった中国に勝った事でタイは自信を持った様だ。
6月6日 Thailand 1-3 Holland
Thailand
GK : Kosin Hathairattanakool DF Suree Sukha, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit Jetjada Jitsawad MF Jakkrit Bunkham, Suchao Nutnum, Nirut Surasiang Tawan Sripan FW: Sarayud Chaikamdee and Pipat Tonkanya
Holland
GKr: Henk Timmer DF : Tim de Cler, John Heitinga, Joris Mathijsen and Mario Melchiot MF: Denny Landzaat, Wesley Sneijder and Demy de Zeeuw FW Dirk Kuyt, Andwele Slory and Rafael van der Vaart.
得点者:19分 Van der Vaart 44分 Heitinga 56分 Jan Vennegoor of Hesselink 65分 Tawan Sripon
オランダ代表は6月2日に韓国遠征( 2-0 でオランダの勝利 )を経て帰途に就く途中 バンコックに寄りタイ代表と試合を行った。2005年にもドイツ代表が日本遠征の次にタイに立ち寄った事があるがその時は 1-5 で敗れている。今回はいくらか健闘を見せたが、それでもドイツ、オランダ相手に1点は取るのだから…. それは試合展開によるものかはわからないが。
この試合の殊勲者は GK のKosin Hathairattanakool 。彼が先制ゴールを喫した後のオランダの猛攻を耐え凌ぎゲームを作った。
Chanvit 監督は立ち上がり、“オランダ代表”相手に足がすくみその中で先制ゴールを許した事と 1-3 としてから Suchao Nutnum のシュートがGK Timmer にセーブされた事を悔やんだが、全体的にこの“スーパープロ”を相手にここまでやれた事を肯定的に受け止めた。
そして代表は6月7日から25日までの日程でドイツ合宿に向かった。この時期になぜわざわざ“涼しい”ドイツに出掛ける必要があったのだろう? 監督曰く“地元の喧噪や雑音から離れたかった為”らしい。そのドイツ・キャンプでは4部のBorussia Fulda アマチュアチームのTSV Lennarts そしてEintracht Frankfurt U-21 と練習試合を行ったが成果はどうであったかわからないが “もう少し強いところと練習試合を組みたかった。” との事であった。
そして帰国後の7月2日にカタールを 2-0 で破った翌日の7月3日、最終テストになる “紅白戦”を行った。この紅白戦にはTherdsak Chaiman, Tawan Sripan, Nirut SurasiangそしてDatsakorn Thonglaoは休ませたがその4人はほぼ代表入りが決まっているメンバー。 Thephastdin 競技場で行われた紅白戦のメンバーは下記の通り。.
THAILAND A
Veera Kerdputsa, Patipan Petchpool, Kiatprawut Saiwaew, Apichate Puttan, Nattapong Samana, Suchao Nutnum, Jakkrit Bunkham, Pichitpong Cheuichiew, Teerasil Dangda, Kiatisak Senamuang、Teerathep Winothai
THAILAND B
Narit Taweekul, Kosin Hathairattanakool, Prat Samakrat, Niweat Siriwong, Kraikiat Beadtaku, Suree Sukha, Hattaporn Suwan, Narongchai Vachiraban, Pipat Tonkanya, Sarayud Chaikamdee、Kwanchai Phuangprakob
AチームはレギュラーでBチームは当落線上の選手構成と言ったところか?
しかしゲームは BチームKosin Hathairattanakool が先制する。19歳のストライカーTeerasil Dangda, のゴールで A チームが追い付くとB チームは Sarayud Chaikamdee のPKを含む連続ゴールで 3-1 とするが最後は地力に勝るAチームがTeerasil Dangda, Jakkrit Bunkham そしてTeerathep Winothai の連続得点で4-3 の勝利を収めた。試合後Chanvit Phalajivin 監督はKraikiat Beadtaku, Narongchai Vachiraban, Sarayud Chaikamdee そして Kwanchai Phuangprakob の4人をアジアカップメンバーから外す事を発表。Chaikamdee のメンバー落ちは既に数日前に示唆されていたが、最後の紅白戦で2ゴールを挙げたのだが…. 2003年にヴェトナムで行われた South East Asian Games の決勝戦、地元ヴェトナム相手に延長Vゴールを決めた殊勲者だったが。
そしてアジアカップの23人のメンバーが決まったのは期限ぎりぎりの大会前日の7月6日。
まず注目の選手は22歳の Teeratep Winothai 。1999年の FIFA U-17 New Zealand 大会ではわずか14歳でメンバー入りをしている。そして現在はタイ協会のプログラムにより1999年から4年間 England の Crystal Palace に在籍し、現在はタイの BEC Tero Sasanaに所属するがこのアジアカップでは対戦するオーストラリアに存在感を示し A-League 入りするのが目標らしい。そしてMFの要、ヴェトナのホン・アン・ジア・ライに所属する Datsakorn Thonglao。ヴェテランのTherdsak Chaiman 、Kiatisuk Senamuangらも代表入りを果たした。
7月7日、雨の中タイはイラク相手に 1-1 で引き分け発進を果たした。スタメンには Kiatisuk も名を連ねた。
Asian Cup 初登場の Kiatisuk は72分で退いたが次のオマーン戦はどうなるのだろう?
この試合は深夜にNHK BS で放映されたのでまだ詳しくは観ていない。後半もう少し決定力があれば勝利も可能であったが、雨が無ければもっと熱狂的な応援がチームを後押ししただろう。だが雨の試合はイラク選手の方に不利に働いたと思う。そしてオランダ戦で好セーブを連発した GK の Kosin Hathairattanakoolはこの日の前半も存在を見せ付け、勝ち点に大いに貢献した。
翌日オーストラリアがオマーンに引き分けた事によりこのグループの次の試合が非常に楽しみとなって来た。
そして私は開幕戦の翌朝に日本を離れ今はシンガポールです…..
私が初めてタイの首都バンコックを訪れたのは1999年。2年前に東南アジアを襲った通貨危機から2年後であった。
街中で工事中の建物をいくつも見たが、現地の人にそれらはもう何か月もそのままになっており通貨危機の影響で予算が付かずに工事途中になっているものと教えて貰った。そして2度目に訪れた2002年4月。地獄の4月と言われる高温多湿のバンコックではあったが経済は回復に向かっており、一般消費が進み好景気が始まろうとしていた。それから毎年ここを訪れているが今でも景気自身は悪くなさそうだ。
ASEAN 諸国の中でのサッカーの勢力図は1970年代はマレーシアが最も強い時期であったが1990年代に入るとタイが他国を圧倒し始めた。 South East Asian Games では2005年まで7度の優勝、そして ASEAN を越えた大会では1990年 、1998年そして2002年のアジア大会ではべスト4。アジアカップは1992年大会から4大会連続出場中だ。しかし、アジアの壁を破って世界の大会に進出したのは 1956年メルボルン五輪(1回戦で英国に 0-9 ) と1968年メキシコ五輪 (1次リーグで敗退。0-7 ブルガリア 1-4 グアテマラ、0-8 ブルガリア)くらいで、U-17 が1997年と1999年大会にアジア代表で出場しているがいずれも3連敗で大会を後にしている。
2004年に始まったワールトカップ予選も 1次予選で U.A.E. 北朝鮮と同組になり、良いところ無く敗退し当時のタクシン首相から“スピリットが感じられない。”と酷評された。そして同年行われた ASEAN CUP では決勝に進めず大会3連覇を逃してしまった。
現在の代表監督は2005年5月からタイ人の Chanvit 氏が務めているが、最近は監督の座になんとか落ち着いて座っているようには見えるが、だが世論の Chanvit 下しは聞こえてこない。むしろ批判の矛先は選手に集中している。それはこの国のサッカーのシステムにある。東南アジア諸国では抜群の強さをみせながら、自国のリーグはセミプロで優秀な選手達はシンガポールやヴェトナムの“プロリーグ”に移っていく。そして代表チームに招集されても定められた日に集まってこない選手が少なくない。
更にヴェトナムでは外国人選手(特にタイが多いけど)と地元の選手との待遇に差がありすぎて様々な問題も起きている。例えば八百長に関与するとか….
それに Chanvit 監督以前は 1966年ワールトカップ準優勝のメンバーでもあったドイツ人のSiegfried Held 氏が務めたが言葉や独特のタイ人気質のギャップがありチームとのコミュニケーションが満足にとれなかったり、2004年1月から16ヶ月間で4人の監督が交代しようやく Chanvit 氏に落ち着いた。 Siegfried Held
まず Chanvit 監督はこれまでのしがらみに捉われずに若手、ヴェテランにこだわらないチーム作りを始めた。結果的に 1997, 1999 年のFIFA U-17 大会に出場した36人の選手でこのアジアカップに選ばれたのはわずか3人。Teerathep Winothai, Udorn Pimpak, Choechiu Pichitpong 。他の選手達はどうしてしまったのだろう?
就任7か月後の South East Asian Games では U-23 チームを率いて難なく大会7連覇を収める。
そしてかつての英雄、地元では史上ピヤポン=プオンに次ぐスーパースター Kiatisak Senamuang が昨年末に開催された King’s Cup で代表に復帰、代表チームも6年振りの優勝を果たした。2004年にワールトカップ予選1次予選敗退して以来の代表復帰だけどその前も何年か代表を離れていた。今年8月で34歳になるベテラン、スーパースター。かつてはEngland の Hudders Field Town でプレーし、マレーシアやシンガポールのクラブチームを渡り歩いた。私がよくバンコックを行き来し始めたのが2002年。その時はヴェトナムの Hoang Anh Jia Laiの中心選手として活躍中だったが、地元マスコミからは“何故タイの英雄はもっと上を目指さないのか?”と言われていた。Hoang Anh Jia Lai 時代には ACL のゲームで来日した事もある。昨シーズンからタイのBEC Tero Sasana でプレーをしていたが今は所属先がまだ決まっていない。
また2003年Asia Champions League の最優秀選手で所属チーム BEC Tero Sasana を準優勝に導いた Therdsak Chaiman も代表に復帰させ、若い選手達との融合をはかった。 現在Therdsak はシンガポール・リーグの Singapore Armed Force FC に所属するが、一度アルビレックス・シンガポールとの試合を観戦し一目で他の選手よりもレベルが一つ上と解るプレーを披露した。
2007年に入ると ASEAN CUP ではシンガポールの後塵を拝し、シンガポールの大会2連破を許しこの直後にヴェトナムリーグのDong Thapとの契約締結ニュースが報じられ彼自身も“プロのコーチとしてこれまでのキャリアーを試したい”とコメントを残した。彼は代表監督とは言えそれ自身が Part Timer で政府の役人が本業であった。しかし最終的締結には至らなかった。それはヴェトナムに移住するに際して本業の政府の役人業も廃業せなばならずその分の補償金、数百万バーツ(1バーツが約3.5円)を求めたのに対し Dong Thap 側が応じなかった為。既に後任監督にThongsuk Sampahangsit コーチを昇格させる事を決定していたが Chanvit 監督続投を決め Sampahangsit はヘッドコーチ職に戻る事となった。
Asian Cup に向けてのチーム完成、仕上げの時期を迎え、開催国としてこのアジアカップに賭ける掛ける意気込みは協会の準備した親善試合を見てもよくわかる。5月16日には中国 ( 1-0 ) 6月6日にはオランダ ( 1-3 ) そして6月30日にカタール ( 2-0 : ただし7月30日に行われたこの試合は前半終了時 1-1 の後豪雨の為7月2日に再試合となった。)
5月16日 Thailand 1-0 China
GK1李雷雷、DF12曹陽、13徐云龍、4張耀坤、21矯(86・3張帥) MF5閻嵩(46・17蒿俊閔)、15肇俊哲、8李鉄(46・27姜坤)、7曲波 FW9李金羽(76・16季銘義)、19韓鵬(70・28王棟)
Kosin Hathairattanakool, Jetsada Jitsawad, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit, Suree Sukha, Jakkrit Bunkhum, Suchao Nutnum, Tawan Sripan, Therdsak Chaiman, Manit Noyvech Pipat Tonkanya.
得点者 44 分Pipat Tonkanya.
対戦相手の中国は董方卓、鄭智といった選手は不在であったがそれでも李鉄や李金羽らは先発出場していた。これまで17年間勝てなかった中国に勝った事でタイは自信を持った様だ。
6月6日 Thailand 1-3 Holland
Thailand
GK : Kosin Hathairattanakool DF Suree Sukha, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit Jetjada Jitsawad MF Jakkrit Bunkham, Suchao Nutnum, Nirut Surasiang Tawan Sripan FW: Sarayud Chaikamdee and Pipat Tonkanya
Holland
GKr: Henk Timmer DF : Tim de Cler, John Heitinga, Joris Mathijsen and Mario Melchiot MF: Denny Landzaat, Wesley Sneijder and Demy de Zeeuw FW Dirk Kuyt, Andwele Slory and Rafael van der Vaart.
得点者:19分 Van der Vaart 44分 Heitinga 56分 Jan Vennegoor of Hesselink 65分 Tawan Sripon
オランダ代表は6月2日に韓国遠征( 2-0 でオランダの勝利 )を経て帰途に就く途中 バンコックに寄りタイ代表と試合を行った。2005年にもドイツ代表が日本遠征の次にタイに立ち寄った事があるがその時は 1-5 で敗れている。今回はいくらか健闘を見せたが、それでもドイツ、オランダ相手に1点は取るのだから…. それは試合展開によるものかはわからないが。
この試合の殊勲者は GK のKosin Hathairattanakool 。彼が先制ゴールを喫した後のオランダの猛攻を耐え凌ぎゲームを作った。
Chanvit 監督は立ち上がり、“オランダ代表”相手に足がすくみその中で先制ゴールを許した事と 1-3 としてから Suchao Nutnum のシュートがGK Timmer にセーブされた事を悔やんだが、全体的にこの“スーパープロ”を相手にここまでやれた事を肯定的に受け止めた。
そして代表は6月7日から25日までの日程でドイツ合宿に向かった。この時期になぜわざわざ“涼しい”ドイツに出掛ける必要があったのだろう? 監督曰く“地元の喧噪や雑音から離れたかった為”らしい。そのドイツ・キャンプでは4部のBorussia Fulda アマチュアチームのTSV Lennarts そしてEintracht Frankfurt U-21 と練習試合を行ったが成果はどうであったかわからないが “もう少し強いところと練習試合を組みたかった。” との事であった。
そして帰国後の7月2日にカタールを 2-0 で破った翌日の7月3日、最終テストになる “紅白戦”を行った。この紅白戦にはTherdsak Chaiman, Tawan Sripan, Nirut SurasiangそしてDatsakorn Thonglaoは休ませたがその4人はほぼ代表入りが決まっているメンバー。 Thephastdin 競技場で行われた紅白戦のメンバーは下記の通り。.
THAILAND A
Veera Kerdputsa, Patipan Petchpool, Kiatprawut Saiwaew, Apichate Puttan, Nattapong Samana, Suchao Nutnum, Jakkrit Bunkham, Pichitpong Cheuichiew, Teerasil Dangda, Kiatisak Senamuang、Teerathep Winothai
THAILAND B
Narit Taweekul, Kosin Hathairattanakool, Prat Samakrat, Niweat Siriwong, Kraikiat Beadtaku, Suree Sukha, Hattaporn Suwan, Narongchai Vachiraban, Pipat Tonkanya, Sarayud Chaikamdee、Kwanchai Phuangprakob
AチームはレギュラーでBチームは当落線上の選手構成と言ったところか?
しかしゲームは BチームKosin Hathairattanakool が先制する。19歳のストライカーTeerasil Dangda, のゴールで A チームが追い付くとB チームは Sarayud Chaikamdee のPKを含む連続ゴールで 3-1 とするが最後は地力に勝るAチームがTeerasil Dangda, Jakkrit Bunkham そしてTeerathep Winothai の連続得点で4-3 の勝利を収めた。試合後Chanvit Phalajivin 監督はKraikiat Beadtaku, Narongchai Vachiraban, Sarayud Chaikamdee そして Kwanchai Phuangprakob の4人をアジアカップメンバーから外す事を発表。Chaikamdee のメンバー落ちは既に数日前に示唆されていたが、最後の紅白戦で2ゴールを挙げたのだが…. 2003年にヴェトナムで行われた South East Asian Games の決勝戦、地元ヴェトナム相手に延長Vゴールを決めた殊勲者だったが。
そしてアジアカップの23人のメンバーが決まったのは期限ぎりぎりの大会前日の7月6日。
まず注目の選手は22歳の Teeratep Winothai 。1999年の FIFA U-17 New Zealand 大会ではわずか14歳でメンバー入りをしている。そして現在はタイ協会のプログラムにより1999年から4年間 England の Crystal Palace に在籍し、現在はタイの BEC Tero Sasanaに所属するがこのアジアカップでは対戦するオーストラリアに存在感を示し A-League 入りするのが目標らしい。そしてMFの要、ヴェトナのホン・アン・ジア・ライに所属する Datsakorn Thonglao。ヴェテランのTherdsak Chaiman 、Kiatisuk Senamuangらも代表入りを果たした。
7月7日、雨の中タイはイラク相手に 1-1 で引き分け発進を果たした。スタメンには Kiatisuk も名を連ねた。
Asian Cup 初登場の Kiatisuk は72分で退いたが次のオマーン戦はどうなるのだろう?
この試合は深夜にNHK BS で放映されたのでまだ詳しくは観ていない。後半もう少し決定力があれば勝利も可能であったが、雨が無ければもっと熱狂的な応援がチームを後押ししただろう。だが雨の試合はイラク選手の方に不利に働いたと思う。そしてオランダ戦で好セーブを連発した GK の Kosin Hathairattanakoolはこの日の前半も存在を見せ付け、勝ち点に大いに貢献した。
翌日オーストラリアがオマーンに引き分けた事によりこのグループの次の試合が非常に楽しみとなって来た。
そして私は開幕戦の翌朝に日本を離れ今はシンガポールです…..