Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

6月20日 ライプツィヒで食べた中華ティクアウェィ

2006-06-28 | FIFA World Cup
共にグループリーグの勝ち抜けは決っているが、2試合を消化した時点では得失点差でエクアドルが1位。もしドイツが敗れるか、引分で終わると後の日程が25日シュツッツガルトで1回戦。7月1日ゲルゼンキルシェンで準々決勝、7月5日ミュンヘンで準決勝の日程となる。勝って1位で抜ければ1回戦は6月24日ミュンヘンで、準々決勝は6月30日にベルリンで、準決勝は7月4日ドルトムントとなり、移動距離が少なくなるうえに決勝戦は中五日で1日長く休める。その上、準々決勝がベルリンでの試合となりその分経済効果が上がる。それだけに1位で通過を果たしたいところだろう。スタメンを見てもDFロベルト=フートが、メッツェルダーに替わって起用された以外は全てレギュラーメンバー。メッツェルダーが起用されなかったのはポーランド戦で警告を貰っていたからだろう。しかしポーランド戦で同様に警告を貰っているバラックもスタメン。一方の連続出場のエクアドルは国民的英雄アギナギがメンバーに選出されず若い世代にシフトされ、前大会経験者は8名。しかしテノリオ、デルカドらFW選手に経験者が多い。2連勝で優々と決勝トーナメント進出を決めたが警告者が5名おり、この試合はGKクリスティアン=モラ以外の警告受領者はスタメンを外れ、更に3名を加えた7人の選手が大会初スタメンだ。試合は開始からモチベーションの違いからか、ドイツが主導権を握る。開始4分にはメルデザッカーのスルーを受けたシュヴァインシュタイガーのセンタリングを受けたクローゼがゴールに流し込みあっさりと先制点を挙げる。クローゼは今大会3得点目、前回は5得点だから大会終了後は通算何得点挙げるだろう?その後も前半はドイツがほぼ一方的に押し捲る。18分、シュナイダーのボレーはクロスバーの上、24分またもやシュナイダーのスルーに反応したクローゼのショットはGKモラが抑える。 前半はこのままと思った44分、バラックの芸術的なチップキックのパスを受けてフリーで抜け出たクローゼが追加点を挙げる。この時点でドイツの負けは無くなったと思った。後半エクアドルが3点を挙げるとは考えられないからだ。後半、エクアドルは20歳のFWベニテスをボルハに替えて投入するも序盤からドイツのペース。開始早々、クローゼが惜しいシュートを放つ。彼は一体何点取るのだろう?満員のベルリンオリンピックシュタディオンは1936年の五輪で日本選手も大活躍した競技場だが、この日は地元サポーターのフェスタが続く。しかし、これでドイツはペースダウンをしたのか、50分頃からエクアドルもボールが回り出し、メンデスが惜しいシュートを放つが、57分には逆襲からシュバインシュタイガーからポドルスキーに繋がりそのままゴールイン。完全に勝利圏内に入った。以降、この試合は両チームの試験場と化した。エクアドルはララ、ウルティアが、ドイツはベテラン、ノイビルがクローゼに替わって登場大会初登場、そしてアサモア、ボロウスキーが投入された。数少ないエクアドルサポーターが沸いたのは72分にメンデスのFKがクロスバーのわずか上を通過したくらいで、そのままタイムアップ。1970 年メキシコ大会以来94大会ぶりに1次リーグを3連勝で日程を終えた。大会前はイタリアに 1-4 で敗れるなど不安視されたが本番で結果を出す当りはさすがドイツである。
試合終了後はホテルを出て買い物がてらに街を散策する。散策と言っても中央駅構内がこの近くでは最大のショッピングセンターだ。電気屋まであり、ここでパソコン周辺機器を購入した事もある。構内の書店には海外の新聞も手に入り、朝日新聞や日本経済新聞も午後には同日分が入手可能だ。ただ他の大都市では午前中に手に入るが。イタリアのガゼッタデルスポルティボや英国の TIMES なんかを買い込む。2つ階下にはブティックやファンシーショップ、スポーツ用品店そして名前は忘れたが安いスーパーマーケットがある。このスーパーでミネラルウォーターやビスケットを買う。その1つ階上にはティクアウェィショップが並びマクドナルドや Nord See そして寿司ティクアウェィ店も。だが私のお気に入りはベトナム人が経営する中華(香港風)料理屋だ。最後にここで好物のチャーハンと酢豚を買ってかえる。ライプツィヒは旧共産圏地域なので、街には中国人やベトナム人をよく目にする。さすがに北朝鮮人はいなかったが?ここには共産時代に鹿島建設が建てた Hotel Merker の2階にSAKURAと言う和食レストランがあると昔聞いたが、今はあるのかどうかわからない。ゲーテの愛した Auerbachskeller と言う 元Kuaipe ( 居酒屋 )で今はレストランになっている所が泊まっているホテルのすぐ近くにあるのだが、ここには寄らなかった。本当は家族を連れて来たかったのだが。外はまだずっと明るいので気が付かなかったが時間を潰しているうちに午後9時が迫ってきた。ケルンで行われるイングランド対スウェーデンの試合が始まってしまう。 イングランドは既に2勝をしているが、もしこの試合の敗れたら決勝トーナメント1回戦は地元ドイツと当たる。一方のスウェーデンも敗れればパラグアイ対トリニダードドバゴの結果次第では1次リーグ落ちも。引分でも決勝トーナメントには進出できるが、その場合ドイツと当たる。共に負けたくない試合だ。イングランドはオーウェンとルーニーの2トップ。おいおいエリクソン監督、彼をスタメンで大丈夫かい?トップ下にランパードを置き、ジェラードはスタメンを外れた。ハーグリーブスが中盤の底に起用された。彼はブンデスリーガのバイエルンミュンヘン所属。終盤は7試合連続でスタメン起用されたが、シーズン出場試合数は16に留まった。ここでアピールできるかな?イングランドでプレミアシップ以外に所属するのは彼とベッカムの2人だけだ。スウェーデンはイブラヒモビッチをベンチに置き、ラーション、アルベックの2トップゆっくりと持ち帰りのチャーハンを味わいながらテレビ観戦を。すると開始4分にオーウェンが変な倒れ方をして立ち上がれない。そしてクラウチと交替する事に。翌日の新聞には彼が飛行機に乗って帰国する写真が。今年初めの怪我の回復が危ぶまれていたが何とか大会に間に合いうも彼らしい動きは見せていなかった。これからいよいよと言うときに気の毒な事になった。一方のルーニーだが、少し身体が太めだ。そして汗の量が。やく1ヶ月半、やはり心臓に負荷のかかったトレーニングができていなかったのだろう。この上にオーウェン抜きではイングランドサポーターの心中は察する事は容易だ。それでも先制点はイングランド。ならば俺がとJ.コールが1人で持ち込んで先制点。Kicker誌では Spieler des Spiels ( Man of the Match )。そしてハーフタイム。ところがここで私はソファの上で寝入ってしまい、何度かテレビから流れる歓声に目を覚ましてはうとうとの繰り返し、気がつけばスコアが 2-2 になって、試合が終わっていた。翌日のダイジェストでラーションが終了直前に同点にした事がわかった。カイザースラウテルンではパラグアイが 2-0 でトリニダードドバゴを破り初勝利。初戦のスウェーデン戦を引分けたトリニダードドバゴは結局無得点で帰国する事に。でも勝点1は上げた。この日は試合観戦は無かったが、なんだか疲れが取れたと言う感じのしない1日であった。

6月20日 俺も欲しいなぁ IDカード ハンブルグからライプツィヒへ

2006-06-28 | FIFA World Cup
6月20日。前日、ハンブルグでウクライナ対サウジアラビアを観戦した後に知人のGさん宅にお邪魔し、ざるそば等手作りの夕飯をご馳走になりながらスペイン対チュニジアをテレビ観戦した。スペイン対チュニジア戦はチュニジアが先制し、70分まで 1-0でリードと面白い展開に。このままチュニジアが逃げ切るか引分ければグループHも面白い展開になるのだが、71分に交替出場のラウールが同点ゴールを決めて、尚もフェルナンド=トーレスが79,91分に連続ゴールを挙げスペインがH組の勝ち抜けを決めた。やはりスペイン。1次リーグくらいは勝ち抜く地力はあった。Kicer誌6月19日号にはラウールの特集記事があり、かつてのドイツ代表選手でスペインでもプレーした(バルセロナだけど)“ラウルは他のチームに行くべきだ”とコメントされるなど、2000-01のシーズンに24ゴールを挙げて以来、14,16,11,9,5 とゴール数は減少。その汚名挽回のゴールでもあった。
海外を転々としていると、Gさん宅で頂いたような手作りの和食は非常にありがたく感じる。Gさんは9年前からずっとドイツに在住しておられるが、その前から留学をしたりと頻繁にドイツとは係わりを持っておられる。このワールドカップも非常に楽しみにしておられ、数ヶ月前に大きめのアパートに引っ越され“日本の勝利を祝ってあのテラスで乾杯をしましょう。”と大会前に言ってくださった。しかし、まだ乾杯の機会は。明後日のブラジル戦に賭けるか?ドイツ、特に北部のハンブルグやベートーベンの故郷では音楽留学の邦人学生が多いらしく、ここハンブルグでもその留学生や在留邦人の方達が集りコンサートを行う事も。それが現地人の方達にも定評が高いらしい。またハンブルグ近郊には今は3部リーグにあたる Regional Liga に落ちてしまったが、かつてブンデスリーガ1部にも所属しており、日本の尾崎加寿雄がプレーしていたFCザンクトパウリというチームがある。そのザンクトパウリでパブリックビューイングが毎試合催され6月18日の主役は日本対クロアチアの観戦にこられた現地在留の日本人の方達で” Der SUSHI Sonntag auf St.Pauli 日曜のザンクトパウリでの寿司” と翌日のBild 紙のハンブルグ版に応援に来られた日本人の写真付きで大きく報道された。現地に在留される邦人の方達の為にもブラジル戦は、奮起して欲しいものであった。
ハンブルグから次の移動先ライプツィヒまでは ICE で3時間程度だ。この日は観戦予定が無かった。言わば移動日と休養日?だ。途中停車駅のベルリンではドイツ対エクアドルが行われる。チケットは無いが、競技場近くにいるであろうダフ屋から買おうかとも考えたが、地元ドイツの試合で価格も高くなりそうな上、ドイツ、エクアドル共に決勝トーナメントへの勝ち抜きは決まっていた。もっと近くのハノーバーでも同じくA組のコスタリカ対ポーランドの試合もあったが、これは消化試合。他は午後9時にB組の試合がカイザースラウテルン(トリニダードドバゴvs パラグアイ ) ケルン ( スウェーデン vs イングランド )で行われるが遠いので結局ライプツィヒでテレビ観戦する事にした。 列車は1等車でもほぼ満席。なんとか席を確保する。こういう時、一人旅は便利だ。車中を見回すとプレス様のIDカードを首から掛けた人ばかりだ。“ちぇっ、一般客と違うと言う事を見せびらかせたいのかよ?”と心中でやっかみの舌打ちを。はっきり言うけど、こっちはサッカーこそ未経験だけどスポーツは大学、実業団までやったし、サッカーの知識には自信があるし、外国語だって今の仕事で毎日使っている。英語、ドイツ語くらいならいくらでも話が出来るし、スポーツの文献も読んできたと言う自己中心な自負心がある?俺だって今すぐそっちの世界に飛び込んでもやっていく自信はあるし、今のこんなサラリーマンで安くこき使われる人間じゃないのに…と勝手な過信を心の中で絶叫しながらパソコンのキーを叩く。でも後で知ったのだが、大会のスポンサーになっているDB ( Deutsche Bahn : ドイツ鉄道) はプレス関係には乗車券とICEまでの特急券を無料提供したので報道関係諸氏はこのIDカードを見せるだけでドイツ国内の列車に乗り放題。数ユーロ支払えば座席の指定も受けられるとの事。だから彼らは身分誇示の為でなく車中でもこのIDカードをぶら下げていたのだった。でも羨ましいのは変らない。“軍隊と企業内では上の階級にいかねば意味が全く無い”と言う言葉も思い出した。(関係ないか?) ハンブルグ中央駅に到着すると彼らの8割は下車してしまった。やはりより多くの報道陣が地元ドイツ戦に集るのか、と改めて思った。ライプツィヒは旧東ドイツ都市の中では唯一開催都市に選ばれた街だ。第二次大戦前はドイツの出版物の半分はここライプツィヒで発行され、岩波文庫の手本となったレクラム文庫の出版社や楽譜のベーター社が残っていた。また多くの文化や芸術を生み出した街でもあり、ゲーテ、ライプニッツレッシング、ニーチェらはライプツィヒ大学で学び、森鴎外、滝廉太郎もここに留学した。バッハも半生をここで過ごしシューマンは当地でクララと恋に落ち、ワーグナーはこの町で生まれたという由緒ある都市だ。しかし、東西ドイツ統一後は旧西側に仕事を求めて人口が80万人から55万人に減少、ライプツィヒのあるザクセン州は失業率も17%。まだまだ東西の経済格差は埋まらない様だ。ライプツィヒ中央駅は旧共産圏の名残を残す駅だ。線路が突き抜けられるようになっておらず、ここに入ってきた列車が再出発する時はスイッチバックするようにやって来た方向に逆戻りするようになる。(フランクフルト、ミュンヘン中央駅もそうだが)欧州では最大規模を誇るらしく、線路も26番線まである。また歴史的な建造物が中央駅付近に集中しているので観光も便利だ。この街に2泊したのだが、投宿したとホテルは中央駅前にある Novotel Hotel。翌日ここから約数十メートル離れた Marriot Hotel にアンゴラ代表チームが泊まっていたのが解った。イラン代表は反対方向に数百メートル行った Radisson SAS Hotel に泊まっていたらしい。あぁダエイのサインが欲しかったなぁ。 チェックインしたのが午後2時半少し前。このホテルの空調はセントラルシステムらしく部屋の空調のつまみを上げても全く涼しくならない。窓を開けると、ホテルのすぐ隣の公園では大会期間中毎日イベントが行われるらしく大音響でがんがん掛かっている音楽が室内一杯に響くのでとても開けてられない。フロントに文句を言うが、まったく改善の見込みなし。恐らく旧東ドイツ時代からあったホテルを Accorhotel Groupが買い取って外面を手直ししただけなのであろう。欧州のホテルは暖房設備はしっかしているが、冷房が今一だ。それだけ高温多湿の日本とは異なると言う事だろう。東南アジアのホテルはグレードが高ければ高いほどがんがん冷やしてくる。冷やす事がサービスと思っているようだ。仕事関係のメールを片付けたりするうちに午後4時、ドイツ対エクアドルのキックオフ時間が近づいてきたのでテレビをつけることに。 次に続く