Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

6月20日 俺も欲しいなぁ IDカード ハンブルグからライプツィヒへ

2006-06-28 | FIFA World Cup
6月20日。前日、ハンブルグでウクライナ対サウジアラビアを観戦した後に知人のGさん宅にお邪魔し、ざるそば等手作りの夕飯をご馳走になりながらスペイン対チュニジアをテレビ観戦した。スペイン対チュニジア戦はチュニジアが先制し、70分まで 1-0でリードと面白い展開に。このままチュニジアが逃げ切るか引分ければグループHも面白い展開になるのだが、71分に交替出場のラウールが同点ゴールを決めて、尚もフェルナンド=トーレスが79,91分に連続ゴールを挙げスペインがH組の勝ち抜けを決めた。やはりスペイン。1次リーグくらいは勝ち抜く地力はあった。Kicer誌6月19日号にはラウールの特集記事があり、かつてのドイツ代表選手でスペインでもプレーした(バルセロナだけど)“ラウルは他のチームに行くべきだ”とコメントされるなど、2000-01のシーズンに24ゴールを挙げて以来、14,16,11,9,5 とゴール数は減少。その汚名挽回のゴールでもあった。
海外を転々としていると、Gさん宅で頂いたような手作りの和食は非常にありがたく感じる。Gさんは9年前からずっとドイツに在住しておられるが、その前から留学をしたりと頻繁にドイツとは係わりを持っておられる。このワールドカップも非常に楽しみにしておられ、数ヶ月前に大きめのアパートに引っ越され“日本の勝利を祝ってあのテラスで乾杯をしましょう。”と大会前に言ってくださった。しかし、まだ乾杯の機会は。明後日のブラジル戦に賭けるか?ドイツ、特に北部のハンブルグやベートーベンの故郷では音楽留学の邦人学生が多いらしく、ここハンブルグでもその留学生や在留邦人の方達が集りコンサートを行う事も。それが現地人の方達にも定評が高いらしい。またハンブルグ近郊には今は3部リーグにあたる Regional Liga に落ちてしまったが、かつてブンデスリーガ1部にも所属しており、日本の尾崎加寿雄がプレーしていたFCザンクトパウリというチームがある。そのザンクトパウリでパブリックビューイングが毎試合催され6月18日の主役は日本対クロアチアの観戦にこられた現地在留の日本人の方達で” Der SUSHI Sonntag auf St.Pauli 日曜のザンクトパウリでの寿司” と翌日のBild 紙のハンブルグ版に応援に来られた日本人の写真付きで大きく報道された。現地に在留される邦人の方達の為にもブラジル戦は、奮起して欲しいものであった。
ハンブルグから次の移動先ライプツィヒまでは ICE で3時間程度だ。この日は観戦予定が無かった。言わば移動日と休養日?だ。途中停車駅のベルリンではドイツ対エクアドルが行われる。チケットは無いが、競技場近くにいるであろうダフ屋から買おうかとも考えたが、地元ドイツの試合で価格も高くなりそうな上、ドイツ、エクアドル共に決勝トーナメントへの勝ち抜きは決まっていた。もっと近くのハノーバーでも同じくA組のコスタリカ対ポーランドの試合もあったが、これは消化試合。他は午後9時にB組の試合がカイザースラウテルン(トリニダードドバゴvs パラグアイ ) ケルン ( スウェーデン vs イングランド )で行われるが遠いので結局ライプツィヒでテレビ観戦する事にした。 列車は1等車でもほぼ満席。なんとか席を確保する。こういう時、一人旅は便利だ。車中を見回すとプレス様のIDカードを首から掛けた人ばかりだ。“ちぇっ、一般客と違うと言う事を見せびらかせたいのかよ?”と心中でやっかみの舌打ちを。はっきり言うけど、こっちはサッカーこそ未経験だけどスポーツは大学、実業団までやったし、サッカーの知識には自信があるし、外国語だって今の仕事で毎日使っている。英語、ドイツ語くらいならいくらでも話が出来るし、スポーツの文献も読んできたと言う自己中心な自負心がある?俺だって今すぐそっちの世界に飛び込んでもやっていく自信はあるし、今のこんなサラリーマンで安くこき使われる人間じゃないのに…と勝手な過信を心の中で絶叫しながらパソコンのキーを叩く。でも後で知ったのだが、大会のスポンサーになっているDB ( Deutsche Bahn : ドイツ鉄道) はプレス関係には乗車券とICEまでの特急券を無料提供したので報道関係諸氏はこのIDカードを見せるだけでドイツ国内の列車に乗り放題。数ユーロ支払えば座席の指定も受けられるとの事。だから彼らは身分誇示の為でなく車中でもこのIDカードをぶら下げていたのだった。でも羨ましいのは変らない。“軍隊と企業内では上の階級にいかねば意味が全く無い”と言う言葉も思い出した。(関係ないか?) ハンブルグ中央駅に到着すると彼らの8割は下車してしまった。やはりより多くの報道陣が地元ドイツ戦に集るのか、と改めて思った。ライプツィヒは旧東ドイツ都市の中では唯一開催都市に選ばれた街だ。第二次大戦前はドイツの出版物の半分はここライプツィヒで発行され、岩波文庫の手本となったレクラム文庫の出版社や楽譜のベーター社が残っていた。また多くの文化や芸術を生み出した街でもあり、ゲーテ、ライプニッツレッシング、ニーチェらはライプツィヒ大学で学び、森鴎外、滝廉太郎もここに留学した。バッハも半生をここで過ごしシューマンは当地でクララと恋に落ち、ワーグナーはこの町で生まれたという由緒ある都市だ。しかし、東西ドイツ統一後は旧西側に仕事を求めて人口が80万人から55万人に減少、ライプツィヒのあるザクセン州は失業率も17%。まだまだ東西の経済格差は埋まらない様だ。ライプツィヒ中央駅は旧共産圏の名残を残す駅だ。線路が突き抜けられるようになっておらず、ここに入ってきた列車が再出発する時はスイッチバックするようにやって来た方向に逆戻りするようになる。(フランクフルト、ミュンヘン中央駅もそうだが)欧州では最大規模を誇るらしく、線路も26番線まである。また歴史的な建造物が中央駅付近に集中しているので観光も便利だ。この街に2泊したのだが、投宿したとホテルは中央駅前にある Novotel Hotel。翌日ここから約数十メートル離れた Marriot Hotel にアンゴラ代表チームが泊まっていたのが解った。イラン代表は反対方向に数百メートル行った Radisson SAS Hotel に泊まっていたらしい。あぁダエイのサインが欲しかったなぁ。 チェックインしたのが午後2時半少し前。このホテルの空調はセントラルシステムらしく部屋の空調のつまみを上げても全く涼しくならない。窓を開けると、ホテルのすぐ隣の公園では大会期間中毎日イベントが行われるらしく大音響でがんがん掛かっている音楽が室内一杯に響くのでとても開けてられない。フロントに文句を言うが、まったく改善の見込みなし。恐らく旧東ドイツ時代からあったホテルを Accorhotel Groupが買い取って外面を手直ししただけなのであろう。欧州のホテルは暖房設備はしっかしているが、冷房が今一だ。それだけ高温多湿の日本とは異なると言う事だろう。東南アジアのホテルはグレードが高ければ高いほどがんがん冷やしてくる。冷やす事がサービスと思っているようだ。仕事関係のメールを片付けたりするうちに午後4時、ドイツ対エクアドルのキックオフ時間が近づいてきたのでテレビをつけることに。 次に続く


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