Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

6月16日 ボンにて G-JAMPS でトンカツを

2006-06-19 | FIFA World Cup
ボンで投宿しているホテルは仕事でも使う Ibis Hotel 。フロントには SAMURAI BLUE のフラッグが。そして G-JAMPS の案内も。しかし、フロントはここの場所を知らない。独力で探す事にした。ホテルから中央駅まで歩いて15分程度。バスだと路線が遠回りをするので10分程度だ。街の中心街をぶらぶら歩く。日本での報道だと街は Japan Blue 一色と報道されるが、そなことはなかった。確かに日本の国旗や SAMURAI BLUE の旗は多く見たが、圧倒的に多いのは地元ドイツの国旗で他にはイタリア、ブラジル等サッカーでは列強の国旗も多く観られた。街の真中にあるパブリックヴューイングではC組の次の試合、オランダ対コートダジュールが放映されている。街の至る所でオープンカフェが有り外に大型のモニターや店内にテレビを置いてワールドカップ中継を観られる様にしている。まだ昼間なのでまだそこに集う人は多くはないが、午後8時にキックオフとなる第三試合当りになれば人も増えるだろう。こういうオープンカフェの文化は欧州ならではだ。
さらに歩を進めるとオペラ座の近くに出てきた。路を挟んで正面は我らが代表チームの投宿するホテルだ。その前で青いレプリカを着た人が数多くいる。私もそこに駆け寄ってそこにいた日本の方に尋ねてみると、たった今代表選手達が次の試合会場のある Nürnberg に向け出発したとの事。当地までは列車で乗り継いで4時間以上。従って国内線で空路を使ったらしい。 このホテルはライン川沿いにあり、ホテルが面している大通りは出張などで私がボンに泊まった時の朝のジョギングコースだ。私はボンを19日の朝に出発するの予定なのでもう代表とここらで遭遇する事はなさそうだ。私は踵を返して日本でも話題になっている G-JAMPS に向かう事にした。
G-JAMPS は中央駅からみると繁華街とは逆の方にある博物館を間借りしている。中央駅の裏側を出ると SAMURAI BLUE のフラッグが多く飾られており道しるべ代わりになる。徒歩約5分、大きな SAMURAI BLUE のロゴが見えてきた。併設されているカフェ兼レストラン"SAMURAI BLUE CAFE" では20名近い邦人、ドイツ人が食事と歓談を楽しんでいる。大型のハイビジョンモニターではオランダ対コートダジュール戦が映し出されている。 2-1 でオランダがリード。そして試合もロスタイムに入っている。 コートダジュールは何とか同点にとドロクバにボールを集めるがオランダDFも必死の守り。結局コートダジュールは最後の反撃空しくオランダに守りきられ、オランダが2勝目を上げてアルゼンチンと共に決勝トーナメント進出を決めた。死の組と言われたC組も最終節を待つことなく勝ち抜け2カ国が決った。
試合が終わり建物の地下に降りるとちょっとした日本サッカーの博物館みたいになっている。日本サッカーの小史が日本語と英語で書かれている。千葉ロッテマリーンズの選手達のメッセージとユニフォーム、それから王監督を初めとしたWBCのメンバーの寄せ書きが入ったサッカーボールをかたどったペーパークラフトも展示されている。そしてここに訪れた人達を含めたサポーター達の寄せ書きも。これらを見るとオーストラリア戦の敗戦が再び勿体無く思えてならない。 次のクロアチア戦に向けての必勝祈願の寄せ書きが多く目に付く。 
折角ここを訪れたのだから“記念に”何か食べていこうと、レストランに上がってメニューを眺めていると、日本人のウェイトレスの方が親切に説明を。メニューには無いがとんかつがあるとの事。空腹も手伝い早速ご飯とお味噌汁を合わせて注文する。それにミネラルウォーターを合わせて19.8ユーロ(約1,450)この際値段は関係ない。空腹時をとんかつで満たせる事に幸福を感じる。テレビではメキシコ対アンゴラの中継が始まっている。この試合は私にとって大切だ。もしアンゴラが敗れてしまえばライプツィヒのイラン対アンゴラは消化試合になりかねない。イランにも明日フランクフルトで行われるポルトガル戦には頑張ってもらいたい。 
試合は地力に優るメキシコが押す展開だ。かつて北中米地区を完全に支配しながら、本大会では1966年大会の1次リーグで消化試合となったチェコ戦で勝利を挙げた以外は中々勝利を挙げる事が出来ず、ようやく1970年地元開催のワールドカップでベスト8進出を果たしたがこれには1次リーグから同じ北中米代表のエルサルバドルが入ったり、ベルギー戦での疑惑のPKがあったりでいわく付きのベスト8だった。次の西ドイツ大会では進出ハイチに名をなさしめ、続くアルゼンチン大会では3連敗で帰国。しかもチュニジアにアフリカ史上初の勝利を献上し、続くスペイン大会ではかつて“サッカー戦争”を引き起こした当事者、エルサルバドルとホンジュラスに出場権を奪われた。再び地元開催となった1986年大会ではベスト8に進出。準優勝のドイツとPK戦の末惜敗を喫した。1990年のイタリア大会はワールドユース大会に出場選手の年齢を詐称したかどで失格に。しかしその後1994年アメリカ大会から3大会連続で1次リーグを突破しており、今大会はついにシード国となった。かつてはウーゴ=サンチェスというレアルマドリードで活躍した国民的英雄がいたが、今の英雄はなんと言ってもメキシコ史上初めて UEFA Champions League タイトル覇者の一員となったDFのラファエル=マルケスだろう。そしてFWには今回の Champions League で台風の目となった Yellow Submarine ビジャレアルのFWギジェルモ=フランコがいる。今回のメキシコはMF登録の選手が5名しかいないが、それは両サイドのピネダ、メンデスがDF登録になっている事もある。試合はやはりメキシコペース。サイド一杯を使い、細かいダイレクトパスをどんどん通してくる。フランコにボールが収まると複数で対処せねば止められない。たまに攻撃に転じてもマルケスの読みが良く決定機が作れない。今のアンゴラのスーパースター、ベンフィカ所属のマントラスはベンチスタートだ。怪我がまだ完治しないのかな?もう1人のFWフラビオは昨年末のFIFAクラブ選手権でアフリカ代表で来日したエジプトのアル=アリ所属だ。しかし、この日アンゴラで最も輝いていたのはGKジョアン=リカルド。特にハイボールには勇敢に飛び出して対処。前半は無得点に抑えた。
ハーフタイム中にそろそろホテル帰ろうと勘定を済ませようとする。持っていたサッカー雑誌にSAMURAI BLUE CAFE が写真付きで載っていたので見せてあげると随分喜んで“コピーさせて下さい。”と先程の日本人ウェイトレス嬢が。もちろん断る理由は無い。するとレストランからお礼にと食後のコーヒーを頂く事に。別にそんなつもりではなかったのだが。コーヒーを飲む間もうしばらくここでアンゴラ対メキシコをテレビ観戦する事に。隣の席にはカプチーノ飲みながらテレビ観戦をしている黒人女性が1人。彼女はおもむろにバッグの中から一枚の布地を出してきた。何とそれは選手達のサインのはいった日の丸ではないか。中村俊輔、宮本をはじめ川淵キャプテンにZICO監督のサインまである。中田英寿は未だもらえていないらしい。訊けば今日ホテルの前で代表が Nürnberg に出発する前に書いてもらったものもあるらしく、写真も見せてもらった。デュッセルドルフからほぼ毎日ここに通っているらしい。何故日本代表が好きなのかはよく解らなかったが(私のドイツ語がまだそこまでのレベルでもなかったのかも)日本語も勉強したいそうだ。昔我々がワールドカップを遠くから見ていたときにブラジルやイングランドを応援していた様に彼女も日本を応援しているのかな? 後半が始まる頃、1人の日本人の男性が“合い席良いですか?”と尋ねてきたので、“どうぞ”と答えた。訊けば18日の日本対クロアチア戦を観戦するらしい。明日の予定を聞いてみると Köln でのガーナ対チェコ戦を観戦したいが、チケットが無いらしい。ビンゴである。実はこの試合のチケットを私は2枚持っていたのである。もう一枚は子供の分であるが、事情により子供は結局来ないことに。そのチケットを額面100ユーロで買ってもらう様にオファーを出したら、驚いて受けてくれた。実はここに来た目的のひとつがここにあったのだ。しかし、こういうところに1人で来る人は少ない。この日の G-JAMPS は1人でいたのは私とさっきの黒人女性のみであった。もしここで見つからねば明日競技場でチェコ人にでも話してみようかとも思っていたところだった。この日本人男性、Nさんとは試合の後半を見ながら話をする事にした。 試合は相変わらずメキシコが押す展開。そしてオリベイラ=ゴンザレス、アンゴラ監督はマントラスを投入する。0-0 でも勝点1を確保するのではなくまずゴールを獲るという監督のサインだ。こういう交代は選手を勇気付ける事がある。選手の動きが良くなった様な気がする。一方のメキシコは焦りが目立ち出した。細かいショートパスが持ち味であったのだが、格下相手に各選手がドリブルを試みるようになり、反対にアンゴラDF陣に引っかかるようになる。フランコがミドルからショートを放つがアンゴラGKリカルドが好守で応酬する。メキシコとしては次のポルトガル戦の前に1次リーグ突破を決めたいところだろう。しかしアンゴラDFも必死の守りだ。そして前線にいるマントラスにボールが入ればそこで一旦タメが出来るのでその間にDFはラインを上げられる上にすこし休める。結局メキシコはゴールを割る事が出来ず、アンゴラは貴重な勝点1を挙げた。これで21日 Leipzig での観戦チケットが消化試合にならなくて済む。試合が終わり、Nさんとレストランを出た。“ありがとうございます。本当にラッキーでした”と御礼を言われるが“私こそ、チケットが売れてよかったです。”と。明日、彼とは Köln で落ち合う約束をしてホテルに戻った。しかし、私にとっても彼との出会いが幸運を呼ぶ事になったことをこの時は知る由もなかった。

6月16日 フランクフルト空港は曇り

2006-06-19 | FIFA World Cup
ドイツ入りして3日目を迎えますが、今だ現地からの詳しいレポートが無いと各方面から批判が寄せられそうです。(誰もそこまで期待していないか?) 今日は6月18日。現在ドイツ自慢の特急列車ICEで一路 Nürnberg に向っております。そうです、本日のクロアチア戦に向かって。 それでは、私のドイツ入り後の様子をこれからご紹介しますので、お楽しみ下さい。(誰も楽しみにしてないか?)

6月16日。 午前6時前に到着してフランクフルト空港は曇り空。機内アナウンスでは気温17度と言っていたけど半袖の身には少し肌寒い。知り合いの旅行代理店が取ってくれた航空券は香港経由。予算の関係上と、この時期欧州への渡航者がピークを迎える上にワールドカップと重なるため欧州路線は混雑していたので、このルートを取る事にした。東京~香港間は約4時間のフライト。そして3時間程度のトランジットを空港で過ごし、香港~フランクフルトは11時間半程度のフライトだ。機内は共に満席。そしてワールドカップ観戦の為の日本人旅行客が非常に多かった。後に聞いたがあのワールドカップチケットが中国から入手出来ずにワールドカップツァーを準備できなかった旅行会社の事件に巻き込まれた人もいた。 9年ぶりに乗ったキャセイパシフィックは期待通りの?最低なフライトを提供してくれた。東京~香港間ではビデオ設備の故障の為に機内映画が観られない。そして香港~フランクフルト間ではヘッドフォンジャックが壊れており音声が聴こえない。文句をフライトアテンダントに言うと“他の空いている席にどうぞ”といつものパターンだ。しかし、機内はほぼ満席。窓側、通路側は空いていない。通路側は譲れない。そんな押し問答をしていると、黒服のチーフアテンダントが出て来る。こういった問題が起こったときは大体が乗客に忍耐を強いるのがこの世界の常識だ。しかし、それには負けていられないので“キャセイに乗るといつもトラブルが起こる。東京から来るときも、前回もそうだ”、てな文句を言うと、彼女はキャプテンと話すと言葉を残し前方に戻っていった。しばらくすると“機長と話しました。ビジネスクラスにどうぞ”と言いに来た。これはラッキー。しかし、ここで表情を崩してはいけない。無言で、憮然と荷物を持って2階のビジネスクラスに向う。さすがにここは天国だ。しかし、それでも私の怒りは収まらなかった。着席直後、フライトアテンダントが食事を伺いに来るが、目を合わせずに無言を通した。すると別のアテンダントを連れてきて“オショクジハイカガナサリマスカ?サカナ?オニク?....“ これには頭にきた。英語が話せないと思ったらしい。“ English is compulsory in Japan too !! I ‘m doing business everyday with English. May be I can do better than you !! “ と怒鳴ると二人とも一礼をし、退散してくれた。おかげで?後の10時間ばかりのフライトは誰にも邪魔される事無く過ごせた。だが、大体の場合,こうはしてくれない。オーストリア航空などは読書灯が故障して本が読めないと言うと、キャビンアテンダントは”他の事でお楽しみ下さい“で終わり。それでも文句を言うと日本人スチュワーデスを寄越して来た。頭に来た私は”日本の男がみなスチュワーデスを気にいていると思ったら大間違いや!!” と言った。大体私はスチュワーデスが大嫌いだ。エコノミーとビジネスの乗客では接する態度が違うし、自分は美人だとお高く止まっている。その上私は昔、スチュワーデスに振られたのだ。

フランクフルト空港から最初の投宿地ボンまではドイツ鉄道 DB ( Deutsche Bahn ) ご自慢のICEを乗り継いで2時間程度。今度は快適な列車の旅だ。さすがに欧州屈指の大空港,フランクフルト空港。世界中のサポーター達がいた。トリニダードドバゴのサポーター数人。前日は England に敗れたが表情はなにやら誇らしい。そして数多くのオーストラリアサポーター達とも。反対に慰めれられた。 Johnny Warrenn の話題を持ち出すと、みな驚いてくれる。そして握手を求められた。 
まずはホテルにと、言いたいところだがボン中央駅には仕事上の顧客が迎えに来ている。2~3日前から数年前に納品した機械の調子が悪く見て欲しいとの事。折角ドイツ入りしたので無視は出来ない。しかし場所はボンの近くでトラブルも大した事が無かったので午前中で仕事は片付き、昼食をよばれた。 日本の試合の話もする。地元でのドイツの評価はうなぎのぼりらしい。大会前は1次リーグ突破も危ないと思った人が半分くらいはいたらしい。

ホテルにチェックインしたのは午後1時過ぎ。ブッキングは半年以上前に入れておいたが、無事にキャンセルされていなかった。本当はこの日3時からボンからICEで2時間程度のギルゼンキルシェンで開催されるアルゼンチン対セルビア=モンテネグロを見に行こうかと思っていた。チケットは無いが現地でダフ屋から買おうかとも思っていた。しかし、少し疲れが残っていたのと、チケットの価格が心配だったので部屋でテレビ観戦する事に決めた。
そしてそれは正解だった。両国のワールドカップでの対戦は1990年イタリア大会以来16年ぶり。その試合のビデオを持っているが、ユーゴスラビア連邦最後の大会となったこの試合はPK戦までもつれマラドーナ、ストイコビッチの両雄が共にPKを失敗した後にアルゼンチンGKゴイコエチアのセーブでアルゼンチンが勝った試合だ。試合後アルゼンチンサポーターの前で“アルヘンチナ!アルヘンチナ!”と叫びマラドーナを初め飛び跳ねるアルゼンチンとフィールド上に伏して立ち上がらないユーゴスラビアの選手達とのコントラストが印象的だった。 今回も誰もが好試合を期待したはずだ。セルビアは初戦のオランダ戦を落としているがまだまだ決勝トーナメントへの可能性はあった。 しかし開始早々先制点を許してしまう。アルゼンチンはペケルマン監督がユース代表を指揮した時代からの選手が多く、戦術と組織がきっちりしている。その上各個人のレベルが高い。セルビアもミロセビッチ、スタンコビッチ、ケズマンを擁してアルゼンチンとは見劣りしないメンバーだが,組織力に差があったか?かつて連邦が存在した時、ユーゴスラビアの国内リーグのレベルは高かった。レッドスターベオグラード、パルチザン=ベオグラード、ハイデゥク=スピリット、クロアチア=ザグレブ、これらが一堂に同じリーグにいたのだ。そしてユーゴは東欧の中でも経済状態が良く他の共産諸国よりも西側との交流があり、裕福な国であった。当時、同じ東欧とは言えポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニアといった私が担当した市場とはビジネスサイズでも格上で羨ましかった記憶がある。連邦崩壊後旧ユーゴ諸国の選手達はサラリーを求めて西欧に出て行くのが本音だろう。同じ事は指導者にも言える、優秀な人材は明日の日当も保証されない自国では仕事をしたがらない。アルゼンチンも正GKアボンダンシェリ、第三GKウスタ-リ、FWパラッシオ以外の3人は国外組だ。クレスポと2トップを組むテベスはブラジルのコリンチャンズ所属だ。それ以外の19名はメッシ(バルセロナ)、クレスポ(チェルシー)を初め欧州組だ。しかし、U-20時代から同じ釜の飯を食ってきた選手が多い上、その当時から指導を受けていたペケルマンが監督なので戦術の理解も高いのだろう。ユース、五輪チームの力の入れ方は欧州より南米、特にアルゼンチンが上を行く。 アルゼンチンは得点を重ねる、セルビアはエースケズマンが退場になるなど良い所が無い。最後はトh食う出場した怪我の回復が危ぶまれていたメッシがゴールを決め、6-0のスコアとなってしまった。得点の度に映し出されるマラドーナと彼の家族。今大会のアルゼンチン株はこれで更に上昇するだろう。セルビアも悪くないチームだっただとうが、6点差は誰も予想しなかったに違いない。スタジアムからは“アルヘンティナ !! アルヘンティナ!!”の歓声が聞こえてくる。1978年大会でテレビからよく聞こえてきた歓声だ。そして翌年日本で開催されたワールドユース大会、アルゼンチン対ソ連の決勝戦。日本の観客はマラドーナ、ラモン=デアス、サンタクルス、バルバスらを擁したアルゼンチンユースチームに同じ様に “アルヘンティナ!!” の歓声を送った。それはアルゼンチン地元でも話題になり。1986年のTOYOTA CUP で来日したリバープレートの役員が日本テレビのインタビューで”あの時はアルゼンチンを応援してくれてありがとう“と語ったことがある。 
そんなことを思い出しながら私はホテルを出て日本サポーターの基地と言われている G-Jumps に向った。  続く