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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

放射能に曝されながら「トウキョウソナタ」を観る

2011年04月09日 | 映画の話し
昨日、録画しておいた映画「トウキョウソナタ」を観ました。

NHKBSプレミアムで放送された、“山田洋次監督が選んだ日本の名作100本”の「家族編(50本)」です。放送は4月6日。

現代の崩壊して行く?、崩壊してしまった?家族を描いた作品のようです。こう云う、暗いテーマは、今現在の状況で観るのは、とても気が重いのですが、それなりに見始めると、最後まで、飽きることなく見てしまいました。

この映画は2008年の制作ですから、世の中のリストラの嵐は、かなり過ぎ去った頃です。リストラと云う言葉も、失業率も、かなりピークを過ぎた頃の作品です。

“リストラ映画”と云えば、山田洋次監督自身が、1998年に“学校Ⅲ”で描いています。あの時の小林稔侍の役と、トウキョウソナタの香川照之とは重なります。

父親の権威失墜とか、家族の崩壊とか、2008年の作品としては、特に目新しいテーマを扱った訳でもなく、権威ある父親として振る舞う香川照之が、とても古くさく見えました。

監督としては、リストラとか家族とかは単なる背景で、生きていくことの、悲しさ、儚さ、寂しさ、空しさ、孤独とか、でも、その先には、ちょっとだけある、夢とか、希望とか、未来だとか、そんなことを描きたかったのでしょう。

次男がピアノに天才的な才能を持っているように描かれています。音楽学校のピアノの実技試験の演奏場面がラストシーンになっています。この次男だけが救いなのです。

エンドロールのバックに、試験会場のパイプ椅子を片付ける音とか、会場を後にする関係者とか、受験生の家族とかの足音のざわつきが流れます。

映画館でこの映画を観ていたならば、エンドロールになると、客席でも同じように席を立つざわつきが起こり、観客も映画の演奏場面の中に居たような、不思議な錯覚が生じた気がします。この演出はなかなかでした。

でも、しかし、父親が車にはねられ、母親は砂浜の波打ち際に身を横たえ、長男は米軍の傭兵で中東に派兵され、みんな死んでしまい、次男も一人見知らぬ土地を彷徨い、誰にも知られること無く消えて行く・・・・・・・。そんな終わり方を予想させるシーンになっているのです。

でも、しかし、映画は、家族全員が再出発を果たし、目出度し、目出度し、で終わるのです。やっぱり、映画は、それなりの救いが無いと、とてもお金を出してまで観る気にはなれません。

でも、現実はもっと厳しいのです。でも、その厳しさは、高校か大学の友人の夫婦の自殺でちょこっと描かれています。

それにしても、長男が“ティッシュ配り”のバイトで、配りきれず残ったティッシュを友人と二人で“柳橋”から川に放り込むシーンがあり、その時、友人がこんな台詞をしゃべるのです。

“こないかなぁ~大地震、ぜんぶひっくり返ってさぁ、威張っている奴らをボコボコにしてさぁ、俺が総理大臣になって、バイクの後ろ乗りOKの法律をだす”

大地震も来たし、大津波も来たし、原発も爆発したし、でも、威張っていた奴らは、誰もボコボコにされず、何の責任も追及されていません。

リストラされても、家族が崩壊しても、あの頃は、原発は爆発していませんでした。小さくとも、それなりに、ちょっとだけ、夢や、希望や、未来は確実にあったのでした。

2012年3月11日からは、小さな、夢や、希望や、未来も、東京電力福島第一原子力発電所の吐き出す、放射線のシーベルト、放射性物質のベクレル、原子炉の水位と圧力等の、数値しだいになってしまったなのです。

ストーリーも、主役も、監督の意図も、何ともハッキリしない、三流SF映画のようで、とても現実とは思えません。この映画の“エンドロール”に、何が、綴られるのでしょうか・・・・・・。

バックにはテーマ音楽が流れるのか、それとも、いろいろな“叫び、怒号、ざわめき”それとも、爆発音でしょうか?

ホントに何を観ても、何を聞いても、何を考えても、行き着く先は、原発に行き着いてしまう毎日です。

もう、ジタバタしても、ショウガナイ、ハジマラナイ、とは、思うのですが・・・・・・。


コメント (2)
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