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下山事件!結果有利で占領軍犯行説はどうなの?

2010年01月19日 | 下山事件

久ぶりの下山事件です。

前回は、去年の10月14日の「土浦脱線事故から“D51-651”で下山事件に!」以来です。10月の末に、自殺説の佐藤一氏の“「下山事件」謀略論の歴史”を読み、その後は、なんだか、他殺説、謀略説、占領軍犯行説に、興味を失っていたのです。

他殺説の根拠になったのは、東大法医学教室の「死後轢断判定」ですが、これが、かなり怪しくなってきたのです。これが怪しくなると、謀略説は根底から崩れさるのです。

事件当初より、東大の「死後轢断・他殺説」と、慶応の「生体轢断・自殺説」が争われ、実際に解剖した東大説が主流だったのです。死後轢断→他殺→謀略→占領軍の犯行説。

占領軍謀略説は、事件から10年ほど経った、60年安保闘争に前後して、松本清張氏が発表したのですが、時代の風潮からして、この説の方が受け入れ易かったのです。それ以降、ずっと謀略説が主流です。

“「下山事件」謀略論の歴史”の中で、北海道大学教授の錫谷徹氏の「死の法医学-下山事件再考」を採り上げ、錫谷徹氏の、死体の内臓破損、外部の裂傷状況などから、「立った状態」で、機関車の正面から衝突したとの見解を紹介し、立った状態→生体轢断→自殺説を補強しているのです。

「死の法医学-下山事件再考」は、1983年に書かれたもので、法医学もそれなりに進歩しているので、生体轢断は間違いないと断言しているのです。読んでいて、私も、何となく、そんな気がしてきたのでした。

錫谷徹氏には政治的な背景も利害関係も有り得ないと思いますし、純粋に法医学的な立場での見解ですから、これは、かなり信用できると思うのです。

「他殺説・謀略・占領軍説」での疑問は、殺害後に何故、総裁に似た男を現場付近を歩かせ、多くの人に目撃させたのか? 自殺工作の目的は? 他殺説の方達は、このへんどう説明していたんだっけ?

本日は、思いつくままに、いろいろ、脈略なく書いております。兎に角、とっかかりです。

それで、他殺説では下山総裁の殺害動機として、

①占領当初の軍国主義・国粋主義を一掃するために、民主主義勢力を育成した結果、左翼革命勢力の拡大を助長してしまった事。

②中国、北朝鮮での共産主義政権の樹立など、国際共産主義の拡大に対して、日本を反共の砦として位置づけ、左翼勢力の拡大を阻止する政策に変更した時期であった事。

③当時、10万人の首切りで労使対立が頂点に達し、大規模なストライキが計画されていた時期の国鉄の総裁を殺害すれば、国民は、国鉄労働組合内部の左翼勢力の犯行との印象を抱き、労働組合、そして国民から左翼勢力を切り離し、孤立させ、衰退させることが可能。

④朝鮮戦争の準備として、日本国内の兵站部門としての国鉄から左翼勢力を排除し、戦争物資輸送の安定を確保する。

結果として、総裁が殺害された事で、国鉄は首切り反対闘争は挫折し、組合の抵抗も無いままに、10万人の首切りが計画どうりに実施され、朝鮮戦争も勃発し、国内の左翼勢力は衰退した。

結果は、確かに、すべて占領軍に有利な方向に世の中の流れは変わったのでした。事件は誰にとって有利に働いたのか? と考えれば、答えは決まるのです。

それに対して、佐藤一氏は、でも、しかし、それは違う! と云っているのです。結果として左翼勢力の衰退は、日本共産党の指導方針の誤りで自滅したと云うのです。

それで、今日は、天気が良かったので、午前中は自転車で走りまわり、午後になってから書き始めたのと、問題が、問題ですので、とっかかりがナカナカで、時間もきたので、今日は、このへんで終わります。


それでは、また明日。


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