歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

文化財保護審議会副会長と懇談

2009年09月09日 | 女化道標問題
もう、ホントに、久しぶり、暫くぶりの“女化道標問題”です。

それで、この間、6月と7月の2回ほど“牛久市文化財保護審議会”の委員の方と意見交換をしていたのです。

でも、しかし、“いろいろと”あり、すぐにその内容をブログにアップする気力が萎え、とうとう、今日に至ったのであります。

まぁ、それで、結論から先に云えば、これまでの指摘事項に関しては、それなりに取り上げて貰い、それなりの成果はありました。

それでは、時間的経過に沿って話していこうと思います。

それで何ですが、時間が経ち過ぎて、かなり記憶が曖昧になっており、資料を引っ掻き廻し記録を探しつつ、記憶を辿りつつ、説明したいと思います。

それで、1回目の“会談”ですが、6月23日だったと思うのですが、牛久市の生涯学習センターにある、教育委員会生涯学習課の会議室で1時半からでした。

これが、生涯学習センターです! 大した“箱モノ”です。右側が市民ホールになっています。

それにしても、この“生涯学習”と云う名称ですが、日本全国津々浦々の自治体にあるようです。きっと文部科学省には“本家生涯学習課”がありそうです。

“一生涯これ学習”何て事は、私にとっては“嫌なコッタァ”です。

この左端の建物の一階が生涯学習課で、手前の窓に面して会議室があります。


それで、当日は1時半の約束でしたので、駐車場で時間を15分ほど潰し、生涯学習課の受付には5分前に到着。受付で用件を告げ会議室に通されました。

部屋には70歳前後の男性が一人、軽く会釈してテープの向かいに着席。ほどなく男性1名と女性1名が現れ、男性が左側に、女性が右側に着席。4辺に一人ずつの配置です。

左の男性が、これまで連絡を取り合ってきた生涯学習課の職員である事を名乗り、向かいに座る男性が“牛久市文化財保護審議会副会長”であることを紹介。

そして、私を副会長に紹介。副会長は2枚の名刺差し出しました。


何故二枚なの?と思い、2枚を見比べると、右側の方には、副会長の住所・電話番号が記されていたのでした。

副会長さんは肩書きからの想像とはすこし異なり、“アカデミック”な雰囲気ではなく、親しみ易い印象です。

男性職員から、この間のやり取りが簡単に説明され、今日の場は、私からこれまでの「質問・疑問」について、改めて説明し、その後、意見交換と云う事になりました。

そうでした、思い出しました。こちらから説明する前に、4月に届いた「女化道の道標とその説明文の文面についての回答・・・・・・田宮の読みは、たみや?たぐう?たくう?問題」の内容をブログで「一部無断で公開」した事について、審議委員よりクレームがあったと告げられたのです。

※この時点で、私のプログの存在を知っていた事が判明。4月頃に気が付いたそうです。このこともあり、その後、今日まで「女化問題」が書き難くなった面もあります。顔を知っていると、なかなか、正直にストレートに書き難いものです。

私としては、メールの文面にあった「別添ファイルの無断使用(転用)はしないでください」の解釈を、要点のみであれば、「全文をそのまま掲載」でなければ、問題ないと解釈していたと釈明。

部分的であれば問題無いのでは?どのあたりが問題ですか?と問うと、副会長がその「回答書」のコピーに、公開しても問題無い箇所に鉛筆で線を引き始めました。

見ると、私がプログにアップした内容とほぼ同一なので、この程度しか公開してない旨を告げると、“クレームの件”は、それとなく、なんとなく、了解してくれました。まぁ、最初から、“憤慨”していると云ういう様子ではありませんでした。

それで、「田宮問題」に関して副会長が書いた文章が掲載されている、「広報うしく」のコピーを頂きました。こちらには、かなり詳しく載っていました。

最初からこの「広報うしく」のコピーを貰えれば、何にも問題は無かったのです。コピーからは発行年月日は分かりませんが、きっと、あの時点では、この資料が見つからなかったのでしょう。

話が長くなりました。続きは次回とします。


それでは、また明日。

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