昨日の続きです。
それで、遂に、待ちに待った、わたくし関連の議題の討議が開始されたのです。
はじめは“成井一里塚”の説明分の年代二重表記問題からです。
これに関しては、それで、それなりの資料調査が実施されたようで、あっさりと改められる事に決まりました。
それで、その“年代二重表記”について、男性職員から、“当時の作成者の意図として、「二つの説」を「並列表記」したようだ”との、発言があったのです。
“でも、しかし、皆さん、上の説明板の文章から、そのような意図が読みとれるでしょうか?”と、検討会の場で発言した訳ではありません。傍聴者ですからね。
敢えて、今更、私が、“ココ”で、問題にしたいのは、年代を並列表記した意図が文章として読みとれない点、では無くて、そのような曖昧なと云うか、矛盾したと云うか、訳が分からないと云うか、そんな文章が、公の機関の名の下に掲示されてしまっている事です。
まぁ、そんな事は、これを機会に改められるのだから、いまさら、そんな、過去の事など、いちいち、詮索しなくても・・・・・・ねェ。何て、お思いでしょう、がァ、そこが、気になるのです。
わたくし、品質管理で糊口をしのいできた身として、つい一言・・・・・・・なのです。
この史跡の説明文作成に関する“決まり事”に関して、どうなっているのか、どうも曖昧なように思えるのです。
文章は、誰が?、いつ?、どういう資料に基づき?作成したのか? 作成された文章は、誰が検証したのか? その経緯は記録として残されているのか? 記録があるとしたら、誰もが、必要な時に、直ぐに、取り出せるよう整理されているか?
結論よりも、そこにいたる経緯が重要なのであります。経緯の無い結論は“クリープのないコーヒー”なのです・・・・・・ちょっと違うか?
何て事なのです。まぁ、そんな事は、いまさらどうでも良い、と、お思い方もいらっしゃるでしょうが、だが、しかし、なのです。
この事は、“女化道標”についても云えるのです。“女化道標”の方が問題点が多く、もっと、もっと、しつこく、ややこしくなります。
そこで、本日はこの辺で終わります。
“女化道標”については次回とします。
それでは、また明日。
それで、遂に、待ちに待った、わたくし関連の議題の討議が開始されたのです。
はじめは“成井一里塚”の説明分の年代二重表記問題からです。
これに関しては、それで、それなりの資料調査が実施されたようで、あっさりと改められる事に決まりました。
それで、その“年代二重表記”について、男性職員から、“当時の作成者の意図として、「二つの説」を「並列表記」したようだ”との、発言があったのです。
“でも、しかし、皆さん、上の説明板の文章から、そのような意図が読みとれるでしょうか?”と、検討会の場で発言した訳ではありません。傍聴者ですからね。
敢えて、今更、私が、“ココ”で、問題にしたいのは、年代を並列表記した意図が文章として読みとれない点、では無くて、そのような曖昧なと云うか、矛盾したと云うか、訳が分からないと云うか、そんな文章が、公の機関の名の下に掲示されてしまっている事です。
まぁ、そんな事は、これを機会に改められるのだから、いまさら、そんな、過去の事など、いちいち、詮索しなくても・・・・・・ねェ。何て、お思いでしょう、がァ、そこが、気になるのです。
わたくし、品質管理で糊口をしのいできた身として、つい一言・・・・・・・なのです。
この史跡の説明文作成に関する“決まり事”に関して、どうなっているのか、どうも曖昧なように思えるのです。
文章は、誰が?、いつ?、どういう資料に基づき?作成したのか? 作成された文章は、誰が検証したのか? その経緯は記録として残されているのか? 記録があるとしたら、誰もが、必要な時に、直ぐに、取り出せるよう整理されているか?
結論よりも、そこにいたる経緯が重要なのであります。経緯の無い結論は“クリープのないコーヒー”なのです・・・・・・ちょっと違うか?
何て事なのです。まぁ、そんな事は、いまさらどうでも良い、と、お思い方もいらっしゃるでしょうが、だが、しかし、なのです。
この事は、“女化道標”についても云えるのです。“女化道標”の方が問題点が多く、もっと、もっと、しつこく、ややこしくなります。
そこで、本日はこの辺で終わります。
“女化道標”については次回とします。
それでは、また明日。