歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久を歩く “蜂印香竄葡萄酒”とは?

2009年01月30日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

いよいよ、記念館に入ります、兎に角、真っ暗、写真は明るさを調整してあります、実際はもっと暗いのです。

入ると右方向に大きなワイン貯蔵用の樽が両脇に並んでいます。何となく、甘い香りが漂っていたような、いなかったような・・・・・・。


正面突き当たりを左、二階に上がる階段があります。


上がると、また突き当たり、踊り場を左です。


この階段を上がると展示室、


暗闇の中に並ぶ樽の前を通り抜け、周りの壁は煉瓦造り、木製の階段を上がり、暗闇の中に浮かび上がる、レトロ感たっぷりのポスター。

もう、気分は、明治そして大正に。この髪型は、もしかして? あの“二百三高地髷”では? たぶん、そうです。


それにしても、ポスター左肩の“蜂印香竄葡萄酒”の「竄」が気になります。「竄」は「改竄」の「竄」で良い意味では使われません。
       
香りを改竄した葡萄酒? 展示室の説明で、そのうち「竄」の真相が明らかになるかも?

それで、展示室ですが、中年前期の男と女、平日の午後、二人の様子から観光客ではありません。


何か仕事で近くに来て、帰りにちょっと立ち寄った雰囲気。二人は直ぐに居なくなりました。

私が、パチパチ写真を撮るのが気になる様子でした。暗闇の仲、怪しい二人連れ、何か、もしかして、只ならぬ仲?・・・・・・考えすぎ?


こちらの方こそ、シャトーカミヤの創設者“神谷傳兵衛さん”です。神谷と云えば、浅草の“神谷バー”もこの人が開いたのです。


神谷バーと云えば、“電気ブラン”です。それもこの方が造ったのです。日本に洋酒を広めた方なのです。

神谷傳兵衛さんは、安政3年(1856年)に現在の愛知県幡豆郡一色町で生まれたそうです。

傳兵衛さんには「天性の商才」があったそうで、24歳のとき浅草に「みかはや銘酒店」という、にごり酒の一杯売りを開業したそうです。

安い酒の一杯売りはこの方が最初に始めたらしいです。そして、洋酒が好まれ始めると、今度は、葡萄酒に「目をつけ」たそうです。

展示室には、まだまだ、いろいろとあります。

この続きは、次回とします。


それでは、また来週。


※それで、ちょっと追記なのですが、話は変わりまして、今週27日のアクセス数が何と“638”もあったのです。

もしや、このブログも遂にブレークしたと思ったのですが、翌日が“220”で、昨日が“171”で、徐々に平静さを取り戻しています。

ブレイクしたのは、去年の10月27日に書いた「朝の連ドラ“だんだん”慣れてきました」に、“569”も集中していた事が原因でした。

どこで、何が、あったのでしょうか? それにしても、その時に覗いた人は、その時だけだったようです。

それにしても、27日は、ブログを始めて3年目にして、ランキング“512位”に登場したのです。ランキングは1000位までが表示されるのです。

兎に角、「一度はランク入り」と思っていたので、それなりに、そこそこ嬉し事件でした。

世の中で話題になっているネタを扱うと、アクセス数は確実に増えます。でも、やはり、自分の好きな事を取り上げるのが一番楽しいのです。

いつの日にか、“地味ネタでランク入りを”と思う、今日この頃です。

そんな、こんな、でした。

                以上


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