歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「朝の連ドラ」草笛光子が綺麗過ぎ

2007年08月21日 | テレビの話し
今度の連ドラですが、視聴率はかなり良いみたいですね。

はじめの頃は、いまいち何かしっくりこなかったのですが、やはり見続けていると「癖に」なるのです。

あの時間帯は、どうしても見てしまうのです。テレビでドラマを見るのは、この朝の連ドラだけなんです。

それにしても、やっぱり、ヒロインは周りから虐られるパターンは「壺にはまる」ようです。旅館ものは良くあるパターンです。

それと、ヒロインの「比嘉愛未さん」ですが、顔と云い、芝居と云い個性がありません。

それと、白石美帆が登場した時期がありましたが、「臭い」芝居をやらされていました。演出が臭いのです。

変なカメラワークで、白石美帆にわざとらしい「顔の表情、目の動き」をやらせていました。

それにしても、白石美帆、そして、所属事務所はよくも、まぁ「あんな役」を受けたと思います。これからの仕事に響くように思えるのですが、それとも、人気の低迷とか、年齢的な事等を考慮して、こんな線をこれから狙っているのでしょうか?

こんな分かり易く、いやらしく、内面をハッキリと表情に出す芝居をやられると、見ている方は、目のやり場に困ります。

ても、しかし、何だかんだ云っても、そこそこ面白がって見てしまうのです。一回が15分と云う、その辺に秘密がありそうです。

それにしても、女将の宮本信子は大夫「老けて」きました。もう少し若く見える様に、化粧で誤魔化せないのでしょうかね。元々、地味な顔立ちなので無理かもしれません。

それに比べて草笛光子の方は、若くて綺麗過ぎる化粧をしています。元々、草笛光子は顔の作りが大きく、目鼻立ちもハッキリしているので、若く見えてしまうのでしょう、それに、本人も女優として「老けた化粧」をしたくないのでしょう。

結果として、女将と大女将の年齢差が不自然に見えるのです。それにしても、宮本信子があんなに「背が低い」とは、これまで気が付きませんでした。

それにしても、比嘉愛未さんは、ドラマが終了すると、直ぐ忘れられてしまう顔立ちです。

最近のヒロインは、終われば「それっきり」の人が多いようです。

後一ヶ月ほどで終了です。

次の連ドラも間違いなく見る事でしょう。


それではまた明日。



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暑い! 電池も「熱くて」使えない!

2007年08月20日 | 雑談
暑くて、暑くて、外を歩き回るのは「危険」な状態です。

暫く、この暑さが続きそうなので、当ブログの「テーマ」である「歩く、見る、食べる・・・」はネタ切れ状態となりました。

気温が危険状態を脱するまで、「雑談」を暫く続ける「決断」を下しました。それまでも「雑談」と云えば、「雑談」でしたので、まぁ、大して変化はないかもしれません。

それでなんですが「本格的雑談」ですから、話しにまとまりありませんし、あっちこっちに話しが飛びますし、途中で何だが判らないうちに話しが終わったりします。

そこの処は、まぁ、そんなもんだと、事前に了解願います。


それでは、今日の雑談を始めます。

今日も、いつもの様に、朝食後に「NHK朝の連ドラ」を見て、新聞に目を通しまして、トイレに行って用を済ませると、9時になっていました。

そろそろ、今のうちに済まして置かないと暑くなるのでと思い、パソコンを起動して、住所、部署名、担当者名を広告の裏に書きとめました。

実はです、デジカメに使用している「充電式の乾電池」が、いくら充電しても、2~3枚撮すとバッテリー切れの表示が出てしまうのです。

電池は4本あり、コンパクトカメラなので2本使用で、2本を交互に使っていたのですが、最初は充電した電池と、使用済み電池を間違えて入れたと思っていたのです。

そのことが2度も続いたので、私もそこまでボケていませんので、充電の異常と思いました。充電はこれまで寝ている時やっていましたが、今回、昼間に充電し様子を見ていました。

この充電器は、7時間で充電が完了するのですが、見ていたら1時間で充電中の緑ランプが消え、充電が終了した状態になりました。

電池に触ると「熱い」のです、熱いけど触っていられる程度ですから、多分50~60℃位だと思います。

電池の熱を冷ましたところで、カメラに挿入してみると、やはり2~3枚でバッテリー切れの表示がでました。

1000回繰り返し充電可能が売りの乾電池です。未だ100回も充電していません。

これは明らかに、電池か充電器の「異常」です。直ぐに、メーカーのホームページからメールを入れ、状況を説明しました。

メーカーからは夕方になって返信がありました。



---------- 引用開始 ------------


早速ですが、この度お問い合わせいただきました、エネループ充電パック (NC-TG1)につきましては、「充電して直ぐにバッテリー切れとなる」とのことですが、本件につきましては、大変ご迷惑、ご心配をお掛けしており誠に申し訳ございません。

本電池(エネループ)は、デジタルカメラでご使用とのことですが、デジタルカメラ(使用カメラをお知らせいただけたら、有り難いですが)とのマッチングの問題もございますので、何とも申し上げられませんが、この度の場合は、恐らく、電池での要因が考えられます。

しかし、要因につきましては、弊社担当部署にて検討させていただきたく考えておりますので、誠に申し訳ございませんが、該当の本電池(エネループ)と、可能でしたら充電器も、下記の弊社窓口へ、送料着払にてご送付していただきたく、宜しくお願い申し上げます。

弊社担当部署にて、不具合箇所を調査致しまして、回答させていただきます。また、不具合の電池につきましては、代替品を返送させていただきますので、宜しくお願い申し上げます。

---------- 引用終了 ----------


と云うような事があり、宅急便で送ろうと朝から外に出かける事になったのです。

宅急便は、歩いて5分のコンビニで送れるのですが、ここは、「ダイエット」の為に、家から自転車で30分の処にある、宅急便の営業所に持ち込みました。

往復1時間、水筒を持っての出発です。コースは日陰が60%の裏道コースです。
営業所に着き、「着払い伝票」に記入して、受付のパートのおばさんに渡し手続き完了です。

これで、一件落着てです。

乾電池のメーカー名は、上記のメールの内容を見れば推測できると思いますが、あの関西のメーカーで、業績不振で騒いでいるところです。

乾電池部門等の得意分野以外を、他社に売り払い再建しょうとしているメーカーです。

もし、この乾電池で「火災」が頻発して、回収騒ぎでも起きたとしたら、この会社は「終わり」かもしれません。


それにしても、無料交換して貰えてよかったです。


それでは、また明日。


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「浅田光輝先生」と「ハチのムサシ」

2007年08月19日 | 昔の思い出
先日、テレビで何十年かぶりで「ハチのムサシは死んだのさ」を 聞きました。たまたま見た「懐かしのメロディー的」な番組です。

その曲を聴いて「浅田光輝先生」と始めてお会いした時のことを想い出しました。私が20代の頃ですから、いまからもう・・・30年ほど前の昔のことです。

現在、「浅田光輝先生」の名前を知っているのは、限られた範囲の人達かも知れません。60年代から70年代にかけて、それなりに知られた「政治経済学者」でした。

その先生とお会いしたのは、友人に誘われて参加した、あるサークルを通してでした。

偶々、その友人のサークルに誘われて、浅田先生の「別荘」に何人かで泊まった時の事でした。

夕食の時に、何故か先生が、

『流行歌はほとんど聴かないが、今流行の「ハチのムサシ」の歌はとても気に入っている・・・・・・・』

そんな内容の話をされたのです。話の前後の事はまったく記憶から消えてしまいましたが、今回、テレビで流れる歌を聴いていたら、30数年ぶりに、その時の情景が浮かんできたのです。

「ハチのムサシ」のことを想い出し、それに繋がっていろいろと、その時の事が少しずつ、甦ってきました。

私の記憶は、先ず食べ物のから始まります。その日の夕食は鉄板焼きだったのですが、市販の「タレ」ではなく、私の手作りでした。

醤油に砂糖、ニンニク、生姜、りんご、胡麻油を調合し、先生にも「美味しい」と云ってもらった記憶があります。

また、夕食後に風呂に入ったのですが、先生が風呂場のドアの前に来て、「湯加減はどう?」と聞かれました。

まさか、有名な学者に湯加減を聞かれとは思わず、かなり恐縮した事を覚えています。その時、何と返事をしたのかは覚えていません。

それと、テレビの映りが悪いと先生が云われたので、私が屋根に上がり、アンテナの方向を調整したのを想い出しました。

その場に、ある大手電機会社の研究所に勤めている人が居たのですが、その方をさ差し置いてテレビの映りを直してしまいました。

先生に「これなら東京で観るのと同じだねェ。ありがとう」と、お礼を云われ、とても嬉しく、誇らしい気持ちになったり・・・・・・・。

それと、別荘近くの「大手スーパー」で、1リットル入りのコーラ瓶を発見して驚いた事・・・・・・。

まぁ。兎に角、大した想い出ではありませんが、懐かしい青春時代の一コマです。


その先生も、去年の10月10日に88歳で亡くなられました。私がその事を知ったのは、亡くなられて一ヶ月ほど過ぎた頃でした。

ご家族の意向により、世間には公表されなかったとの事です。本来であれば新聞でも報道された筈です。

今回、あらためて「ハチのムサシ」の詞を読んで見ました。
先生は「ムサシ」に何を想い、聴いていたのか・・・・・・、いろいろ考えてしまいます。

「ムサシ」も「浅田光輝先生」も闘い、そして、死んでしまいました。







   『ハチのムサシは死んだのさ』

   内田良平 作詞
   むろふしチコ 補作詞
   平田隆夫 作曲


   ハチのムサシは 死んだのさ
   畑の日だまり 土の上
   遠い山奥 麦の穂が
   キラキラゆれてる 午後でした

   ハチのムサシは 向こう見ず
   真赤に燃えてるお日様に
   試合をいどんで 負けたのさ
   焼かれて落ちて 死んだのさ

   ハチのムサシは 死んだのさ
   お日様仰いで 死んだのさ
   高い青空 麦畑
   いつもと変わらぬ 午後でした


   ハチのムサシは 死んだのさ
   夢を見ながら 死んだのさ
   遠い昔の 恋の夢
   ひとりぼっちで 死んだのさ

   ハチのムサシは 向こう見ず
   お日様めがけて剣を抜き
   たたかいやぶれて 死んだのさ
   焼かれて落ちて 死んだのさ

   ハチのムサシは 死んだのさ
   たしかにムサシは 死んだのさ
   やがて日は落ち 夕暮れに
   真赤な夕日が 燃えていた




浅田光輝も、ムサシも、「カッコイイ!」です。


            


平田隆夫とセルスターズ ハチのムサシは死んだのさ 1972


ハチのムサシは死んだのさ



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世界同時株安の行き着く先は?

2007年08月18日 | 世間話し
世界中で「株安」が起きているようです。未だ「株安」の段階であり、「暴落」ではないようです。

「世界同時株安」が「暴落」となり、「恐慌」に発展する恐れはないのでしょうか、もしかして「有るかも知れない」と云う思いが、「恐慌」への「スイッチ」を押すのかも知れません。

世界中が「金余り」で、株に、債券に、為替取引に、商品取引にと、マネーゲームに熱中し、世界は「バブル」に浮かれていたそうです。

何処の?誰が?そんなに「お金」を持て余しているのでしょうか? 私の周りを見渡しても、そんな気配さえありません。


そんな時、久しぶりに、あの「彼から」メールが送られてきました。



---------- 引用開始 ----------

お久ぶりです。

3月に起きた「世界同時株安」以来ですね。又も、「世界同時株安」が起きました。

今回は、米国発の株安です。原因は「サブプライムローン」の「焦げ付き」と巷では云われています。

サブ・プラ問題は、半年以上も前から「危ない」と云われ、いつか「爆発」すると云われ続けていました。

しかし、本当は「サブプラ」だけでなく、「プライム」にも「焦げ付き」が拡大していく気配があるのです。

「サブ・プラ」は、住宅ローンの10~13%とで、金額として「約1兆ドル」程度です。しかし、欧州と米国の中央銀行の対応が、あまりにも素早く、その額が大きかった事です。

この対応に、その筋の人達は、

『これは! もしかして? 想像以上にヤバイ! 金融当局は重大な情報を隠している?』と思い始めているのです。

私も想像以上にヤバイ気がします。

「ヤバイ」と思った人達が、慌てて「出口」に集まり、それを見ていた人達も、一斉に出口に殺到したのです。市場からお金が消えていきました。

米国が、金曜日の朝に、公定歩合を0.5%引き下げを発表し、ニューヨークの株価は反発しましたが、多分、これは、一時的なものだと思います。

株安は為替を動かし、円の「独歩高・・・円のキャリ・トレの影響」になっています。120円台から110円台に10円近くの円高になりました。

それで何ですが、私も多少の影響を被っているのです。円高により、金の国内価格がかなり下がったのです。まぁ。当分の間、値上がりを待つしか有りません。

こういう「危ない時代」にこそ「金」の安全性が見直されるのですが、円高に吸収されてしまうかも知れません。

この時期だからこそ「金」は「買い」なのです。株や債券は「紙屑」になりますが、「金」は「紙屑」にはならないからです。でも、今は様子見です。

それと、突然ですが、「郵政公社」が10月から民営化されますが、郵便局が「公社化」された後、「投資信託」を売っているのです。

「投資信託」を、田舎のおばあちゃん、おじいちゃんにも郵便局は売りました。この株安で、配当どころか「元本割れ」が起きるでしょう。

じいちゃん、ばあちゃんは、郵便局を信用して買ったので、元本割れなど理解していない気がします。

「民営化凍結」の法案が、民主党から提出されようとしていますが、投資信託の元本割れも「問題」となり、民主党の「追い風」になるかも知れません。

それにしても、今から78年前の1929年の10月24日に、ニューヨークの株式市場の「株安」が起点となり、「株安」が「暴落」となり、1930年代の「世界恐慌」が始まり、第二次世界大戦に行き着きました。

その当時にはない、「金融の安全装置」と「政治の安全装置」がありますが、世界大戦まで行き着く可能性は「ゼロ」では無いと思います。

しかし、「世界恐慌」の一歩手前の、「世界同時不況」の可能性は「かなり高い」と思うのです。「世界恐慌」の可能性も「それほど低くない」と思います。

では、そうならない為にどうするのか? 又、なってしまったらどうするのか?
と、云う疑問は生まれますが、ここは一番、「専門家」に頑張って貰う事しかないのですが、専門家の現状認識も対応策もバラバラです。

この「世界同時株安」の行き着く先は、かなり不透明のようです。しかし、戦争に行き着くほど「人類」は「バカ」だと思いたくありません。

しかし、「二度有ることは三度有る」との諺には、かなりの真実味がありそうです。

いろいろと問題の多い時代です。『長~~い眼で(私の好きな小松政夫のギャグです)』世の中を眺めて見ようと思っています。そんな事を思う今日この頃です。


        ○○○より


---------- 引用終了 ----------


「世界恐慌」の可能性も?とは、怖い話しになりました。

それにしても、兎に角です。

あくせく働き、あくせく金儲け、経済は永久に成長し、金儲けは「善」、そんな「人達」の行き着く先に、「世界恐慌」があり「世界大戦」があると思うのです。


やはり、「清く、貧しく、美しく」が・・・・・・、良いと思うのです。


それでは、また明日。


 
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朝青龍を弄ぶな!

2007年08月17日 | 相撲の話し
朝青龍の謹慎処分に対して、テレビのワイドショーが「面白がり」、「弄くり回し」ています。

事の経緯は、地方巡業を「腰椎の疲労骨折」を理由として、参加しなかったにも関わらず、治療もせずにモンゴルに帰国して「あの中田」と「サッカー」をしていた映像がテレビで流れた為でした。

この事で、力士の模範を示す横綱が、「嘘」をついて「さぼって」いると誰しもが疑いを抱きました。

これに対して、相撲協会は朝青龍を帰国させ事情聴取を行い、二場所の出場停止と謹慎処分を命じました。

罪を犯し、処分が決定し一件落着の筈でした。しかし、何故か、その後に事件は拡大していくのです。

高砂親方が、朝青龍のマンションを「のこのこ」と訪問したら、朝青龍が「おかしい」との「騒ぎ」に発展しました。

親方が何度も訪問し、訳の分からない「記者会見」を行い、「訳の分からない」医者も出てきて、「訳の分からない」診断結果を発表しました。

この騒動を、面白可笑しく、弄くり回し、訳が分からなくさせているのがテレビです。

高砂親方の指導力に問題があるとか、協会の対応も問題があるとか、云われていますが、そんなことは、今に始まった事ではありません。

協会の本音は、

『何故?「あのサッカーの映像」が日本で放映されたのか、そっとしていれば、何も問題はなかったのに・・・』

こんな処でしょうね、朝青龍が巡業を「さぼる」のは始めてではありません。本場所が終わると、親方にも黙って帰国するのは珍しくないのです。

朝青龍は、本場所が終わったら休暇を取るのが当たり前と思っています。この変が難しいのです。

それにしても、「あのサッカー映像」ですが、中田が所属する「事務所」がマスコミに売っていたそうです。この辺も訳が分からない処です。

兎に角、日本相撲協会は「日本古来の伝統文化」である「相撲」を「国技」としてを守る立場が「ある事になって」います。

しかし、実体は、そんな堅苦しい組織では無く、かなり「ゆるい」組織なのです。日本固有の「伝統文化」としての、「建前と本音」を巧く使い分けてきました。

その意味で、日本の伝統を守ってきた訳です。

「八百長問題」についても、今回の朝青龍問題についても、それなりに、何となく、まぁ、そう云う事で、この件は、一件落着にしたいのです。

相撲は、「そんなこんな」を含めての「興行」なのです。そこら辺は、そう云う事で受け止めてほしい、と協会は願っているのです。

この件で、北の湖理事長が何らかの会見に応じるべきとの意見がありますが、彼に細々とした質問をぶつけても、そんな細かい事など判らないのです。

兎に角、そんなこんなを含めて、興行として、相撲を楽しめば良いと思う次第です。

あまり、肩肘張らずに、のんびりと、日本の伝統である大相撲を楽しみましょう。

それが、日本古来の伝統文化なのです。


それではまた明日。



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「マナちゃん」がお泊まりに来ました!

2007年08月16日 | その他
今年のお盆は「マナちゃん」が一人でお泊まりです。

朝早く、マナちゃんを迎えに行きました。2時間を考えていたのですが、予定より30分早くマナちゃんの家に到着です、お盆で道路が空いていたのです。


お別れはそれほど寂しそうでは有りませんでした。早速、お約束の「プレゼント」を、ばーばに絵本を見せて説明です。「リカちゃん人形」の「リカの何とか?カーラー?」だそうです。



30分ほどして、「トイザラス」に到着、目指すはリカちゃん。


直ぐに見つかり、車に戻ると早速箱を開けて遊び始めました。様子を見ていると、リカちゃん人形よりも、付属の「スプレー、カーラーの道具?」に興味があるようで、人形自体にはあまり興味がないようです。


暫く走って、昼食の時間になり、おそば屋さんに入る事にしました。マナは「チュルチャル」が好きなのです。

途中の、目当ての「そば屋」が2軒ほど休みでした。お盆の15日を忘れていました。

3軒目は少し遠回りして、そば屋の多いコースに変更しました。三度目の正直です、目当てのそば屋は営業しています。

ここは「田舎そば」が売りで、価格も味もOKな店で、これまで4~5回来ています。始めて来た時に食べた「力そば」が忘れられなかったのです。

その「力そば」の餅は「衣」を付けて「揚げて」あるのです。その「油コッイ」コッテリ感とボリュームが魅力なのです。でも、今は食べられないのです。

私は、ダイエットの為に、大根で「増量」した「大根そば」です。チョッピリ付いてきた「野菜の天ぷら」を「そば猪口」に入れて、油の旨味を加えて食べました。「太く」て、「重量感」のある、「田舎そば」も偶にはいいです。


ばーばは「冷や麦」です。缶詰の「ミカン」は入ってません。変わりに「ぶつ切り」のトマトが入っています。そこの処が「田舎風」なのです。


マナちゃんは「冷やしタヌキ」です。揚げ玉に、蒲鉾に、胡瓜です。トマトは、ばーばの冷や麦から移動しています。

マナちゃんは「トマト」がホントに、ホントに「大~好き!」なのです。そして胡瓜もです。

しかし、この日は、「揚げ玉」の「サクサク」した食感が気に入って様子で、揚げ玉を集中して食べていました。器用に揚げ玉を箸で摘んでいました。

「ばーば」は、プレゼントした「訓練用の箸」の効果が出ていると云っていました。

結局、「冷やしたぬき」の「4分の3」は私のお腹に入りました。

デザートは「氷りメロン」です。かき氷は炎天下に外で食べるものでした。冷房の効いた室内では冷た過ぎます。これも、私がほとんど食べてしまいました。



この日の夕食は、マナちゃんの好物「鶏の唐揚げ」に、「ちらし寿司」です。トッピングした「トマト」は我が家で採れたミニトマトの「愛子」です。


マナちゃんは「イクラ」と「エビ」が大好きです。「卵焼き」の黄色が入ると、紅、黄、緑で彩りがOKだったのですが、この日は猛暑の為に、卵焼きを断念しました。


マナちゃんは、上手に箸を使いエビを摘んでいます。



翌朝、「おかあさんといっしょ」を観るマナちゃん。ばーばに結ってもらった「三つ編み」がカワイイです。


リカちゃんは、ほったらかしのようです。



マナちゃんと過ごした楽しい2日間でした。

家に送り届けると、ママの顔を見て「ママ~」と云って、泣きながらママの胸に抱きつきました。やっぱり寂しかったのです。

帰り際に、マナちゃんが

「じーじ、9月にまた、お泊まりに行っていいですか?」と云ました。

勿論! わたしは、

「はぃ! 待ってま~す!」と答えました。


大変失礼しました。今回はベタ・ベタの「じじバカ」でした。


でも、しかし、ホントに可愛いのですから、しょうがないですよねェ。


それでは、また明日。 


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バケツで稲作 「花が咲き穂が垂れ始めました」

2007年08月15日 | バケツで稲作
6回目の稲作を報告します。

世間では「猛暑、酷暑」と大騒ぎしていますが、この天候で稲作の生育は順調です。梅雨明けが遅くて心配でしたが、この天候は「稲作農家」としては「OK」なのです。

8月2日に穂が出てから、4日後に稲の花が咲きました。


マニュアルには「花が咲いているのは、朝の9時頃から午後の2時頃の間だけなので、見逃さないように観察しょう」とありました。


我が家の「稲の花」は朝から晩まで、一週間ほど咲いていました。これでは絶対に見逃さすことは有りません。

稲の花が「バケツ内」での時間差咲き、「バケツ毎」の時間差咲き、によって一週間ほど「連続」して咲いていたのでしょう。

それにしても、「朝9時から午後2時の間」だけではなく、朝から晩まで咲いていたのは「狂い咲き」なのでしょうか?


兎に角、狂い咲きにしても、稲穂の籾に「お米」が詰まってきたようです。それにしても、実が熟くす前に、殻が先に出来るのも不思議です。


稲穂が「垂れる」前の籾を潰すと、中は空洞で何もありません。


実が詰まってくると、徐々に穂が垂れてくるのです。


ホントに、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」の通りでした。


稲穂が実って来ると「すずめ」が心配になります。対策を打たなければと思っています。


5月の田植えから、とうとう「稲穂」が実る処まで辿り着きました。


いよいよ収穫まで、後1ヶ月です。


次回は、一ヶ月後の稲刈り報告です。


それでは、次回をお楽しみに。


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⑫野田の街「キノエネ醤油」を応援します!

2007年08月14日 | 街の風景
昨日の続きです。そして、野田シリーズの最終回です。

博物館の正門から出て、塀沿いに曲がって、愛宕方面に向かいキノエネ醤油の工場を目指しました。

この写真は、塀沿いに曲がって「市民会館」と書かれた門の前から、来た道を振り返って撮ったものです。

進行方向に向かって撮すのが一番分かり易いのですが、こう云う事もあります。


この「市民会館」と書かれている門は西側にあり、博物館側の「正門」は南側になります。「東・西・南・北」の方角については、私、かなり怪しいのです。


今回は、地図を見て、方角をメモ用紙に書いて、良く確認しましたので大丈夫だと思います。

京都では、右とか左に曲がるのを、西とか東に曲がる何て云ったり、上る、下る何て表現するそうですが、上るは「北?」、下るは「南?」どっちだったか?

兎に角、京都は難しいのです。京都で道を訊ねると、ちんぷんかんぷんで迷子になりそうです。


それで、愛宕神社方面を目指し、路地伝いに歩いたのですが、博物館の先辺りから、少しずつ住宅街の雰囲気に町並みが変わって来ました。

この場所に来て、「そうか。ここに出てのか!」と、思いました。「あの」脇に出たのです。

突き当たったところが流山街道です。「北」に曲がると愛宕神社前の交差点にでます。


あの「廃屋の青果市場」の脇に出たのです。


愛宕神社前の交差点を「西」に曲がり、後ろを振り返って交差点を撮った写真です。この辺りに来ると、「醤油」の匂いがして来ます。


ここを入ると「キノエネ」です。


木製の門や、工場の外壁が黒く「煤」が付いた様に見えますが、これは「醤油」を造るときの「酵母」が付着した為だそうです。以前、そんな話しを聞いたことがあります。


キノエネの周囲には、かなり「醤油」の匂いがするのです。キッコーマンの周囲では、微かに「煮豆」の匂いがしていました。


匂いの「差」は、製造設備の「差」なのでしょう。

売り上げ1千200億円、国内シェア30%、業界№1と、売り上げ20億円の「差」なのでしょう。

キッコーマンは機械化され、周囲とは遮断された「完全密室」で醤油を製造し、キノエネは製造工程の一部に「人の手」が加わり、外気に「香り」が漏れる構造なのかも知れません。

私としては、小さな「キノエネ醤油」を応援したくなりました。キノエネの工場は、昔ながらの「醤油醸造所」の佇まいを残しています。

キッコーマンに囲まれ、177年間頑張っているキノエネ醤油はエライ!




野田シリーズも今日で最終回です。

野田の街は、野田市駅が中心では有りませんでした。野田の街は、まさにキッコーマンの企業城下町でした。

鉄道も、清水公園も、病院も、市民会館も、博物館も、みんな「キッコーマン」でした。

野田は「醤油」と「煎餅」の町と思っていたのですが、煎餅屋さんは2~3軒しか有りませんでした。煎餅屋さんは消費の低迷で消えてしまったの?

野田市駅はキッコーマンの工場に囲まれた構内駅でした。地図を見て改めて、キッコーマンの大きさにオドロキです。


野田の街は、予想外に見るものが沢山有り、予想外に楽しむ事ができました。

それにしても、「ガンバレ!キノエネ醤油」、私はあなたの味方です。しかし、我が家には、キッコーマンも、キノエネもありませんでした。

今度、スーパーで見かけたら、キノエネを買いまね。


それでは、また明日。 





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⑪野田の博物館 それとも 郷土資料館

2007年08月13日 | 街の風景
昨日の続きです。

こぢんまりとした博物館です。昭和34年(1959年)の開館だそうです。翌年には、千葉県で最初に「博物館法」による、認定を受けたそうです。

千葉県で一番古い博物館の売りは、全国一を誇る醤油関係の資料です。やっぱりここも「キッコーマン」です。



一階は古墳とかの関係でここは軽く流し、直ぐに二階に上がりました。二階が醤油関係です。

先ずは、醤油樽。勿論「キッコーマン」です。


これは輸出用に造られた陶器製の醤油瓶です。これ気に入りました。キッコーマン創業○○年記念とかで、復刻版を売り出したら売れるかも知れません。


「最上醤油のおこり」と、ありますが、最上醤油なんて知りませんでした。

『これが「最上醤油」のおこりである』と、結ばれていますが、野田はキッコーマン、キハク、ジョウジュウ、の三印とあります。

この説明にある醤油で知っているのは、銚子のヒゲタとヤマサ、野田のキッコーマンだけです。

野田の「キノエネ醤油」がないのです。元治元年(1864年)の話しなので、キノエネは未だ創業していない?

調べてみたら、天保元年(1830年)の創業でした。すると、この当時、キノエネは「最上醤油」の認定から漏れていたのです。


調べついでに、主要醤油メーカーについてのデーターです。キッコーマンはダントツの一位です。


【キッコーマン】

創業  寛文年間(1660年前後)

売上高 (個別) 1千199億7千5百万円(2007年3月期)

従業員 (個別) 1,808名  (2007年3月31日現在)

※主力の醤油のシェアは国内シェア30%、世界シェア50%


【ヤマサ醤油株式会社】

創業  正保2年(1645年)

売上高   482億円(2006年12月)

従業員    850名(2006年12月現在)


【ヒゲタ醤油株式会社 】

創 業   元和 2年(1616年)

売上高   約 120億円

従業員   約 300名


【キノエネ醤油】

創業    天保元年(1830年)

売上高   25億円

従業員   100名

※キノエネは昔から聞いていた名前ですが全国区ではないようです。


これは我が家にあった醤油です。スーパーの特売で買ったものです。醤油はいつも安売りで「一人一点限り」の時に購入する事になっています。

ヒゲタ、ヤマサ、そして香川県の「マルキン」です。


それで、博物館の展示何ですが、他にはこれと云ったものは・・・・・・有りませんでした。

眼を引いたと云えば、昔の醤油造りを再現したこんな展示品です。








「野田郷土博物館」は、地方の町によくある「郷土民俗資料館」でした。


野田シリーズは明日が最終回になります。


それでは、また明日。 


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⑩野田市民会館「謎の390番」

2007年08月12日 | 建物の話し
昨日の続きです。

いろいろ歩き回っているのですが、見学者は他に誰も居ません。それに、職員らしき人の気配も有りません。昼の休憩時間なのかも知れません。

誰も居ない、広い屋敷を先ほどより一人でウロウロ、キョロキョロしています。多分、問題はないと思うのですが、誰も居ないと少し心配になります。

兎に角、勝手に歩き回り、見て回り、触れて回り、撮り捲ります。


この電話室、昔の「お金持ちのお屋敷」には必ずあったのです。テレビや映画では見たことがありましたが、実物を見るのは始めてです。



正面玄関の裏手、脇玄関を入った処に、電話室がありました。電話を掛ける為に、わざわざ専用部屋を造る、今から思うと不思議です。

公共の建物とか町中でしたら、他人の耳が気になるので実用上必要でしょう。

個人の家の中に造るのは、実用性と云うよりも、資産家の「ステータスシンボル」として、当時、流行ったのでしょう。

電話室の壁にあった貼り紙です。

警察が2番で、野田の390番はどこなの? 非常用の番号ですから、それなりの処なのでしょう。しかし、警察があって消防がないのも不思議です。

390番は、警察より下、消防よりも上、一体どこなんだ!そこは? 警察が2番とすると、普通に考えると、消防は1番か3番になる筈ずです。謎の390番です。

電話室から奥に進み、台所に来ました。
マホービンに、湯飲み茶碗に、薬缶が沢山並んでいます。この台所も現役です。


飾り気がなく、しっかりと造られた重量感のある食器棚です。この辺りはお金を掛けず、実用性が最優先で造られています。サスガに経営者です。


ガスコンロの台は、焚き口が二つ有り、薪を焚いた竈と思われます。しかし、焚き口の中には何故か?「ゴミ」が詰まっていました。

ここまでは、管理が行き届いていると思っていたのですが、見てはいけないものをを見てしまったようで、残念でした。


台所の先は風呂場になっていました。白いタイルに、紅色のベンガラ入り漆喰壁、「艶めかしさ」を感じます。それにしても「白と紅」の配色は鮮やかです。

壁に取り付けられた、シャワーヘッドがイイです。


洗い場は8畳ほどの広さで、ゆったりとしているのですが、湯船がとても狭いのです。二人で入る・・・・・・別に、二人で一緒でなくてもいいのですが・・・・・・のはとても無理です。

一人はシャワー、一人は湯船に浸かる・・・・・・・そう考えても洗い場は無駄に広すぎます。冬場など、浴室内は暖房でもしない限り、寒くて居られない気がします。


浴室の天井は手の込んだ板張りになっています。


洗面所も広く、洗面台が二つ並んでいます。この造り、懐かしいです。温泉地の古い旅館を思い出します。


床は寄せ木細工の板張りになっています。


台所、風呂場、と書いてきて、水回り3点セットの「トイレ」を見て来るの忘れた事に気づきました。

いつもの「トイレチェック」を忘れたのは残念です。風呂場、洗面所の凝り方から推測して、それなりのトイレの筈です。

あの広さですから2~3ヶ所はある筈です。しかし、気が付かなかったのも不思議です。厠として別棟だった?


茂木邸は見るところが多くあり、楽しませてもらいました。

さぁーてと、次は「郷土博物館」です。


それでは、また明日。

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