昨日は食後のウォーキングも、自転車にも乗らず一日家に居ました。やっぱり、水海道往復が、それなりに身体に応えたようです。
それで、何か無いかと番組表を眺めていたら、NHKBSで『嘆きのテレーズ』が眼にとまったのでした。
事前の知識はまったくなしで、“嘆き”と“テレーズ”の文字から、何となく、こんな日には、気分に合いそうな気がしたのでした。
録画ではなく、放送をリアルタイム視聴です。リアルタイムはやっぱりオジサンには問題でした。上映時間が2時間で休憩?は無しです。
それで、まあ、物語は最初から最後まで、飽きない展開でした。
愛のない結婚、わがままで、病弱で、マザコンな夫、口うるさい姑、変化も無く、愛もなく、だらだらと続く退屈な日々を過ごす、中年を向かえつつある嫁テレーズ。
そんな日々の中で、夫の友人として現れる男性、お約束どうり“その男”に惹かれる妻。互いに愛し合い、新しい生活を夢見るが、夫にその男との“関係を知られて”しまう。
それで、です、この場面“関係を知られて”しまう場面は見ていないのです。トイレに行ってたのです。帰って来ると夫が妻がやり合っていたのです。やっぱりリアルタイムはダメです。
それで、関係修復と云って“思惑”を抱いて夫が3日間のパリ旅行を提案。その途中、列車の中で夫と、テレーズを追って列車に乗り込んだ“男”が口論となり、夫は弾みで車外に突き落とされ死亡。
テレーズは夫は自分が寝ている間に“客室”(コンパートメントで相部屋)から一人で出て行き“事故”にあったことに、二人で示し合わせる。
この相部屋の“元水兵の男”は、テレーズが先に客室を出たことを目撃していたが、警察には寝ていて何も知らないと証言。
テレーズは犯人として疑われるが、証拠も動機も無いとして、結局は無罪放免。しかし、相部屋の男がテレーズの前に現れ、警察には黙っているとして現金を要求。
仕方なく、男とテレーズは現金を渡し、今後は一切この件でカネを要求しないとの誓約書を書かせる。
カネを受け取り外に出た元水兵は、二人の前でトラックに轢かれ死亡。しかし、その男は、自分の身を守るために、時間になっても戻らないときは、裁判所宛てに目撃した事実を綴った手紙を投函することをホテルのメイドに依頼していた。
その場面で、死に際に“手紙が!手紙が!”と虚空を掴み、叫ぶのです。手紙が裁判所に届けば、折角苦労して手に入れたカネを失うとの思いで叫んだのか?
それとも、苦労してかき集めた大金で、自由になる筈の二人は犯人として検挙され、自分は手にした大金を使わぬまま死んでいく、この二つの不幸を恨んでの叫びだったのか?
わたしとしては、折角掴んだ幸運が、呆気なく、突然に、消えていく不条理を恨んだ叫びのような気がしました。
メイドは約束の時間になって戻らないので手紙は、ポストの前で回収に来た郵便集荷係に直接手渡されます。
重大な内容が綴られていることを知らないメイド、手渡された集荷係は“急ぎのラブレターかい?と云って笑顔で受け取るのです。
あどけなさの残るメイドの戸惑いを感じさせる笑顔と、集荷係のからかうような笑顔。ここで、カメラは引いて町の遠景の画面になり“Fin”の文字が浮かぶのです。
まあ、よくある話しと云えば、よくある話しです。ラストの展開は、それなりに意外性があるようで、無いような展開。
と、云うのが、あらすじで、なんだか、だら、だら、書いてしまった。
まあ、それで、この映画はNHKで放送するのですから“名作”な訳です。見終わってから調べてみました。
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監督マルセル・カルネ
1952年制作のフランス映画
翌年のヴェニス映画祭で銀獅子賞を受賞。
原作はエミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』。
テレーズ・ラカン役はシモーヌ・シニョレ
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私は知りませんでしたが、監督も主演女優もフランスを代表するような方だそうです。原作の“エミール・ゾラ”の名前だけは知っていました。
原作が1867年と云う事は、いまから145年も前で、日本は大政奉還で幕藩体制が崩壊し明治時代が始まる頃です。
映画化が1952年で、私が2歳で60年も前の事です。ストーリーはそれなりに原作通りなのでしょう?
145年前の時代背景での“男と女と結婚と嫁と姑”を、60年前の時代背景で描かれた作品。それを、145年後、60年後に観るわたし。
病弱な息子を看病する為に、貧しい娘を引き取り育て結婚させる。そんな事は、いまではあり得ないような話しです。
でも、愛のない、愛の無くなった、結婚生活から、愛を夢見て、別の設定としては、いつの世にもありえる、男と女のお話です。
煩い亭主と姑との退屈な日々。別れたくても、それなりに恩義を感じつつの日々。そこから抜け出しかけて、結局は不幸な結末をむかえる。
でも、計画的ではなく、殺意も無く、過失致死罪?でも偽証罪? 主犯の男は今の日本では、懲役2~3年程度? 共犯?犯人隠避?テレーズは執行猶予付きの禁固2~3年ぐらい?
夫は死に、愛人は殺人者となり、姑は息子の死のショックから口がきけなくなる。周囲の不幸を招いた責任を背負ってこれからの人生を歩むテレーズ。
二人は出所しても、別々の人生を歩む・・・・・・。
でも、しかし、もしかして、“シモーヌ・シニョレ”の演ずるテレーズは、顔つきがかなり怖そうで、精神的にもタフそうに見えるので、なんか、上手く乗り越えて生きていけそうな雰囲気です。
役に対する性格付けを考えてキャスティングするので、テレーズの将来は、あまり悲劇的に考えなくていいとの、マルセル・カルネ監督のメッセージが込められたキャスティグかも・・・・・・。
兎に角、それなりに楽しめた作品でした。
途中手、2回もトイレに行ってしまった。やっぱり映画は録画で観るのが正解です。
それでは、また。
それで、何か無いかと番組表を眺めていたら、NHKBSで『嘆きのテレーズ』が眼にとまったのでした。
事前の知識はまったくなしで、“嘆き”と“テレーズ”の文字から、何となく、こんな日には、気分に合いそうな気がしたのでした。
録画ではなく、放送をリアルタイム視聴です。リアルタイムはやっぱりオジサンには問題でした。上映時間が2時間で休憩?は無しです。
それで、まあ、物語は最初から最後まで、飽きない展開でした。
愛のない結婚、わがままで、病弱で、マザコンな夫、口うるさい姑、変化も無く、愛もなく、だらだらと続く退屈な日々を過ごす、中年を向かえつつある嫁テレーズ。
そんな日々の中で、夫の友人として現れる男性、お約束どうり“その男”に惹かれる妻。互いに愛し合い、新しい生活を夢見るが、夫にその男との“関係を知られて”しまう。
それで、です、この場面“関係を知られて”しまう場面は見ていないのです。トイレに行ってたのです。帰って来ると夫が妻がやり合っていたのです。やっぱりリアルタイムはダメです。
それで、関係修復と云って“思惑”を抱いて夫が3日間のパリ旅行を提案。その途中、列車の中で夫と、テレーズを追って列車に乗り込んだ“男”が口論となり、夫は弾みで車外に突き落とされ死亡。
テレーズは夫は自分が寝ている間に“客室”(コンパートメントで相部屋)から一人で出て行き“事故”にあったことに、二人で示し合わせる。
この相部屋の“元水兵の男”は、テレーズが先に客室を出たことを目撃していたが、警察には寝ていて何も知らないと証言。
テレーズは犯人として疑われるが、証拠も動機も無いとして、結局は無罪放免。しかし、相部屋の男がテレーズの前に現れ、警察には黙っているとして現金を要求。
仕方なく、男とテレーズは現金を渡し、今後は一切この件でカネを要求しないとの誓約書を書かせる。
カネを受け取り外に出た元水兵は、二人の前でトラックに轢かれ死亡。しかし、その男は、自分の身を守るために、時間になっても戻らないときは、裁判所宛てに目撃した事実を綴った手紙を投函することをホテルのメイドに依頼していた。
その場面で、死に際に“手紙が!手紙が!”と虚空を掴み、叫ぶのです。手紙が裁判所に届けば、折角苦労して手に入れたカネを失うとの思いで叫んだのか?
それとも、苦労してかき集めた大金で、自由になる筈の二人は犯人として検挙され、自分は手にした大金を使わぬまま死んでいく、この二つの不幸を恨んでの叫びだったのか?
わたしとしては、折角掴んだ幸運が、呆気なく、突然に、消えていく不条理を恨んだ叫びのような気がしました。
メイドは約束の時間になって戻らないので手紙は、ポストの前で回収に来た郵便集荷係に直接手渡されます。
重大な内容が綴られていることを知らないメイド、手渡された集荷係は“急ぎのラブレターかい?と云って笑顔で受け取るのです。
あどけなさの残るメイドの戸惑いを感じさせる笑顔と、集荷係のからかうような笑顔。ここで、カメラは引いて町の遠景の画面になり“Fin”の文字が浮かぶのです。
まあ、よくある話しと云えば、よくある話しです。ラストの展開は、それなりに意外性があるようで、無いような展開。
と、云うのが、あらすじで、なんだか、だら、だら、書いてしまった。
まあ、それで、この映画はNHKで放送するのですから“名作”な訳です。見終わってから調べてみました。
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監督マルセル・カルネ
1952年制作のフランス映画
翌年のヴェニス映画祭で銀獅子賞を受賞。
原作はエミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』。
テレーズ・ラカン役はシモーヌ・シニョレ
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私は知りませんでしたが、監督も主演女優もフランスを代表するような方だそうです。原作の“エミール・ゾラ”の名前だけは知っていました。
原作が1867年と云う事は、いまから145年も前で、日本は大政奉還で幕藩体制が崩壊し明治時代が始まる頃です。
映画化が1952年で、私が2歳で60年も前の事です。ストーリーはそれなりに原作通りなのでしょう?
145年前の時代背景での“男と女と結婚と嫁と姑”を、60年前の時代背景で描かれた作品。それを、145年後、60年後に観るわたし。
病弱な息子を看病する為に、貧しい娘を引き取り育て結婚させる。そんな事は、いまではあり得ないような話しです。
でも、愛のない、愛の無くなった、結婚生活から、愛を夢見て、別の設定としては、いつの世にもありえる、男と女のお話です。
煩い亭主と姑との退屈な日々。別れたくても、それなりに恩義を感じつつの日々。そこから抜け出しかけて、結局は不幸な結末をむかえる。
でも、計画的ではなく、殺意も無く、過失致死罪?でも偽証罪? 主犯の男は今の日本では、懲役2~3年程度? 共犯?犯人隠避?テレーズは執行猶予付きの禁固2~3年ぐらい?
夫は死に、愛人は殺人者となり、姑は息子の死のショックから口がきけなくなる。周囲の不幸を招いた責任を背負ってこれからの人生を歩むテレーズ。
二人は出所しても、別々の人生を歩む・・・・・・。
でも、しかし、もしかして、“シモーヌ・シニョレ”の演ずるテレーズは、顔つきがかなり怖そうで、精神的にもタフそうに見えるので、なんか、上手く乗り越えて生きていけそうな雰囲気です。
役に対する性格付けを考えてキャスティングするので、テレーズの将来は、あまり悲劇的に考えなくていいとの、マルセル・カルネ監督のメッセージが込められたキャスティグかも・・・・・・。
兎に角、それなりに楽しめた作品でした。
途中手、2回もトイレに行ってしまった。やっぱり映画は録画で観るのが正解です。
それでは、また。