歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

向島百花園で芭蕉の句碑で誤解が氷解で17文字はフリーズドライでした!

2010年07月16日 | 東京の風景

昨日の続きです。

いよいよ園内巡りを始めます。それで、わたし、大きな勘違いをしていたのですが、“向島百花園”は、何故か、“薬草園”だとばかり長年にわたり思い込んでいたのです。

今日のいま、入り口の説明で、“単なる草花園”であることを知ったのです。いつ頃、何処で、どうして、そう思い込むようになったのかは不明です。

たぶん、“単なる草花園”と云うだけで、江戸の昔より21世紀の今日まで、忘れ去られる事なく、未だに、都内の名勝地として、その名を帝都?に轟かす?筈がないと思い込んだのかも・・・・・・。

兎に角、今回、150円の入園料を奮発した結果、長年にわたる誤った知識を訂正できたのです。それだけでも元は取り戻せたた気分、後はオマケの草花鑑賞です。

それで、入って右手奥に、茶店風の建物を発見、何となく冷たい缶コーヒーでもと、


店の前まで来ると、自動販売機はなく、軒先に貼られた品書きには、“甘酒・自家製シロップ・しょうが・梅・水蜜・麦茶”かなりのレトロメニュー。店番のオジサンも役所の戸籍係り風で回れ右でした。


それで、こんな石碑とか、


こんな、これから“つるの絡まる草”とか、


こんな、祠とか、


近所の庭先でよく見かける“こんな花”とか、


何と、これから絡まる、このつるは、


何と、カボチャなんです。カボチャの花や実を鑑賞するのです。これぞ、江戸庶民の“粋”です。一応、このカボチャは鑑賞用の品種だそうです。


そういえば、何となく、食用のカボチャと葉っぱの感じが異なります。


奥には“芭蕉(バナナ)”が植えられ、手前には“芭蕉の句”です。


“こんにゃくの さしみもすこし うめの花”とあります。わたしは、“刺身蒟蒻”と思ったら、“蒟蒻”と、少しの“刺身”と、梅の花を知り合いの墓前に手向けた俳句のようです。


俳句は、作者が眼にした情景、心の中の想いを、17文字に“フリーズドライ”したものを、鑑賞する人は、水やお湯をかけて“元の状態”に戻して味わうのだと思うのです。

が、しかし、よくあるのですが、この句にしても、知り合いだとか、墓に手向けただとか、何処に、そんな、カケラが忍ばせてあるのか、まったく理解に苦しみます。17字以外の情報があって、はじめて可能な解釈だと思うのです。

と、云う事は、俳句は、17文字だけではなく、関連情報を前提として解釈、味わうモノなの? 何て、ことを、以前より思っていたのです。 まぁ、俳句は奥が深く、きっと、いろいろあるのでしょう。

ここで“松尾芭蕉”が出てきましたが、芭蕉は“寛永から元禄(1644年~1694年)頃の人で、“向島百花園”は、文化2年(1805年)の開園ですから、100年余りのズレがあり、芭蕉は向島百花園を知らないのです。

だから、どうした! 芭蕉の句碑を建てちゃいけないのかァ? と云われると、まぁ、それは、それで、特に、問題は、余り無いと、思っております。

でも、何となく、芭蕉がここを訪れて、“蒟蒻の句を”詠んだと思う方も、無きにしも非ずらず。実は、何を隠そう、その一人がわたしなのでした。帰宅後に調べて判ったのでした。

薬草園と云い、芭蕉と云い、いろいろとあります。

兎に角、まだ、園内には、いろいろあるようです。


それでは、また明日。


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