歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

水琴窟と路地琴を向島で考える

2010年07月19日 | 東京の風景
先週からの続きです。

まだ、向島百花園でブラブラしています。

“草花園”ですから、こう云う何だかよく解らない、雑草のお友達のような草花な植えられています。小さくて、地味で、目立たない草花を、そっと心静かに“愛でる”のが、江戸庶民の粋なのです。


この草は何かは、どんな花がさくのでしょうかね。


向島で“花筏”ですよ。もう、名前からして江戸です!粋です! でも、しかし、草花の“花筏”から、そう思ったのではなく、わたしが“花筏”の文字を見て、頭に浮かんだのは“落語”の方の“大関花筏”です。

※落語の花筏について知りたいお方は、ご自分でお調べ下さい。悪しからず。

何だか、よく判らない、しのぶ塚。


何だか、よく判らない、二神石碑。


何だか、よく判らない、石柱。


説明には、“江戸日本橋”の欄干ですが、たぶん模造品?で、書は徳川慶喜と伝えられているとの、よく判らない説明。


草花や、雑草と思しき草の生い茂る園内で、よく判らない、句碑や、石碑を見て廻っていたら、案の定、藪蚊に喰われてしまいました。


藪蚊の攻撃を振り切り、開けた池の畔にでます。


これを、遠目でみて、直ぐに! おぅ! これは、もしや、地上に現れた“水琴窟”と思いました。


近寄ってみると、“路地琴”とあります。あの優雅で、繊細で、日本情緒で、癒しの音を響かせる“スイキンクツ”が“ロジキン”ですかァ? 語感として、何とも、情緒が裸足で逃げだしそうな・・・・・・。

でも、水琴窟の方も、水琴の優雅な響きに対して、その後の“窟”も、よくよく考えると、何だか、変な気がしてきました。窟は、阿片窟とか、悪の巣窟とか、何か、とても、マイナスイメージだったりして・・・・・・・。


まぁ、それは、それとして、柄杓で水を汲み、皿の上の小石に水をかけて、竹の先に耳をあて、琴の音を味わったのです。まさに水の琴、まことにケッコウな音色です。生で聞いたのは生まれてはじめてでした。ここでも、150円の入園料の元をとりました。

それにしても、“ロジキン”は? チョットですから、何か別の名前をと考えたのですが、水琴窟と路地琴の間をとって“路水琴”とか、でも、“ロスイキン”だと、何か“ロシア人”の名前のよう、あれは“コスイギン”かァ? まぁ、そのうちに、考えておきます。

こちらの方は、優雅にのんびり読書です。


遠くにスカイツリーが見えます。


この水瓶は、なかなか下町情緒です。


痒い、痒いで、そろそろ、向島百花園を後にします。


路地伝いに、スカイツリーを目指します。



今日も暑いです。

自転車が、またもパンクしてました。


それでは、また明日。

コメント (3)
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