歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

カガミクリスタルの歴史は日本のクリスタルの歴史でした!

2010年03月26日 | 龍ヶ崎の風景
一昨日の続きです。

“カガミクリスタル株式会社”の正門に立ち、構内を見渡します。左側が工場、右側が駐車場で向かい奥に事務所棟?もしくは記念館らしき建物。


何となく入りにくい雰囲気ですが、記念館を目指し構内に入ります。半ばまで足を踏み入れた処で、左手の工場方向から作業帽に作業服の男性を発見。

「すいません。記念館を見学したいのですが?」
「はい。奥の事務所で鍵を開けてもらって下さい」と、云いつつ、その男性も事務所に向かって歩いて行くので、その男性に続いたのです。

事務所で見学者ノートに、住所、氏名、電話番号を記入し、記念館の鍵を開けて貰います。


遠くからは木立に隠れて見えなかったのですが、事務所の左側に“木造瓦葺き平屋建て”の“記念館”がありました。


想像していたよりも、ちょっとだけこぢんまりでした。右側に二つの小部屋があります。


やっぱり、ガラスはただの透明よりも、赤や青の色ガラスが綺麗です。


こちらは、かなり細工物の色ガラス。


こちらは透明でポッテリとした厚手の器。正面の中程に直径3㎜ほどの“気泡”が一個入っているのですが、どう見ても?どう考えても?デザインとして意識的に入れたようには見えないのですが、何故か“技法”の説明に“気泡入り”と書かれているのです。


気泡を思い通りの“位置”に、思い通りの“形状”で、思い通りの“大きさ”で作ったならば、技法と云えると思うのですが、何となく“できちゃった”ような、そんな感じなのです。

気泡の存在が、作品の価値を高めているようには、とても思えないのです。無い方が、とても作品としてスッキリして良いと思うのです。それとも、ガラスの中に気泡を作るのはとても難しい技術なのでしょうか? 素人目には単なる失敗作としか、どうしても見えませんでした。

それで、ここに展示されている作品を造られたのが、この方、“各務鑛三”さんです。


知りませんでした。こんなスゴイ方だったのです。


「各務鑛三のご紹介」・・・・・・カガミクリスタル(株)のHPより引用

各務鑛三は、昭和2年にドイツに留学し、日本にクリスタルガラスの透明な美しさや、グラヴィール彫刻を紹介した技術者です。その後、ドイツで学んだ技術と努力によって、クリスタルの持つ特性を最大限にひきだし、芸術にまで昇華させました。昭和12年、パリ万国博覧会金賞受賞にはじまり、ニューヨーク万国博覧会金賞受賞、ブラッセル万国博覧会グランプリ受賞など数々の栄誉に輝いた、各務鑛三の人生が、そして<カガミクリスタル>の歩んできた日々が日本におけるクリスタルの歴史であるといっても過言ではありません。

引用終わり

いゃ~、ホント!驚きました。龍ヶ崎にガラス工場が“あるらしい”程度の知識だったのです。単なる、田舎のガラス工場と思っていたのです。それが何と!

“各務鑛三の人生が、そして<カガミクリスタル>の歩んできた日々が日本におけるクリスタルの歴史であるといっても過言ではありません ”と云う、ことだったのです。


もう、こうなると、先ほどの“気泡”も単なる偶然の産物や、失敗ではなく、正しく、意識的に、綿密に計算されたデザインだったのでしょう。でも、やっぱり、何か、ちょっと。

兎に角です。トンデモなくスゴイ方、スゴイ会社だったのです。

これは、もう、襟を正し、姿勢を正し、身を引き締め、拝見させて頂きます。

でェ、この先は、次回とします。


それでは、また来週。



コメント
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