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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画“母べえ”で想いをめぐらす② -獄死ではなかった-

2010年03月04日 | 映画の話し
昨日の続きです。

それで、ドイツ文学者で、元帝大?教授の父の滋は、1940年の2月に「行政執行法」に基づく「予防検束」で警察の留置所に入れられるのです。

真冬の2月、日の出前の気温が一番低下する早朝5時、妻と娘の前で縄を掛けられ警察に連行されるのです。裁判所の許可なく、警察の判断だけで身柄拘束が可能だったのです。


刑事が「奥さん、今度は長くなるよ」と云って滋を連行して行きます。


縄で縛られ連行される父、どんな悪い事をしたのか、まったく理解できず、ただ不安そうに見つめる“初べえ”と“照べえ”の姉妹、恐い時代だったのです。


そして、この朝を最後に“父べえ”は生きて家に戻ることは出来なかったのです。

ホントに恐ろしい時代です。他人を騙したとか、モノを盗んだとか、危害を加えたとか、殺害したとか、そのような行為を裁くのではなく、“考え方”が裁かれたのです。

時の権力が決めた「方針・政策」に反対する事が、犯罪とされ、身柄を拘束され、自由を奪われ、肉体的、精神的な苦痛を加えつつ、強制的、暴力的に、考え方を変えさせたのです。

“父べえ”は留置所の劣悪な環境で、髭も髪も伸び、入浴も出来ず、躰は悪臭を放ち、皮膚はノミやダニに喰われ、体力も衰える、が、しかし、それでも、絶対に考え方を変えないのです。

立派と云えば、立派なのですが、可愛い子供のこと、愛する妻の事を考えれば、いくらなんでも、そこまでは・・・・・・、と思ってしまうのです。

戦争の歯車は廻ってしまったのです。あなた独りが、どう頑張っても、どうにも止まらないのです、偽装転向でも、偽装でない転向でも、もう、何でもいいから、検事の云う通りにした方が・・・・・・と観ていて思ったのです。


ふつうの人は、そうしてしまうと思うのです。しかし、“父べえ”は、ふつうの人ではなく、最後まで、命をかけてまで、自己の信念に忠実だったのです。

偉くて、立派で、スゴイ人だと思うのです、が、でも、残された家族の事を考えると、何とも、やりきれないのです。


でも、また、権力の脅しに屈服し、考え方を変えることで、身柄の拘束を解かれたとしても、精神的、肉体的脅しにより、自己の考え方を変えた事実は、その後、精神的苦痛を一生涯背負い続け、生きていく事になる訳です。

どちらも、辛い選択です。でも、身体的な苦痛よりも、精神的苦痛の方が、人間として耐えられないかも知れません。

肉体的苦痛に耐え、立派な父として、信念を曲げず、結果として命が絶えたとしても、ある意味で、それなりに、納得できる選択かもしれません。

どちらにしても、そんな恐ろしい選択を迫る時代は、勘弁してほしいと思うのです。まぁ、私のような、普通の庶民が、その時代に生きていたら、一回ぐらい警察に拘束されたら、二度とそのような事はしないと思います。

“父べえ”は、帝大の教授で、ドイツ文学者の知識人です。普通の人ではないのです。知識人はそれなりの、信念と、根性と、度胸を持って、世の中の先頭に立って貰わないと困るのです。

それで、映画を見終わって、ちょっと調べてみたら、この“母べえ”には原作があり、著者は、映画スクリプターの“野上照代(映画では妹の照美)の、実話に基づくドキユメンタリーだそうです。


それで、実際には「父べえ」は“獄死”していなかったのです。と、云う事は、考え方を変えないで、精神的、肉体的苦痛に耐え抜き、敗戦後、占領軍により解放されたのでしょう。転向して生き延びたとしたら、映画の主役として描かれることはないでしょうから。

やっぱり、“父べえ”はスゴイ方だったようです。

それにしても、この映画は、何で、2005年に制作されたのでしょうか?


それでは、また明日。

※今日は朝から昼チョット前まで外出していたので更新が遅れました。明日も早朝(日の出後)から昼過ぎまで外出しますので、もしかしたら、更新できないかも知れません。

コメント (1)
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