歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久の宿 “踏切の哀愁”そして“ヘッドライト”

2009年06月08日 | 女化道標問題
先週の続きです。

道路工事現場を過ぎると、ちょっとした登り坂になります。ここまで、実際には車の往来はかなりあったのですが、なるべく撮さないようにしていました。


坂を登りきった処で、ほとんど全ての車が右折しています。


この奥に、学校や、新興住宅地があるようです。先ほどの道路工事は、その辺の交通量の変化に対応する為だったようです。


こちらは、右折はせず直進し牛久宿を目指します。このあたりから、やっと“水戸道”の風景になってきました。

この感じです、数年前に通ったこの道は、ずっこんな風景の連続でした。あの時は、暗く、狭く、人通りもなく、車の往来もなく、寂しい道でした。


知らない道を、はじめて通るとき、何処に出るのか? 知っている道と何処で繋がるのか? 不安感と期待感の“ごちゃ混ぜ感”がたまりません。遠くに踏み切りが見えてきました。常磐線です。


踏切はいいです。遮断機が下りて警報機が鳴る、遠くから迫ってくる列車、目の前を通過する時の重量感、スピード感、吸い込まれそうな恐怖感、そして、通り過ぎ消えていく赤い尾灯・・・・・・・。

もう、これは、哀愁です! もうこれは“三橋美智也”です! “哀愁列車”です!

哀愁列車  三橋美智也


そして、新沼謙治の、この曲、北に帰る歌もいいです。彼の曲ではナンバーワンだと思います。

ヘッドライト-新沼謙治


今日は月曜日、肌寒く、外は暗く、そぼ降る雨・・・・・・、こういう時は、哀愁が恋しくなるものです。


それで、この踏切、“銅像山踏切”と云うそうです。銅像山? どの山が銅像山?銅像がある山? いわゆる銅像風?の形をした山? 辺りを見回したのですが、何だか良く判りのせん。


佐貫から牛久まで、長い直線が続きます。地平線に続く線路、ずっと、ずっと行くその先は“陸奥”です。


線路と平行する国道6号線、通称“水戸街道”です。旧水戸街道と新水戸街道がここで合流します。


踏切の直ぐ先、二股の信号を左りに入ると、旧街道は“牛久の宿”になります。


この先、ゆるやかな坂を登ると牛久宿に到着。


宿場の面影を漂わすのは、この立派な塀と門構えのお宅です。明治天皇が休憩した事があるそうです。いわゆる本陣ではありません。


以前、聞いた事がありました。牛久近辺の草原で行われた、陸軍の軍事演習を明治天皇が視察?観閲?した事があったそうで、その時に立ち寄ったのかもしれません。

こちらが、入り口が狭く、見落としてしまいそうな正源寺。山門に立つ、石造りの仁王様。かなり強そうです。


これで、やっと、牛久宿に到着しました。

女化道標から、水戸道を目指し、そして若柴宿に向かい、そこから、いったん水戸道を引き返し、牛久宿までを辿る“シリーズ?”でした。

週のはじめに終わるのは、何となく変なので、あと一回だけオマケを付けます。

次回は、ホントに最後のオマケの回です。


それでは、また明日。


コメント (2)
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