歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“阿弥陀堂だより”で頭がボンヤリしています

2009年06月18日 | 映画の話し
昨晩と云うか、今日の早朝と云うか、録画していた映画“阿弥陀堂だより”を見たのです。

映画は、NHKの“BSh”で昨日の夜9時から11時半過ぎまでの放送でした。この時間、通常、睡眠時間に入っているので、録画して後日観るつもりでした。

それが、昨晩、12時過ぎに目を覚まし、何となく気になって、テレビをつけて録画を観てしまったのです。

ちょっと“さわり”だけ観るつもりが、最後まで観てしまいました。見終わったのが3時近く、そのまま朝刊を見て、再び寝たのが4時を過ぎてからです。

朝はいつもの時間の6時に起きて朝食を摂り、朝の連続ドラマを見て、新聞の読み残しに目を通し、さぁ、ブログの更新と思って、何を書こうかと迷っているのです。

寝不足のボンヤリ頭で暫く考え、やはり印象の消えないうちに、「阿弥陀堂だより」の感想でも、綴っておこうとなったのです。

それで、何で、夜中に見続けてしまったのか、考えたているところなのです。映画の登場人物は、みんないい人ばかりです。

舞台の信州の山奥の村は、素晴らしい自然に恵まれ、四季の映像も、とても、とても、美しいのです。

“いい人達と美しい自然”に包まれて、都会の暮らしに疲れ、心を病んだ人が、癒され、恢復していくストーリーは、観ている側も心地よいのです。

医療の最先端で活躍し、疲れ果て心を病んだのが、旦那ではなく、奥さんなのです。これは、原作者が女医さんだからそうなったのかも、たぶん。

旦那は、若いときに小説を書き新人賞をとったのですが、それから、まったく、鳴かず飛ばずで中年を迎え、二人で故郷の村に帰って来たのでした。

旦那が食事の支度をする風景、この旦那にすんなり感情移入ができました。寺尾聡が演じているのですが、だいたいこういう役が似合うのです。

それにしても、彼は若い時から、ずっと、ずっと、私生活でも、演じるときも“無精ひげ”スタイルを通しています。髭の無い彼は、いつか、何かで見た記憶があるのですが、かなり“のっぺり”していました。

無精ひげスタイルには、個性とか、深みとか、重みとか、陰影とか、複雑さとか、味わいとか、そんな役割が・・・・・・込められている?

まぁ、それにしても、寺尾聡はお父さんに、表情と云い、しゃべりと云い、仕草と云い、とても似てきました。

それで、映画の方ですが、世の中、みんな疲れている、名誉だとか、地位だとか、富だとか、そんなものは儚いもの、邪魔なもの、もっと、ゆっくり、自然のなかで、自然に任せ、穏やかに、のんびり、気楽に暮らす・・・・・・・。そんな、メッセージでしょうか。

私は、疲れ果て心を病むほど働いては来ませんでしたから、働き過ぎて心を病んだ方の気持ちは分かりません。

この映画を観て、感動する方たちは、そのような疲れた方なのでしょうか? この映画を観て、都会を捨て自然に包まれた古里に帰り、野菜や米を作って暮らそうと思うのでしょうか?

兎に角、この映画は、それなりにヒットしたようです。皆さん、“いいお話”を望んでいるのでしょう、みんな疲れているのでしょう。

この映画を観て元気になり、そして、また、結局、浮き世の“しがらみ”の中に戻っていくのでしょうか?

まぁ、そんな事は、ねェ。兎に角、やはり、夜中から早朝まで、見続けてしまったのは、やはり、二人の変化を見届けたかったからでしょう。

村の豊かな自然、優しい人々、可愛い子供達、奥さんも元気になり、病院も順調で、診療所も新しく建設されることになり、そして、43歳の奥さんが子供を授かります。

阿弥陀堂の婆ちゃんから、聞き書きをして村の広報誌に“阿弥陀堂だより”を書いていた助役の娘が病に倒れるのですが、奥さんの治療の甲斐があって恢復。

ラストシーンは阿弥陀堂の前で、みんな笑顔で記念撮影でした。

見終わって、安心して眠ろうとしたのですが、いつものように朝刊に眼を通してしまい、結局、寝たのが4時過ぎになってしまいました。

ここまで、書いてきて少しは頭がハッキリしてきました。昼食の後で昼寝をすることにします。

それでは、また明日。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする