歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

下山事件は失敗だった!

2008年09月09日 | 下山事件
昨日の続きです。

私・・・それで、警察の捜査だけど、7月に事件が発生して、その年の12月31日で、結論を出さないで、捜査本部は解散してしまった。

B氏・・・こんな重大事件なのに、結論なしで解散なんてかなり変じゃない?

私・・・そう。大いに変なのです。翌年の2月に「文藝春秋」と「改造」と云う雑誌に捜査報告書が掲載されたんだ。

B氏・・・何で雑誌発表なの? 内容は?自殺?他殺?どっち?。

私・・・明らかに警察側の意図的リークだと思う。報告書の内容は自殺と結論付けている。

それで、捜査なんだけど、警視庁の捜査1課と、捜査2課の合同捜査だった。1課は殺しが専門、2課は知能犯が専門。

1課は、現場の状況から自殺説で捜査しており、2課は他殺説だった。報告書は1課の見解でまとめられている。

B氏・・・自殺説でも他殺説でも、どっちでもいいけど、何で捜査が途中で打ち切られ、何で捜査結果が非公式の雑誌発表だった訳?

私・・・ここにも謀略の匂いがあるのです。事件が発生して、直ぐに、官房長官や、国鉄の副総裁が、他殺の見解を表明し、背景に労使紛争があることを匂わせ、暗に共産党、国鉄労組の犯行であると、世論を誘導していった。

B氏・・・それなのに、何故、自殺説なの?

私・・・そこです。そこで、松川事件、三鷹事件なのです。下山事件の後で連続して発生したこれらの事件では、労組員が逮捕され一審、二審で判決は死刑。共産党に対するイメージダウン、左翼勢力から世論を引き離すのに成功している。



B氏・・・最初の下山事件は、匂わせるだけで労組員の逮捕は無かった。

私・・・そう。一連の事件は謀略だったと思うけど、下山事件は犯行側に何らかの行き違いが生じ、当初の計画とは異なる展開となってしまった。ある意味で失敗だった!

B氏・・・失敗とは?

私・・・下山総裁を殺害する意図は犯行側に無かった。結果として死亡させてしまった。これが正解だと思う。

松川、三鷹の事件で当初の目的は達成されたことで、下山事件はもう、どうでもよかった。兎に角、早く終結させたかった。

それに、他殺の線で動いていた二課の捜査が進展し、労組員犯行説に綻びが生じる危険性が高まった。

そこで、捜査を終結させ、公式には報告書は発表せず、一課の見解に沿った自殺説を非公式に発表して、下山事件を“終了”させたのです。

B氏・・・そういう背景での非公式発表であり、自殺説の訳。それと、誤って死に至らしめ、その結果により、自殺に“見せかける工作”をしたと。

私・・・そういう事です。巧妙に仕組まれた事件と云うよりも、かなりのドタバタがあり、いろいろな場面で情報機関の影が見えてしまった。

自殺、他殺の両方を匂わせ、捜査を混乱させた謀略の成功例ではなく、偶然の出来事が、幾つも重なり、恰も複雑に仕組まれた謀略工作に見えただけだった。

幾つもの偶然が重なった事件は、複雑に仕組まれた事件よりも、複雑怪奇に見えるのです。

兎に角、当時、占領軍に焦りがあった。共産勢力との戦争が目前に迫り、先ずは国内の共産勢力を排除し、そして、国外の共産勢力と闘う。



B氏・・・事件の背景説明はそれなりに判ったけど、どんな事実から、“失敗”だとの結論になったの?

私・・・うん。下山総裁を殺害する意図は犯行側に無かったと思うのは、一つには死体に残っていた血液の量が少なかった事。そして、股間の傷にだけ生活反応があった事。

B氏・・・血液の量が少ない? 生活反応? 何それ?

私・・・ここからが、かなり具体的な轢断現場での死体の状況等に、踏み込んで行くわけです。

捜査一課は現場の状況を見て、直感的に自殺だと思ったらしい。当時の捜査員がそんな証言をしている。

捜査二課は、死体に出血・炎症性反応など生存中の外傷反応が無い事から、死後にひき殺されたとの“検死結果”を発表した。

この検死結果に基づいて、二課は他殺の線で捜査を進めた。

血液が体内にほとんど残っていなかった事、現場にも流失した血液は見当たらなかった事、そして、股間にだけ生存中に生じた出血反応が確認されている事。

と、云う事から、下山総裁は“拷問”されていた可能性が高く、股間の出血反応は拷問中に蹴り上げられた事による外傷であり、体内の血液量が少なかったのは、少しづつ血が抜かれていった為だと思う。

B氏・・・何か、段々、陰惨な場面が想像されるけど、拷問と云う事は、何か隠し事を白状させるとか?

私・・・そうじゃ無くて、下山総裁の主張を変えさせる為の拷問だった。

B氏・・・それって、どんな主張?

私・・・それは、首切り合理化に対する人数と時期だと思う。占領軍はあくまでも国鉄の合理化は、対共産勢力との戦争体制を作る為の一環であり、時間的にも急いでいた。

それに対して、下山総裁は単に国鉄再建の為の、単なる合理化策と捉えていた。その辺のズレが占領軍を苛立たせたのだと思う。

B氏・・・それなら、首切りの意図をじっくり話して、理解させれば問題ないと思うけど、ふつう、そんな事で拷問までする? 

私・・・占領軍のトップは戦略的な思考をするが、実際に国鉄の経営を監督指揮していたのは、アメリカの地方鉄道の末端管理者だった。

B氏・・・トップの意志を充分に理解できず、兎に角、首切りの人数と時期を焦っていた。

私・・・そういう事。下山総裁は技術畑の“鉄チャン系”の人で、それが、不幸を招いたと・・・・・・・・。それで・・・・・・

と云うところで、今日はお終い。


続きは、また明日。



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