ドメニコ・ヴェネツィアーノの聖母子。
今日はここまで。
彼の聖母は美しいが彫り浅く、世間普通の未成熟な少女がある瞬間に垣間見せる、非人間的なつめたさを湛えるように私には見える。慈愛よりもむしろ、高貴な表情だ。
見つめていると、幼い少年や少女は、喜怒哀楽の移り変わるはざまに、しばしば真空のような無表情を浮かべる。それは成熟した大人にはない空白、あるいは余白のような顔だ。まだ言葉や情報の雑多で汚されていない空白。
そうした表情の真っ白な隙間を埋めながら、少女少年は成長してゆくのかもしれない。
感謝。