市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

花の雨きよらに降りぬ御母とおさなごのごと街はあかるし

2018-04-14 21:20:42 | Weblog

ドメニコ・ヴェネツィアーノ、1500年。

ペンドローイングによるアンテルプレット。


花のサンタマリア。





今日のすべてに感謝。





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アクアの怪我

2018-04-13 19:42:45 | Weblog
しばらく前、我が愛猫アクアは、こんな目に遭った。

誰の仕業だろうか。

どんな経緯かわからないが、無垢な生き物を。








アクアは怯えて数日竦んでいたが、幸い、アクアの傷は治った。

神さま、と私は何度も心に呟いた。

毛を毟られながら、アクアは何回泣き叫んだろうか?

こんなことができるとは、どれだけ心優しいひとの所業だろうか。

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磁器のごと翳り離るる聖母子を刻みし画工想ひつつ描く

2018-04-11 22:05:51 | Weblog
ドメニコ・ヴェネツィアーノの聖母子。

今日はここまで。


彼の聖母は美しいが彫り浅く、世間普通の未成熟な少女がある瞬間に垣間見せる、非人間的なつめたさを湛えるように私には見える。慈愛よりもむしろ、高貴な表情だ。


見つめていると、幼い少年や少女は、喜怒哀楽の移り変わるはざまに、しばしば真空のような無表情を浮かべる。それは成熟した大人にはない空白、あるいは余白のような顔だ。まだ言葉や情報の雑多で汚されていない空白。

そうした表情の真っ白な隙間を埋めながら、少女少年は成長してゆくのかもしれない。





感謝。





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玲瓏97号 西風の見たもの

2018-04-10 09:49:20 | Weblog







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感傷の混じらぬ水は透きとほる過去の時間を旅して来たり

2018-04-08 21:12:13 | Weblog


時の流れに





これは数年前に「未来」に掲載された。





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春騒(さや)の海風聞こゆうなじより腕より萌ゆる空の新緑

2018-04-07 14:18:08 | Weblog


春風に


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ひと日ごとに我が子さながら名をつけぬたとへば陽毱けふは綾鳥

2018-04-05 21:43:50 | Weblog

庭の白薔薇が美しく咲いた。








ネージュパルファムというこの品種は匂い勝り、花の姿はちょっと劣るそうだが、ずいぶん佳いかたちに開いた。


晩春から夏にかけては、薔薇のさかり。

館山は自然な野花も豊かに目を楽しませてくれる。


今はオレンジ色のポピーが満開。多分仏蘭西で与謝野晶子が歌った花。



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桜見てひとつの秘密片付けぬ白磁と想へばゆめも乱れず

2018-04-01 20:38:00 | Weblog


繚乱の桜を見て。


久しぶりにまたドローイングを始めた。


やはり15世紀のイタリアイコンだが、このマドンナは、中世の抽象的な様式のためか、可愛い東洋人のように柔和な彫りの顔立ち。





ゆっくり描こう。


感謝。





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アルファポリス