昨日は、夫とわたしとの記念日だった。
夕方、仕事から戻ると、テーブルの上に薔薇の花束と、リボンのかかったちいさなプレゼント。
CRABTREE&EVELYNのウィステリア(藤)石鹸。
ぜんぜん予想もしていなかった、この贈り物、びっくりしてしまった。
お祝いの席だけ予約し、それ以上は考えていなかったわたしは、うろたえてしまい、今夜の食事代をわたしがもつことにしたい、と言った。
「気をつかわなくていいよ」
夫は頬のはしっこのほうだけ緩め、照れたように笑う。
「何にも準備してなかったもの、わるいわ」
「お雪さん、想定内だよ」
あっさりと言われて、しゅんとする。このひと、おとなになったなあ、と。
ひとの縁なんて不思議なものだ。このひとと他生のゆかりあって夫婦となり、波風多々の月日を過ごしてきた。
芯の太い、おだやかな性質の彼に、わたしはどれほどか助けられたろう。
椿さんとのパートナー関係、微妙なところだろうに、彼は認めてくれた。
「人生でだいじなこと」と。
わたしはいつまで「雪香」でいられるかなあ、と迷うことたびたび。
椿さんがわたしに伝えてくれたものを、どんなかたちであれ、生きているかぎり育て続けることが、椿さんとわたしとの芸を通じての絆と思っている。
わたしが結婚したからといって、それで技芸を手放してしまうとしたら、それこそかえって椿さんの意志を損ねることではないだろうか?
椿さんが、自分だけのパートナーとして存在するために雪香を育てたのだとしたら、わたしという主体は、どこにあるのだろう?
わたしは道具ではない。
迷ったり、考え込んだり、よじのぼったり、乗り越えたり、さまざまな曲折のなかから見出されてくるひとそれぞれの人生の時間の堆積を、誰が、どう憶測し、評価できるというのか?
……
わたしの夫については、支障があるといけないので、あまり語れない。
彼は、男性にしてはめづらかなことに、藤いろや、銀青色、さまざまなグレイの微妙をこのむひと。
それはわたしにはうれしい。
彼の選ぶ色彩は、わたしの視覚とは、やや明度がちがうけれど、こういう静かな色味を好いてくれる、そんなささいなことも、縁を結ぶきっかけになるものかもしれない。
と思って、文章を読み進んでいくと、そうだったのね。としみじみ。
そして、もう一度歌を読み返し、再度文章を読んでみる。
静かな、それでいて様々な葛藤の痕跡が見える。
素敵な旦那様にめぐり合えて、ほんとうに良かったですね。
大事に日々を紡がれますように。
大切な記念日心よりお祝い申し上げます。
そしてとこしへのさきはひをお祈りしております。"Life is what happen to you whie you are making some plans."(人生とは何かを計画中に起こる別の出来事のこと)
海はほんとうに時々刻々と変化します。
秋の海、静かで好きなのですが、おだやかな凪の海面をみつめていると、水というもののはかりしれない大きさ、エネルギーをふかぶかと感じます。
あの水のなかで、さまざまな水流がめぐりあい、からみあって、離れ、また揺らぎもどり、ある流れは、ついに大きな潮路となって、外海へとひらかれてゆく。
そんなことを思います。
心のこもったコメント、ありがとうございます。いつもうれしいです。
人生において偶然はなく、すべてが起こるべく「用意」された必然、というようなことを、とてもたくさんの哲学者、心理学者、はては遺伝子工学の研究者までがお云いのようですね。
そんなことを考えると、こわくもあり、また、くじけないできりっとしていなくっちゃ、とひきしまるような気持ちになります。
一見、てんでばらばらに思える日常の事件や出会いが、あとになってみると、複雑な刺繍や織物のように、それぞれの人生を綾なしている。
それは人知を超えたことなのでしょう。
自分が今できることを、おぼつかなくても、日々少しずつこなしつゆこうと思っています。
わたしの歌は、おおかたは日常とは違う空間を設定して詠う虚構なのですが、たまに、こんなふうに夫への感謝として詠います。
笹百合さんも御学業がんばってください。
卒論、秋から追い込みでしょう?
何時もお裾分けして頂いている気がします。
お二人のお話も。ぎゅうって。はかりようもないけれど嬉しくなります。
今聞こえること 今触れているもの 僕は 何時まで憶えてられるのかな
心のなかで、いろいろさまざまに反映して、照り返し、遠く淡く、また色合いをふかめたりしながら……追憶は……思い出は色褪せないでしょうね。
だいじなことです。
いつまでもスナフキンさんの心を保っていてね。
アリガト。