市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

人の住む柔き匂ひのほのぼのと庭耕せば家に馴染みぬ

2021-10-20 21:09:00 | Weblog

 昨日今日、小さな庭のあちこちに、薔薇とクロッカス、水仙、チューリップ、フリージアを植えた。

 母が元気な頃は、狭いながらも夏野菜を育て、玉蜀黍やピーマン、胡瓜に茄子など結構な収穫があったのだが、透析が重くなり、運動できなくなるにつれて、庭は荒れていった。

 目にする風景は心の陰翳に影響するので、空っぽの庭の手入れを始めた。

 庭土に直植えの薔薇は色とりどりで、中輪、大輪合わせて6株。いったん根付いてしまえば、よほどの炎天でないかぎり、水遣りなどあまり心配がない。
 これからどんな生活スタイルになるのか予測がつかないので、手のかかる植物は育てられない。

 日向にはコスモスやマーガレットをたくさん咲かせたいのだが、すっかり痩せて硬くなった地面では無理だろう。秋冬の間に、少しずつ耕してみようと思う。紫陽花もいい。日蔭の痩せ土でも紫陽花、ことに山紫陽花は逞しく育つから。

 そんなことで一日が過ぎてゆく。

 










 午後は永井荷風の「濹東綺譚」を再読した。ここ数ヶ月、山﨑豊子さんの華麗重厚な長編世界に浸かっていた頭には、軽く爽やかで、物悲しい懐旧譚だった。人生の終盤を自覚する主人公の大江匡=作者と、今の私はほぼ同じ年齢。ほろ苦い初老の自覚をくれる。
 58歳の大江は、26歳のお雪さんと深間になる。娼妓と客の関係とはいえ、紡がれる情緒はこまやかで、利欲の粘りがない。永井荷風の墨東は修羅のない世界だ。山﨑さんのテーマとは真逆の主題を永井は選ぶ。

 二重生活のおかげで、気ままに好きな本を読める。

 感謝。


 
 
 
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