世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
死を賭して
ロンドンでテロが起きた。おかげで、しばらくイギリスには行けなくなった。
ここ数年、私の置かれた環境は何も変わらなかった。私は私にできるだけのことをした。私の現状を打開できるのは、もう私ではなくなった。私は、私の事情ではない事情のせいで、私の現状を打開できずにいた。私には待つことしかできなかった。
それでも私は恵まれていた。数ヶ月くらい前から、私は絵を描き始めた。と同時に、海外に行きたいと思うようになった。私は多くを望んだわけではない。ただ、置かれた環境を変えることができないなら、せめて、見たことのない、真新しい世界を、見てみたかったのだ。
この夏は、我儘を通せばそれが可能だった。のに、テロが起きた。……何かを望むと、いつだって邪魔が入る。結局私には、絵を描くことしかできない。
「テロは許せない」とか「テロリストの気持ちが分からない」とかいう声をよく耳にする。簡単すぎて、何も言っていないと同じに聞こえる。無難な分、実のところはただの偽善でしかない気がする。
「テロの犠牲者の冥福を祈る」と言う人たちは、同じように、アメリカ軍に殺された戦争の犠牲者の冥福を、いちいち祈っているのだろうか。
家族を殺され、故郷を焼かれた人々が、生きることへの絶望の果てに、命を投じて敵に復讐する。そこまで追いつめたのは誰なのか。敵ではないか。
嘘っぱちの言いがかりで、テロを助長、育成する戦争を仕掛けたアメリカに、賛同したのはイギリスだ。イギリスがイエスと言わなければ、アメリカが単独で戦争に踏み切ることができたかどうか、疑わしい。
終焉に向かうアメリカの覇権の、最後の凶暴な足掻きに、イギリスは付き合ってはいけなかったのだ。そして、テロへの警戒云々の前に、アメリカを批判してさっさと戦争から離脱すべきだったのだ。
もちろん日本も同罪だ。
鉄鎖のほかに失うものが何もない人々とは、もはや、イギリスの労働者たちではなくなった。私は、「故国の行方に責任を持て」と言う人たちを、久しい以前から信じることができない。世界には、より自由な生活を営む人々が存在するし、より困難を抱える人々も存在する。人間である以上、より自由を求め、より困難な状況にある人々の力になろうとするのに、何を避けるのか。
まず自国に枠を置き、その枠内でものを考え、行動しようとすることは、私にはできない。この国には、大した困難もない代わりに、真の自由もない。
なのに私は今、この国に閉じ込められたまま、絵を描くくらいしかできることがない。
画像は、グドール「アラブの学校」。
フレデリック・グドール(Frederick Goodall, 1822-1904, British)
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