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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

芽むしり 仔撃ち

2008-10-16 | 風のかたち
 
 大江健三郎「芽むしり 仔撃ち」を読んだ。
 すっかり文学にハマッている相棒、大江を読んで大感激し、これを読め、読め、読めと百回もせっ突く。ので、読んだのだが、確かに、詳しい評価抜きに、これは物凄い小説だ(多分)。

 舞台は戦争末期の僻村。感化院の少年たちが集団疎開のために到着したその村では、折りしも疫病で死者が出る。疫病を避け、村人たちは少年たちを放ったまま村を出る。取り残された少年たちは、閉ざされた村で、朝鮮人の少年や脱走兵とともに一途に暮らし始めるが、やがて村人たちが舞い戻り……、という物語。

 戦争という狂気の状況が、戦場だけではなく、戦場から離れた人々の日常の隅々にまで浸透している事実が、鋭く淡々と描かれている。
 感化院の少年たちという、社会から疎外された位置にある彼らは、大人たちのいなくなった村で、原始共産制のような生活を始める。少年たちの自由の謳歌、粗い友情と連帯感。そこに、朝鮮人少年と脱走兵とが加わる。彼らは皆、社会から烙印を押されて拒絶された者たちなのだが、その彼らが、人間の本来あるべき最も単純な社会性を体現しながら暮らしていく。

 隔離された村で共同生活を営む少年たちは、子供特有の動物的な純粋さ、残酷さを持っている。なかでも主人公の少年は、疫病で母を亡くして村に置き去りにされた少女と、感化院とは関係のない弟と、弟が可愛がる犬との存在によって、その純真さが際立つ。
 狩猟と、それを祝う祭りとによって、この崇高な原始性はピークを迎え、主人公を取り巻く少女、弟、犬を見舞う出来事とともに、一気に粉砕されてゆく。人々は終始、疫病という形のイデオロギーに翻弄される。……読みにくい文体で綴られる重くて暗い物語が、韋駄天のテンポで進むのは圧巻。 

 少年たちの無垢な理想は、帰還した大人たちによって、呆気なく踏み潰される。大人たちは無知で臆病であるのに狡猾で、少年たちは傷つき、飢餓に、人情に屈服しなければならない。一人、すべてを失った主人公だけが反抗を続けるが、その先に展望はまるで見えない。逃れ得ない権力というものへの服従に、やるせなさだけが残る。
 社会の縮図のような少年と村人との関係。特異な舞台設定なのに、そこで起こる出来事は妙に身近に感じられる。

 ところで相棒は、性をドライに捉えるべきだという大江の主張に、大いに賛成するのだが、私は、大江の性の描写は、あんまり好きじゃないな。あまりに動物的で、ちょっと醜い。

 画像は、ムリーリョ「サイコロ遊びをする少年たち」。
  バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
   (Bartolome Esteban Murillo, ca.1617-1682, Spanish)


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