世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
ドラマフリーの謳歌
デンマークの芸術家村スケーエン。19世紀後半、貪欲に進む都市化・産業化の反動として、自然に根差した生活への回帰を志向する、このような芸術家村は、スケーエンに限らず欧州各国に生まれた。そこに集まった画家たちが目指したものは、自然主義の哲学と、真実の描写。村人たちの労働、生活、風土などを、戸外の光のもとで、筆の力で捉えて描く。
好んで強調されたものは、文明とは対極の、単純で粗暴で野蛮で無骨で下種で賤劣で醜悪な、つまり原始的なもの。これが、描かれるべき「自然」とか「真実」とかの内実だとすれば、ある種の、醜化ならぬ美化と言えなくもない。あくまで文明を知っている人間、文明に身を置く人間の、原始への憧憬。
が、その地で生まれ育った人間にとっては、どんなシーンも「自然」で「真実」なのだろう。アナ・アンカー(Anna Ancher)は、スケーエン派のなかで唯一、スケーエン出身の画家。だから彼女の絵は、美化も醜化もあまり感じられない。
実家はスケーエンの宿屋。スケーエンは風光明媚な漁村で、以前から芸術家たちがぼちぼちと訪れていたのだが、19世紀終わりに鉄道が敷かれてからは、そうした訪問はにわかに増大する。彼らは産業化・都市化への反動から、単純素朴な田舎の生活を求めてやって来たのだった。
そうした芸術家たちの溜まり場となった宿屋の娘が、自由だの創作だのの主義のもとに芸術家たちに弄ばれることなく、実直な画家の一人と結ばれたのは、幸せだった。15歳だったアナは、宿に滞在していた画家、ミカエル・アンカー(Michael Ancher)と知り合って恋に落ち、秘密裡に婚約。アナ自身も実直な画家で、以降、この夫婦はドラマフリーな、危なげない結婚生活を送り、生涯を添い遂げた。
画家に囲まれて育ったアナは、早熟な才能を発揮し、コペンハーゲン、さらにパリでもデッサンを学ぶ。パリでは、後にスケーエン派の代表的画家ペーダー・セヴェリン・クロヤーの妻となったマリーと一緒だった。
ゴシップの種となるような派手な女性ではなかったが、既婚女性は家事育児に従事すべしという、既存社会の暗黙の圧力については、柔らかく払いのけ、画業にも従事し続ける。アナは画家というよりも、地元民が画家となり、相変わらず隣人たちと親交を保ちつつ、絵も描いていた、という感じなのだ。
テーマは漁師の妻子たちが営む室内での日常。テーマ自体は、日常こそドラマなり、という美徳めいたものだが、彼女の描く関心は、光と、光を受けて変化する色彩との探求にある。これが、彼女の絵を絵画たらしめている。
この、光と色が作用を及ぼす室内情景、あるいは室内情景という素材に映る光と色彩を通じて現われる何某かの真実、という描写は、後の北欧モダニズムに新しい表現を開いたという。
画像は、A.アンカー「陽の当たる青い部屋」。
アナ・アンカー(Anna Ancher, 1859-1935, Danish)
他、左から、
「厨房のメイド」
「夜のお祈り」
「収穫」
「クレマチスのある部屋」
M.アンカー「野から帰るアナ・アンカー」
ミカエル・アンカー(Michael Ancher, 1849-1927, Danish)
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