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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

輝けるペシミズム

2014-10-16 | 月影と星屑
 

 相棒がくも膜下出血になんかならなければ、今年の春はポーランドに行くはずだった。アウシュヴィッツは相棒の最優先訪問予定地。クラクフを経由する際に、ちゃっかり美術館にも立ち寄って、ポーランド絵画の鑑賞三昧、というのが、私の便乗計画というわけ。

 ポーランド絵画についてだが、私の乏しい知識にあるのは、国民画家ヤン・マテイコと、19世紀末から20世紀初め、「若きポーランド(Młoda Polska)」の時期に現われた一連の、官能的で暗喩的な、不条理なモダニズム絵画。後者で私が一番に思いつくのは、浮遊霊のような雲の群れを描いた絵を眼にして以来、クシジャノフスキという画家なんだ。

 コンラート・クシジャノフスキ(Konrad Krzyżanowski)は、同時代のポーランド知識人たちを描いた傑出した肖像画家として、知られているらしい。確かに彼は、生涯を通じて肖像画を描いている。初期にはほとんどモノクロな暗い色調の、やがて豊かな広がりを見せるようになった穏やかな色調の、そして晩年には再び抑制された控えめな色調の。
 が、明るい暗いに関わらず、彼のトーンはどこかペシミスティック。モデルが醸すムードもナーバスでメランコリック。色使いが随分と変転した一方で、大胆な筆使いは一貫しているのだが、その力強く、動的で、鮮明な表現が、モダニズムに特有の内省的な心象を残す。

 略歴を記しておくと、クシジャノフスキはウクライナの生まれ。キエフで絵の勉強を始め、サンクトペテルブルクのアカデミーへ。さらにミュンヘンで、ハンガリー画家ホローシ・シモン(Simon Hollósy)の画塾に学んだ。

 ワルシャワに移り、同地の美術学校で教鞭を取る。この時期、クシジャノフスキは夏ごとに、画学生を率いてポーランドを離れ、リトアニアやフィンランドへと戸外制作の旅に出る。この夏期制作で、彼も自ら多くの風景画を描いた。
 クシジャノフスキの肖像画の色使いが、自然の恵みを受けたように潤ったのは、多分この時期。伸びやかで瑞々しい、明快な造形は、私のなかでのクシジャノフスキの真骨頂だ。

 何度かワルシャワを離れるが、結局はワルシャワに舞い戻り、今度は私塾を開いて、両大戦間期の20年のあいだ、多くの若い画家たちを教えたという。ワルシャワで死去。

 画像は、クシジャノフスキ「フィンランドの雲」。
  コンラート・クシジャノフスキ(Konrad Krzyżanowski, 1872-1922, Polish)
 他、左から、
  「ペラギイ・ヴィトスワフスキの肖像」
  「猫を連れた妻の肖像」
  「ピアノの前の少女」
  「祖母と孫息子」
  「イステブナ村の眺望、丸太小屋」

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霊知は魔を啓示する

2014-05-26 | 月影と星屑
 

 死ぬまでにアウシュビッツを見るんだ、と意気込んでいた相棒。スロバキアから、タトラ山脈経由で徒歩で国境を越えてクラクフへ、なんて無謀な旅行計画を立てていたところが、くも膜下出血のおかげで、あえなく断念。
 再出血の可能性だってあるし、いくら後遺症がなくても、予後には特有の頭痛がしばらく続く。特に前線が通過するときはひどい。なので、しばらく休養して、また絵の話。

 ヨゼフ・ヴァーハル(Josef Váchal)というチェコの画家が私の印象に残っているのは、その絵の雰囲気が多分にデモーニッシュだからかも知れない。

 ヴァーハルは主に版画を制作した。木版という素材の性質のせいもあるのだろうが、彼の絵は、ゴーギャン的な非文明への崇拝と、ムンク的な死への陶酔とが、芬々としている。そしてそれら一切が、自然という霊、あるいは霊的存在である自然、そうしたものに対する敬愛へと収斂している……ように見える。

 あまり詳しくは分からないが、ヴァーハルは伝説的なボヘミアの森、シュマヴァ(Šumava)に程近い小村の生まれ。霊的自然に対する彼の熱愛は、この森の存在が多分に関与している。
 私生児として生まれ、祖父母に育てられた彼は、むら気で我儘な問題児だったらしい。早々に放校処分となった彼を、父親は、プラハにいる親戚の製本職人のもとへと厄介払いする。ここで彼は、製本技術を学ぶうちに絵に興味を持つようになり、高じてグラフィックアートを勉強することに。でもまあ、ほとんどが独学だった。

 同時に、絵よりも強く彼を魅了したのが、父親が情熱を傾けていたという神智学。神智学協会に参加して、熱心に神秘主義を学ぶ。神、自然物に宿る精霊、死と死後の世界などなど、神秘主義の思想は生涯、彼の描く絵のビジョンの源泉となった。

 悪魔や魔女や異教の神々、森の化身の野獣たち、死霊や影、流浪の民、聖人でさえも、奇怪に魔的なイメージで描かれる。異形の姿をした彼らは、なまくらで、大して怖ろしくない。が、主情的に、当てつけがましく存在している。人間社会を皮肉り、嘲笑している。
 近代以前のテーマを扱いながらも、世紀末的にモダンに仕上げる、独特の嗜好。錯綜した色使いは、激情的だが耽美。個々のモチーフはぴりぴりと感じやすく、全体のムードはどんよりと曖昧。どうも矛盾する。あくまでヴァーハルの偏愛する世界だ。

 こうした精神世界を共通項に、画家グループ「スルスム(Sursum “高く挙げよ”の意)」を結成。が、元来が時世のトレンドをかんがみなかったために立ち消えとなる。
 ヴァーハルの絵は秘密めいていて、大衆には理解されづらかったのだが、第二次大戦中、ナチスによるチェコスロバキア占領に抵抗するレジスタンスを描いても、なお理解されないまま、戦後、共産主義革命の後には完全に孤立。田舎に引っ込んで、世に知られずに辺鄙に暮らした。
 60年代、プラハの春以降もほとんどリバイバルせず、90年代になって再評価されたという。

 ……いくらこまめに美術館に赴いたり、絵をサーフィンしたりしても、私が消化するより先に、知らない画家に出くわしてしまう。生きているあいだに、すべての画家を網羅するのは、もう不可能そう、と思う、今日この頃。

 画像は、ヴァーハル「時間」。
  ヨゼフ・ヴァーハル(Josef Váchal, 1884-1969, Czech)
 他、左から、
  「ルズニーの原生林」
  「ワルプルギスの夜の夢」
  「ゴルゴダの丘」
  「死者の微笑み」
  「アーリマン崇拝」

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黒の不条理

2014-04-29 | 月影と星屑
 

 黒いシュールなイラストで知られるアルフレート・クービン(Alfred Kubin)は、オーストリア=ハンガリー帝国時代の現チェコ、リトムニェジツェ(ドイツ語名ライトメリツ)の生まれ。その後はオーストリアで活動した。
 が、私のなかではチェコの画家としてインプットされている。と言うのは、チェコ旅行の際、テレジン強制収容所の帰りに、このリトムニェジツェに立ち寄って、アイスクリームを食べた思い出があるからなんだ。

 自身の内なる声を聞きながら、閉塞的で不安な、けれども諧謔的な、幻夢と不条理のシュールな世界を展開した、チェコ出身でドイツ語圏の表現者、という点で、クービンはカフカを想起させる。実際、カフカとクービンは交友関係にあったらしい。
 だがカフカと違って、クービンの世界は私の許容範囲をはるかに越えている。言語を媒介しない、時間さえ要しない、視覚のインパクトというのは凄い。じわじわとは来ない。何の前触れも脈絡もなく、いきなりずとんと来る。

 精神を病んでいたクービンが描く世界は、やはり病める世界。死のように不気味で、だが現実離れして取りとめがない。幻想的と形容するよりは、奇想天外で気紛れな世界。が、空想の自由な翼どころか、窒息しそうな強迫を感じさせる。私にはついていけない。

 有名な話だが、軟弱な彼は、退役軍人の父親から、何の役にも立たない息子と侮蔑され、虐待紛いの残酷な扱いを受けて育った。
 幼くして愛する母親を亡くすが、父親はすぐに母の妹と再婚してしまう。まもなく叔母=継母も死。妊婦からの誘惑。云々、人間不信になるには十分だった。

 家庭から遠のき、父親を憎み、人間を呪った彼が逃げ込んだのが、サディスティックに悲劇的な大惨事のファンタジーと、当てのないドローイング。学校の成績は芳しくなく、親戚の写真家の徒弟になるも関心が持てない。やがて、失恋して、母の墓前でピストル自殺を試みる。錆びついたピストルは不発だったのだが。 

 軍隊に志願するが、神経衰弱で入院。除隊となり、父のもとへと戻ってくる。ここでようやく父から絵を学ぶ許しを得て、ミュンヘン・アカデミーに入学。
 この地で出会ったマックス・クリンガーの版画がクービンを解放する。クリンガーに深く魅了された彼は、狂ったように、己の内面世界を表現するようになる。

 あとはまあ、なんだかんだと、ペンとインク、水彩、リトグラフで、黒い夢魔的世界を成功裡に創作していく。ドイツ表現主義グループ「青騎士」に加わったり、あのぞっとするようなドイツ表現主義映画「カリガリ博士」のスタッフになったりしている。
 が、概ね、アバンギャルドなアートシーンとの接触を避け、妻とともに、ドイツ国境、ヴェルンシュタイン(Wernstein am Inn)近郊の小村、ツヴィクレット(Zwickledt)の小さな古城に引っ込む。
 ナチスドイツによるオーストリア併合後は、「退廃芸術」と宣告されたが、それでも細々と制作を続けた。

 私、パッサウから自転車で、氾濫寸前のイン川沿いに、ヴェルンシュタインまで遠出したんだよね。クービンの城があったとは知らなかったな……

 画像は、クービン「ハオサムの菩提樹」。
  アルフレート・クービン(Alfred Kubin, 1877-1959, Austrian)
 他、左から、
  「馬上の貴婦人」
  「未知のなかへ」
  「自己観察」
  「死の時間」
  「水の霊」

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さまよえる幽鬼

2014-04-24 | 月影と星屑
 

 チェコの象徴主義絵画には、古典的に耽美なものの他に、思わずプククッ! と笑ってしまうコミカルなものもある。例えば、ヤロスラフ・パヌシュカ(Jaroslav Panuška)の絵。ダークでホラー、なのにユーモラス。

 パヌシュカは生涯にわたって風景画を描いている。印象派以降のオーソドックスにモダンな画風で、私は十分良い絵だと思うのだけれど、解説では、毒にも薬にもならない退屈な絵、なんて評されている。
 なぜこんなふうに、ライフワークだった風景画を不当に酷評されているのかと言うと、一方でパヌシュカが描いた魔的霊的存在たちが、画家の名から即座に思い出されるほど、容易には忘れがたい印象を与えるからだろう。

 詳しくは知らないが、パヌシュカはプラハのアカデミーで、風景画家の巨匠ユリウス・マジャーク(Julius Mařák)の教室で学ぶ一方、アール・ヌーヴォーの象徴主義画家、マクシミリアン・ピルナー(Maximilian Pirner)の教室にも出入りしていた。
 パヌシュカが本来の領分から逸脱して、後者の主題で、ユニークなゴーストの絵を描いたのは、そのキャリアの初期の頃だったらしい。が、これら一連の絵のせいで、パヌシュカはチェコ絵画史上、文句なくシンボリズムのデカダンに分類されている。

 煉獄をさまよう魂のごとく姿で、ある種の個人的な不幸を悶え苦しむ人々がいる。彼らの苦悩や悲嘆は、当人にすれば真剣で、真実そのものなのに、傍からそれを眺めてみると滑稽で、くだらなく映る。
 パヌシュカの描く魔的霊的存在たちは、そんなふうな姿に見える。幽霊、吸血鬼、魔女などの物怪たち。その存在はぞっとするほど怖ろしい。なのに人間臭い。邪気がなく、呪詛したり攻撃したりして、生身の人間に危害を及ぼしてくるようには見えない。
 大地に根差すことができず、小暗い時刻、ゆらりと地面を離れて空中を浮遊する。実体なく、細長く伸びて、消えそうに見えるけれども、この世界から消え去ることができない。そうした存在になってしまった自分を憐れみ、なってしまった理由を深く悔いて、苦悶のなかを泳ぎ、当てもなく蕩揺する。

 よく考えてみると、おっかない。でも、面白い。

 画像は、パヌシュカ「吸血鬼」。
  ヤロスラフ・パヌシュカ(Jaroslav Panuška, 1872-1958, Czech)
 他、左から、
  「魔女」
  「毒キノコ」
  「母の死霊」
  「意味深長な頭部」
  「黄昏のツェフンスキー池」

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幻想のメランコリー

2014-04-21 | 月影と星屑
 

 私の場合、絵画史におけるルネサンス以前の中世絵画と現代の抽象絵画は、猫にくれてやる魚の頭と尻尾に当たる。
 で、自前の膨大なコレクションを持っていて、親切丁寧に一通りの近現代絵画を常設展示してくれている、ホンモノの美術館で、クタクタに疲れた頃に抽象画なんかが登場したりすると、途端に弛緩する。やれやれ、これで手抜きができる、と適当に鑑賞しはじめる。

 プラハの国立美術館のうち、近現代絵画を展示しているヴェレツジニー宮殿でも、その種の疲労と弛緩がやって来て、適当モードでまわっていたところ、ぱったり立ち止まったのが、アレーン・ディヴィシュ(Alén Diviš)の絵の前だった。
 心に闇を持つ素人の落描き、というのがパッと見の感想。第一印象というのは大事だな。あながち的外れじゃなかった。

 ディヴィシュという画家は、生前からすでに忘れられていたという。彼のわずかな友人たちが、彼を記憶し、その絵を保存した。
 ディヴィシュが再発見されたのは、1980年代。80年代というと、壁や電車に落描きするグラフィティがアートとして持てはやされた時代。なるほどディヴィシュは、グラフィティを先駆していたというわけ。

 ディヴィシュのスタイルは、いわゆる「アール・ブリュット(Art Brut)」に括られるらしい。アール・ブリュットは「生(=直接的、無垢、生硬)の芸術」という意味で、英語では「アウトサイダー・アート(Outsider Art)」。
 表現者が、芸術の既成の知識・訓練・傾向などに汚されることなく、内的衝動から表現した作品のことを指し、精神疾患者、知的障害者、交霊体験者、野宿生活者らの作品の評価において用いられることが多い。で、ディヴィシュの立場は囚人、刑事施設被収容者だった。

 ディヴィシュは、当時モダンアートの都だったパリに出、同郷の前衛画家フランティシェク・クプカから絵を学ぶ。が、やがて第二次大戦が勃発。
 チェコスロバキアがナチスドイツに占領されると、祖国解放のためにフランス参戦を煽ったらしい。諜報活動の嫌疑で起訴され、かのジャン・ジュネも収容されたサンテ刑務所に投獄される。

 それがディヴィシュの絵の転換点となった。彼は独房の壁に、前の囚人が残した落描きを見出して、霊感を得る。孤独な幽閉のなかで、暗い夢のように彼の知覚を訪れる幻影たち。ディヴィシュは、運命の悲劇を担う実存というテーマに夢中になる。陰鬱で、気の滅入るような暗澹とした、幻想的なイメージに没頭する。
 フランス、モロッコ、マルティニークの収容所を転々とし、釈放後はニューヨークに亡命。戦後、ようやくチェコスロバキアに帰国する。ディヴィスの絵は注目されるかに見えたが、時代は、鉄のカーテンが引かれ、ヨーロッパが東西に分断された頃。

 閉鎖的な共産主義体制のもとで、ディヴィシュはこれまで以上の表現探求を諦め、聖書の物語などを主題に、精神的なイメージを描いて、細々と活動を続ける。が、時勢は彼を置き去りにし、取り残された彼は、貧困のなかでひっそりと死んだ。

 画像は、ディヴィシュ「孤独」。
  アレーン・ディヴィシュ(Alén Diviš, 1900-1956, Czech)
 他、左から、
  「囚人キリスト」
  「七日間」
  「ノアの方舟」
  「太陽よさらば」
  「E.A.ポーの短編のための挿画」

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