




以前、ヨーロッパで、東洋人を珍しがった女の子が、「なぜあなたたちは、こんな顔をしていないのか?」と、両手の指で両眼尻を端の端まで引っ張り上げて、自分の顔を作って見せた。彼女の仕種と、その大きな眼が倍くらいに吊り上がって細く伸びた表情とが、あまりに滑稽で、私たちはゲラゲラと笑ってしまった。
東洋人の顔って、西洋人にはこんなふうに見えるんだな。……浮世絵に憧れて、海を渡って遥か日本にまでやって来た、T.S.シモンのスケッチを見つけて、そんなエピソードを思い出した。彼はペンとインクで、吊り上がった細い眼をした、扁平な顔の、着物を着たニッポン人たちを描きとめている。
チェコの画家、タヴィク・フランティシェク・シモン(Tavík František Šimon)の絵は、プラハを初めとした都市の情景を描いた版画が、圧倒的に印象に残る。
解説によれば、彼はボヘミア北東の都市イチーン近郊の生まれ。画家を志してからは広く旅をして、旅先の異国の風景や文化風俗を描いた。プラハのアカデミー時代には、奨学金を貰ってイタリア、ベルギー、イングランド、フランスへ。一人前の画家になってからは、ニューヨーク、ロンドン、オランダ、スペイン、モロッコ、セイロン、インドへ、さらには極東、日本にまで。
彼の絵には、異邦人が実際に垣間見た異国のシーンへの驚嘆と感動のイメージが、率直に、情感豊かに現われている。
パリ滞在中に印象派に接したらしい彼の油彩画は、フランス印象派からの確かな影響が感じられる、明るい色彩。けれども、今ひとつ締まりがなく、その陽光は眠気を誘う。
が、印象派を通じて知ってしまったのが、浮世絵の世界。彼は版画にのめりこむ。端的な、思い切った構図。明瞭な線描と陰影。そこに、淡彩のような、黄昏めいた微妙なトーンが、ときにパートカラーを伴って強調される。画面を照らすのは、冬の陽光のように稀薄で、くっきりと緊張感がある光。これはもう眠くならない。
浮世絵に感激して、はるかヨーロッパから日本にまで来た画家たちが、本当に何人もいたんだな。シモンは漢字で、自分の名前を「四門」なんてサインしている。
プラハに帰国後はアカデミーで後進を育成し、チェコのグラフィックアートを牽引した。が、死後、共産主義時代のチェコスロバキアでは評価されず、近年まで忘れられていたという。
画像は、T.F.シモン「冬の市場」。
タヴィク・フランティシェク・シモン(Tavík František Šimon, 1886-1914, Czech)
他、左から、
「冬景色」
「冬の教会」
「静寂のフラッチャニ広場」
「ニューヨーク、ブルックリン橋」
「日本の富士山」
Bear's Paw -絵画うんぬん-