ポーランドのアール・ヌーヴォー

 

 クラクフにて、バス・トラム乗り放題、ミュージアム入り放題のカードを購入した相棒。美術館にことごとく連れて行ってくれるつもりだったところが、美術館の質も量も半端なく、期日のあいだにすべてをまわることができなかった。
 が、翌日の日曜日は美術館無料開放日。助かったよ、クラクフ。

 なので、メホフェル・ハウスにもちゃっかり寄ってきた。メホフェルは、どでかいトンボの絵の印象が強烈すぎて、私のなかでイメージを形成しそこなった画家なんだ。

 ユゼフ・メホフェル(Józef Mehoffer)は「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」運動を牽引した、同時代の代表的な画家として、評価されている。
 彼はヴィスピャンスキと同じく多芸な人で、装飾・応用美術全般にわたって貪欲に手がけている。ステンドグラス、家具や織布、オーナメントなどのデザイン、舞台装飾、ポスターや本の装填、フレスコ画、などなど。特にステンドグラスでは、国際的な喝采を浴びた。
 時代のトレンドはアール・ヌーヴォー。それにマッチした分野、マッチした様式で制作したのだから、メホフェルが時代の第一人者と見なされても不思議はない。

 大学で法律を学びつつ、クラクフの美術アカデミーにて、マテイコに師事。オーストリア系だった彼は、ウィーンに遊学中、ウィーン分離派から大いに感銘を受けたという。うん、彼の色彩は、ハンス・マカルトあたりのゴージャスで際どい暖色、特に赤、が多分に目立つ。
 各国を旅行し、先々の教会で中世のステンドグラスに接して、とにかく感動する。結果、彼の第一の芸術的関心とテーマは、ステンドグラスの装飾に向かった。
 パリ滞在中は、ヴィスピャンスキとアトリエをシェア。お互いに多才な二人だが、芸術的テイストが似通っていて、若い頃にはともにマテイコの教室で修行した仲。クラクフに帰って以降も、何度もコラボしている。

 さて、私にとってメホフェルの絵がとらえどころなく感じた理由は、彼の絵には癖があり、その癖を、私が飲みこむことができなかったせいだと思う。
 イメージから発した強烈な、虚飾めいた色彩。色使いも装飾的だが、線もまた装飾的。それでいてその線は、しなやかで、自信満々。画面は平坦で、細やかな装飾品が散りばめられている。モチーフに何気に含まれるのは、ポーランドの民俗的寓意。そしてモデルは、画家の意図する象徴を映し出すにふさわしい、女性という存在!

 卓越したデッサン力を持つ画家の写実が、ここまで装飾的だと、どういうわけか、そのシーンには違和感が生じてくる。どこか非現実的、幻想的で、白昼夢のような、しっくりしない、ちぐはぐな印象。
 これが私にとって、メホフェルの絵の謎かけなのだ。

 第二次大戦勃発後、メホフェルは家族を連れて、ナチス占領下、ポーランド総督府の置かれたクラクフを去り、リヴィウへと逃れる。が、そこで取っ捕まり、強制収容所へと送られる。
 バチカンとイタリアの外交交渉によって解放され、クラフクへと戻った。

 怖い思いをしたんだね、メホフェル。

 画像は、メホフェル「画家の妻」。
  ユゼフ・メホフェル(Józef Mehoffer, 1869-1946, Polish)
 他、左から、
  「赤い日傘」
  「奇妙な庭園」
  「ペガサスを伴う妻の肖像」
  「ミューズ」
  「ルジャ・サロヌ」

     Related Entries :
       ヤチェク・マルチェフスキ
       スタニスワフ・ヴィスピャンスキ
       ヴォイチェフ・ヴァイス
       ヤン・スタニスワフスキ
       ユリアン・ファワト
       レオン・ヴィチュウコフスキ
       ユゼフ・パンキェヴィチ
       ヴィトルト・ヴォイトキェヴィチ
       エドヴァルト・オクニ
       オルガ・ボズナンスカ


     Bear's Paw -絵画うんぬん-
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 第四の鳥 世紀末への共鳴 »