輝けるペシミズム

 

 相棒がくも膜下出血になんかならなければ、今年の春はポーランドに行くはずだった。アウシュヴィッツは相棒の最優先訪問予定地。クラクフを経由する際に、ちゃっかり美術館にも立ち寄って、ポーランド絵画の鑑賞三昧、というのが、私の便乗計画というわけ。

 ポーランド絵画についてだが、私の乏しい知識にあるのは、国民画家ヤン・マテイコと、19世紀末から20世紀初め、「若きポーランド(Młoda Polska)」の時期に現われた一連の、官能的で暗喩的な、不条理なモダニズム絵画。後者で私が一番に思いつくのは、浮遊霊のような雲の群れを描いた絵を眼にして以来、クシジャノフスキという画家なんだ。

 コンラート・クシジャノフスキ(Konrad Krzyżanowski)は、同時代のポーランド知識人たちを描いた傑出した肖像画家として、知られているらしい。確かに彼は、生涯を通じて肖像画を描いている。初期にはほとんどモノクロな暗い色調の、やがて豊かな広がりを見せるようになった穏やかな色調の、そして晩年には再び抑制された控えめな色調の。
 が、明るい暗いに関わらず、彼のトーンはどこかペシミスティック。モデルが醸すムードもナーバスでメランコリック。色使いが随分と変転した一方で、大胆な筆使いは一貫しているのだが、その力強く、動的で、鮮明な表現が、モダニズムに特有の内省的な心象を残す。

 略歴を記しておくと、クシジャノフスキはウクライナの生まれ。キエフで絵の勉強を始め、サンクトペテルブルクのアカデミーへ。さらにミュンヘンで、ハンガリー画家ホローシ・シモン(Simon Hollósy)の画塾に学んだ。

 ワルシャワに移り、同地の美術学校で教鞭を取る。この時期、クシジャノフスキは夏ごとに、画学生を率いてポーランドを離れ、リトアニアやフィンランドへと戸外制作の旅に出る。この夏期制作で、彼も自ら多くの風景画を描いた。
 クシジャノフスキの肖像画の色使いが、自然の恵みを受けたように潤ったのは、多分この時期。伸びやかで瑞々しい、明快な造形は、私のなかでのクシジャノフスキの真骨頂だ。

 何度かワルシャワを離れるが、結局はワルシャワに舞い戻り、今度は私塾を開いて、両大戦間期の20年のあいだ、多くの若い画家たちを教えたという。ワルシャワで死去。

 画像は、クシジャノフスキ「フィンランドの雲」。
  コンラート・クシジャノフスキ(Konrad Krzyżanowski, 1872-1922, Polish)
 他、左から、
  「ペラギイ・ヴィトスワフスキの肖像」
  「猫を連れた妻の肖像」
  「ピアノの前の少女」
  「祖母と孫息子」
  「イステブナ村の眺望、丸太小屋」

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