93年作品。トリコロール。自由・平等・博愛を象徴するフランス国旗の3色をタイトルに使う三部作を手掛けたのは「殺人に関する短いフィルム」「ふたりのベロニカ」で知られる今は亡きポーランドの異能クシシュトフ・キェシロフスキ監督。また当時人気のフランスの若手女優3人をそれぞれのイメージに合わせて起用している点も話題を集めた。
第一作「青の愛」(原題:TROIS COULEURS BLEU )の主演はジュリエット・ビノシュ。交通事故で著名な作曲家である夫と幼い子供を一度に奪われたヒロイン。映画は彼女がこの悲しみの淵からいかにして立ち直るかを描くのだが、アメリカ映画のような平易なドラマツルギーなど皆無といっていい。
予想される“幸せだった家庭生活の回想シーン”は最後までない。そんなヒマはないとばかりに、切迫したヒロインの心の動きを映画はこれ以上にはないぐらいにデリケートかつ大胆に描写する。だが当然ストレートな心情の吐露などあるわけがなく、いくつかのメタファー、シンボルによる暗示が大部分を占める。
事故直後の彼女の心は、新しい住まいで見つけたネズミによって表現される。名前を旧姓に戻し、男友だちとの情事も経験し、何とか別の生き方を見つけようとするが、しょせん地べたをはいずり回るネズミのように、目先のことしか考えない自分だ。そんな彼女も時おり電撃のような記憶に苛まれる。それは夫と共に作りかけていた曲のフレーズである。
それは明確な“記憶”というより、深層心理に隠された“魂の刻印”とでも言うべきものだ。人生を左右するのは平易な“記憶”ではなく、それ自体を収斂させる不可解かつ根本的な“衝動”ではないだろうか。いくら表面的に取り繕っても人はそれから逃れられない。彼女は開き直るように未完の曲を完成させようとする。
面白いのは、当初かなりシンフォニックに書かれていた曲が、作業を進めるうちに贅肉をそぎ落とすようにシンプルかつストイックにアレンジされていく点だ。ヒロインが楽譜を指でなぞると、そのフレーズが大音量で響きわたるという素晴らしい演出と共に、彼女の心が次第に音楽と一緒に高揚していくプロセスを的確に表現するこの映画のハイライトだ。
また、悲しみに暮れていたヒロインが、少しずつ人生と向き合っていく微妙な心の動きを、断片的なエピソードで綴っていく展開も印象的だ。路上でリコーダーを吹く男の演奏をいつも気にしている彼女が、ある日男が倒れているのに気付き、思わず声をかけてしまう。施設に入れられている母に会いに行くと、すでに母はボケていて、ヒロインが小さかった頃の幸せな思い出も失われている(そばにあるテレビから流れる粗い映像が抜群の効果)。偶然に知り合った娼婦から教えられる夜の世界。彼女が街角で見た腰の曲がった老女が空瓶回収箱の前で四苦八苦する光景。人から人の手へ渡る十字架のペンダント。何気ない描写の積み重ねが、やがて大きなうねりとなって画面を横溢するその演出の巧みさ。
そしてタイトル通り全編を彩る青いイメージ。彼女が飛び込む誰もいないプールの青。部屋に飾られたモビールの青。黄昏のようなセピア色の画調の中で、その青い色は登場人物の悲しみと純粋さをあらわすように深く美しい。
「ふたりのベロニカ」が“もうひとりの自分の犠牲によって生かされている自分”という人間の実存に迫った作品なら、この映画は“過去の自分との決別により生きる自分”という普遍的なテーマをドラマティックに提示したと言える。
そして圧巻は彼女が完成させる曲である。タイトルは“欧州統合のための協奏曲”。ズビグニェフ・プレイスネルによるこの音楽と共に、登場人物の人生模様が描き出されるラストシーンは衝撃的だ。なぜなら、作者はヒロインの魂の救済というミクロ的主題と、混乱の中にあるヨーロッパの状況とその未来というマクロ的なテーマを連動させるこの映画のもうひとつの目的が明らかになるからだ。
ジュリエット・ビノシュは最高の演技。技巧的にも芸術的にもパーフェクトに近い、深くて野心的な傑作だ。1993年ヴェネツィア国際映画祭グランプリ作品。