元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「つつじ寺」に行ってきた。

2012-04-30 06:54:28 | その他
 先日、佐賀県三養基郡の基山町にある大興善寺に行ってきた。この寺は奈良時代から続くという天台宗の名刹だが、大正時代に植えられた多くのつつじの木が評判になり、戦後はつつじの名所として“つつじ寺”という呼び名が付けられた。



 裏山の斜面に7万5千メートルもの山林公園を形成し、つつじが咲くこの季節はまさに圧巻・・・・と言いたいのだが、残念ながら行ったときはまだ五分咲き。係員の話によると、見頃は5月の連休明けぐらいとか。残念。

 しかし、それでもこの公園が実に良く作り込まれていることは垣間見える。随所に展望所が設けられ、遊歩道は幾分急勾配だが、縦横に巡らされている。特に日本庭園はつつじが完全に開花していないこの時期でも十分に美しい。



 混雑を予想して車では行かずに基山駅までJRを利用し、そこから臨時バスで寺に向かったが、朝の早い時間ならば駐車場にも空きがあるようだ。健脚自慢の者ならば、基山駅から歩いても良いだろう。沿道の畑にはレンゲが咲き乱れていて、それを見るだけでも楽しい。

 つつじだけではなく紅葉もたくさん植えられていたが、秋の紅葉の頃は見事だという。園内の休息所にはその頃の写真も飾られていたが、本当にキレイである。秋にもう一度訪れたいものだ。
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「死霊の罠」

2012-04-29 06:57:55 | 映画の感想(さ行)
 88年作品。「魔性の香り」などの日活映画で秀作をいくつかモノにしている池田敏春によるホラー編。小野みゆき扮するニュースキャスターが司会を担当しているワイドショー「眠れぬ夜のために」は視聴者から送られてきたちょっときわどいビデオを紹介するという深夜番組。今夜も彼女は送られたビデオを事前チェックしている。

 その中に差し出し人の名前のないビデオがあった。それには若い女性を誘拐して山奥の廃屋に連れ込み殺害する場面が映っていた。作り物というにはあまりにもリアルなシーンの連続に不安を覚えた彼女は、テレビ局のスタッフ数人とその廃屋を捜し出して調査することになる。その途中、不審な男(本間優二)と出会い、彼女たちは怪しいとにらむのだが、犯人の魔の手は次々と彼女の仲間を血祭りに上げていく・・・・。

 なかなか勢いのあるグロい描写の連続で頑張ってはいるのだが、いかんせんオリジナリティに欠ける。廃虚の中で登場人物が惨殺されていく設定は「13日の金曜日」のサルまねだし、4回の殺人場面のうち2回が手口まで「13日」と一緒という芸のなさ。

 冒頭のナイフ切りつけるシーンは「センチネル」の、ドアと連動したボウガンが被害者の頭部を狙うという趣向は「オーメン/最後の闘争」の、それぞれコピーであることは論を待たない。さらに言うなら物語が半分もいかないうちにわかってしまう犯人は「サイコ」と同じだし、脈絡も無く出てくるモンスターは「エイリアン」からのいただきだ。

 ローアングルで走り回るカメラは「死霊のはらわた」のモノマネ、VTRとテレビ画面を小道具に使うあたりは「ハウリング」そっくり、そしてバックの音楽が「サスペリア」の類似品ときては、開いた口がふさがらない。

 脚本がなんと石井隆で、ヒロインの名前も「名美」なんだけど、いつもの石井脚本とは思えぬお祖末さ。加えて出演者のモタモタ演技で完全にシラけてしまう。当時は日本映画では珍しいホラー映画を狙ったのは良いが、もうちょっとしっかり作らないとね。
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「バトルシップ」

2012-04-28 06:29:17 | 映画の感想(は行)

 (原題:Battleship)ハワイ沖で異星人軍団と日米連合艦隊が激突。突っ込みどころは多数あるが、大事なポイントでは筋が通っていて、結果的に面白く観られるという、独特の(笑)スタイルを持つSF活劇編だ。

 辻褄の合っていない点としては、まず主人公の若造が軍に入る前は実にいい加減な野郎で、入隊してからも生活態度はあまり変わらず、でも早々に将校になって艦長代理まで務めてしまうという噴飯物の設定が挙げられる。さらに、飛来するエイリアンの宇宙船団のうち通信用艦船だけが大気圏突入直前に人工衛星と衝突して(爆笑)、地球上に破片が飛散するというトンデモなモチーフが提示される。

 エイリアンは強力な広域バリアを張れるほどの科学力を持つが、各メカにはバリア装置は搭載されておらず、まさにノーガード状態。広域バリア内ではこちら側のレーダーが使えなくなるが、エイリアンも相手をあまり上手く探査出来ないという体たらくで、戦いは基本的に目視による砲弾の撃ち合いに終始する。まさに冗談みたいなシチュエーションだ。

 しかし、意外なところで背景への丁寧な言及が見られ、話自体は決して空中分解しない。まず、今回の敵は単なる“先遣隊”であり、長居出来るだけの装備も弾薬も持っていないという設定は出色だ。「インデペンデンス・デイ」のようにいきなり“本隊”が来てしまっては、よほどの“裏技”でも見つけない限り勝ち目はない。

 そして、時あたかも多国籍の海軍による合同演習の真っ最中であり、軍用艦はほんど外洋に出払っていて、バリア内に存在していたのはたまたま陸地近くにいた主人公の乗る艦船ほか2隻の護衛艦だけという御膳立てもよろしい。おかげでコンパクトな作劇が可能になった。陸上における“別働隊”の扱いも、戦いに加わるハメになった経緯が過不足無く描かれている。さらにはエイリアンは人間に近い格好をしているのだが、これは“彼らの星は地球と似た環境である”という前振りによって上手く説明されている。

 ピーター・バーグの演出はテンポが良く、SFXも実によく練られている。主演のテイラー・キッチュは脳天気を絵に描いたようなパフォーマンスだが(笑)、こういう類のドラマにはピッタリだ。それより注目されるのは、海自の護衛艦の艦長を演じる浅野忠信である。単なる“顔見せ出演”ではなく、堂々たる“準主役”。

 英語のセリフも難なくこなし、ハリウッド名物“えせ日本”が付け入る隙もない。特にレーダーが使えない艦内で、独自のアイデアにより索敵方法を編み出して皆の注目を浴びるシークエンスは見ものである。これからも仕事の幅を広げて欲しいものだ。女性兵士役でリアーナが出ていたが、こちらもけっこうサマになっている。一曲でも歌ってくれたらもっと良かったが(笑)。

 実を言えば、本作の真の“主人公”は軍人達ではない。タイトル通りの「バトルシップ」だ。しかし「バトルシップ」の意味は戦艦であり、今は世界中探しても現役の戦艦なんか存在しない。多くがイージス艦のような軽量級ばかり。しかし、この題名の意味が明らかになる終盤近くの展開は、大いに盛り上がる。まさに“野郎限定”の映画だが、こういうシャシンは好きだ。エピローグでは続編の製作も暗示されるが、次回作が作られるとしたら、今度はヨーロッパ戦線になるのであろうか(笑)。
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「チェンジング・レーン」

2012-04-27 06:41:41 | 映画の感想(た行)

 (原題:Changing Lanes)2002年作品。マンハッタンの路上で出廷するために車を飛ばしていた若手弁護士と、子供の親権をめぐる裁判に遅れないよう、急いで車を走らせていた男とが接触事故を起こす。一方的に走り去ってしまった弁護士は、大事な資料が入ったファイルを落としてしまったことに気付く。このファイルを拾ったのはくだんの男であった。やがて二人の私怨を孕んだ駆け引きが始まる。

 高速道路で接触事故を起こした二人の男が互いの人生を大きく変えてゆくというネタ自体はユニークだが、さほど秀逸なものではない。それがけっこう見応えのある映画に仕上がったのは演出とキャストの頑張りゆえだろう。

 監督のロジャー・ミッチェルは「ノッティング・ヒルの恋人」ぐらいしか思い出さないが、ここではシャープでキレのいい画面展開を見せる。接写や移動撮影の多用も、平板な素材を正攻法で見せる意味でのケレンとして納得できよう。

 主演のベン・アフレックとサミュエル・L・ジャクソンは好調で、せっぱ詰まった人間の浅ましさを上手く表現している。通常、不正の片棒を担ぐ弁護士のアフレックの方が一般庶民であるジャクソンより悪役に扱われるものだが、ここではジャクソンの小市民ぶりも容赦なく描かれている。ここは作者のバランス感覚だと思うし、だからこそラストの和解も絵空事にならない。

 トニ・コレット、シドニー・ポラック、ウィリアム・ハートなど脇役の面子にも手抜かりがなく、味のある佳作と言えそうだ。デイヴィッド・アーノルドによるキレの良い音楽も効果的である。
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「心の羽根」

2012-04-23 06:41:55 | 映画の感想(か行)
 (原題:Des plumes dans la tete )2003年作品。幼い息子を失い、精神破綻状態になった主婦がたどる長くて孤独な心の旅を描くベルギー映画。これが長編デビュー作になったトマ・ドゥティエール監督の映像感覚と編集テクニックに注目だ。

 映画の冒頭の、カワセミが水中の魚を捕食する画像を仰角(魚の視点)でとらえたショットをはじめ“命が突然奪われる”というイメージを野生動物の生態を通した暗喩で度々表現しているが、挿入のタイミングが絶妙であるため、観客に意図を見透かされる余裕を与えない。

 それ以前にバードウォッチャーであるというドゥティエールの、自然の風景を切り取るセンスはなかなかのもので、寒色系のフィルターを通した映像の数々はどれも清涼な美しさに満ちている。



 狂言廻しのような役割で登場する“三人組の合唱隊”がヒロインの危うい内面のメタファーになっていることや、葬儀のシーンから室外の場面へと映像が切り替わるあたりの演出の意外性など、ともすれば一本調子になりがちな話の運びを、あらゆるテクニックを駆使して引っ張っていく姿勢は見上げたものだ。セリフを必要最小限に抑えているのも効果的である。

 映画は後半、ヒロインと周囲から疎外されている孤独な若者とのやり取りが中心となるが、その決着の付け方には正直驚かされる。この作者の冷徹な視線は、最後まで微塵も揺るがないのだ。

 主役のソフィー・ミュズール(元々は舞台女優らしい)の熱演も要チェック。たぶんフランソワ・オゾン監督の「まぼろし」との共通性を指摘されるだろうが、こちらの方がずっと先鋭的であると思う。
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「ベースボールキッズ」

2012-04-22 06:30:17 | 映画の感想(は行)
 2003年作品。千葉県市原市内のサラリーマンが書いた児童小説が原作の青春ドラマ。市原市が製作をバックアップしたという映画だ。

 連戦連敗の少年野球チームに一人のオールマイティな選手が加わることによって全員が奮起し、快進撃が始まるという、スポーツ映画の常道を歩む筋書きだが、残念ながら出来はイマイチ。これが監督第一作となる瀧澤正治の腕は凡庸で、展開がぎこちないばかりか、肝心の子役の扱い方が上手くなく、ほぼ全員がセリフ棒読みになっているのは痛い。

 終盤のストーリーの流れも釈然とせず、作り手はもっと努力が必要だった。布施博や藤田朋子、布川敏和といった大人の役者も“可も無く不可も無し”といったレベルでしかない(まあ、プリティ長嶋が出ていたのは個人的にウケたが ^^;)。

 とはいえ、最初から“地方発信映画の意地を見せるぞ!”という肩に力の入った姿勢で結果的に作家性主体の高邁な失敗作(例:小栗康平監督の「眠る男」など)が出来上がってしまうより、こういった分かりやすい娯楽作品を目指す方が健全である。市原市にはこれからも映画製作を続けて欲しい。
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「アーティスト」

2012-04-21 06:35:10 | 映画の感想(あ行)

 (原題:The Artist)世評は高いが、私は良い映画だとは思わない。有り体に言えば、これは“奇を衒った珍作”でしかないのだ。3D映像が大手を振って罷り通る現在において、あえてサイレントの手法を採用し、描かれる時代は古き良き1920年代のハリウッド。画面はモノクロで、スクリーンサイズはスタンダード相当。その“外観”がもたらすインパクトは、確かに大きい。しかし、内容はあまりにも陳腐である。

 もっとも、たとえ話がありふれたものでも語り口が巧妙ならば見応えのある作品に仕上がるが、本作には工夫の跡が微塵も見当たらない。退屈なストーリーを漫然と流しているだけだ。

 無声映画の大スターであるジョージは、新人女優のペピーに目を掛けてやり、彼女をバックアップする。だがトーキーへの移行期に時代の流れを読めなかったジョージはサイレントに固執し、その結果落ちぶれていく。逆にペピーは売れっ子になり、立場は完全に逆転してしまう。

 言うまでもなく、これは「雨に唄えば」(52年)の背景に「スタア誕生」(54年)の筋書きを載せたような設定である。しかし、出来自体はこの2本の足元にも及ばない。そんな“過去の作品からの借用”が観客から見透かされる上に、それらと比肩できるようなモチーフも提示出来ていないのでは、何のためにこの映画を作ったのか分からない。

 さらに致命的なのは、このサイレント手法が本作で描かれるトーキーの登場という映画史上の一大転換点に、何ら関与していない点だ。サイレント時代は文字通り無声映画のスタイルで通しても別に異存はないが、ストーリーがトーキー登場以後に進んでも相も変わらぬサイレントのままというのは、一体どういう了見か。

 音のない世界から映像とサウンドが同時に出てくるセンス・オブ・ワンダーに溢れた世界へ到達する、そのインパクト感が全く出ていない。たとえ無声映画のままであっても、何らかの映像的な仕掛けがあって然るべきである。もっとも、このサイレント形式の継続は“時代に取り残されている”という主人公の内面のメタファーかもしれないが、そうだとしても随分と図式的な作劇であり、観ていて愉快になれない。

 ミュージカル仕立てのシーンはあるが、当然のことながらヴィジュアル面ではジーン・ケリーやフレッド・アステアといった天才達の仕事には遠く及ばない。主演のジャン・デュジャルダンは頑張ってはいるが、せいぜい“敢闘賞”クラス。相手役のベレニス・ベジョも大して魅力がない。だいたい、フランス人のミシェル・アザナヴィシウス監督がフランス資本でわざわざハリウッドを題材にして映画を撮ったというのも、何となくクサい。賞狙いではないかと、穿った見方もしたくなる。

 ルドヴィック・ブールスの音楽とギョーム・シフマンの撮影は見事だが、それだけでは映画自体を評価は出来ない。結局、一番印象に残ったのは主人公が飼っている犬のアギーだ。同じジャック・ラッセル・テリアの「人生はビギナーズ」のコスモと並ぶ素晴らしい“名演技”。この犬を見るだけで入場料の元は取れると言って良い。
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「恋の門」

2012-04-20 06:24:36 | 映画の感想(か行)
 2004年作品。石で漫画を描く貧乏青年と同人誌作家でコスプレが趣味のOLとの暑苦しい恋愛バトルを描いているにもかかわらず、オタクっぽさが希薄なのは、これが監督デビュー作となる松尾スズキの感性(及び年齢)が“大人”であるためだろう。

 もちろん、漫画好きやアニメ好きが喜びそうなシーンは満載で、特に架空のTVアニメ「ギバレンガー」周辺のネタには大笑いさせられるが、作者自身はそれに没入していない。オタク趣味から距離を置いて映画本編を盛り上げる小道具の一つとして扱っている。おかげで、チャラチャラとした画面が続くわりには不愉快な気分にはならない。



 ただし、本題である恋愛沙汰の描き方は物足りず、ラストも釈然としないのは減点。監督としての松尾の今後の精進に期待したい。

 主演の松田龍平は相変わらず泰然自若とした佇まいで、演技をしているのかどうかも定かでは無いが、こういう役では許されよう。そして何より、相手役の酒井若菜(←意外と巨乳 ^^;)のハジケぶりと、小島聖の超怪演を見るだけでも入場料のモトは取れる(笑)。監督の松尾をはじめ忌野清志郎、塚本晋也、小日向文世、平泉成、大竹しのぶといった無意味に多彩なキャストも楽しい。
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「2046」

2012-04-16 06:29:38 | 映画の感想(英数)
 (原題:2046)2004年作品。1967年の香港で、トニー・レオン扮する作家が執筆している“2046年を舞台にした小説”の内容と、書き手自身の運命とが交錯していくという設定の、ウォン・カーウァイ監督作品。

 トニー・レオンのような渋い二枚目が自己の女性遍歴について延々と悩むなんてのは、まあそれなりに絵になることは確かだ。しかし、それはせいぜい1時間が限度である。2時間過ぎても同じポーズのまんまだったら、いい加減怒りたくなる。いかに周囲に魅力的な女優陣を“配備”していようと、許してやらない(笑)。

 ウォン・カーウァイは、豪華なキャストを並べて、思わせぶりなストーリーを語っていれば“映画”になると思っているのだろう。その手法が通用したのは「天使の涙」ぐらいまでだ。製作発表から公開までこれほどの長い時間が経ったのは、各俳優の“露出度”の調整のためだと勘ぐりたくもなる。

 ちなみに本作はカンヌで上映されたヴァージョンより木村拓哉の出番が増えているらしいが、筋書きの芸のなさを無視してキャストの出演時間だけを差し替えるとは、何とも不粋な話だ。カンヌで賞にかすりもしなかったことを考え合わせても、ウォン・カーウァイの時代はこの時点で一応終わったと言える(それに気が付いていないのは本人だけだ)。

 演技については、チャン・ツィイーの頑張りが目立つ程度で、あとは特段言及することはない。
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佐々木譲「廃墟に乞う」

2012-04-15 06:38:31 | 読書感想文

 主人公の仙道孝司は北海道警の敏腕刑事だったが、ある事件をきっかけにメンタル障害を患い、休職して療養中の身だ。何とか回復してきた仙道に、過去の仕事で知り合った者達から、次々と難事件の解決を依頼される。警察小説を得意としている佐々木譲の連作短編集で、第142回の直木賞受賞作である。

 佐々木の著作はこれまで何冊か読んでいるが、本書が一番つまらない。少なくとも「警官の血」や「笑う警官」といった彼の代表作と比べれば、相当落ちる出来映えだと言って良い。とにかく全編に渡って薄味に過ぎる。これは仙道のキャラクターがあまりにも弱いことに起因している。

 かなりシビアな体験をして警官業を中断せざるを得なかったことは終盤で明かされるが、それを背負ってしまった暗さや屈託がそれほど感じられないのだ。何やら“単にヒマが出来たので、素人探偵をやってみました”みたいなノリであり、実に印象が薄い。もっとドロドロとした内面を描出して、読者を挑発するぐらいのことはやって欲しかった。

 肝心のプロットも、主人公の軽量級の存在感に呼応するように、かなり淡白だ。どのエピソードも肩すかしで、余韻は限りなく浅い。仙道以外の登場人物も通り一遍の描写しかされておらず、台詞回しにはコクもキレもない。こんな状況でラスト近くには“めでたく職務に復帰”してしまうというのだから、読んでいていい加減面倒くさくなってしまった。

 当然のことながら北海道が舞台になっているが、あまり地域色は出ていない。中には首都圏で展開した方がふさわしいようなネタもあり、この点でも脱力ものである。

 直木賞は、その作家のベストの作品に与えられるとは限らない。対象の小説よりも過去の“実績”を元にして選定される傾向にあることは承知している。しかし、せめて一定のレベルに達したものを取り上げて欲しい。これでは“直木賞受賞!”の帯につられて初めて佐々木の小説を手にした読者が可哀想だ。
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