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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「リバティ・バランスを射った男」

2025-04-06 06:05:17 | 映画の感想(ら行)

 (原題:THE MAN WHO SHOT LIBERTY VALANCE)1962年作品。ジョン・フォード監督の手による西部劇の中では、後期の代表作とされているもの。折しもこの頃はハリウッドではウエスタンが斜陽になり、本作もそれを暗示するように辛口で含蓄のある内容になっている。少なくとも、単純な勧善懲悪の図式とは一線を画す展開だ。

 20世紀に入って間もない頃、西部の小さな町シンボーンの駅に上院議員をつとめるランス・ストダードとその妻ハリーが降り立つ。彼らが来た目的は、トム・ドニファンという男の葬式に出席するためだった。取材に来た地元の新聞記者たちに、ランスは若い頃に牧場主のトムと知り合った経緯を話し始める。

 1880年代、東部の大学の法科を卒業して弁護士資格を得たランスは、仕事を探すため西部にやってきたが、途中で駅馬車が無法者リバティ・バランスの一味に襲われ、重傷を負ってしまう。彼は通り掛かったトムに救われ、町の食堂へ運ばれるが、そこの経営者夫妻とその娘ハリーの看護で何とか回復する。ランスはそのまま住み込みで店で働くことになるが、その町は実は合衆国の一部ではない“準州”の扱いであることを知る。住民は州への昇格を希望していたが、これに牧場主の一部が反対しており、バランスはその手先となって狼藉の限りを尽くしていたのだ。ランスは町の新聞社主ピーボディと協力し、無法者の一味と対峙する。

 町には一応保安官はいるのだが、やる気が無くてほとんど機能していない。トムは凄腕のガンマンであるにも関わらず、町の揉め事とは距離を置いている。そもそも彼は明らかに南北戦争時には兵役に就いていたような出で立ちながら、完全に人生が“守り”に入っている。そんな沈んだ雰囲気の町を、気鋭の法律家であるランスは立て直そうとする。

 従来型の西部劇ならばこんな状況を打開するのは無敵の正義漢なのだが、すでに西部開拓時代は終わりを告げていたリアルな世界ではそうもいかない。事態を解決に導くのは、次々と近代的な施策を提案して実行してゆくランスのような気鋭の人物である。ただし、バランスと関わったことが一種の“伝説”になり、それがランスの名声を高めたことも事実で、そんなディレンマが苦みのあるタッチで綴られていく。

 西部劇としては珍しく、撃ち合いのシーンは後半の一瞬しかない。しかも、当時はカラー作品が普通であったにも関わらず、あえて精緻なモノクロで撮られており、従来型西部劇と決別するようなジョン・フォードの気迫が感じられる。ランスに扮するジェームズ・スチュアートとトム役のジョン・ウェイン、いずれも万全の演技力と存在感だ。また、バランスを演じるリー・マーヴィンの悪役ぶりは素晴らしい。ハリー役のヴェラ・マイルズやウディ・ストロード、エドモンド・オブライエン、アンディ・ディバインなどの面子も申し分ない。

 本作が撮られた数年後には、ハリウッドに代わっていよいよマカロニ・ウェスタンが一世を風靡することになるのだが、そのブームの立役者だったセルジオ・レオーネ監督は、ジョン・フォード作品の中ではこの「リバティ・バランスを射った男」が一番好きな作品だと公言している。西部劇の分岐点を示していた本作の価値を、次世代の担い手が理解していたというのは、いかにも象徴的だ。
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「ララミーから来た男」

2025-03-14 06:15:23 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE MAN FROM LARAMIE)1955年作品。勧善懲悪の図式を取ることが多かったそれまでの西部劇とは異なり、複雑な人間関係をフィーチャーし、一筋縄ではいかない展開を見せる。公開当時は異色作として受け取られたことだろう。かといって面白くないわけではなく、各キャラクターは十分に“立って”おり、適度な活劇場面も挿入される。

 ワイオミング州にあるララミー砦の陸軍大尉ウィル・ロックハートは、同じく軍属であった弟を新式の銃を持ったアパッチ族に殺され、その銃をインディアンに売った男を探し出すため、幌馬車隊の商人を装って銃取引の現場と思しきニューメキシコ州にやって来た。ところがその地域を仕切っているバーブ牧場のデイヴやヴィックらに襲われ、商品を焼き払われてしまう。



 それを知ったバーブ牧場の主人でデイヴの父親のアレックは、ウィルの損害を弁償する旨を申し出る。アレックの姪のバーバラの助力を得てこの町に滞在することにしたウィルだが、デイヴらを取り巻く一族の確執により、彼の身にも危険が迫ってくる。

 主人公の弟を殺したのはアパッチ族であるにも関わらず、ウィルは先住民を恨んでいないことが興味深い。もちろん実際問題として、アパッチ族を敵視しても事態は好転するはずがないのだが、本作ではそれを“当然のこと”にしている。やはり本作が製作された時期が、西部劇の内容の分岐点だったのだろう。



 映画の基本線は西部劇版“家族の肖像”という体裁で、もちろんウィルは活躍するのだが、ドラマの中心はバーブ牧場を経営する者たちの愛憎劇だ。特に、デイヴと遠い親戚筋であるヴィックとの関係性は奥行きを持って描かれる。アンソニー・マンの演出はウエスタンとしての外観をスポイルすることなく、巧みに人間群像劇としてのアプローチに徹している。

 マン監督とのコンビはこれで5本目となるジェームズ・スチュアートの演技は、さすがに安定している。アーサー・ケネディにドナルド・クリスプ、アレックス・ニコル、アリーン・マクマホンといった顔ぶれも手堅い。ヒロイン役のキャシー・オドネルは典型的美人タイプではないのだが、実にチャーミングだ。チャールズ・ラングのカメラによる、ニューメキシコの茫洋たる荒野の風景も良い。
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「リアル・ペイン 心の旅」

2025-02-22 06:12:00 | 映画の感想(ら行)
 (原題:A REAL PAIN )まるで一時期のウディ・アレン作品のような自意識過剰なセリフの洪水に、違和感を覚えることもある。しかし、観終ってみればこれは含蓄のある良い映画だと思った。特に、過去のトラウマや自身の資質の限界を見せつけられて悩んでいる観客にとっては、得るものが大きいのではないだろうか。かくいう私も、その一人だ。

 ニューヨーク在住のデイヴィッド・キャプランと同世代の従兄弟ベンジーは、空港で数年ぶりに再会する。亡くなった最愛の祖母の遺言によって、一緒に彼女の祖国であるポーランドのツアー旅行に参加するためだ。2人は正反対の性格で、行く先々で騒動を起こす。しかしながら、個性豊かなツアー仲間との交流や、ポーランドの歴史的遺産をめぐる旅の中で、中年に達した彼らは自らの生き方を振り返る機会を得る。



 主人公2人はユダヤ人で、ツアーの主眼はポーランドにおけるこの民族の歩みを検証するものだ。当然のことながら、第二次大戦中の強制収容所跡も見学する。気弱に見えるデイヴィッドは、一応家庭生活は問題は無い。だが、将来の展望は開けていない。対してベンジーは饒舌で、一見とても陽気だ。しかし、話す内容の大半はモノローグに近く、時折他者に対して語りかける際は、不必要に挑発的に聞こえてしまう。

 実はベンジーはメンタル的に問題を抱えていて、仕事にも見放されている。その彼が久しぶりに会う従兄弟に対して、縋り付くように自身をさらけ出す様子は、かなり痛切だ。それでも、過去のユダヤ人の苦難を知るツアーに参加するうちに、故郷を離れざるを得なかった祖母の境遇に思いを馳せると同時に、自分たちの生き方を受け入れるようになるプロセスは説得力がある。

 過ぎ去ったことを今さら嘆いても仕方が無く、かといってすぐに新規巻き直しが出来るほど脳天気な筋立てにはならない。藻掻きながらも、何とか明日を見出すしかないのだ。このスタンスには共感を覚える。ユダヤの風習をフィーチャーした数々のモチーフは興味深いし、ツアーの他のメンバーも個性派揃い。監督はデイヴィッド役のジェシー・アイゼンバーグが兼ねているが、手慣れた演出ぶりに感心してしまう。

 ベンジーに扮するキーラン・カルキンの演技は出色。観る者の内面に突き刺さっていくような立ち振る舞いは評価できる。ウィル・シャープにカート・エジアイアワン、ダニエル・オレスケスら他の面子も良い。また、ジェニファー・グレイに久々にスクリーン上で会えたのは感慨深い。バックに流れるショパンのピアノ曲が効果的。観て損のない佳編だ。
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「ルー・ガルー 人狼を探せ!」

2025-01-26 06:06:20 | 映画の感想(ら行)

 (原題:LOUPS-GAROUS)2024年10月よりNetflixから配信されたフランス製のファンタジーコメディ映画。正直言って、あまり上等なシャシンではない。劇場でカネ取ってこの程度のものを見せられれば腹も立つだろう。だが、テレビ画面だと何とか我慢は出来る。一種のタイムスリップ物としてのテイストも盛り込まれていて、その興趣は確かにあると思う。

 田舎町に住む一家が、ある日偶然に古びたボードゲームを見つける。早速皆でプレイしてみると、何と15世紀末に全員タイムスリップしてしまう。元の時代に戻るには、毎晩姿を現す恐ろしい人狼(じんろう)たちを退治し、そいつらが持っているカードをすべてボードに装着しなければならない。また、どういうわけか一家にはその世界では特殊能力が備わっており、彼らはそれを駆使して人狼に立ち向かう。

 この設定はアメリカ映画「ジュマンジ」(95年)からの流用だと思う視聴者も多いだろう。だが、出来の方は“本家”には及ばない。そもそも。主なモチーフは「ジュマンジ」で出尽くしていて、現時点でこのネタをやるのは“証文の出し遅れ”だろう。もっとも作り手の方はそれを承知しているらしく、何とか新味を出そうと腐心している。それは、この一家の構成だ。

 主のフランクとスザンヌの夫婦は共に再婚。それぞれに連れ子がいて、肌の色も違う。そしてスザンヌは弁護士だ。そんなプロフィールを中世の人間に説明しても、誰も理解しない。それどころか、読み書きが出来る女性は魔女扱いされる始末。そのあたりのギャップが笑いを呼び込むが、映画全体を押し上げるほどではない。

 監督および脚本担当はフランソワ・ユザンなる人物だが、才気も個性もさほど感じられない。クライマックスのバトルシーンはそこそこ盛り上がるものの、やはりハリウッド作品などと比べると見劣りするのは否めない。ラストに用意されているオチも、大して効果的ではない。

 とはいえ、祖父役としてジャン・レノが出ているのは注目すべき点だ。彼もいつの間にか70歳を超えていて、劇中では認知症に罹患したキャラクターだが、中世にタイムスリップした時には健常者になって活躍するのだから、けっこう感慨深い。スザンヌ・クレマンにリサ・ド・クート・テシェイラ、アリゼ・クニー、ラファエル・ロマンといったその他のキャストは馴染みはないが、皆破綻のない仕事ぶりだ。
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「ルート29」

2024-12-07 06:41:06 | 映画の感想(ら行)
 快作「こちらあみ子」(2022年)でデビューした森井勇佑監督の第二作ということで大いに期待したが、話にならない内容で落胆した。キャリアの浅い者が、早々と“作家性”とやらを前面に打ち出そうとするケースは少なくないとは思う。しかし、そこをしっかりと制御するのがプロデューサーの役目であるはずだ。今回のケースは、その職務を果たしているようには見えない。とにかく、オススメ出来ない映画だ。

 鳥取市で清掃員として働いている中井のり子は、他人と上手くコミュニケーションを取ることができず、いつも一人だった。ある日、彼女は仕事で訪れた病院の入院患者の木村理映子から「“姫路市に住んでいるはずの娘のハルを連れてきてほしい”と頼まれる。早速姫路へと向かったのり子は何とかハルを見つけるが、ハルは一筋縄ではいかない変わった女の子だった。森の中で自給自足みたいな生活を送り、初対面ののり子に勝手に“トンボ”というあだ名をつける。それでものり子はハルを連れて、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を進む。



 登場人物は正体の掴めない者ばかり。意味不明な風体で、言動も意味不明。そもそも、人付き合いの苦手なはずのヒロインが突如として入院患者の願いを聞き入れた理由が分からない。ハルがのり子につけた“トンボ”というニックネームの由来の説明も無く、旅の途中で出会う老人や野外生活を続ける親子、怪しい赤い服の女の行方など、すべてが途中で放り出されたような描き方だ。

 ネット上での評価をチェックすると“難解だ。分からない”といった声が少なくないようだが、これは別に観る者に理解が必要なシャシンではないだろう。作っている側としては、単に“(個人的に)撮っていて気持ちの良い絵柄”を綴っただけの話で、観る側にすれば理解する筋合いは無い。勝手にやってろという感じだ。

 のり子に扮する綾瀬はるかは“新境地”を開拓するかのように頑張っているが、ストーリーと演出がこの体たらくなので“ご苦労さん”と言うしかない。ハルは「こちらあみ子」の主役で鮮烈な印象を残した大沢一菜が連続して登板しているものの、役柄が絵空事である分、前回より存在感は後退している。

 伊佐山ひろ子に高良健吾、河井青葉、渡辺美佐子、市川実日子など面子自体は悪くはないが、いずれも効果的な使われ方はされていない。また何より困ったのは、基本的には題名通り国道29号線を踏破する話であるにもかかわらず、途中で脇道に逸れたりして、ロードムービーとしての興趣が出ていないこと。繰り返すが、プロデューサーは演出者の手綱を引き締めるべく、ちゃんと仕事をして欲しい。
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「レディ・オア・ノット」

2024-12-01 06:30:07 | 映画の感想(ら行)
 (原題:READY OR NOT)2019年作品。お手軽なホラー編の佇まいで、普通は映画館での鑑賞対象外である。だが、配信のリストに入っていたので何となくチェックしてみた。結果、特別上等なシャシンではないものの、取り敢えずは退屈せずに最後まで付き合えた。上映時間が95分と短めなのも丁度良い。

 サバイバルゲームの製造販売で巨万の富を築いてきたル・ドマス家の御曹司アレックスと結婚したばかりのグレースは、一族に認めてもらうための伝統儀式に参加させられる。それは一族全員(使用人も含む)で実施される屋敷内での“かくれんぼ”だった。しかも隠れるのはグレースだけで、他のメンバーは武器を持って彼女の命を狙う。夜明けまで逃げきれたら彼女の“勝ち”らしい。本来彼女を守るべき新郎は早々に拘束され、いくらか頼りになるのは義兄のダニエルだけ。果たして、命がけのデスゲームをグレースは乗り切れるのか。



 グレースは腕に覚えがあるわけではなく、気が強いだけの普通の女だ。そんなヒロインが窮地に追い込まれ、ついに開き直って手段を選ばないスタンスに転じるあたりが、まあ面白いところか。ならば彼女の命を狙う連中はどうかといえば、いわゆる殺しのプロは一人もおらず素人ばかりなのは笑える。使う凶器もレトロなものばかりだ。

 結果として雰囲気は脱力系の方向に振れており、観る者の神経を特別逆撫でするようなモチーフが無いのは作品のマーケティング上有利だったもしれない。映画は終盤近くでオカルト趣味が突如満載になるのも御愛敬か。マット・ベティネッリ=オルピンとタイラー・ジレットの演出は、まあ及第点だろう。少なくともスピード感はある。主役のサマラ・ウィーヴィングは熱演。関係ないけど、彼女はちょっとエマ・ストーンに似ていると思う(笑)。

 アダム・ブロディにマーク・オブライエン、ヘンリー・ツェーニーといった脇の面子も悪くはない。義母役のアンディ・マクダウェルは久々に見たような気がした。一家の主に扮したニッキー・グァダーニは不気味でよろしい。ロケに使われた古い大邸宅はカナダのオンタリオ州オシャワにあるパークウッド・エステートで、雰囲気たっぷりだ。なお、この屋敷は「ジュラシック・ワールド 炎の王国」(2018年)の撮影にも使われたらしい。
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「ランサム 非公式作戦」

2024-10-05 06:30:11 | 映画の感想(ら行)
 (英題:RANSOMED)先日観た「ソウルの春」では韓国映画のパワーを実感したが、本作のヴォルテージはそれを上回る。少なくとも、娯楽映画としては「ソウルの春」よりも優れていると言えよう。こういうシャシンは今の日本ではまず作れないし、ひょっとしたらハリウッドでも難しいかもしれない。とにかく、130分あまりの尺を一時もダレることなく楽しませてくれる。

 75年から90年にかけて断続的に発生したレバノン内戦。その間に首都ベイルートで韓国人外交官が行方不明になる。それから数年後、現任の外交官イ・ミンジュンは、その消えた外交官が武装組織に拉致されており、人質として生きているという情報を掴む。外交部長官の密命により、身代金を持って単身ベイルートへと出向いたミンジュンだったが、早速大金を狙ったギャングに襲われる。



 そこで偶然彼を救ったのが、韓国人のタクシー運転手キム・パンスだった。帰国のビザを出すことを条件にミンジュンに協力を持ち掛けたパンスと、渋々ながら行動を共にすることになったミンジュンは、極限状態にあるベイルートを人質奪還のために突き進んでいく。

 まず、キャラクターが良い。深夜うっかり人質からの電話を受けてしまったばかりに単身ヘヴィな場所に派遣されるハメになった小市民的ヒラ官僚のミンジュンと、成り行きでレバノンから出られなくなってタクシー運転手として糊口を凌いでいるパンスとのコンビは、まさに絶妙。スムーズに連帯感を醸し出せるはずもなく、隙あらばスタンドプレイに走る。ただ、こうした疑心暗鬼の果てに本物の仲間意識のようなものが形成されるという、そのプロセスの見事なこと。

 現地の武装組織も一枚岩では無く、金を横取りしようとする軍の連中も加わって、まさに仁義なき戦いが全面展開。さらには韓国側では外交部と安企部との確執が繰り広げられ、ブローカー役を買って出るスイス在住の黒幕みたいな奴まで出てきて、先の読めない群像劇が繰り広げられる。主人公2人が遭遇するトラブルは、いずれも絶体絶命のレベル。それが息もつかせず手を変え品を変えて畳み掛けてくるのだから、もう退屈するヒマも無い。

 キム・ソンフンの演出は強靱で、活劇シーンでは一点の緩みも見せず観る者を引き込んでゆく。そして終盤での思いがけない筋書きには、感心するしかない。主演のハ・ジョンウとチュ・ジフンは絶好調。身体のキレも表情の豊かさも及第点以上に達している。バーン・ゴードンやマルチン・ドロチンスキ、ニスリン・アダム、フェド・ベンシェムシなど他のキャストも存在感が強い。さて、直近のニュースではイスラエル軍がレバノンを空爆し、多数の犠牲者が出たことが報じられていた。この地域では、戦火が途絶えることは無いのだろう。だが、それでも平和を望まずにはいられない。
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「レベル・リッジ」

2024-09-30 06:33:35 | 映画の感想(ら行)
 (原題:REBEL RIDGE )2024年9月よりNetflixから配信。設定だけ見ると、これはシルヴェスター・スタローン主演テッド・コッチェフ監督による「ランボー」(82年)と似た話だと思われがちだが、中身は違う。「ランボー」は帰還兵である主人公を取り巻く情勢に関していくらか言及されていたとはいえ、映画はランボー自身の逆境と苦悩に主眼が置かれていた。対して本作が取り上げているのは、現時点での社会的不条理そのものだ。活劇物としては及第点に達していないかもしれないが、存在価値はある。

 ルイジアナ州の田舎町。元海兵隊員のテリー・リッチモンドは、拘留されている従兄弟のために、保釈金を手に地元の司法当局に向かっていた。ところがパトロール中の警官に因縁を付けられて、準備した現金の入った袋を不当に押収されてしまう。納得出来ないテリーは、司法研修生のサマー・マクブライドと協力して事態の打開を図ろうとする。すると浮かび上がってきたのは、地元警察およびそれを取り巻く状況の腐敗ぶりだった。

 テリーはスタローン御大が演じたランボーのように派手に暴れ回るわけではない。現役時代は特殊部隊に属していて腕に覚えはあるが、今では単なる民間人だ。問答無用で銃をぶっ放してくる警官たちに対しても、節度を守らざるを得ない。だから殺傷性の低い道具で対峙せざるを得ず、バトルシーンは盛り上がりを欠く。

 それでも強く印象付けられるのは、この地域が構造的に抱える問題だ。州当局はこんな僻地の警察署に予算を回す気は無い。めぼしい産業も見当たらないこの地域に待ち受けるのは、他地域との合併による要員のリストラだろう。だから警察としては現金および銃火器の不法な没収や、拘留期限の誤魔化しによる検挙率の水増しに走る。

 もはや警察は治安維持機能を持ち合わせない“反社会組織”に成り果てている。これが真実なのかどうかは我々部外者には分からないが、映し出される南部の草臥れて寂れた状況を見れば、さもありなんと思わせる。脚本も担当したジェレミー・ソルニエの演出はそれほどスムーズではないが、問題意識の抽出に腐心していることは十分窺われる。

 主演のアーロン・ピエールは不貞不貞しい好演。当初は物腰は柔らかいが、次第に本性を現していくあたりの表現は上手いと思う。ドン・ジョンソンにジェームズ・クロムウェル、ジャネイ・ジャイといった脇のキャストも申し分ない。なお、サマーに扮しているのがアナソフィア・ロブだというのは少し驚いた。十代の頃の彼女しか知らなかったが、見た目も演技も成長の跡が見える。
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「ラストマイル」

2024-09-28 06:34:56 | 映画の感想(ら行)
 取り敢えず最後まで退屈せずにスクリーンに向き合えたが、正直“こういう映画の作り方ってアリなのか?”という違和感を拭いきれない。確かにカネは掛かっているものの、これは地上波か配信でテレビ画面で鑑賞すべきシャシンではないかと思う。しかも、これが最近の(実写の)邦画では珍しくヒットを飛ばしているという事実を見るに及び、日本映画を取り巻く環境について改めて考え込んでしまった。

 世界最大のショッピングサイトが仕掛けるイベントの一つである11月のブラックフライデーの前夜、関東物流センターから一般消費者に配送された荷物が爆発し。犠牲書が出るという事件が発生。さらに同様のアクシデントは連続して起こり、当該サイトや運送業者は窮地に陥る。関東センター長に着任したばかりの舟渡エレナは、チームマネージャーの梨本孔と共に解決を図ろうとするが、やがて事件の背景には数年前の労務災害が関係していることが明らかになる。



 塚原あゆ子の演出はスムーズで、物語が滞ることはない。野木亜紀子による脚本も、散りばめられた伏線はほとんど回収され、大きな瑕疵は無いように見える。しかし、ここで取り上げられている物流業界やネット通販関係の中に蔓延するブラックな様態とか、儲け主義を優先するあまり人権が軽視されている社会的風潮とかいった重大なモチーフに思いを馳せる観客は、ほとんどいないだろう。なぜなら、これはTVドラマの拡大版とほぼ同じ立ち位置で作られているからだ。

 私は本作を観るまで知らなかったのだが、これはTBSの人気ドラマ「アンナチュラル」及び「MIU404」と世界線で起きた事件を扱っているらしい(私はどちらも未見で内容も知らない)。だから、脇のエピソードに必要以上にスポットが当たっており、意味も無く配役も豪華だ。元ネタのドラマを少しでも関知している向きならば敏感に反応してしまうのだろうが、そうではない私は不自然としか思えない。だから、映画としては物足りない。

 本気で社会派の題材を扱おうとするならば、テレビ版に寄りかかったような余計な“お遊び”は不要だ。もっとも、そうなると広範囲な観客は呼べないという意見もあろうが、正攻法を突き詰めて高評価を得るようなレベルまで引き上げていれば、それはそれで存在価値がある。

 及び腰な姿勢でライト層にアピールすればそれでヨシとする送り手と、映画に多くを求めていない観客との“共犯関係”が罷り通っている状況では、韓国映画あたりにはとても追いつかないだろう。主演の満島ひかりと岡田将生は悪くはないが、彼らとしては(特に満島は)“軽くこなした”というレベルだろう。他のキャストは多彩だが、何やら“総ゲスト出演”という空気は拭いきれない。
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「リオ・ブラボー」

2024-08-19 06:40:40 | 映画の感想(ら行)

 (原題:RIO BRAVO )1959年作品。名匠と言われたハワード・ホークス監督が、フレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」(1952年)に描かれた保安官像に不満を持ち、ジョン・ウェインを主役に据えて撮り上げた、ジンネマン作品へのアンチ・テーゼと言われる西部劇らしい。しかし「真昼の決闘」の革新性は今でも際立っているのに対し、本作は影が薄いように思う。とはいえ公開当時は大評判になったらしく、娯楽作品としては成功したと認めて良いだろう。

 テキサス州南部のメキシコ国境に近い町リオ・ブラボーの酒場で、客同士のトラブルが発生。そこに介入したならず者のジョーが、堅気の者を射殺する。保安官のジョン・T・チャンスはジョーを投獄するが、ジョーの兄ネイサンは多くの殺し屋を雇い入れ、町を封鎖してしまう。孤立したチャンスは連邦保安官が到着するまでの間、数人の仲間と共にネイサンの一味に戦いを挑む。

 設定だけ見ればスリリングなバトルものという印象を受けるが、語り口は緩い。展開は遅く、場面展開は意外なほど少ない。しかも室内のシーンが多いせいか、何やら演芸場の舞台を観ているようだ。結果として2時間20分という、この手のシャシンとしては無駄に長い尺になっている。ならば面白くないのかというと、決してそうではないのが玄妙なところだ。

 ウェイン御大が演じるチャンスをはじめ、以前は凄腕だったが失恋してから酒に溺れてロクに銃も持てない助手のデュード、若くて生意気だが腕の立つコロラド、片足が不自由な御老体ながらオヤジギャグと射撃に長けたスタンピー、そして偶然この地に逗留することになったショーガールのフェザーズら、キャラが異様に“立って”いる面子が勢揃いして持ち味を発揮しているのだから、ほとんど退屈しない。

 しかも、ディミトリ・ティオムキンによる有名なテーマ曲をはじめ、登場人物たちが歌うナンバーが実にチャーミングなのだ。クライマックスはもちろんネイサンの一派との撃ち合いになるのだが、けっこう段取りが考え抜かれていて感心する。まあ、敵方があまり強くないのは難点だが、それでも存分に見せてくれる。

 ディーン・マーティンにリッキー・ネルソン、ウォルター・ブレナン、ジョン・ラッセル、クロード・エイキンスら、役者も揃っている。また、フェザーズを演じる若い頃のアンジー・ディキンソンは本当に素敵だ。なお、石ノ森章太郎の代表作である「秘密戦隊ゴレンジャー」は、この映画をヒントにしているとか。確かに主人公たち5人の設定は、戦隊ものにピッタリかもしれない(笑)。
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