(原題:THE MAN WHO SHOT LIBERTY VALANCE)1962年作品。ジョン・フォード監督の手による西部劇の中では、後期の代表作とされているもの。折しもこの頃はハリウッドではウエスタンが斜陽になり、本作もそれを暗示するように辛口で含蓄のある内容になっている。少なくとも、単純な勧善懲悪の図式とは一線を画す展開だ。
20世紀に入って間もない頃、西部の小さな町シンボーンの駅に上院議員をつとめるランス・ストダードとその妻ハリーが降り立つ。彼らが来た目的は、トム・ドニファンという男の葬式に出席するためだった。取材に来た地元の新聞記者たちに、ランスは若い頃に牧場主のトムと知り合った経緯を話し始める。
1880年代、東部の大学の法科を卒業して弁護士資格を得たランスは、仕事を探すため西部にやってきたが、途中で駅馬車が無法者リバティ・バランスの一味に襲われ、重傷を負ってしまう。彼は通り掛かったトムに救われ、町の食堂へ運ばれるが、そこの経営者夫妻とその娘ハリーの看護で何とか回復する。ランスはそのまま住み込みで店で働くことになるが、その町は実は合衆国の一部ではない“準州”の扱いであることを知る。住民は州への昇格を希望していたが、これに牧場主の一部が反対しており、バランスはその手先となって狼藉の限りを尽くしていたのだ。ランスは町の新聞社主ピーボディと協力し、無法者の一味と対峙する。
町には一応保安官はいるのだが、やる気が無くてほとんど機能していない。トムは凄腕のガンマンであるにも関わらず、町の揉め事とは距離を置いている。そもそも彼は明らかに南北戦争時には兵役に就いていたような出で立ちながら、完全に人生が“守り”に入っている。そんな沈んだ雰囲気の町を、気鋭の法律家であるランスは立て直そうとする。
従来型の西部劇ならばこんな状況を打開するのは無敵の正義漢なのだが、すでに西部開拓時代は終わりを告げていたリアルな世界ではそうもいかない。事態を解決に導くのは、次々と近代的な施策を提案して実行してゆくランスのような気鋭の人物である。ただし、バランスと関わったことが一種の“伝説”になり、それがランスの名声を高めたことも事実で、そんなディレンマが苦みのあるタッチで綴られていく。
西部劇としては珍しく、撃ち合いのシーンは後半の一瞬しかない。しかも、当時はカラー作品が普通であったにも関わらず、あえて精緻なモノクロで撮られており、従来型西部劇と決別するようなジョン・フォードの気迫が感じられる。ランスに扮するジェームズ・スチュアートとトム役のジョン・ウェイン、いずれも万全の演技力と存在感だ。また、バランスを演じるリー・マーヴィンの悪役ぶりは素晴らしい。ハリー役のヴェラ・マイルズやウディ・ストロード、エドモンド・オブライエン、アンディ・ディバインなどの面子も申し分ない。
本作が撮られた数年後には、ハリウッドに代わっていよいよマカロニ・ウェスタンが一世を風靡することになるのだが、そのブームの立役者だったセルジオ・レオーネ監督は、ジョン・フォード作品の中ではこの「リバティ・バランスを射った男」が一番好きな作品だと公言している。西部劇の分岐点を示していた本作の価値を、次世代の担い手が理解していたというのは、いかにも象徴的だ。