元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「落下の解剖学」

2024-03-17 06:08:56 | 映画の感想(ら行)
 (原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE)設定に無理がある。裁判のシーンが劇中でかなりの時間をかけて描かれているのだが、よく考えると、この法廷劇自体が噴飯物なのである。裁判所でのやり取りに重きを置きたいのならば、それ相応の段取りを整えなければならない。ところが本作はそのあたりが“底抜け”と言わざるを得ない。第76回カンヌ国際映画祭での大賞受賞作ながら、有名アワードを獲得した作品が良い映画とは限らないことを改めて実感した。

 フランス南東部の人里離れた雪山(ロケ地はオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏)の山荘で、目が不自由な11歳の少年が愛犬との散歩中、血を流して倒れていた父親を“発見”する。父親はすでに息絶えており、当初は転落死と思われたが不審な点も多く、夫婦仲がイマイチだったことが明らかになり、妻である有名作家のサンドラに嫌疑が掛かる。やがて彼女は逮捕起訴され、裁判がおこなわれる。



 そもそも、この“事件”には状況証拠らしきものはあるが、物的証拠は何一つ無い。さらに唯一の“目撃者”と思われる息子は目が見えない。このような状態で逮捕されるはずもなく、ましてや刑事案件として起訴される必然性は皆無だ。こんなあやふやな状況での裁判など、最初から有り得ないのである。百歩譲って彼の国では曖昧な状況証拠だけで検挙されるのだとしたら、フランスはどれだけ後進国なのかと思ってしまう。

 とはいえ、虚飾に満ちた夫婦関係が明らかになる部分はけっこうスリリングで、少しばかり興味を覚える。私はこれを観てイングマール・ベルイマン監督の秀作「ある結婚の風景」(73年)を思い出してしまった。しかし、北欧の巨匠の横綱相撲的な仕事に比べれば、まだ長編4作目のジュスティーヌ・トリエの演出は見劣りする。

 また何が真相か分からないという点では、黒澤明監督の「羅生門」(1950年)にも通じるものがあるが、やはり黒澤御大の力量とは比較するのも烏滸がましい。それでも主演女優サンドラ・ヒュラーの奮闘ぶりは印象に残る。主人公と同じドイツ系で、異国の地で暮らすサンドラの立場を表現する意味では絶妙だった。しかしながら、彼女以外のキャストで特筆できる人物は見当たらない。

 そして、上映時間が無意味に長い。このネタで2時間半は引っ張りすぎだ(ちなみに「羅生門」は1時間半ほど)。体調が万全ではない状態で鑑賞すれば、眠気との戦いに終始するのではないだろうか。なお、シモン・ボーフィスのカメラによる雪深い山々の風景は良かった。少年の愛犬スヌープ役を務めた犬のメッシの“名演”も記憶に残る。
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「レディ・バニッシュ 暗号を歌う女」

2024-02-02 06:05:02 | 映画の感想(ら行)
 (原題:The Lady Vanishes )79年作品。アルフレッド・ヒッチコック監督のイギリス時代の代表作「バルカン超特急」(1938年)の再映画化で、脚本はエセル・リナ・ホワイトの原作小説からジョージ・アクセルロッドが書いている。といっても、この映画を観た時点では私は元ネタをチェックしていなかったし、オリジナルに比べてこの作品の細部がどうだとかなんてことは思い当たらなかったので、ここではその時点での感想を書いていておく。結論から先に言ってしまえば、ヒッチコック映画のリメイクか何か知らないが、要するに何の変哲も無いただのサスペンス映画だ。

 1939年、南ドイツのバイエルンの田舎町。いつもは平和なこの地域も戦争の影が忍び寄り、ホテルや列車は軍の徴用になっていた。そんな中、ロンドン行き最終列車に乗り込んでいく旅行者の中に、身なりの良い若い女アマンダがいた。彼女はアメリカの富豪の娘で、二日酔いに悩まされながらも何とかコンパートメントに座り込んだが、そこにミス・フロイという陽気なイギリス人の中年女性が入ってきてアマンダと仲良くなる。



 やがて居眠りをしてしまった彼女が目を覚ますと、ミス・フロイの姿が無い。同じコンパートメントにいたキスリング男爵夫人に聞いても、そんな女性は最初からいないと言う。食堂車をはじめ他の車両にもミス・フロイはおらず、先日ホテルで知り合ったライフ誌の記者ロバートに相談するも、相手にされない。だが、そんなアマンダを亡き者にしようとする陰謀が背後で進行していた。

 設定だけ聞けば面白そうで、事実、部分的にはヒッチコック先生からのいただきだと思われる興味深いところもある。たとえば、消えた女の名前が窓に残っていた、というところとか。また証拠品のティーバッグの袋を捨てたつもりが、それが列車の窓にひっついて、それを主人公が目撃するところとか。だが、アンソニー・ペイジなる監督の腕が凡庸で、少しもスリリングではない。

 そもそも、この邦題そのものがネタバレだ。配給会社は一体何を考えていたのだろうか。ヒロイン役のシビル・シェパードはまあ良いとして、主人公のエリオット・グールドがどうも軽い感じでビシッとしない。アンジェラ・ランズベリーやハーバート・ロム、アーサー・ロウなど脇のキャストも印象に残らず。何でもビデオソフト発売時のタイトルは「新・バルカン超特急 暗号を歌う女」というものだったらしく、ストーリーが同じなのに何で「新」なのか、これも判然としない。
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「リバー、流れないでよ」

2023-08-18 06:12:10 | 映画の感想(ら行)
 巷では絶賛されているらしく、実際観ても最後まで飽きずに接することは出来たが、諸手を挙げて評価するほどではない。少なくとも、同じく劇団“ヨーロッパ企画”が提供したシャシンでは「サマータイムマシン・ブルース」(2005年)の方が数段楽しめる。さらには、似たような体裁の「MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」(2022年)が前年公開されたばかりなので、かなり分が悪いと言える。

 京都府貴船にある老舗の温泉旅館“ふじや”で働く仲居のミコトは、別館裏の貴船川のほとりで物思いに浸っていたところを女将に呼ばれて持ち場に戻るが、なぜか2分後に気が付くと元の場所に立っていた。しかも彼女だけではなく、他の従業員や宿泊客も同じ現象に遭遇している。どうやら時間が2分ごとにループしているらしく、かつ個々人の記憶は引き継がれていくので、彼らは次第にパニック状態に陥っていく。それでも人々は力を合わせてこの異常事態からの脱出を試みる。



 2分間というループ周期はドラマをスピーディに進める上で有効かと思われたが、短すぎて出来るごとが限られてしまう。さらに、2分間でやるべきことを実行しようとするため、全員早口でカメラワークも忙しない。おかげで1時間半ほどの尺ながら後半から単調さが目に付くようになる。このタイムループ現象は“ふじや”とその周辺だけで発生しているのだが、終盤明かされるその事情は何とも安直だ。また、劇中に何かドラマティックなネタが仕込まれているわけでもなく、せいぜいミコトの淡い色恋沙汰が挿入される程度。

 山口淳太の演出はギャグの振り出し方こそ非凡だが、骨太なドラマ性には欠ける(もっとも、そんなものは必要ないと割り切っているのかもしれないが ^^;)。ミコト役の藤谷理子をはじめ、鳥越裕貴に永野宗典、角田貴志、酒井善史、石田剛太といった“ヨーロッパ企画”の面々は、手堅いと言えば手堅い。本上まなみや近藤芳正、早織、久保史緒里(乃木坂46)などの外部キャストも悪くない。

 なお、舞台になった旅館は藤谷の実家らしいが風情はとても良い。タイムループが進むうちになぜか季節が変わって雪が降り出すあたりは突っ込むべき点だろうが、絵面としてキレイなので許そう(笑)。滝本晃司の音楽と“くるり”による主題歌も効果的だと思う。
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「レッド・ロケット」

2023-05-13 06:07:58 | 映画の感想(ら行)
 (原題:RED ROCKET)ショーン・ベイカー監督の前作「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」(2017年)よりも質的に落ちる。もっとも「フロリダ~」は全編の大半が盛り上がりに欠ける展開だったのだが、怒濤の終盤にはそれまで凡庸だった作品自体の価値を押し上げるインパクトがあった。対して本作にはそのような仕掛けは無く、平板な画面が延々と続くだけだ。

 2016年、冴えない中年男マイキー・セイバーが故郷テキサス州の田舎町に帰ってくる。彼は元ポルノ男優で、かつて“業界のアカデミー賞に5回もノミネートされた(でも受賞は逃した)”と言われるほどの売れっ子だったらしい。しかし今は落ちぶれて、ほぼ一文無し。それでも別居中の妻レクシーと義母リルが住む家に転がり込むことに成功する。



 しかし、すぐにここから巻き返せるという根拠の無い楽観論とは裏腹に、彼がありつけるカタギの仕事など存在しない。仕方なく昔の知り合いを頼って、マリファナの売人をやりながら細々と暮らす毎日だ。あるとき、彼はドーナツ店でアルバイトの女子高生ストロベリーを一目見て“ポルノ女優として大成する可能性がある”と直感。早速彼女を口説いて家出をそそのかす。

 マイキーはストロベリーに“オレは遣り手の芸能関係者だ!”みたいなことを告げるのだが、いくら田舎でも、自分の車も持っていない小汚いオッサンが芸能界の顔役に成りすませるわけがない。彼はストロベリーに会うたびに、町内の金持ちの家の前で別れて金満家を装うのだが、こういう下手な小細工に引っ掛かる者なんていないだろう。

 ショーン・ベイカーの演出は冗長極まりなく、だらしない主人公を単にだらしなく撮っただけで、何の興趣も醸し出さない。もちろん、ダメな奴ばかり出てくる映画でも作り手の高い意識があれば面白く仕上がるのだが、本作にはそんな積極性は感じられない。これではイケナイと思ったのか、「フロリダ~」同様に終盤にはドタバタ騒ぎを挿入して盛り上げようとしているようだ。しかし、今回はそれが無理筋で完全に不発。それまでの経緯を放り投げたような失態しか見せられていない。

 そもそもこのネタは工夫もなく2時間10分も引っ張れるようなシロモノではないだろう。テキサス州という土地柄を活かしたような作劇も(茫洋とした風景を除けば)見当たらない。主演のサイモン・レックスは実際に過去にポルノ出演経験があるらしく、その“業界”に関して詳しいところも披露するのだが(苦笑)、如何せん愛嬌が無い。

 ブリー・エルロッドにブレンダ・ダイス、スザンナ・サンといった他のキャストも魅力に乏しい。なおこの映画はインディペンデント・スピリット・アワードをはじめとする映画賞をいくつか獲得し、第74回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にも出品されているのだが、賞を貰った映画が必ずしも面白いとは限らないことを、今回も実感してしまった。
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「零落」

2023-04-17 06:15:27 | 映画の感想(ら行)
 監督としてはあまり実績を残せていない竹中直人のメガホンによる作品なので正直大して期待していなかったのだが、実際観てみると悪くない出来だった。万全の内容とは言い難いが、ドラマがまとまりを欠き空中分解することは決してなく、主人公に感情移入したくなる箇所もある。最近観た日本映画の中では、印象に残った部類だ。

 漫画家の深澤薫は、8年もの間連載してきた作品を完結させ、つかの間の休息の時間を迎えていた。ところが、満を持して取り掛かるはずの次回作のアイデアが浮かばない。気が付けば編集者でもある妻のぞみとの関係も冷え切り、雇っていたアシスタント達のアフターケアも考慮せねばならず、気苦労ばかり募る日々だ。



 ある日、気晴らしに風俗店を訪れた彼は、猫のような眼をしたミステリアスなヘルス嬢ちふゆに出会う。元より猫っぽい女が好きな薫は余計な詮索なんかしないサバサバした性格の彼女にのめり込み、果ては帰省するちふゆの故郷まで付いて行く。浅野いにおによる同名コミックの映画化だ。

 主人公の薫は才能はあるのだろうが、長期連載が終わった後の読者層や業界筋との関係を、仕切り直しすることが出来ない。私生活も危機に陥り、宙ぶらりんのまま無為に毎日を送るしかない。こういう“中年の危機”みたいな様相は上手く描写されていると思う。そして、縋り付くように行きずりの女と懇ろになるあたりも、気持ちは分かる。

 また、出版業界のいい加減さも紹介される。連載中は薫をチヤホヤしていたくせに、新作がなかなか出なくなると手のひらを返したような塩対応。ファミレスでの逆ギレ場面はエゲツなくて苦笑してしまった。果ては深みは無いがウケが良い軽佻浮薄な作品を売り込んで成果を上げる。もっとも、通俗的なヒット作と薫が目指していたらしい作家性本位の漫画の何たるかが説明されていないのは落ち度だろう。

 主演の斎藤工は好調で、人生投げたような捨て鉢な雰囲気が良く出ている。抜け目なさそうな妻役のMEGUMI、根性腐ったようなアシスタントの女を演じて新境地開拓の山下リオ、トレンディ(?)な人気を誇る女性漫画家に扮した安達祐実、超太めの風俗嬢役の信江勇など、女優陣はかなり健闘している。

 しかし、ちふゆを演じる趣里は演技指導が不十分なのか、今回は意外と精彩が無い。同じく猫みたいな女優ならば、主人公の若い頃の交際相手に扮した玉城ティナの方が数段上だ。映像面では柳田裕男のカメラによる茫漠とした海の風景が印象的。竹中作品では珍しい“映像派”方面に振った絵作りだ。志磨遼平の音楽も良い。
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「ランナウェイ・シーフ」

2023-04-14 06:11:02 | 映画の感想(ら行)
 (原題:CHOR NIKAL KE BHAGA )2023年3月よりNetflixより配信。歌も踊りも出てこない(笑)インド製のサスペンス・アクション編で、上映時間も1時間40分とコンパクト。開巻からしばらくは安手のテレビドラマ並の上等ではない建て付けで、正直言って鑑賞意欲は減退気味。しかし、中盤を過ぎると観る者の予想を裏切るアクロバティックな展開が続き、結局は最後まで見入ってしまった。

 大手航空会社にCAとして勤務するネハ・グローヴァーは、乗客の一人であったアンキットと親しくなり、やがて婚約する。しかし、一見カタギのビジネスマンのアンキットは、事業がうまくいかずヤバい筋から多額の借金をしていた。キツい取り立てにより瀬戸際に追い込まれた彼は、中東から空路で密輸されるダイヤを強奪しようと画策。乗務員のネハに無理矢理に協力させ、旅客機に搭乗するブローカーを出し抜こうとする。ところが、飛行中にまさかのハイジャック犯のグループが機内を制圧。乗客を人質に取ってテロリストの親玉の釈放を政府に要求する。

 主人公2人の馴れ初めからアバンチュールまでは、どこぞのライトノベルみたいな雰囲気で盛り下がり、アンキットのヤクザな交友関係の紹介を経てダイヤ泥棒計画に至る顛末も凡庸。突然のハイジャックも、緊張感を欠く。しかし、本編のハイライトはハイジャック事件の終結後だというのが目新しい。

 後半は当事者同士の腹の探り合いや、主要登場人物が意外な本性を次々とあらわすといった(半ばヤケクソ気味の)ドンデン返しが続き、終盤には真の悪役が明示されるといった案配だ。もちろん、欧米製の本格的コン・ゲーム作品と比べれば洗練はされていないが、何とか観る者を楽しませようとする意図は感じ取れる。アジャイ・シンの演出には特筆されるようなものは無いが、何とかラストまで破綻なくドラマを引っ張っているように感じられた。

 ネハに扮するヤミー・ガウタムはインド女優らしいゴージャスな美人。対して男優陣は、アンキットを演じるサニー・コウシャルをはじめ、どいつもこいつも濃くてむさ苦しい(苦笑)。最近はインド映画界にも垢抜けた二枚目男優も目立つとは聞くが、まだトレンドを形成するには至っていないようだ。
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「理想の男になる方法」

2023-02-26 06:15:30 | 映画の感想(ら行)
 (原題:WHEN WE FIRST MET )2018年2月よりNetflixより配信。タイムループをネタにしたラブコメディという、過去に何回も見かけたような設定のシャシンだ。しかし、変化球を交えた筋書きとキャスティングの妙、そして効果的なギャグの数々と、観て退屈しないレベルに仕上げられている。お手軽な作品だが、最後まで気分を害さずに付き合えるのは有り難い。97分という短めの尺も適切だ。

 ピアノバーの従業員であるノア・アシュビーは、女友達のエイヴリー・マーティンとイーサンの婚約記念パーティーに参加していた。実はノアは3年前のハロウィンにエイヴリーと知り合って一目惚れしたのだが、いつの間にか彼女はイーサンと恋仲になっていた。

 ヤケ酒をあおって泥酔したノアを、エイヴリーの友人キャリーが職場のピアノバーまで送っていくが、彼は店に設置してあったプリクラで写真を撮った後、そのまま眠りこけてしまう。気が付くと、時間がエイヴリーと会った日に戻っていた。これ幸いとノアはエイヴリーを口説きにかかったのだが、彼女のプロフィールを必要以上に明かしたおかげで怪しまれて失敗。ならばと彼は再度のタイムスリップを試みる。



 通常の(?)タイムループ物と違い、時間遡及が二段階で発生するのが面白い。主人公は一度3年前に戻ったあと、そこから一気に現在の時制にジャンプするのだ。つまり、3年前の彼の言動が現在の状況にどう影響するのかを瞬時に見せてくれる。御都合主義の展開かもしれないが、それがテンポの良さにも繋がっている。また、タイムスリップを繰り返すうちにノアが“意外な事実”に気付いて軌道修正しようとするのだが、そう上手くいかないあたりもよく考えられている。

 アリ・サンデルの演出は特段才気走ったところは無いが、スムーズにドラマを進めている。そして元々コメディアンであった主演のアダム・ディヴァインの持ち味を存分に引き出して、かなり笑わせてくれる。特に、ストーカーに間違えられて散々な目に遭うくだりは大ウケだった。エイヴリー役のアレクサンドラ・ダダリオをはじめシェリー・ヘニッヒ、アンドリュー・バチェラー、ロビー・アメルといった他のキャストは馴染みが無いが、皆芸達者で作劇の足を引っ張っていないのには感心する。舞台になったルイジアナ州ニューオーリンズ(ジャズの発祥地として名高い)の南部らしい明るい風情も捨てがたい。
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「ロザリンとライオン」

2023-01-09 06:05:07 | 映画の感想(ら行)
 (原題:ROSELYNE ET LES LIONS )89年作品。2022年に惜しくも世を去ったジャン=ジャック・ベネックスの監督作はいずれも“語る価値のある”映画ばかりだが、本作も素晴らしくヴォルテージが高い。個人的には彼の出世作「ディーバ」(81年)と同格か、それ以上の出来かと思っている。聞けばDVD化もされていないとのことで、これほどの作品が現時点では目にする機会があまり無いのは実に惜しいことだ。

 マルセイユに住む気弱な高校生ティエリーは、ある日動物園の檻の中でライオンに鞭を振う若い娘ロザリンの姿を見て一目惚れしてしまう。何とかして彼女の近くにいられるように、自分も猛獣使いになることを決心した彼は、ロザリンの師匠フラジエに弟子入りすることに成功。しかし職場でのトラブルで2人は動物園を追われ、放浪の旅に出る。その後彼らは苦労の末にドイツの有名サーカス団に採用されるものの、現実は厳しくまだまだ試練は続く。



 年若い主人公たちが鍛練を積んで大舞台で活躍するという、映画のアウトラインは典型的なスポ根路線だ。しかし、実際観てみるとその印象は薄い。平易なストーリー展開よりも、映像の喚起力が半端ではない。エクステリアで観る者を捻じ伏せるタイプのシャシンだ。

 まず、ジャン=フランソワ・ロバンのカメラによる巧妙な画面構成と色使いに感心する。各ショットがそれぞれ一枚の絵のように練り上げられており、また色調の鮮やかさには目を奪われる。猛獣ショーの場面の臨場感は凄く、映画を観る者がまるで至近距離でこのアトラクションに接しているかのようだ。

 そして、ヒロインに扮するイザベル・パスコの存在が光る。半裸に近い格好でライオンと対峙するのだが、エロティシズムよりも野生動物と同等のしなやかさと危うさが横溢する。特に彼女の白い肌に浮かぶ汗にステージのライトが反射して輝くシーンなど、陶然とする美しさだ。ベネックスの演出は主人公たちを助ける英語教師の扱いなどにドラマ運びにおける個性を感じさせるが、おおむねストーリーを進める点では目立ったケレンは無い。ティエリーがメインとなるエピソードでは、静けさが目立つほどだ。その分、ロザリンの猛獣使いとしてのパフォーマンスはこれ以上に無いほどに盛り上げてくる。

 クライマックスは終盤の満員の観衆の前でのショーだが、スリリングなカメラワークとラインハルト・ワグナーによる効果的な音楽で場を高揚させた後、ラストで“背負い投げ的な”大仕掛けを持ってくる。パスコの他にも、ティエリー役のジェラール・サンドスやフィリップ・クレヴノ、ギュンター・マイスナー、ガブリエル・モネといったキャストは万全。いわば“青春スペクタクル映画”の傑作だ。
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「ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ」

2022-12-24 06:21:57 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE ELECTRICAL LIFE OF LOUIS WAIN )箱庭のように美しいエクステリアを持つ映画だ。昨今珍しい35ミリ・スタンダードサイズの画面が実に効果的。内容もお涙頂戴の“感動巨編”ではないことはもちろん、対象をドキュメンタリー・タッチに突き放したスノッブなシャシンでもない。一人の芸術家の生涯を平明に追った映画であり、この時代に生きた人間として哀歓も無理なく織り込まれている。良作と言っていい。

 1860年にロンドンの上流階級に生まれたルイス・ウェインは、早くに父親を亡くし、一家を支えるためにイラストレーターの仕事を始める。妹の家庭教師としてやってきたエミリーと恋仲になるが、彼女は労働者階級であり年齢も10歳も上だ。周囲からの反対を押し切り結婚する2人だが、幸せは長くは続かずエミリーは末期ガンを宣告されてしまう。ある日、ルイスは庭に迷い込んできた子猫を保護し、ピーターと名付けて飼うことにする。そしてエミリーのために猫のイラストを手掛けるが、これが評判を呼び、一躍彼の名は知られるようになる。猫のイラストで人気を集めたイギリスの画家L・ウェインの伝記映画だ。



 主人公はアーティストではあるが、同時に統合失調症を患っており、歳を重ねて病状が進むにつれ画風が変化していくことが若い頃に読んだ心理学関係の文献に載っていたが、今ではそれは真相ではないことが明らかになっている。タッチの変化は彼が試した方法論のバリエーションに過ぎなかったのだ。

 とはいえ、若くして家族を養うことを義務づけられ、愛した妻は若くして世を去り、しかも経済的感覚に乏しいために生活が楽になることは無かった。その気苦労がメンタル的に悪影響を及ぼしたことは想像に難くない。ただ、もっと上手く立ち回れば良かったと思うのは“後講釈”だろう。この時代で、この境遇にありながら自らの芸術的指向を全うしたことは評価すべきだと思う。

 ウィル・シャープの演出はケレンを廃した堅実なもので、派手さは無いが丁寧だ。主演のベネディクト・カンバーバッチはこういう役柄は得意で、今回も横綱相撲的なパフォーマンスを披露している。相手役のクレア・フォイも好演で、アンドレア・ライズボローにトビー・ジョーンズ、タイカ・ワイティティ、ニック・ケイヴといった脇の面子も申し分ない。

 そしてエリック・アレクサンダー・ウィルソンのカメラによる映像は見事としか言いようがなく、この映画自体が一つの絵画のようだ。あと余談だが、ルイスが猫の魅力を示す前は、猫というのは“ネズミを捕るためのツール”としか認識されていなかったことは驚きだ。だから、犬と違って猫に対する学術的研究はここ百年あまりの歴史しかないという。今後の経緯に注目したい。
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「ローリング・サンダー」

2022-11-18 06:18:35 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Rolling Thunder )77年作品。70年代後半からアメリカ映画界ではベトナム戦争を扱ったものが目立つようになる。「ディア・ハンター」(78年)や「地獄の黙示録」(79年)あたりが代表作とされているが、それらに先立つシャシンにも見逃せない作品はいくつか存在する。この映画はその中の一本だ。

 1973年、テキサス州のサンアントニオの空港に8年の長きにわたって北ベトナムの捕虜になっていた空軍少佐チャールズ・レインが降り立つ。戦場の英雄の帰還に地元は沸き立つが、本人の心は晴れない。捕虜収容所でのトラウマは容易に払拭出来るものではなかったのだ。しかも、再会した妻は彼の留守中に他の男と懇ろになっていた。そんな中、メキシコのギャング団が家に押し入り、妻と息子は殺害される。チャールズも重傷を負い、生死の境をさまよう。ようやく回復した彼は、共に帰国したジョニーと一緒にギャングの一団を片付けるべくメキシコに向かう。

 マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」(75年)と似た話だと思っていたら、脚本家は同じくポール・シュレイダーだった。しかし、主人公の観念的な衝動のみで大立ち回りが展開するあの映画とは違い、本作のチャールズの言動はベトナム戦での体験が明確に反映されている。

 彼は家族を失っても、右腕を負傷しても、感情を表に出さない。彼の心はあの戦場に置き去りになったままなのだ。チャールズが再び能動的になるためには、あの戦争の“続き”を始めるしかない。軍服に身を包み、ジョニーと連れ立って敵のアジトに殴り込む彼の姿は、ベトナムでの“落とし前”を付けるように精気に満ち溢れている。

 アクション編に関しては定評のあるジョン・フリンの演出は闊達で、ドラマが弛緩することはない。終盤の活劇場面の盛り上がりも大したものだ。そのあとの無常的な幕切れも忘れ難い。主演のウィリアム・ディベインはニヒルな役柄を過不足なくこなしている。ジョニー役のトミー・リー・ジョーンズも好演だが、この頃は若い(笑)。チャールズを慕う酒場女に扮したリンダ・ヘインズは儲け役だ。

 決して大作ではないが、クエンティン・タランティーノはお気に入りの映画と公言しており、石井聰亙監督の「狂い咲きサンダーロード」(80年)やジョージ・ミラー監督の「マッドマックス2」(81年)など、インスピレーションを受けたと思しき作品もけっこう存在する。
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