元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」

2023-01-30 06:15:57 | 映画の感想(英数)
 (原題:SHE SAID)本作を観て思い出したのが、アラン・J・パクラ監督の「大統領の陰謀」(76年)だ。新聞社を舞台に、2人の記者が社会問題に挑む実録映画という形式は共通している。もっとも、あの映画の題材はウォーターゲート事件で、対して本編で扱っているのは有名映画プロデューサーのセクハラ案件だ。だからネタとしては軽量級かと思われるかもしれない。しかし、社会的影響度に関しては大統領の政治スキャンダルに勝るとも劣らない。映画のクォリティもアカデミー賞候補になったパクラ作品に肉薄している。

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターは、大手映画会社“ミラマックス”の設立者であり、敏腕プロデューサーとしても知られたハーヴェイ・ワインスタインが女優や女性スタッフなどに対して性的暴行をはたらいているという話を聞きつけ、独自に取材を開始する。すると、ワインスタインの悪行は常態化しており、彼はこれまで何度もマスコミの記事をもみ消してきたことを知る。今回もニューヨーク・タイムズ紙は妨害を受けるが、2人はこのヤマを逃すことを潔しとせず、果敢に対象にアタックする。トゥーイーとカンターによるルポルタージュの映画化だ。



 主人公2人は家庭を持っており、決して仕事一辺倒のジャーナリストではない。特にトゥーイーは劇中で子供を持つことになる。決して独りよがりにもヒステリックにもならず、上司や同僚たちとの関係も良好に保ちつつ、粛々とミッションを遂行する。彼女たちの境遇に比べると、ハリウッドの有様には言葉を失うしかない。

 よく“芸能界は一般世間の常識が通用しない場所だ”というような物言いをする向きを見掛けるが、だからといって“ギョーカイでは何でもあり”という結論に何の疑問もなく行き着いてしまうのは、思考停止でしかない。昔はそれが通用していたというのも、言い訳にもならないのだ。

 マリア・シュラーダーの演出は余計なケレンを配した正攻法のもの。真正面から問題に取り組む覚悟が窺える。トゥーイーに扮するキャリー・マリガンのパフォーマンスには、初めて感心した。役柄を選べば、真価を発揮する俳優だ。カンター役のゾーイ・カザンの抑制の効いた演技も申し分ない。

 パトリシア・クラークソンにアンドレ・ブラウアー、ジェニファー・イーリーといった他のキャストも良好だが、アシュレイ・ジャッドが本人役で出ているのはインパクトが大きい。それだけ事は重大であり、いわゆる#MeToo運動の嚆矢になった出来事は、断じて芸能ネタで終わらせてはならないという作者の気迫が感じられる。ナターシャ・ブライエによる撮影、ニコラス・ブリテルの音楽、共に及第点である。
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「スラップ・ショット」

2023-01-29 06:55:17 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Slap Shot )77年作品。「明日に向って撃て!」(69年)などの秀作をモノにしてアメリカン・ニューシネマの旗手とも言われたジョージ・ロイ・ヒル監督にも、こういうレイド・バックしすぎたようなお手軽な作品があったのだ。マジメに対峙するとバカを見るが(笑)、“しょうがねえなァ”と内心ツッコミを入れながら気楽に接すれば腹も立たない。それどころか「華麗なるヒコーキ野郎」(75年)の後に斯様なシャシンを平然と撮る作者の豪胆ぶりに感服してしまう。

 ボストンを本拠地とするチャールズタウン・チーフスは、北米プロアイスホッケー傘下のマイナーリーグに属しているが、万年下位のお荷物チームだ。選手兼任監督のレジをはじめ、メンバーは覇気のない連中ばかり。新たに加入したハンセン3兄弟も、人前には出せないヤバいキャラクターの持ち主。ところがある試合で欠員の補充のためやむなく彼らを出場させたところ、想像を絶するラフプレイを披露して観客からは大喝采を浴びる。これに味をしめたレジは、バイオレンス路線で話題を作ろうとする。その試みは成功し、客の入りも成績も急上昇。ついにはリーグ優勝決定戦に駒を進める。



 落ちこぼれどもが奮起して大舞台で活躍するという、いわゆるスポ根映画のルーティンはあえて採用していない。チーフスは徹頭徹尾ダメなチームだし、終盤ぐらいは正攻法で盛り上がるのかと思ったら、期待を明後日の方向で裏切ってくれる。選手はお下品な連中ばかりで、繰り出すギャグも下ネタ中心。ほぼ“掃き溜めに鶴”状態の有名大卒のインテリであるネッドも、クライマックスではチーフスの一員らしい所業に及ぶ。

 これほどまでスポ根にケツを向けた映画も珍しいのだが、ジョージ・ロイ・ヒルの演出はリラックスして与太話の披露に専念しており、あまり腹も立たない。また、チームのオーナーが遣り手の女性という設定は「メジャーリーグ」(89年)を思い出すが、こっちが“元祖”だろう。主役のポール・ニューマンはこういうタイプの映画には不似合いかと思わせるが、監督との付き合いもあるし、何より楽しそうに演じているのが良い。

 ネッドに扮したマイケル・オントキーンをはじめ、ストローザー・マーティン、ジェリー・ハウザー、ジェニファー・ウォーレン、リンゼイ・クローズ、メリンダ・ディロンなどの面子も好調。エルマー・バーンスタインの音楽と、フリートウッド・マックやレオ・セイヤー等の既成曲の使い方も堂に入っている。
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「そして僕は途方に暮れる」

2023-01-28 06:10:27 | 映画の感想(さ行)
 本作に限らず人間のクズを主人公にしたシャシンは少なくないが、この映画はそのクズっぽさが中途半端で煮え切らないことがミソである。しかも、それが作品の瑕疵になっておらず、幾ばくかの共感さえ覚えてしまうあたりが玄妙だ。殊更大きく持ち上げるような映画ではないものの、観て損はしないレベルには仕上げられている。キャストも、ごく一部を除けば好調だ。

 新宿のアパートで恋人の鈴木里美と長年暮らしている菅原裕一は、かつては映画業界を志望していたらしいが、今は自堕落な生活を送るフリーターだ。ある日、浮気がバレて里美に問い詰められた彼は、ロクに話し合うこともなく逃げるように家を飛び出す。親友の今井伸二のマンションに転がり込むが、居候らしからぬ横着な態度が災いして追い出される。



 さらに裕一はバイト先の先輩や学生時代の後輩、姉の香の元を転々し、とうとう母親の住む北海道の苫小牧まで落ち延びる。ところがここでも腰を落ち着けられず、あてもなくさ迷い出たところで出会ったのが、離婚して家を出たはずの父親の浩二だった。三浦大輔の作・演出による同名の舞台劇の映画化で、三浦は監督も手掛けている。

 裕一は典型的なダメ人間だが、他者と向かい合って自らのダメっぷりを認識することも出来ない。そうする前にそそくさと逃げ出す。自分を見つめ直すことが怖くてたまらないのだ。こんな奴を批判することは容易いが、困ったことにこういう“現実を見据えることを避ける”という面は、(程度の差はともかく)誰にでもあったりする。逆にもしも“自分は現実逃避なんかにまったく縁は無い。絶えずリアリティに準拠して生きている”などと公言する奴がいたら、信用できない(笑)。

 そんな“優柔不断なクズ”である裕一が、“真性のクズ”である父親と再会したことを切っ掛けに、思わず自らを省みてしまうという筋書きは、けっこう説得力がある。彼が関係者たちの前で内心をブチまけるシーンは本作のクライマックスと言えるだろうが、それよりも逆境に対して“面白くなってきやがった”と嘯く浩二の開き直りぶりがアッパレだ。

 主役の藤ヶ谷太輔の演技は初めて見るが、憎み切れないクズを上手く表現している。浩二に扮する豊川悦司の怪演、中尾明慶に毎熊克哉、野村周平、香里奈、そして原田美枝子など、キャストは概ね良い仕事をしている。ただし、里美を演じる前田敦子だけは話にならない。彼女はいつになったら演技が上手くなるのだろうか。エンディング曲は大澤誉志幸によるお馴染みのナンバーのセルフカバーだが、出来れば元々のバージョンを流して欲しかった。
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「とりたての輝き」

2023-01-27 06:16:31 | 映画の感想(た行)
 81年作品。製作元は東映セントラルフィルムで、どう見ても単館系の興行が相応しい内容と規模のシャシンだが、当時は“諸般の事情”によって井上眞介監督の「夏の別れ」との二本立てで東映系で全国拡大ロードショーの扱いになったらしい。いわば番線の“穴埋め”としての公開で、客の入りも期待できるものではなかったが、昔はこのようなイレギュラーな興行が罷り通っていたのだろう(現在なら在り得ない)。

 タイトルの“とりたて”とは借金取りのことで、語感から受ける爽やかさとは無縁だ。少年院出身の雄也は、兄貴分の英次と組んでサラ金の取り立てを請け負っている。その手口は実に悪質で、サラリーマンの女房は乱暴した挙句に返済のために売春を強要、高校の教師には娘の大学まで押しかけて迷惑行為のし放題と、手段を選ばない。2人の私生活も荒み切っており、付き合う女はモノ扱いだ。

 そんな中、雄也の以前の交際相手であった桂子が赤ん坊を連れて押しかけて来る。子供は雄也との間にできたもので、彼女は別れた後に内緒で産んだという。さらには英次が取り立てた金を使い込んで逃亡。雄也は連帯責任を問われ、窮地に陥る。著名な脚本コンクールである城戸賞の80年度佳作入選作の映画化で、執筆した浅尾政行が監督も担当している。

 とにかく、主人公たちの無軌道な生活を一点の救いもないほどに突き放して描いているのが印象的だ。彼らの過激なおこないは本人たちのプラスにもならないどころか、鬱憤晴らしやストレス解消にさえなっていない。やればやるほど気分が落ち込んでいくだけだ。しかし、他に何もすることが無い。それだけの教養や人生経験を持ち合わせていない。社会から見捨てられた若者のヒリヒリした内面が、痛いほど伝わってくる。

 しかしながら、これが監督デビュー作にもなった浅尾政行の仕事ぶりは万全とは言い難く、思い切った仕掛けや、ここ一番の見せ場が無い。もっとケレンを活かした方が良かった。それでもキャストは健闘しており、主演の本間優二と田村亮のコンビネーションは良好だ。森下愛子や滝沢れい子、原日出子、水島美奈、そして宮下順子など、その頃の旬の女優たちが本領を発揮しているのも嬉しい。音楽を羽田健太郎が担当しているというのも、意外な起用だ。
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「恋のいばら」

2023-01-23 06:22:57 | 映画の感想(か行)
 最近の城定秀夫監督の多作ぶりには驚かされる。昨年(2022年)には4本をこなし、2023年にも複数が待機している。一時期の三池崇史や廣木隆一に匹敵するペースだ。しかし城定が彼らと違うのは、ある一定のレベルはキープしていること。びっくりするほどの傑作は無いかもしれないが、箸にも棒にもかからない駄作も見当たらない。職人監督としての手腕は評価すべきで、本作も気分を害さずに劇場を後に出来る。

 図書館に勤める富田桃は、最近交際相手の湯川健太朗にフラれたばかり。それでも未練がましく健太朗のSNSをチェックしていると、彼に真島莉子という新しいカノジョが出来たことを知る。しかも莉子は垢抜けない桃とは正反対の洗練された容姿の持ち主だ。そんな中、桃は健太朗のパソコンの中に交際中に撮った“不都合な写真”が保管されていることに思い当たる。何かの拍子に悪用されてはたまらないので、彼女はその写真データを抹消するために敢えて莉子に接近する。



 軟派な男と、タイプの違う2人の女子との三角関係のドラマの体裁を取っていながら、途中から映画の様相がまったく違ってくるところが面白い。さすが「愛がなんだ」(2019年)の澤井香織の脚本だけのことはある。とにかく、先が読めないのだ。写真データをめぐる“攻防戦”は物語のベースとして終盤まで機能させつつも、次第に健太朗の影が薄くなり、物語は意外な場所に着地する。

 考えてみれば、桃が莉子に“共闘”を持ち掛けた時点で一筋縄ではいかない展開を予想すべきだったのかもしれないが、絵に描いたようなラブコメ風のエクステリアが巧妙に観る者をミスリードする。城定の演出は殊更奇を衒った様子はなく、手堅くドラマを進めていく。イレギュラーな筋書きを伴うからこそ、このような正攻法のアプローチが相応しい。

 キャストでは、松本穂香と玉城ティナのダブル・ヒロインが最高だ。見た目もキャラクターも正反対ながら、この好対照ぶりが後半の展開の伏線にもなるという巧妙さ。パフォーマンスも申し分ない。軽薄野郎を上手く演じた渡邊圭祐をはじめ、中島歩に北向珠夕、不破万作、片岡礼子と脇の面子は揃っているし、白川和子が怪演を見せてくれるのもポイントが高い。城定監督の仕事からは当分目が離せないようだ。
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辻村深月「傲慢と善良」

2023-01-22 06:07:11 | 読書感想文

 直木賞作家の肩書きを持つ辻村深月の作品は今まで何冊か読んでいるが、いずれもピンと来なかった。とにかくキャラクターの掘り下げも題材の精査も浅く、表面的でライトな印象しか受けない。とはいえ、私がチェックしたのは初期の作品ばかり。最近は少しはテイストが違っているのかと思い、手にしたのが2019年に上梓された本書。だが、残念ながら作者に対する認識は大きく変わることはなかった。

 東京で小さな会社を営む西澤架は、30歳代後半になって本格的に始めた婚活が実を結び、坂庭真実との挙式を半年後に控えていた。だが、ある日彼女は忽然として姿を消す。かねてよりストーカーの存在を疑っていた真実の態度を思い出した架は、彼女の故郷である群馬県まで足を伸ばし、真実の過去の交際相手たちと面会する。

 小説は二部構成で、前半は架の視点から、後半は真実を主人公にして進められる。第一部はまだ興味深く読める。失踪した婚約者の行方を追う中で、架は彼女の意外な経歴と人間的側面を知ることになる。地元でどういう職に就いていたのか、家族との関係はどうだったのか、なぜ上京したのか等、今まで彼が関知しなかった事柄が次々と判明する。また、当の架も婚活に踏み切った動機が幾分不純であったことが示される。

 まあ、ここまでは語り口は少し下世話ながらミステリーとしての興趣は醸し出され、けっこうスリリングだ。しかし、第二部になるとヴォルテージがダウン。真実の立場やメンタリティというのは“この程度”なのかと落胆するしかなかった。とにかく、愚痴めいた言い訳の連続で、ひょっとしてこれが女性の本音として一種の普遍性を保持しているのかもしれないが、読んでいて面白いものではない。もっとエンタテインメントとして昇華するような工夫が欲しかった。

 そんな調子で気勢が上がらないままページが続き、やがて脱力するようなラストが待っている。主人公2人以外に共感できる者がいればまだ救われたが、どいつもこいつも愉快ならざる面子ばかり。真実の母親や過去のお見合い相手、架の女友達など、よくもまあ付き合いきれない人間ばかり集めたものだと呆れてしまう。

 もっとも“類は友を呼ぶ”という諺があるように、考えの浅い人間の周りにはそれなりのレベルの者しか寄ってこない傾向にあるというのも本当のことだろう。しかし、欠点だらけの者と傑出した人間との邂逅も実際は有り得るし、それを面白く描くのも小説の在り方だ。あられも無い本心ばかり垂れ流すだけでは、物語の体を成さない。とにかく、辻村の作品とは距離を置いた方が良さそうだ。
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「ドリーム・ホース」

2023-01-21 06:15:35 | 映画の感想(た行)

 (原題:DREAM HORSE )評判通りの面白さだった。実話を元にしたスポーツ・サクセス・ストーリーで、筋書きは一直線ながらこの手のシャシンでは大正解だ。ヘタに“脇道”の話に拘泥したり、余計な“作家性”を前面に出して観る者を困惑させたりする必要はない。しかも舞台とキャラクターの設定は、元ネタ自体がトレースするだけで興趣を生み出すような訴求力を持っている。何の衒いも無く映像化すれば、好結果が得られるのだ。つまりは企画の勝利だろう。

 英国ウェールズ南部の小さな町ブラックウッドに住む主婦ジャン・ヴォークスは、無気力な夫の相手をしつつ、スーパーでのパートと親の介護に追われる単調な生活を送っていた。ある日、彼女はパブで共同馬主の話を聞き、強く興味を持つ。一念発起して血統の良い牝馬を貯金をはたいて購入するものの、飼育資金まで手が回らない。そこでジャンは周囲の人々に馬主組合の結成を呼びかけ、町全体で競走馬を養う運びになる。

 産まれた子馬は“ドリームアライアンス(夢の同盟)”と名付けられ、地道なトレーニングの末に奇跡的にレースを勝ち進む。やがてその活躍は、町の雰囲気を変えていく。2004年から2009年にかけてウェールズの競馬シーンで好成績を収めた、実在の競走馬とそれを取り巻く人々を描くドラマだ。

 ブラックウッドは元は炭鉱町だったらしいが、閉山後は寂れて住民たちにも覇気がない。そもそもウェールズ自体、イギリスの他の地域に比べて人口当たりの経済的な成果は低い。そんな愉快ならざる環境の中、孤軍奮闘するヒロインが徐々に賛同者を増やし、逆風を跳ねのけていく様子は観ていて気持ちが良い。

 ジャンの他にも、一見頼りなさそうだが実は経験豊富な税理士のハワードや、惰性で人生送っているようだが内心では夢中になれるものを求めている夫のブライアンなど、キャラクターが“立って”いる面子が勢揃いしている。いずれも後ろ向きなポーズは不遇な状況ゆえであり、人間、切っ掛けさえあれば誰しも底なしの行動力を発揮するものだという、ポジティブなスタンスが嬉しい。

 レース場面はかなりの迫力で、日本ではあまり馴染みが無い障害物レースの興趣が存分に味わえる。一時はトラブルでピンチになるが、そこから巻き返すという筋書きは定石通りながら好ましい。ユーロス・リンの演出はスムーズで、ドラマ運びに淀みは無い。主演のトニ・コレットをはじめ、ダミアン・ルイス、オーウェン・ティール、ジョアンナ・ペイジ、ニコラス・ファレル等、キャストは皆好調。キャサリン・ジェンキンスが本人役で出ているのも興味深く、ウェールズ出身のトム・ジョーンズのヒット曲「デライラ」が流れるのも効果的だった。
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音楽ストリーミングサービスの導入を検討してみる。

2023-01-20 06:20:45 | プア・オーディオへの招待
 去る1月13日、音楽配信サイトe-onkyoの運営元であるXandrie(ザンドリエ) Japanは、2023年度後半にストリーミングサービスをフランス発のハイレゾ音楽配信キャリアQobuz(クーバス)へ移行することを発表した。実現すれば、国内外の約9000万曲がハイレゾ仕様で商品ラインナップとなるという。

 元よりXandrieはQobuzの関連会社であり、今回明らかにした施策は2021年から準備していたらしい。もう一つの世界的サブスクリプション大手TIDAL(タイダル)の日本での正式サービス開始が未定である現在、音楽ファンにとっては耳寄りなニュースになりそうだ。しかもJ-POPの音源も豊富なe-onkyoとの提携は、上手くいけば多くの国内ユーザーを獲得できるかもしれない。



 今のところ、ハッキリとした運用開始時期は確定しておらず、新たな料金体系も明示されていないが、条件次第では私も導入を検討したいと思っている。理由は、最近パッケージメディアの収納スペース確保が厳しくなってきたからだ。LPレコードはあと数十枚しか増やせないし、CD保管棚も満杯になりつつある。あまり聴かないディスクは適宜処分するとしても、いずれは限界に達する。対してストリーミングサービスを利用すれば、その心配は無い。

 もっとも、私は以前ハイレゾ音源のネット配信についてネガティヴな意見を表明したことがあったが(苦笑)、あれは10年近く前の話。あれからPCオーディオに関するイノベーションは進んだらしく、総合音楽再生ソフトもRoonのような優れモノがリリースされてきた。取り入れるだけの環境は揃ってきたと言える。

 しかしながら、導入にはまとまった資金は必要だ。まず、パソコンはもう一台欲しい(在宅勤務用の予備機を兼ねる)。DACの更改も必要になってくるかもしれないし、Roonのライセンス料もバカにならないだろう。調子に乗ってスピーカー等の買い替えまで考えるようになったら、泥沼にハマりそうである。物事、そう上手くはいかないものだ(^^;)。
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「川のながれに」

2023-01-16 06:07:55 | 映画の感想(か行)

 いわゆる“ご当地映画”のメリットを最大限に活かしており、好感度が高い。もしも同じようなスキームを、都会を舞台にした全国一斉拡大公開するようなシャシンで展開したら、ウソっぽくて観ていられないだろう。しかも、扱われている主題自体は決してワザとらしかったり独りよがりなものではなく、確固とした普遍性を保持しているあたりも評価出来る。

 栃木県那須塩原市を流れる箒川でスタンドアップパドルボード(SUP)のインストラクターをしている君島賢司は母子家庭で育ってきたが、その母が病気で他界して一人きりになってしまう。葬儀の日に彼は、那須塩原に移住してきたイラストレーターの森音葉と出会う。彼女は世界中を旅してきたのだが、縁あってこの地に落ち着くことを決めたのだ。

 そんな中、元カノで東京在住の碧海が突然帰省してくる。賢司の母の葬儀に参列するためというのが表向きの理由だが、実はヨリを戻したいのだ。さらに、何と彼が小さい頃に事故死したと思われていた父親の翔一が姿を現す。予想外の出来事の連続で、賢司は改めて今までの人生が正しかったのか自問自答するのだった。

 主人公の立場は確かに特殊だ。父親とはイレギュラーな形で一度別れているし、そもそも母親が世を去った時期とシンクロするように賢司の周りに多様な人物たちが全員集合してしまうという筋書きは御都合主義だろう。しかし、これが那須塩原の美しい自然をバックに展開してしまうと、不思議なことにあまり違和感は無い。

 何より、御膳立ては変化球だが主人公および彼を取り巻く者たちの屈託が共感を抱かせるものになっている。それはつまり、過去に流されたままで良いのか、あるいは新規まき直しに専念した方が賢明なのかという逡巡だ。結論として本作は“過去に拘泥して何が悪い!”と言い切っているのがある意味痛快だが、それは断じて過去の思い出に浸ったままで前に進まないことではない。

 過去をディープに掘り下げて自身の原点を見据えた上で、何をすべきか決めるという、能動的な姿勢である。それを象徴するのが、終盤近くの主人公たちの“旅”だ。箒川の源流を求める行程は、彼らのアイデンティティーを探るプロセスでもある。杉山嘉一の演出は派手さは無いが、各キャラクターを丁寧に扱っていて好感が持てる。

 前田亜季に青木崇高、音尾琢真といった名の知れた俳優も出ているのだが、主演の松本享恭をはじめ小柴カリン、大原梓といった主要キャストは馴染みが無い。だが、皆良い味を出している。鳥居康剛のカメラが捉えたこの地方の風景は味わい深い。また、公開を“ご当地”だけではなく全国各地に広げてくれたのも有り難い。
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「かがみの孤城」

2023-01-15 06:14:03 | 映画の感想(か行)
 観終って、これは子供向けのシャシンかと思ったが、よく考えると主人公たちと同年代の若年層が鑑賞して果たして納得できるかどうかも怪しい。それだけ低調な出来である。ところがなぜか絶賛している向きが少なくない。それも子供だけではなくいい年の大人まで“感動した”というコメントを残していたりする。アニメーションだから採点が甘くなるのかもしれないが、あまり好ましい傾向だとは思えない。

 中学一年生の安西こころは、同じクラスの真田美織をリーダー格としたイジメのグループから手酷い目に遭わされていた。そのため不登校になり、部屋に閉じこもる毎日だ。ある日、自室の鏡が光り始めて彼女はその中に吸い込まれてしまう。そこは城の中で、6人の見知らぬ中学生がいた。そこに“オオカミさま”と名乗る狼のお面をかぶった少女が現れ、一年以内に城のどこかに隠された秘密の鍵を見つければ、どんな願いでも叶うと告げる。辻村深月の同名小説(私は未読)の映画化だ。

 まず、舞台になる城の造型に工夫が足りていないことが不満だ。どこかのテーマパークの施設のようで、神秘さや浮世離れした美しさ(あるいは禍々しさ)が少しも出ていない。

 登場人物たちは城に閉じ込められたままなのかと予想していたが、現実世界とは出入り自由なので拍子抜け。しかも中盤で全員が同じ学校の生徒だということが判明する。だが、現実世界では彼らが会うことはない。このカラクリは大抵の観客は真相をすぐに見破るのだが、映画は何と終盤近くまで謎のままで引っ張るのだ。

 そして“オオカミさま”が7人を城に召喚した理由がラスト近くで明かされるのだが、その動機付けは弱い。どうしてこの7人だったのか、明確に理由は提示されない。まあ、共通したモチーフはあるが、それだけではインパクトに欠ける。そもそも、イジメ等に悩んでいるティーンエイジャーなんて古今東西数多く存在しているわけで、実際はそれぞれが何とか解決法を見つけていくものだ。異世界の“城”に招待してもらわないと物事が進展しないというのは、無力感が漂う。

 思えば監督の原恵一が2010年に撮った「カラフル」も似たようなテーマを扱っていたが、あの映画の方が(万全の出来ではないものの)はるかに説得力があった。その他にも、こころが友人の家で偶然見つけた一枚の絵が鍵を見つけるヒントになるという無理矢理なプロットや、その鍵の形状自体も“反則”である等、承服しがたいネタが連続する。

 キャラクターデザインや作画のレベルは決して高くなく、声の出演も多彩な面子を集めた割には効果を上げていない。特に某アニメの決め台詞が楽屋落ち的に出てくるのには脱力した。なお、富貴晴美による音楽と優里の主題歌だけは良かった。
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