元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ひらいて」

2021-11-29 06:55:28 | 映画の感想(は行)
 ストーリーもキャラクター設定も、ついでに言えば主要キャストも嫌いなのだが(笑)、映画としては実に面白い。マイナス要因を積み上げた挙げ句、いつの間にかプラスに転じたという、希有な事例を目撃出来る貴重なシャシンだ。この奇妙な味わいは原作によるところが大きいとは思うが、それを見事に映像化した作者の非凡な腕前にも感心する。

 北関東の地方都市の高校に通う木村愛は、成績優秀で人望があり、有名大学への推薦入学も決まりつつある。愛は同じクラスの男子である西村たとえが好きなのだが、彼は他とつるむことを潔しとせず、孤高を保っているような生徒だった。当然、愛に対してもクラスメートとしての対応しかしない。

 ところが彼は、密かに別のクラスの新藤美雪と懇意にしていた。美雪は糖尿病の持病を抱え、そのためか他人と距離を取っていたが、たとえとは気が合うようだ。2人の仲を知った愛は、何とか干渉するため偶然を装って美雪に接近する。綿矢りさの同名小説の映画化だ。



 原作は読んでいないが、いかにも綿矢によるキャラクター造型らしく、ほとんどの登場人物が捻くれている。特に愛は強烈。外ヅラこそ良いが内面は常軌を逸した激情型で、超エゴイストで、超暴力的だ。しかも、欲望の捌け口には性別問わないというバイセクシャルである。たとえは苛烈な家庭環境で育ったせいか、この若さで人生悟ったような寂寥感が漂う。また美雪は、大人しさを装いながら巧妙に目的を果たそうとするクセ者だ。この3人の親や教師、すべてがまったく共感出来ない面子で、とにかく感情移入の対象が皆無という有様だ。

 しかし、なぜか最後までスクリーンから目を離せない。それは彼らが、観ている側のあらゆるイヤな面を代弁しているからだ。古傷を痛めつけられるような居心地の悪さを味わいつつ、次第にその容赦の無さに感心するようになる。それは作者が、単なる露悪的ルーティンに終始せず、観客を不快にさせないギリギリのところで、登場人物たちに対する連帯感を醸し出すような仕掛けを講じているからだ。

 それが効果を発揮するのが終盤の処理で、これからも一山も二山もありそうな幕切れながら、明らかに別の方向性に走り出そうとする不穏かつワクワクするような空気に満ちていて圧巻だ。これが劇場用長編デビューとなる首藤凜の演出は粘り強く、変則的な作劇をものともしない求心力を発揮している。

 愛に扮する山田杏奈は手の付けられない怪演で、とことん後ろ向きのエネルギーに満ちたヒロイン像を上手く表現している。作間龍斗と芋生悠も嫌味ったらしい妙演。正直言ってこの3人は俳優としても好きではないタイプなのだが、思わず振り向かせてしまうパワーがある。河井青葉に板谷由夏、田中美佐子、萩原聖人といった連中も一筋縄ではいかないオーラを見せつけている。岩代太郎の音楽と大森靖子の主題歌も良いが、劇中曲の「夕立ダダダダダッ」(映画のために書き下ろされた)が、アイドルソングのパロディのようで笑ってしまった。
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「ビッグ・ヒット」

2021-11-28 07:02:38 | 映画の感想(は行)

 (原題:The Big Hit )98年作品。お手軽な活劇編だが、ソツのない作りで楽しめる。主人公をはじめ各キャラクターが屹立しており、作劇はテンポが良い。91分という、娯楽映画の鑑のような上映時間も言うことなし。多少筋書きが強引でも、こういう体裁のシャシンならば笑って済まされる。

 凄腕の殺し屋であるメルヴィン・スマイリー(通称メル)は、私生活では他人の目を気にしてばかりの優柔不断で大人しい男だった。親友ヅラして金をせびる悪党のシスコや、やたらと“貢ぎ物”を要求する婚約者と元カノなど、人間関係にも恵まれていない。ある日、女たちに渡す金に困ったメルはシスコが持ちかけた誘拐計画にうっかり乗ってしまう。日系の大富豪のジロー・ニシの娘の女子大生ケイコを首尾よく誘拐したものの、シスコの奸計によってメルは主犯に仕立て上げられ、ニシの知り合いのマフィアから命を狙われるハメになってしまう。

 メルの造形がケッ作で、ヒットマンのくせに究極的なお人好し。誰にも嫌われないようにするために絶えず気を遣い、胃薬が手放せない。しかもズボラな性格で、レンタル屋からは延滞中のビデオを早く返せと矢の催促を受ける始末(←これが終盤の伏線になる)。こういう“立った”キャラが画面の真ん中に鎮座するだけでも愉快だが、ずる賢いシスコをはじめ周りの人間も一筋縄ではいかない奴ばかり。

 監督はカーク・ウォンで、製作にウェズリー・スナイプスとジョン・ウーが関わっているのだから、ドラマがモタモタすることはまず考えられない(笑)。事実、展開は速くストーリーはサクサク進み、アクションの扱いも小気味よく決まる。まあ、富豪と暴力組織のボスがうまい具合に懇意だったり、メルとケイコが良い仲になっていくというのは御都合主義だが、この手に映画に対してそこまで突っ込むのは野暮であろう。

 主役のマーク・ウォルバーグは絶好調で、タフガイだがド天然という役柄を楽しそうに演じる。シスコに扮したルー・ダイアモンド・フィリップスは、デビュー当時の青春スター(?)のイメージをかなぐり捨てた胡散臭さで場を盛り上げる。チャイナ・チャウやクリスティナ・アップルゲイト、エイヴリィ・ブルックスといった脇のメンツも手堅いが、クセの強いエリオット・グールドまで出てくるのは楽しい。
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「ほんとうのピノッキオ」

2021-11-27 06:34:55 | 映画の感想(は行)
 (原題:PINOCCHIO )カルロ・コッローディによる有名な児童文学「ピノッキオの冒険」の本家イタリアでの映画化で、ディズニーのアニメーション「ピノキオ」(1940年)とは一線を画す、原作に近い線を狙っている。そしてそれは、ある程度成功していると思う。とにかく、変則的なファンタジーとしての訴求力は目覚ましいものがある。

 設定やストーリーはお馴染みなので省略するが、まず驚くべきは美術・意匠の素晴らしさだ。主人公のピノッキオの特殊メイクは、まるで本物の木のような感触を醸し出しているし、他のクリーチャーの造型も見事だ。ディズニー版ではチャーミングに描かれていたコオロギはグロテスクに扱われ、主人公たちを呑み込む大鮫はまるで怪獣だ。妖精の世話をするカタツムリや、大鮫の腹の中に住むマグロのデザインなど、あまりにもアバンギャルドで感心する。



 ところが、ピノッキオを翻弄するキツネとネコだけは生身の俳優がそのまま演じている。この二匹は狡賢いが、所詮はホームレスだ。そして終盤には肉体的ハンデを負ってしまう。監督を務めたマッテオ・ガローネは脚本も手掛けているが、あまりに雰囲気をダークな方向に振って観客を逃さないように工夫しているものの、キツネとネコの扱いに限っては恐ろしくシビアだ。

 もちろん、彼らは悪事を重ねているため“自業自得”だとは言える。だが、ピノッキオをはじめ周囲の人々からいよいよ完全に見放されるのは、理不尽だろう。ここはおそらく、社会的差別に切り込んだ作者の思惑があったと想像する。

 わがままな子供だったピノッキオが、数々の辛酸を嘗めることによって成長し、ついに制作者である貧しい木工職人のジェペットと本当の“親子”になるという、教訓に満ちた筋書きはちゃんとカバーされている。

 ニコライ・ブルーエルのカメラによる映像と、ダリオ・マリアネッリの音楽は絶品で、映画の格調を押し上げている。ガローネの演出は中盤以降でモタモタする傾向はあるが、おおむね破綻無くドラマを進めている。ジェペット役のロベルト・ベニーニは自ら主演した「ピノッキオ」(2002年)が不評だったが、今回は捲土重来とばかりに抑制の利いた演技に専念していて好印象。

 子役のフェデリコ・エラピをはじめロッコ・パパレオ、マッシモ・チョッケリニ、マリーヌ・バクト、マリア・ピア・ティモといった他のメンバーも良い仕事をしている。ミニシアター系での上映だが、日本語吹き替えでファミリー向けに拡大公開してもおかしくない内容だ。
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「悲愁」

2021-11-26 06:31:51 | 映画の感想(は行)
 (原題:Fedora)78年作品。ビリー・ワイルダー監督が晩年近くに撮った映画だが、同監督の全盛期はとうの昔に過ぎていて、本作もヴォルテージの高さはあまり感じられない。ただし、ミステリー映画としてはそこそこ良く出来ていて、期待せずに観れば退屈せずにエンドマークまで画面に対峙できる。ただ、そのことより封切当時(日本公開は80年)における評論家筋の熱狂的ともいえる高評価の方に興味を覚える。

 映画プロデューサーのバリー・デトワイラーは、一冊の脚本を手にギリシアの小さな島に降り立つ。彼は引退した伝説の大女優フェドーラをカムバックさせるために、彼女の別荘を訪れたのだ。バリーは面会を求めるも、秘書のミス・バルフォアーと伯爵夫人によって拒まれてしまう。ところが、彼は偶然に買い物に行くフェドーラを目撃。バリーは怒濤のアプローチで彼女を口説き落とし、ついにスクリーン復帰を承諾させる。順調にクランクインまでこぎ着けたが、なんと彼女は共演のマイケル・ヨークに恋してしまう。映画業界の内幕を描く、トマス・トライオンによる小説の映画化だ。



 謎めいた往年の大女優と、彼女を取り巻く一癖ありそうな面々。そして海千山千のハリウッド人種たちの跳梁跋扈。そして終盤に明かされる、思いがけないフェドーラの秘密。訴求力の高いモチーフが散りばめられ、映画好きならば楽しめる仕掛けが講じられている。だが、この映画を褒めそやした評論家たちの“思い入れ”は尋常ではなかったらしい。彼らは言う。やれ“ハリウッドの鎮魂歌”だの“モデルはグレタ・ガルボか”だの“ビリー・ワイルダー作品の集大成”だのといった、諸手を挙げての高評価が飛び交っていたとか。

 しかしながら、どうも彼らはハリウッドとは“魔術と伝説の場所”であると思い込んでいたらしいのだ。煌びやかな黄金時代のハリウッドの作品群に囲まれた青春時代を送っていた彼らは、この映画のようにシビアな業界の実態を見せつけられると、大いなる衝撃を受けて“さすがビリー・ワイルダーだ!”といった具合で絶賛したのだろう。

 バリーを演じるウィリアム・ホールデンをはじめ、ホセ・ファーラーにヘンリー・フォンダ、マイケル・ヨーク(本人役で登場)、そしてフェドーラに扮したマルト・ケラーなど、キャストは皆好演で“華”がある。ゲリー・フィッシャーによる撮影と、ミクロス・ローザの音楽については言うことなしだ。ただし、この邦題はいただけない(似たような題名の映画が多いし、1959年製作の同じ邦題の映画もある)。もっと気の利いたタイトルを考え付かなかったのだろうか。
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「モーリタニアン 黒塗りの記録」

2021-11-22 06:32:27 | 映画の感想(ま行)
 (原題:THE MAURITANIAN )とても重大なネタを扱っていることは分かるのだが、盛り上がりに欠け、映画的興趣は乏しい。どうも見せ方を間違えているような作品だ。観客を楽しませるようなモチーフはけっこう揃っているのだから、もっと(良い意味での)ケレンを駆使して欲しかった。

 2001年11月、モーリタニア人青年モハメドゥ・ウルド・スラヒは突然現地警察に連行され、そのまま米国政府に送られてキューバのグアンタナモ湾収容キャンプに収監される。同時多発テロの容疑者たちと深く関与したとの疑いだ。しかし、明確な物的証拠は無い。アメリカ当局は彼を自白させるべく、厳しい取り調べを敢行する。一方、ニューメキシコ州アルバカーキの弁護士ナンシー・ホランダーは、人権団体からモハメドゥの弁護を依頼される。



 ナンシーは部下のテリー・ダンカンと共に現地に飛ぶが、グアンタナモでの苛烈な環境に驚くばかりであった。彼女と対峙するのは、海兵隊検事のスチュアート・カウチ中佐だ。彼は友人をテロで殺され、何としてもモハメドゥを起訴に追い込もうとする。モハメドゥ自身の手記の映画化だ。

 ナンシーたちは政府にモハメドゥの供述調書の開示を要求するが、提出された記録文書は大半が黒塗りで消されており役に立たない。そして諦めない弁護団と政府当局との虚々実々が展開する・・・・という流れには、残念ながらならない。彼らは黙々と仕事に励むだけだ。カウチ中佐とのバトルもあるのかと思ったら空振りで、彼は早々に政府の欺瞞に気付いて距離を置くようになる。

 ならばモハメドゥが体験するシビアな状況がリアルに描かれるのかと予想すると、なぜかこれが生温いのだ。拷問場面は確かに当事者にとっては辛いものだろうが、端から見れば“珍妙”でさえある。終盤はもちろん裁判のシーンになるものの、扱い方は不自然に淡白で肩透かしを食らう。監督のケヴィン・マクドナルドはドキュメンタリー畑の出身であるせいか、事実を要領よく紹介する手順には長けてはいるが、劇映画としての“華”には欠ける。

 ナンシーに扮しているのはジョディ・フォスターで、実在の人物に“寄せた”ような外観にはびっくりするが、ひどく老けたように見えるのは何とも言えない。カウチ中佐役のベネディクト・カンバーバッチは手堅いが、いつものような凄味は控え目だ。タハール・ラヒムにザカリー・リーバイ、シャイリーン・ウッドリーといった他の面子は可も無く不可も無しである。
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「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」

2021-11-21 06:57:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SOUND OF METAL)世評はとても高く、米アカデミー賞をはじめ各アワードを賑わせていたが、個人的には気に入らない。とにかく、設定やストーリー、各モチーフに釈然としないものが目立ち、ほとんど感情移入が出来なかった。もっと平易で普遍性の高いネタや筋書きを用意すべきだったと思う。

 ドラマーのルーベン・ストーンはガールフレンドのルーと一緒にロックバンドを結成し、トレーラーハウスに乗り込んでアメリカ各地をツアーで回る日々を送っていた。だがある日、突然ルーベンの耳がほとんど聞こえなくなってしまう。慌てて病院に駆け込むが、医者からは治る見込みが無いと言われる。自暴自棄で荒れるルーベンだが、プロモーターの紹介で聴覚障害者の支援コミュニティに参加することを決心する。そこで安らぎを得る彼だったが、ミュージシャンに復帰する夢を諦めていたわけではなかった。



 音楽を生業にしていた主人公が聴覚を失うという、途轍もなくシビアな状態を描いているのだが、どうもルーベンは共感しにくい人物だ。彼がこういう目に遭ったのは、もちろん直接の原因は分からないのだが、ドラッグに溺れたこともあり、それからも健康的とは言えない生活を送っていたことを考えると、ある程度“自業自得”ではないかという気がする。しかも、耳をつんざく大音響に始終さらされる仕事環境だ。

 だいたい医者からの当初の告知は“残されたわずかな聴力を出来るだけ維持するしかない”というものではなかったか。治療やリハビリのプロセスをスッ飛ばして、いきなり全聾者の集まりに身を投じるというのは、何か違う気がする。かと思えば、後に彼が治療法を探そうとしたとき、このコミュニティは冷たい態度を取ったりする。そもそもこの集まりは教会からの支援を受けているらしいが、どうもある種の宗教団体であるような気がしてならない。メンバーを外界から遮断するというこのコミュニティの方法論で、果たして構成員が救われるのかどうか怪しいところである。

 また、ルーベンとルーがやっている音楽は過激なメタルコアであり、ロック好きの私でも敬遠したくなるようなシロモノだ。終盤は“まあ、仕方が無いな”と言うしかない展開を見せるが、正直“もっと別の道を前に選択出来たのではないか”と思ってしまった。

 監督のダリウス・マーダーは、そこそこ無難な仕事ぶり。主演のリズ・アーメッドは頑張っているし、ルーに扮するオリヴィア・クックは魅力的。ポール・レイシーにローレン・リドロフ、マチュー・アマルリックといった脇の面子も悪くない。それだけに、要領を得ない筋書きは残念だ。
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「顔」

2021-11-20 06:59:25 | 映画の感想(か行)
 2000年作品。阪本順治監督と藤山直美(これが映画初主演)の組み合わせから予想されるコテコテの喜劇ではなく、あえてジットリとした犯罪ドラマにして、その中で随所にコメディ的センスを織り込もうとしている作戦が成功している。

 主人公の吉村正子(藤山)は、クリーニング屋を営む母親を手伝いながら家から一歩も出ない生活をしている、いわば“ほとんど引きこもり”状態の困ったおばさん。それが母親が急死した通夜の晩、ホステスをしている妹からキツい言葉を投げつけられたのにカッとなった正子は妹を絞殺。ここから数ヶ月に渡る正子の逃亡人生が始まる。82年に起きた、松山ホステス殺害事件の犯人である福田和子をモデルにして脚本化している。



 面白いのは、通常こういう犯罪逃亡劇では主人公がどんどん陰にこもって自暴自棄になるのに対し、犯罪がきっかけで世の中に出て行かざるを得なくなったこのヒロインの場合、逃げれば逃げるほどポジティヴで明るいキャラクターに変身していく点である。特に、豊川悦司扮する若い元ヤクザが、昔のしがらみから逃れられずに破滅していくエピソードがあるのは象徴的だ。

 ひと昔前の映画なら、この仁義を通すために孤独な戦いを挑んだ元ヤクザこそがヒロイックに描かれるはず。ところが、この映画ではヒロインを引き立たせるための些細なネタとしか扱われていない。そこには“どんなに孤高を気取ったヤクザだろうと、「社会性」という確固としたリファレンスの前では屁の突っ張りにもならない”という、作者のいい意味での達観があらわれていると思う。

 藤山は目の覚めるような快演で、その年の賞レースを賑わせた。なお、私は本作を某映画祭で観たのだが、舞台挨拶に出てきた彼女は意外にも(?)垢抜けた印象だがった(まあ、ちょっと太めだったけど ^^;)。

 豊川のほか、國村隼、大楠道代、岸辺一徳、佐藤浩市など、阪本作品に馴染みの深い面々がイイ味出しているし、渡辺美佐子、内田春菊、そして牧瀬里穂らの扱いも秀逸。中でもケッ作なのは酔っぱらいの労務者に扮する中村勘九郎(後の中村勘三郎)で、こういう方面の役を映画では中心にやってほしかったと思った。笠松則通によるカメラと、cobaの音楽が絶妙の効果。まずは観る価値満点の快作だ。
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「暴走機関車」

2021-11-19 06:36:45 | 映画の感想(は行)
 (原題:Runaway Train )85年作品。1966年に黒澤明が企画し、菊島隆三や小國英雄らと共に仕上げた脚本を元にしている。もっとも、出来上がった映画を観た黒澤は批判したらしいが、個人的には面白いと思う。全編に緊張感がみなぎり、思い切った展開に最後まで目が離せない。キャストの奮闘も特筆ものだ。

 重犯罪者ばかりを収容した真冬のアラスカの刑務所で所長のランキンと仲違いしているマニーが、やっと独房から出てくる。執拗に彼を狙うランキンは殺し屋を放って始末しようとするが、マニーはこのままでは消されると思い、脱獄を決心。若い囚人のバックの手助けで塀を乗り越えることに成功するが、バックも同行する。鉄道の操車場まで辿り着いた2人は、そこで巨大なディーゼル機関車を見つけて乗り込んだ。しかし、初老の機関士が心臓発作で車外に転落。機関車はそのまま暴走を始める。一方、ランキンはヘリコプターに乗って2人の行方を追っていた。



 刑務所内でのボクシングの迫力から、脱獄のサスペンス。機関士のいないままスピードを上げる機関車と、事故を防ごうとする鉄道会社の司令室。そして執念深いランキンとの追跡劇という三つ巴のモチーフが同時進行するあたり、パニック・サスペンス映画としては秀逸な体裁である。さらに、機関車内には偶然に女性乗務員サラも乗り込んでいた。

 バックとサラとの甘い関係と、マニーとランキンとの宿命のライバルの様相は、絶妙なコントラストを形成。指令室のマクドナルド局長の働きもキビキビと見せる。そして何より、主に走る機関車の中でストーリーが展開するため、作劇にスピード感がある。アンドレイ・コンチャロフスキーの演出はキレが良く、弛緩したところが見当たらない。アクションに次ぐアクションの末、待ち受ける無常的な幕切れには感心するしかない。

 アカデミー賞候補になったジョン・ヴォイトとエリック・ロバーツをはじめ、ジョン・P・ライアン、ケネス・マクミラン、そして紅一点のレベッカ・デモーネイ、いずれも的確な仕事ぶりだ。アラン・ヒュームのカメラによる凍てつくアラスカの風景、トレヴァー・ジョーンズの音楽も及第点。なお、黒澤は出演者にヘンリー・フォンダとピーター・フォークを想定していたらしいが、そちらも実現して欲しかった。
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「かそけきサンカヨウ」

2021-11-15 06:37:03 | 映画の感想(か行)
 今泉力哉監督作品としてはヴォルテージがやや低いように思えるが、それでも繊細なタッチと丁寧な絵作りが印象的で、鑑賞後のインプレッションは良好だ。ここ数年続けざまに映画をリリースしている同監督だが、いずれも一定の水準を維持しているのは大したものだと思う。

 高校生の国木田陽は、音楽関係の仕事をしている父の直とふたり暮らし。画家だった母の佐千代は陽が幼い頃に家を出ている。それなりに平穏な日々を送っていた陽だが、ある日父親から突然“再婚する”と告げられる。そして、なし崩し的に義母の美子とその連れ子の4歳のひなたを加えた新たな家族の生活が始まる。陽は同じ美術部に所属する清原陸と仲が良いのだが、いまだ“付き合っている”という感じではない。そんな中、陸が心臓の手術で入院することになる。陽はその前に、陸と一緒に佐千代の個展に出掛けることにする。窪美澄による同名短編小説の映画化だ。



 斯様な設定にありがちな、継母との確執や勝手に後妻を迎えた父親への不信感といったネガティヴなモチーフが見当たらない。全員が見事なほど“いい人”なのだ。ただし、それを不自然に見せないのは作者の力量と、作品を覆う柔らかな雰囲気のせいだろう。もっとも、ヒロインは新しい母と妹のことより陸や友人たちとの関係を気にしている。家庭内で大きな問題が持ち上がっていないのならば、陽の関心が同世代の者たちに向くのは当然かもしれない。特に陸とのやり取りは、双方に悪気は無いのに気まずい状態になるという、微妙な空気が上手く掬い取られている。

 ただし、陽に対する佐千代の態度はいただけない。佐千代が離婚したのは陽が3歳の頃で、それからずっと会っていないため当初は陽を娘だとは分からないのは当然かとも思えたが、実は気付いていたというのは、作劇の不手際である。もっと別の描き方があったはずだ。とはいえ、ドラマティックな展開が無い代わりに、観る者に安心感を与えるマッタリとした作品のカラーは捨てがたい。

 売り出し中だという主演の志田彩良を初めてスクリーン上で見たが、ソツなくやっていながら、線が細く存在感に欠ける(友人役の中井友望の方が見どころがある)。今後の精進に期待したい。井浦新に鈴鹿央士、西田尚美、石田ひかりといった脇の面子は手堅く、美子に扮した菊池亜希子は相変わらずイイ女だ(笑)。

 あと関係ないが、直の愛用のオーディオシステムはプレーヤーがDENON製でアンプはサンスイ、スピーカーはパイオニアのものだった。しかし、どれも40年以上前のモデルで、満足に鳴るのだろうかといらぬ心配をしてしまった。
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「DUNE デューン 砂の惑星」

2021-11-14 06:56:08 | 映画の感想(た行)
 (原題:DUNE PART ONE )ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作としては、出来は悪くない。もっとも、これは定評のある原作(フランク・ハーバートによるSF小説)があり、しかもそれがかなりの長編であるため、今回は割り切って“パート1”として製作されたことが大きい。無理矢理に2時間強に押し込めたデイヴィッド・リンチ監督版(84年)よりも、作劇面では有利だ。少なくとも次回作を観てみたいと思わせるだけでも、及第点に達している。

 遥か未来、人類は居住地域を他の星々に広げ、宇宙帝国を築いていた。ただし社会構造は歴史的に“退行”してしまい、皇帝を中心とする絶対主義制が敷かれていた。そんな中、アトレイデス公爵家は通称デューンと呼ばれる沙漠の惑星アラキスを治めていた。アラキスは大きなエネルギー源となる香料メランジの唯一の生産地だ。



 しかし、利益を横取りしようとするハルコンネン男爵家は皇帝と結託。アラキスに大軍を送り込み、占拠する。アトレイデスの当主レトは殺され、側室のジェシカと息子のポールは命からがら逃げ延びる。ポールはアラキスの原住民であるフレーメンと接触するため、広大な沙漠を彷徨う。

 帝国軍とそれに対抗する勢力との戦いや、主人公たちが使う超能力めいたもの等、一連の「スター・ウォーズ」シリーズとよく似たモチーフが登場するが、“元祖”はこちらなので気にならない(笑)。それどころか、バトルの背景にメランジをめぐる利権の争奪という明快なファクターを置いている分、ストーリーラインが混濁し質的に低迷している「スター・ウォーズ」シリーズよりも平易で好感が持てる。

 ヴィルヌーヴの演出は重々しいが、ドラマが停滞することは無い。活劇場面もソツなくこなしている。特筆すべきは映像の喚起力で、グレイグ・フレイザーのカメラによる彩度を抑えた暗めの絵作りが独特の世界観を創出。衣装やメカニック・デザインは実に非凡だ。羽ばたき式の飛行体などは、造形のユニークさに感心した。そして本作の売り物である巨大なサンドワームの扱いには圧倒された。D・リンチ監督版から相当の年数が経っている関係上、技術の進歩には驚くしかない。

 主演のティモシー・シャラメは好演ながら、彼の姿かたちを捉えたショットがとても多いのには苦笑した。多数いると思われるシャラメのファンに対するサービスだろうか。レベッカ・ファーガソンにオスカー・アイザック、ジョシュ・ブローリン、シャーロット・ランプリング、ジェイソン・モモア、ハビエル・バルデムなど、脇のキャストも良い。ただし、ハンス・ジマーの音楽はいささか大仰。もっとポピュラーな展開の方が好ましい。
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