元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「座頭市物語」

2024-07-19 06:28:11 | 映画の感想(さ行)

 昭和37年製作の、大映による人気シリーズの記念すべき第一作。今まで観たことは無かったが、先日BSでオンエアされていたのでチェックしてみた。驚いたことに、後年続く当シリーズの諸作とは違い、この映画では大掛かりな立ち回りのシーンは無い。主人公が超人的な剣の腕前を披露するのも数えるほどだ。ならば面白くないのかといえば、それは違う。これ一本で屹立した存在感を獲得しており、見応えたっぷりだ。

 江戸時代後期、目が見えないながら居合抜きの達人である座頭市は、下総国を根城にしている飯岡助五郎一家の客人となる。彼は偶然、肺を患う浪人の平手造酒と知り合い意気投合するが、平手は助五郎と対立する笹川繁蔵一家の用心棒だった。両勢力の関係が険悪化すると共に、2人は成り行きで運命的な対決へと導かれていく。

 講談等の演目としてよく知られる「天保水滸伝」の筋書きの中に、座頭市のキャラクターを押し込めるという荒技を敢行していながらあまり違和感が無いのは、さすが手練れの脚本家だった犬塚稔の仕事ぶりではある。さらに、その頃作られた時代劇としては画期的だったと思われる身障者差別に対する批判や、男性優位主義への苦言などが挿入されているのは見上げたものだ。

 そして何より、ヤクザ組織の縄張り争いの有様を通じて戦いの無意味さを強調しているのは天晴れである。飯岡組と笹川組の抗争など、当事者たちにとっては重大事なのかもしれないが、端から見れば関東の一地方での小競り合いに過ぎない。どちらが勝とうが、世の中の大勢は変わらないのだ。座頭市と平手造酒との一騎打ちを含めて、戦いが終わってしまえば残るのは虚しさだけ。ラストでの市は厭戦的な気分を隠そうともしない。いわば反戦映画としての側面をも併せ持つ、骨のある作品と言えよう。

 三隅研次の演出は斬り合いの場面こそシャープでありながら、大半はカメラをあまり動かさず静的な長回しをメインとしており、これも映画自体のカラーをよくあらわしている。主演の勝新太郎のパフォーマンスは万全。彼以外にこの役をやれる者はいない。平手造酒役の天知茂をはじめ、万里昌代に島田竜三、中村豊、真城千都世、三田村元など脇の面子も良い。牧浦地志のカメラによる緊迫感のあるモノクロ映像と、伊福部昭の音楽も言うこと無しだ。
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「シティーハンター」

2024-06-17 06:25:31 | 映画の感想(さ行)

 2024年4月よりNetflixから配信。けっこう楽しめた。実は私は週刊少年ジャンプに連載されていた北条司による原作を、すべてリアルタイムで読んでいる。だからこのネタの面白さを少しは分かっているつもりだ。その観点からも、本作はかなり健闘している方ではないかと思う。1時間44分という長すぎない尺も、この手のシャシンとしては的確だ。

 新宿で相棒の槇村秀幸と共に、あらゆるトラブル処理を請け負う超一流のスイーパーの冴羽リョウは、有名コスプレイヤーのくるみの捜索を請け負う。折しも新宿では常人離れしたパワーを持つ者たちによる謎の暴力事件が多発しており、警視庁刑事の野上冴子も対応に苦慮していた。リョウと槇村はターゲットを追いかけるが、事件に巻き込まれて槇村は死亡。現場に居合わせた秀幸の妹の槇村香は、事の真相の解明をリョウに依頼する。

 このシリーズの魅力は、何といっても主人公の造型にある。凄腕の仕事人でありながら、救いようのないドスケベで下ネタが満載。この映画化作品もそこをしっかりカバーしており、お馴染みの“もっこり”シーンも大々的にフィーチャーされる。特に歌舞伎町の歓楽街を舞台に展開される前半のチェイスシーンは最高で、次から次と繰り出されるお下劣なギャグと、アイデア豊富なアクションの釣瓶打ちには思わず身を乗り出してしまった(笑)。

 中盤以降は香の生い立ちとか敵のシンジケートの概要などの説明的シークエンスが目立ってきて、テンポは悪くなる。さらに言えば“エンジェル・ダスト”に関するエピソードは連載開始時(80年代後半)のモチーフであり、現時点では証文の出し遅れのような感じは否めない。それでも、香と一緒に敵方のアジトに殴り込むクライマックスは、時折“そんなアホな!”と突っ込みを入れつつも盛り上がる。佐藤祐市の演出は調子が良く、画面造型はハリウッド作品などに比べれるとキビしいが、あまり気にならない。

 主演の鈴木亮平はまさに快演で、しなやかな身のこなしと羞恥心を忘れたようなワイセツ表現で観る者を圧倒。香に扮する森田望智は原作ファンからは異論が出るのかもしれないが、かなり頑張っていたのは確かだ。安藤政信に木村文乃、華村あすか、水崎綾女、杉本哲太、迫田孝也、そして橋爪功といった面子も好調だ。かなり評判は良いようなので、たぶんパート2は作られるのだろう。その際はまたチェックしたい。
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「正義の行方」

2024-06-08 06:27:50 | 映画の感想(さ行)

 ドキュメンタリー映画としてはかなりの力作であることは分かるが、どこか釈然としないものを感じる。たぶんそれは、重要なことが描かれていないからだろう。もちろんドキュメンタリーとはいえ作者が伝えたいテーマは存在しており、フィクショナルなテイストの介在は避けられない。そこを扱う題材とどう折り合いを付けるかが、作品の成否の要素になる。本作の場合、そのあたりがどうも微妙なのだ。

 1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が行方不明となり、同県甘木市(現・朝倉市)の山中で他殺体となって発見されるという、いわゆる飯塚事件が起きる。94年に犯人として逮捕されたのは、被害者と同じ校区に住む久間三千年だ。久間は2006年に死刑判決が確定し、2008年に刑が執行される。しかし、執行の翌年に冤罪を訴える再審が福岡地裁に請求された。2022にNHK-BSで放送され高評価を得た「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」を、劇場版として再編集したものだ。

 映画はこの事件に関わった弁護士や警察官、新聞記者がそれぞれの立場から語る内容を淡々と綴る。面白いのは、本作にはナレーションが存在しないことだ。観る者を(少なくとも表面上は)なるべくミスリードしないようにする配慮かと思うが、ハードな雰囲気を作品に付与して観る者を引き付けることに貢献していると思う。

 とはいえ作者のスタンスはハッキリしており、死刑判決が出てから執行までが早かったこと、及び当時のDNA鑑定の信用性が万全ではなかったことを引き合いに出し、冤罪の可能性を指摘していく内容になっている。つまりは警察当局と司法、検察の体制の不備を突こうとしているのだ。また、目撃者の証言が全面的に信用出来るものではないらしいことも匂わせる。

 しかし、映画は大事なポイントを見逃している。それは、どうして久間が警察の第一のターゲットに成り得たのかということだ。いくら警察でも、純然たる一般人を突然マークはしない。それなりの背景があるはずだ。にも関わらず映画はそのことについて言及していない。そして、捜査当時の警察庁長官は国松孝次だ。国松といえば“あの事件”を思い出す向きも多いだろうが、映画は少しも触れていない。もちろん飯塚事件とは直接の関係は無いだろうが、取り上げることにより映画に厚みを与えると思われる。監督の木寺一孝はどうしてそうしなかったのか、疑問の残るところだ。

 なお、2024年6月5日に福岡地裁は再審を認めない決定を下した。まあ当然のことかと思う。もしも本件に関して再審が認められると、司法制度の根幹が揺らぐような大騒ぎになる。裁判所側としても受け入れるわけにはいかない。だが、真相がすべて明らかになっていないような隔靴掻痒感は残る。この状態は決定的な新証拠が出てこない限り、今後もずっと続くのだろう。
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「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

2024-05-27 06:07:26 | 映画の感想(さ行)
 これは面白い。個人的には今年度のベストテン入りは確実だと思えるほど気に入ったが、観る者を選ぶ実録映画でもある。ここで描かれている題材や時代背景、登場人物たちに少しでも思い入れのある観客ならば、たとえ映画自体が気に入らなくても作品のパワーと作り手の熱い思いは感じ取れるだろう。だが、それらに興味が無かったり世代的に外れている者だったら、まるで受け付けないシャシンかと思う。しかし、たとえそうでも一向に構わない。現時点でこれだけのものを見せてくれれば満足するしかないのである。

 80年代初頭。ピンク映画の巨匠と言われた若松孝二監督は、名古屋にミニシアター“シネマスコーレ”を開設する。そこの支配人に任命されたのは、かつて東京の文芸坐に籍を置いていたが結婚を機に地元名古屋に戻ってビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治だった。木全は劇場の運営をめぐって若松と幾度となく衝突するが、それでも如才なさを発揮して経営を支えていく。やがて映画館には金本法子や井上淳一などの若い人材が身を寄せるようになる。



 80年代といえば、私が日本映画に興味を持ち始めた頃だ、ビデオの普及により映画館の斜陽化が巷間で取り沙汰されてはいたが、一方では従来型の劇場とはコンセプトを異にしたミニシアターがブームを起こしていた。そして何より、才能豊かな若手監督たちが次々と一般映画を手掛け、邦画界は活況を示していたのだ。通説では日本映画の黄金時代は昭和30年代だと言われているが、80年代は別の意味での邦画の最盛期だった。若松監督も、そのムーブメントを察知したからこそミニシアターを立ち上げたのだろう。

 当時活躍していた新進監督たちの名前がポンポン出てくると共に、旧態依然たる従来型の興行様式との確執も効果的に描かれる。最も面白いと思ったエピソードは、学習塾大手の河合塾のプロモーション・フィルムの演出を井上淳一が担当するくだりだ。映画に対する情熱は人一倍だが、現在に至っても大した実績を残せていない井上が、この時ばかりは師匠の若松から叱咤激励されながらも目覚ましい働きを見せたことは本作を観て初めて知った。そして本作の監督も井上自身だ。映画人生の大半が不遇でも、この映画を完成させたことだけで彼の名前は残ると思う。

 若松に扮する井浦新はアクの強さ全開で、彼の代表作になることは必至だ。井上を演じる杉田雷麟や金本役の芋生悠は好調。それに有森也実、田中要次、田口トモロヲ、田中麗奈、竹中直人といった豪華なゲスト陣が華を添える。唯一残念だったのが、木全に扮しているのが東出昌大であること(苦笑)。もっと演技の上手い役者を持ってくれば映画のクォリティはさらに上がったはずだ。なお、タイトルからも分かるとおり、この映画は白石和彌監督による2018年製作の「止められるか、俺たちを」の続編だが、前作の存在を失念しそうになるほど本作のヴォルテージは高い。
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「地獄門」

2024-05-12 06:07:15 | 映画の感想(さ行)

 1953年作品。大映の第一回カラー映画で、第7回カンヌ国際映画祭では大賞を獲得している。今回私は福岡市総合図書館にある映像ホール“シネラ”での特集上映にて、初めてスクリーンで観ることが出来た。映像の喚起力はかなりのもので、この時代にこれだけのものを撮り上げたスタッフの力量には感嘆するしかない。ただし、内容は現時点で接してもアピールできるかどうかは意見の分かれるところだろう。

 平安時代末期に勃発した平治の乱において、焼討をうけた御所から上皇と御妹上西門院を救うため、警備役の平康忠は身替りを立てて敵を欺こうとする。上西門院の身替りになった袈裟の牛車を守るのは、豪腕として知られた遠藤盛遠だった。彼は大挙して襲ってくる二条親政派の者たちを撃退して彼女を彼の兄盛忠の家に届けたが、あろうことか袈裟に一目惚れしてしまう。しかし彼女は御所の侍である渡辺渡の妻だった。それでも諦めきれない盛遠は、しつこく袈裟を付け回す。菊池小説「袈裟の良人」の映画化だ。

 盛遠の言動は、たちの悪いストーカーそのものだ。普通ならば、旦那の渡か盛遠の“上司”である平清盛に申告して、盛遠を処断してもらうのが常道だろう。ところが袈裟は、事を荒立てるのを潔しとせず、自身でケリを付けようとする。これを“袈裟の貞淑さが泣かせる”とばかりに認めれば本作は評価出来るだろうし、製作当時はそれが通用していたのだろう。だが、今観るとやっぱり違和感を覚える。さらに、ラストの処理も綺麗事に過ぎると思う。

 とはいえ、和田三造による衣装デザインをはじめとする美術は素晴らしく、これを見届けるだけでも鑑賞する価値がある。また、名匠として知られた衣笠貞之助の演出は骨太で、一時たりともドラマが停滞しない。アクションシーンは圧倒的で、後年「眠狂四郎シリーズ」を手掛ける三隅研次が助監督として参画しているのも大きいだろう。杉山公平のカメラによる流麗な映像も言うことなし。

 主役の長谷川一夫は悪役を楽しそうに演じ、山形勲に黒川弥太郎、田崎潤、千田是也、石黒達也、植村謙二郎、殿山泰司などの顔ぶれも確かなものだ。そして袈裟に扮する京マチ子の魅力はただ事ではない。盛遠ならずとも、ゾッコンになってしまうだろう(笑)。

 名物プロデューサーだった永田雅一のワンマン体制で作られたシャシンらしいが、こういう独走ぷりを見せる製作者は毀誉褒貶はあるにせよ、映画界を活性化させるものなのだろう。ひるがえって現在はそんな人材が見当たらないのは、ある意味残念だと思う。
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「ソウルメイト」

2024-03-18 06:30:28 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SOULMATE)映画向きのネタではないと思った。これはテレビの連続ドラマに仕立てた方が良い。特に後半のアクロバティックな展開は、テレビ画面で眺めていれば“やっぱり韓流ドラマだからなァ”と納得出来る余地がある。だが、一本の映画の中に収めてしまうと違和感ばかりが先行してしまう。序盤が悪くないだけに残念だ。

 済州島に暮らす女子ミソとハウンは、共に絵を描くのが好きな小学生からの大親友。だが、十代の頃に知り合った男子生徒ジヌの存在は、2人の仲に亀裂を生じさせてしまう。疎遠になって16年もの時間が経過したある日、ハウンはミソにある秘密を残して消息を絶ってしまう。香港のデレク・ツァン監督が2016年に手がけた「ソウルメイト 七月と安生」(私は未見)の韓国版リメイクだ。



 絵画のスキルを高めつつ世界中を見て回りたいという夢を持つミソと、何より堅実な人生を送ることに価値を見出すハウン。2人は対照的なタイプだが、子供の頃からウマが合う。この友情を違和感なく描出している前半は悪くない。ジヌをめぐるやり取りも、平凡なラブコメ劇に堕することなくリアルかつハートウォーミングに仕上げている。ところが、大人になった彼らが織りなす複雑すぎる生き方は、あまりにも強引な作劇で戸惑うばかり。

 そもそも冒頭の、絵画展で入選した作品の作者が見つからないというシークエンスの存在自体が間違いだったのではないか。ここに無理矢理に帰着させるために、牽強附会の極みのようなストーリーを用意するハメになったとも言える。繰り返すが、この建て付けは連続韓流ドラマだったら許されるし、たとえ批判が出ても“ディレクターが交代した”の何だのという言い訳が通用するのかもしれない(苦笑)。しかし、映画の中でやってはダメだ。もっと自然な筋書きを提示する必要があった。ミン・ヨングンの演出も、映画が進むにつれ煽情的なタッチが目について愉快になれない。

 とはいえ、主演のキム・ダミとチョン・ソニのパフォーマンスはかなり良好だ。けっこう幅広い年齢を演じているのだが、違和感が無い。ジヌに扮するピョン・ウソクも上手く役柄をこなしている。また、カン・グヒョンのカメラによる済州島の風景はとても魅力的だ。なお、オリジナルの「ソウルメイト 七月と安生」は本作とは設定がかなり違うようで、機会があればチェックしてみたい。
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「初心者のための幸せガイド」

2024-03-10 06:10:56 | 映画の感想(さ行)

 (原題:HAPPINESS FOR BEGINNERS )2023年7月よりNetflixから配信されたラブストーリー。設定はありきたりで、ストーリーも意外性は少ない。だが、観る者の神経を逆なでするようなキャラクターやエビソードは存在せず、必要以上にヘヴィなモチーフも取り入れられていないため、ストレス無く向き合える。103分というコンパクトな尺で、キャストは皆好演。そして何より映像がキレイだ。個人的には観て良かったと思っている。

 教師のヘレンは数年前に結婚した旦那が極度の浮気性のため、やっとの思いで離婚する。そんな過去を吹っ切るため、彼女は過酷なハイキングツアーに参加するが、なぜかヘレンの弟の友人で元医者のジェイクもツアーのメンバーに名を連ねていた。その行程は、コネティカット州からニューヨーク州にかけての山間部の自然保護区を踏破するというもの。若いコーディネーターのベケットの高圧的な指導に閉口しながらも、彼らのグループは次第に結束を深めてゆく。キャサリン・センターによる小説の映画化だ。

 ヘレンと行動を共にする者たちはそれぞれ屈託を抱えていて、何とか現状を変えたくてたまらない。しかし、それらはいたずらに重々しいものではなく、ドラマのアクセントとして機能させるのみだ。途中でメンバーの一人がピンチに陥るが、決してシビアな展開には持って行かない。考えてみればジェイクの境遇などはかなり厳しいのだが、ヘレンとの関係性によって“何とかなるのではないか”という安心感を醸し出している。

 脚色も担当したヴィッキー・ワイトの演出はスムーズで、才気走ったところは無いものの、手堅く最後まで映画を引っ張っている。ダニエル・ベッキオーニのカメラによる紅葉が映えるコネティカット州の山あいの風景は痺れるほど美しく、この映像を眺めているだけで何だか得した気分になる。

 インドア派(?)の私としては実際はこういうハードなアウトドア活動は遠慮したいのだが、難行苦行の末にしか巡り逢えない風景があるというのは、認めざるを得ない。主演のエリー・ケンパーは好調。相手役のルーク・グライムスをはじめ、ニコ・サントス、ベン・クック、シェイボーン・ウェブスター、ブライス・ダナーなどの面子も万全の仕事ぶりだ。

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「自転車泥棒」

2024-02-12 06:09:16 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Ladri di Biciclette )1948年作品。第二次世界大戦後のイタリアで作られたネオレアリズモ映画の代表作。昔テレビ画面で鑑賞したような記憶があるが、今回私は福岡市総合図書館にある映像ホール“シネラ”での特集上映にて、初めてスクリーンで観ることが出来た。話自体は重苦しいもので、描きようによっては悲惨なだけのダークな映画になったところだが、一方で力強さや突き抜けたような明るさも存分に感じられる。かなり奥行きの深い、語る価値のある作品かと思う。

 戦争が終わって数年経った頃のローマ。経済は回復しておらず、町には失業者が溢れていた。そんな中、2年間も職を得られず職安に通い詰めていたアントニオ・リッチは、ようやく役所のポスター貼りの仕事を得る。業務には自転車が必要だが、あいにく自前の自転車は質入れ中。そこで妻のマリアが家のベッドのシーツを質に入れ、その金で買い戻す。意気揚々と仕事に出かけたアントニオだが、初日に自転車が盗まれてしまう。自転車が無ければまた職を失うことになり、彼は6歳の息子ブルーノと一緒に自転車を探し回る。

 ほぼ全編でロケーション撮影が敢行され、雰囲気はドキュメンタリーに近い。主人公を襲う逆境の数々には観ていて身を切られる思いだ。警察に届けても“自分で探せ”と言われるだけ。町で犯人らしき者を見かけて追いかけるが空振りに終わる。ついには当初バカにしていた、マリア行きつけの占い師に頼み込む始末。アントニオの、絵に描いたような小市民ぶりには共感できるし、そんな父親を慕うブルーノの純情には泣かされる。

 ただし、決してシビアな展開ばかりではない。主人公の困窮に何とか手を貸そうとする友人のバイオッコとその仲間たちの心意気には胸を打たれるし、終盤に切羽詰まったアントニオが起こした不祥事に対する“被害者”の配慮は有り難いとしか言えない。それに、犯人らしき者が住む地域の住民の結束や、資本家の横暴に対する労働組合の存在感など、地元のコミュニティがしっかり機能していることが明示されている。この共同体の存在が戦災からの復興を予想させて、鑑賞後の心象は重いものではない。

 ヴィットリオ・デ・シーカの演出は見上げたもので、モチーフを無理なく配置して主人公たちの境遇を的確に映し出す手腕には感服した。キャストはプロの俳優を使わず素人を起用しており、アントニオに扮するランベルト・マジョラーニは失業した電気工で、ブルーノ役のエンツォ・スタヨーラは監督が街で見つけ出した子供だ。リアネーラ・カレルやジーノ・サルタマレンダといった脇の面子もプロ顔負けのパフォーマンスを披露している。

 なお、終映後に何とメイキング映像が挿入されている。撮影風景やキャストに対する監督の演技指導の様子などが示され、これが実に面白い。驚いたのは、エキストラに当時19歳のセルジオ・レオーネが参加していることで、彼がこの十数年後に娯楽映画史上に残る快作の数々をモノにすることを考えると本当に感慨深い。
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「サン・セバスチャンへ、ようこそ」

2024-02-04 06:07:21 | 映画の感想(さ行)
 (原題:RIFKIN'S FESTIVAL )ウディ・アレン監督作としては、特段目新しいことをやっているわけではない。いつも通りの展開だ。そもそも、高齢の彼に新たな路線を打ち出す余力は(まことに失礼ながら)無いと思う。ならば本作は評価に値しないのかというと、そうでもない。長年映画界で仕事をしてきただけに、往年の名画に対する思い入れは人一倍だ。そのあたりが窺えるだけでけっこう楽しめる。

 ニューヨークの大学で映画学の講義を受け持っているモート・リフキンは作家としての顔を持っているが、そちらはさっぱり売れない。そんな彼が映画の広報の仕事をしている妻のスーに同行して、スペイン最大の映画祭であるサン・セバスチャン国際映画祭に行くことになる。スーの役割は新進気鋭のフランス人監督フィリップのプロモーションを務めることだ。



 冴えないオッサンのモートンに対し、スーは色香は十分残っているイイ女である。案の定、彼女はフィリップと懇ろな関係になる。失意で体調も優れないモートンが足を運んだのが、友人に紹介された地元のクリニック。ところが担当医師のジョー・ロハスは思いがけない美人だった。舞い上がったモートンは、何かと理由を作り出してそのクリニックに通い詰める。

 ウディ・アレンの映画に決まって登場するのは、監督の分身とも言える講釈ばかり並べ立てるインテリぶった野郎だ。本作ではモートンがそれに該当するのだが、彼の言動と“末路”はほぼ予想通り。意外性の欠片も無い。しかしながら、モートンが夢の中で体験する“昔の名画の世界”は、かなりウケた。

 フェデリコ・フェリーニの「8 1/2」をはじめ、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」、ジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」、イングマール・ベルイマンの「仮面 ペルソナ」などの巧妙なパロディ映像が次々と現われるのは、懐古趣味と言われるかもしれないが、それだけで嬉しくなってしまうのだ。さらには、モートンが昔の日本映画に関してウンチクを披露するくだりは大いに納得出来る。

 バスク自治州のスペイン有数のリゾートタウンであるサン・セバスチャンの風景は美しく、ヴィットリオ・ストラーロの流麗なカメラワークも相まって観光気分が存分に味わえる。主演のウォーレス・ショーンをはじめ、ジーナ・ガーション、ルイ・ガレル、エレナ・アナヤ、セルジ・ロペスというキャストも万全で、クリストフ・ヴァルツが意外な役柄で出ているのも楽しい。W・アレン御大はあと何本映画を撮れるか分からないが、今後もマイペースでフィルモグラフィを積み重ねて欲しいものだ。
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「スイッチ 人生最高の贈り物」

2023-12-24 06:10:36 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SWITCH)ストーリーは完全に一昔前のスタイルで、開巻当初はこのベタな設定には正直“引いて”しまいそうだと危惧したが、実際はかなり丁寧に作りこまれており、結果として気分を良くして劇場を後にすることができた。主題やコンセプトがどうあれ、語り口とキャストのパフォーマンスが良好ならば見応えのあるシャシンに仕上がるものなのだ。クリスマスの季節にぴったりの韓国製ハートウォーミングコメディである。

 売れっ子男優のパク・ガンはソウルの一等地にある高級マンションに居を構え、夜な夜な若手女優との情事を楽しむという優雅な独身生活を送っていた。12月24日の夜、歓楽街でマネージャーのチョ・ユンと遅くまで飲んだ後、乗り込んだタクシーの運転手から“別の人生を考えたことがあるか?”と聞かれる。テキトーに受け答えしていたパク・ガンだったが、翌朝、目が覚めるとそこは見知らぬ家だった。



 おまけに過去に別れた元恋人のスヒョンが妻として振舞っており、2人の幼い子供までいる。俳優であることは同じだったが、“元の世界”とは違って売れない舞台役者であり、たまにテレビの再現ドラマに出る程度。対してチョ・ユンは演技派俳優として脚光を浴びていた。パク・ガンは“この世界”でも自身が有名スターであることを皆に知らしめるため悪戦苦闘する。

 過去に幾度となく目にしたような、いわゆる“入れ替わりネタ”のバリエーションであり設定には新味は無い。ところが周到な作劇により高い訴求力を獲得している。まずパク・ガンとチョ・ユンが同じ劇団員出身で、共にメジャーな舞台を目指していたことが大きい。つまりは主人公の成功は失敗と紙一重の話だったのだ。

 だから“入れ替わり”の実質的な度合いが(確かに境遇は違うが)極端なものにはならず、ストーリーが絵空事になることを回避している。そして人生の価値は富でも地位でも名声でもなく、そばに誰がいるかで決まるという、普遍的ではあるが誰もが失念しがちなことを平易に表現ようとしているあたりが巧みだ。

 脚本も担当したマ・デユン監督の仕事ぶりは申し分なく、ドラマ運びはスムーズだしギャグの振り出し方も堂に入っている。主演のクォン・サンウは好調で、マッチョではあるがあまり上等とは言えない性格の男が、イレギュラーな事態に遭遇してみるみるうちに本来の実直さを取り戻していくあたりのパフォーマンスは感心する。

 チョ・ユン役のオ・ジョンセも良いのだが、特筆すべきはスヒョンに扮するイ・ミンジョンだ。かなりの美人で、演技力もある。聞けば彼女はイ・ビョンホンの嫁さんらしく、ビョンホンに関連したお笑いネタを繰り出すあたりはニヤついてしまった。子役2人も達者だ。くだんのタクシー運転手の“正体”が明らかになる幕切れは鮮やかで、まさしく“クリスマスの奇跡”を現出させてくれる。
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