元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「母べえ」

2008-01-29 06:33:55 | 映画の感想(か行)

 出来映えには感心したが、本作が評価出来てしまうような昨今の“状況”とはいったい何なのか、思わず考え込んでしまった。

 山田洋次監督の「家族」に初めて接したのは(当然、ビデオで ^^;)90年代初めだったと記憶している。丁寧に作られてはいるが、全体的に“資本家は大儲けしているのに、庶民はこんなにも苦しいのだ!”という極端な左傾リベラルの風味が大いに気になったものだ。当時はバブルの余韻も強く、マトモに暮らしていれば食いっぱぐれのない世の中だっただけに、ああいう全共闘世代的な図式には大いに違和感を覚えて当然だった。

 しかし、バブル完全崩壊から“失われた十年”を経て、まやかしの“構造改革”に踊らされた挙げ句、大手企業の経営陣だけが肥え太り庶民が疲弊する格差社会が顕在化した現在、この映画における山田監督の左傾シュプレヒコールの連呼が説得力を持ってしまうのだから皮肉なものである。

 「母べえ」の主人公たちは戦時中の政府に虐げられ、社会から阻害され、辛酸を嘗め続ける。しかし、作者は彼らを徹頭徹尾正しい人間たちだと信じて疑わない。悪いのは政治であり、世の中であると断言する。本当は空気を読んで上手く立ち回れないことにも原因があるのだろうが、そんな小賢しいことを言わせないだけのテーマに対する確信が画面に力強さを与えている。

 おそらく山田監督も、この戦争を挟んだ時期を描く“正しい庶民”のストーリーが、現在にも通用する図式であると踏んで映像化に臨んだのであろう。そして心情的な慰め等を排除し断固として現世の事象に拘泥した、決然とした最後のヒロインのセリフは作者の覚悟を示唆していて一種圧巻だ。

 吉永小百合は確かに年齢面で相当無理がある。少なくともあと10歳は若い女優を使うべきだった。しかし、彼女が主演することによる興行的価値はもちろんのこと、実生活でもリベラル派である彼女のスタンスが最大限発揮できる役柄であったことは確かだ。また、浅野忠信扮する青年との恋愛感情もまったく生々しくないのは、作者が相当気を遣っていることが分かる。坂東三津五郎演じる夫との関係性も無理がない。

 話は戻るが、現在は映画で描かれている時代と同様の閉塞感が充満している。そして困ったことに多くの庶民はそれを“閉塞”と感じることもない。たとえ感じていたとしてもすぐに諦めに取って代わられる。ラストの夫のモノローグはそれに対する痛烈なプロテストでもあるのだろう。全面的に賛同はしないまでも、支持したい作品だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「白い婚礼」

2008-01-28 06:32:49 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Noce Blanche)88年作品。アカデミー賞にもノミネートされ充実した俳優生活を送っているジョニー・デップの嫁さんであるヴァネッサ・パラディのデビュー作だ。フランスの静かな地方都市を舞台に展開する、中年の高校教師と教え子の女子高生とのラブ・ストーリー。監督はこの映画が初めての日本紹介作であったジャン=クロード・ブリソー。

 ひとつ間違えばとんでもなく通俗的なメロドラマかコメディになってしまう題材(しかも幾分手垢にまみれた感のある)であるが、80年代にデビューした最も才能豊かなフランスの映画作家と言われていたブリソー監督はこれをしみじみとした佳作に仕上げている。

 何よりも登場人物の内面描写に非凡なものが感じられる。美しい妻と情熱的な教え子との間で板ばさみになって悩む主人公、暗い過去から現在も逃れ切れていないヒロイン、それらが誰にでも納得できるキャラクターとして造形されていることに感心する。

 映像は実に落ち着いたタッチで統一されていて、音楽も必要最小限にとどめられており、カメラワークとセリフだけで物語を引っぱっいてく。室内でのカメラの使い方が秀逸。一見固定だが、あまり目につかないところで移動撮影を行なっており、主人公が妻と言い合いをしているくだりで、突然鏡が割れるシーンなどの動的なショットの伏線となっている。さらに、時折挿入される室外の自然光との対比もうまくいっており、繊細微妙なライティング効果が映像を盛り上げている。

 ヒロイン役のパラディはこの頃から小悪魔的魅力と清純さをあわせ持つ逸材ぶりを発揮しており、ときどき見せるシニカルな薄笑いや、切ない眼差しなど、この映画のキャラクターをよく具現化している。当時はアイドル歌手としても知られていたが、アイドルといってもかなりきわどいシーンも平気でこなしているところなど日本のそれとは大違いだ。

 苦い幕切れのラストシーンで主人公が見つめる冬の海がたまらなく美しい。どこかトリュフォー監督の往年の傑作「大人は判ってくれない」の最後の場面に出てきた海岸の風景を思い出した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヒトラーの贋札」

2008-01-27 07:57:14 | 映画の感想(は行)
 (原題:DIE FALSCHER)ラストクレジットの、そのまた最後の部分を読んで“アッ!”と思った。第二次大戦中、ナチス・ドイツが連合国側の経済にダメージを与えるため、各地の収容所から印刷技術のスキルを持ったユダヤ人を寄せ集めて大々的な偽札作りを実行しようとした“ベルンハルト作戦”なるプロジェクトの全貌が、どうしてかくもリアルに描かれたのか、その“理由”がエンドロールで示されているからだ。しかもその事実が一種のドンデン返し的なインパクトを観客に与えるように周到に作劇が練られている。これはなかなか骨のある映画だ。



 偽札作りの国際的なプロである主人公をはじめ、呼び寄せられたスタッフはそれまでの生死の瀬戸際にあった収容所生活とは段違いの待遇を与えられる。清潔なベッドにまともな食事。ちゃんと“休日”まで設定されるのだ。しかし、彼らの仕事場のすぐ近くでは親衛隊による残虐行為が日々行われている。

 当初の計画の一つであった偽ポンド札の作成に成功すると、褒美としてリクリエーション用に卓球台を支給されるが、休み時間に卓球に興じる彼らの壁一枚隔てたすぐ近くで惨劇が繰り広げられているという皮肉。しかし彼らにはどうすることも出来ない。この不条理さが戦争の欺瞞を如実に表現する。

 集められた面々のキャラクターがそれぞれ“立って”いるのは監督のステファン・ルツォヴィツキーの手柄だろう。海千山千の主人公をはじめ、純情なロシア出身の美学生、印刷技術もないのに身分を偽って加わった者、苦悩をあらわにする現場リーダー、そして“正義”のために作業をサボタージュする強者までいる。対するナチス側にも、囚人達に理解を示しているようでいて早々に敗戦を察知し、逃げる準備に余念のない親衛隊少佐という食えない人物を置いているところが憎い(演じるデーヴィト・シュトリーゾフもなかなかのパフォーマンスだ)。



 戦争の理不尽さを告発するだけの重いドラマになっていない点も好印象で、エンタテインメント方面に振られた適度なサスペンスとストーリー展開の速さで退屈させない。上映時間が1時間40分とコンパクトなのもよろしい。

 主人公役のカール・マルコヴィクスは儲け役で、抜け目のない立ち回りで戦時中を生き抜いただけではなく、冒頭とラストにおける戦後のエピソードでは気骨のあるところを見せる。またそれが納得できるような人物像を造型しているあたりも見逃せない。米アカデミー賞の外国語映画部門にノミネートされたのも納得の佳作である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「白い嵐」

2008-01-26 07:04:46 | 映画の感想(さ行)
 (原題:White Squall)96年作品。1960年、シェルダン船長(ジェフ・ブリッジス)を擁する帆船アルバトロス号は12人の訓練生とともに8か月間の練習航海に旅立つ。だが、何とか目的を達して帰路についた彼らをバミューダ沖で待っていたものは伝説の嵐、“ホワイト・スコール”であった。実際の海難事故をもとにしたスペクタキュラーな大作。

 製作当時としては珍しく、監督リドリー・スコットは正攻法のドラマ作りに腐心している。仲間を失ったシェルダンの無常感や、この若さで修羅場を見てしまったクルーたちの事故後の虚脱感などの辛口でやや斜に構えたモチーフはそこそこに、実際スクリーンの大半を占めるのは、若きイノセントな訓練生たちのまさに“友情・努力・勝利”といった青春ドラマだ。

 少年たちはキチンと描き分けられている。無理解な両親に欝屈した思いを抱いていたり、兄弟を亡くした精神的外傷に苦しんでいたり、高所恐怖症だったり、いくら勉強しても成績が上がらず悩んでいたりetc.いくぶん図式的とはいえ、若さゆえの苦悩を大自然に立ち向かうことにより克服していくプロセスは見ていて気持ちがいい。非常に丁寧に描かれており、若手俳優たちも好演だ。ガラパゴスの無人島に上陸して“まさにホメーロスの気分を味わった”とモノローグが入る。狭い“自己”から無限の大海原に乗り出す、青春時代特有の甘酸っぱい高揚感が広がるこのシーンはホントに感動的だ。

 そしてクライマックスのホワイト・スコール襲来の場面はR・スコットの演出力が全開し迫力満点である。大波を受けて転覆し、一回転して一時浮上するもののついに犠牲が出てしまうという、見せ場の段取りは巧い。SFXも万全だ。そして昨日まで一緒に航海していた仲間を無慈悲に奪われる悲愴感が強調されるが、そこには“人生の無常”的なシニカルな視点はなく、死んだ彼らも精いっぱい生きたのだというポジティヴなスタンスが貫かれている。それは事故後の諮問会での生臭いパワープレイも、主人公たちの一途さにより吹き飛ばされ、爽やかな幕切れとなっていることでも明らかである。

 それにしても実に映像の美しい作品であることよ。ラストのスティングによるテーマ曲も良い。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」

2008-01-25 06:31:36 | 映画の感想(な行)

 荒唐無稽なマンガのような話なのだが、けっこう楽しめる。平凡な高校生(市原隼人)が不死身のチェーンソー男と少女戦士(関めぐみ)とのバトルに巻き込まれてどうのこうのという与太話を最後まで見せきっているのは、キャラクター造型の確かさに尽きると思う。

 主人公は優等生ではなく、はたまた不良にも成りきれない中途半端な野郎だ。まあ、それはほとんどの十代の男子に当てはまる人物像だが(笑)、本作ではそれを強調するために彼は親と折り合わずに貧乏臭い学生寮住まいを強いられているという設定を用意した。さらに、何をやらせてもスマートに決まっていた親友(三浦春馬)がバイク事故で死んで、主人公は今でも自分と彼とを何かにつけて比較し、コンプレックスに苛まれているというシチュエーションも付け加えられる。このカッコ悪さは柳町光男監督の傑作「十九歳の地図」の主人公にも通じる鬱屈した青春像だ・・・・と言ってしまうとホメ過ぎか(ホメ過ぎだな、やっぱり ^^;)。

 そんな彼だから、チェーンソー男から彼女を守れるはずもなく、かえって足手まといになるばかり。このチェーンソー男は少女の“深層心理の実体化”であることが早々に明かされるのだが、彼女の方も事故で家族を亡くしたという心の傷を持っている。ただし、その事実がなければ水準以上の生活を送っていたことは確実で、最初からダメな主人公とは一線を画している(爆)。

 対して、彼と同じようなやりきれない思いを抱えたまま大人になってしまったのが野波麻帆扮する学生寮の寮母で、後ろ向きの気持ちを押し隠すように明るく振る舞っているあたりが泣けてくる。板尾創路演じる担任教師や、浅利陽介扮する主人公の友人の扱いなど、お気楽映画のように見えてホロ苦さを加味した普遍性を獲得しているあたりが侮れない。

 もちろんストーリーはお約束通り彼女をはじめ周囲の人々との関係性を見直すことにより一皮むけた主人公が、正面からチェーンソー男と対峙してゆくまでを追うのだが、それまでの過程が丁寧に描かれているため話があまりチャチにならない。

 北村拓司の演出は活劇場面に非凡なものを見せ、香港映画をマネしたようなワイヤーアクション中心ながら、段取りと殺陣がしっかりしていて違和感がない。江戸時代の町並みが連なるテーマパークでの死闘は、まさに時代劇(冒頭タイトルバックの凝りようも嬉しい)。肝心なところでスタントマンが使われていることがミエミエでも、雰囲気で楽しませてしまう。

 主演の市原はダメ学生を実に上手く表現している。特にボソボソとした話し方がいい。関めぐみは今までの出演作の中で一番納得できる仕事ぶりだ。アンドロイドみたいな体型と表情が活劇場面によく映えていたし、だからこそ時折見せる純情ぶりが印象的になる。「恋空」での出で立ちそのまんまで出演したような三浦春馬も確かな存在感を示す。際物臭いシャシンだが、けっこう拾い物だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アモス&アンドリュー」

2008-01-24 06:33:38 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Amos & Andrew)93年作品。人種的偏見が強い高級リゾート地に越してきた黒人の有名劇作家アンドリュー(サミュエル・L・ジャクソン)と、白人のチンピラのアモス(ニコラス・ケイジ)が巻き起こす大騒動。監督はこれがデビュー作のE・マックス・フライ。

 金持ちインテリの黒人とケチで風采の上がらない方向音痴の(笑)白人を、人種差別の激しい環境に置いたらどうなるか、という基本的にはワン・アイデアの作品ながら、けっこう楽しめた。黒人が高級住宅の中にいるだけで、強盗に間違えられ警察に通報されてしまうという理不尽さ。途中で間違いに気付いた警察署長は、罪をヨソ者の白人アモスになすりつけようとする。この設定をシリアスに描けば相当な作品になると思わせるが、本作はコメディに徹し、2人の大逆襲をおもしろおかしく描いて笑わせてくれる。特に鳴り物入りで登場する“誘拐犯人説得専門捜査官”には大爆笑。

 ほかにもアンドリューを犯人扱いする実業家夫婦のヘンタイぶりや、失敗するとすぐに涙を流す若い警官なんかも面白い。軽妙なハッピーエンドまで、退屈せずに見せきっている。ラストのクレジットのあとにもう一度オチが付くのもなかなかだ(^_^)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「キサラギ」

2008-01-23 06:34:31 | 映画の感想(か行)

 確かに退屈はしないが、諸手を挙げての高評価とは縁遠い出来だ。理由は、プロット構築が巧みな脚本に押されて映画としての面白さが欠如している点である。

 古沢良太による戯曲を元にして本人が手掛けたシナリオは実に達者。佐藤祐市の演出もパワフルだ。ただしこれは演劇を前提にしての評価である。たぶん舞台で観たならば素晴らしく面白いのだろう。ステージに立つ出演者5人の肉体表現力が、ストーリーをあぶり出してゆくそのスリリングさで客席を圧倒するはずだ。しかし映画となるとそうはいかない。いくらカメラが5人に迫ろうとも、そのバックにある空間の影響力から逃れられない。

 今回のその“空間”とは建設中と思われるビルの殺風景な一室なのだが、演劇的シチュエーションに拘泥しているのがミエミエで鼻白む感じだ。さらに彼ら野郎ばかりで基本的に全員が黒の喪服となると、映像面での工夫がしにくいように思える。この“みんな同じ服装”で思い出すのがタランティーノのデビュー作「レザボアドッグス」だが、あのシャシンは演劇的テイストを活かしつつもカメラを自由闊達に動かし、見事に映画的興趣を導き出していたが、本作にはそれがない。

 もちろん回想シーンがマンガチックな映像になるあたりや、ヒロインの顔が終盤にならないと分からない点など、けっこう工夫はしているようだが、それだけではまるで不足だ。舞台劇の雰囲気を映画に移管しただけで満足しているようなフシがある。

 そして困ったことに、演劇の方法論に拘った挙げ句に肝心のテーマの掘り下げが十分成されていない。見終わってみれば、何の芸もない三流アイドルに過度に入れ上げた野郎5人の気色の悪いオタク話を無理矢理聞かされたようにも思える。

 そもそもこういう無能なアイドルがどうしてデビューしたのか、なぜ送り手は実力もないのにブレイクさせようとしたのか、そしてどうして彼ら(というか、中にはやむを得ない事情がある者もいるのだが)は彼女にゾッコンなのか、その屈折した内面が描けていない。ただ“真相らしきもの”を突き止めて満足しているだけだ。ラスト近くの“総踊り”(?)のシーンが浮いてしまったのも、むべなるかなである。

 小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、香川照之は好演。特別出演の宍戸錠も儲け役だ。ただし塚地武雅はいつもの“ドランクドラゴンのツカジー”のキャラクターを臆面もなく披露していて完全に白けた。もっとマジメにやってほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「愛の町」

2008-01-22 06:44:21 | 映画の感想(あ行)
 1928年日活作品。本作は「五番町夕霧楼」(63年)「冷飯とおさんとちゃん」(65年)などで知られる名匠・田坂具隆監督の現存する唯一のサイレント映画である(私は某映画祭にて鑑賞)。

 満州からの船に乗るヒロイン(夏川静江)は、死の床にある母から、峻厳な実業家である祖父を嫌った父が母と駆け落ちして大陸に渡ったことを知らされる。その父も病死し、唯一の肉親である祖父と幸せに暮らすように言い遺し、母は息絶える。帰国後、苦労して探しだした祖父は山ぞいの町にある紡績工場を経営していた。業績は順調であったが、過労のため目が見えなくなり、厳しい性格がますますひどくなっていた。自分が孫娘であることをすぐに明かすよりも、頑なな祖父の心を開くことが重要だと考えた彼女は、まず工員として工場に入り込むことにする。だが、社長の椅子を狙う悪徳専務は、着々と祖父の追い落としを画策しているのであった・・・・。

 とにかくびっくりした。なんとこれは無声映画のくせにミュージカル映画なのである! 登場人物が歌うシーンが出てくる。ちゃんと歌詞も字幕に出る。画面はまさしくミュージカル。しかし音はない。たぶん上映当時は、劇場にバンドと歌手が出演し、歌詞の通りに歌ったのであろう。そして観客も唱和したのであろう。そう考えるとうれしくなってしまう。

 フランク・キャプラばりの人情コメディ。結末はわかっている。しかし、田坂監督の演出力はこの頃からすでに完成されていて、ダイナミックな群衆シーンや、たたみかけるようなギャグの連発、堂に入ったキャストの動かし方などにはうならされた。

 サイレントなので当然音は出ないが、画面には絶えず“音”があふれている。字幕にも工夫がほどこされ、縦書きはもちろん、状況に合わせて横書きや斜め書き、画面いっぱい大きな文字や、中央に小さく出したり、考えられるだけのアイデアをぶちこんでいる。映画が娯楽の王様であった時代のパワーを目の当たりにするようだ。1時間20分ほどの映画だが、見事な娯楽大作である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ペルセポリス」

2008-01-21 06:30:03 | 映画の感想(は行)

 (原題:Persepolis)映画の主題とは関係ないかもしれないが、個人的にはイランの歴史が分かりやすくまとめられていたことが大きなセールスポイントだと思った。

 原作と脚本も担当したイラン出身の女流監督マルジャン・サトラピの自伝的作品だが、本人は映画の主人公と同様にフランス在住であり、フランチャイズを欧州に置いて映画活動をおこなう彼女の立場としては、まず出自のバックグラウンドを詳細に述べる必要があるためこういう段取りになったと思われるが、我々日本の観客にとってもドラマの背景を知る意味では有り難い。王政からイスラム革命を経て共和国に移行しても、民衆レベルでは少しも恵まれることはない。改めて中東情勢の深刻さに感じ入る。

 日本のアニメーションに見慣れた観客からは、いかにも簡単な線画のキャラクター・デザインに思われるが、登場人物の心象は(モノクロながら)巧みに表現されている。また次々に出てくるアイデアに富んだ映像のエクステリアは観る者を飽きさせない。

 主人公のマルジは周囲とのギャップに悩む普遍的なヒロイン像を付与されており、共感するところが多い。自己嫌悪と自己満足とが交互に現れ、何とかアイデンティティを確立しようと藻掻くあたりも大いに納得できた。ところどころにクスッと笑えるシークエンスが挿入されており、物語を必要以上に重くしないように配慮されていることもよろしい。

 しかし、見終わって少し釈然としない気分も残る。ヒロインの親はリベラル派であり、親戚にも反体制的なスタンスを取っている者が目立つ。だからこそ両親は、思ったことをすぐに口にする直情径行型の彼女を抑圧的なイラン社会に置いておくことを不憫に思い、オーストリアやフランスに留学させることも出来たのだ。

 でも、彼女以外の、大多数のイランの若者はどういう気持ちを抱いていたのか。自由にものを言えない環境と、自分自身とをどう折り合いを付けたのか。私はそっちの方に興味がある。本作はイランから逃れてきたいわば“アウトサイダー”の立場から描いた映画だが、身も蓋もない書き方をすれば“今は外野にいるので何とでも言える(だからこのネタを取り上げた)”ということにもなるのではないか。尻切れトンボになる幕切れも、そのあたりのキマリの悪さが顕在化しているのかもしれない。

 私としては表現の自由に足かせがあるとしても、現地に留まって何とかクリエイティヴな活動を継続しているイランの映像作家の作品群の方を評価したい気にもなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「愛の奴隷」

2008-01-20 18:26:52 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Of Love and Shadows )94年作品。軍事政権下のチリ。富豪の娘イレーネ(ジェニファー・コネリー)は軍人と婚約していたが、偶然知り合った地下活動家のフランシスコ(アントニオ・バンデラス)に惹かれていく。「愛と精霊の家」の原作者イザベル・アジェンデの小説の映画化で、監督はベネズエラの若手女流ベティ・カプラン。

 こういう設定の映画はだいたいストーリーが予想通りで、映画は政府当局の追求を逃れた若い二人が国外逃走する場面で終わる。ただ「愛と精霊の家」よりは観客に受け入れ易い作りで、演出も奇をてらった部分がなくスムーズに展開していくあたりが取り柄だろう。

 もちろん、当時のチリ軍政の悪行は強調される。ゲリラの濡れ衣を着せられ虐殺された人々や、クーデターを企てた若い将校たちの悲惨な末路など(すべてが事実だ)、あらためてそのヒドさを目の当たりにする思いだ。家族を殺された女性に実態を語ってもらう場面まである(ドキュメンタリー・タッチを狙っているらしい)。

 しかし、監督のスタンスは社会派作品より娯楽映画に寄っている。シビアーな場面よりラブシーンやサスペンス劇の方を楽しんで撮ってるようだ。これはこれでOK。でも、「サンチアゴに雨が降る」とか「ミッシング」「戒厳令下チリ潜入記」みたいな厳しい映画を知っている観客にとっては、物足りないのも確かだ。一番印象に残ったのは、独裁政権の意向を疑おうともしないヒロインの母親(ステファニア・サンドレッリ)。このへんの人間の弱さを突っ込んで描けば、それなりの成果があがったのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする