元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「子供はわかってあげない」

2021-09-27 06:25:27 | 映画の感想(か行)

 今年度の日本映画を代表する青春映画の快作だ。とことん前向きなストーリーに、それに対して違和感をまったく覚えない作劇の妙。厳選されたモチーフの数々と、屹立した登場人物たちの大盤振る舞い。そして何より、映画の背景になっているのは夏の眩しい陽光だ。明朗な青春ものの御膳立ては完璧に整えられ、先日観た「サマーフィルムにのって」のような、夏を題材にしていながら全然夏っぽくない低調なシャシンとは完全に差を付ける。

 地方都市の高校に通う朔田美波は水泳部に属しているが、弱小チームで大会では成果を出せない。彼女はTVアニメ「魔法左官少女バッファローKOTEKO」の大ファンだが、ある日校舎の屋上でKOTEKOのイラストを墨で描いている男子生徒を発見し、思わず声を掛ける。彼は同学年の門司昭平で、もちろん件のTVアニメにハマっている。

 すっかり昭平と意気投合した美波が彼の家で見つけたのは、彼女の実父(母親は再婚している)から送られてきた謎の御札とそっくりなシロモノだった。その御札は新興宗教団体が発行しており、実父はどうやらそこの教祖らしい。美波は幼い頃に行方が分からなくなった父親に会いたくなり、昭平の兄で自称・探偵の明大の助けを得て、実父の藁谷友充の居場所を突き止める。田島列島による同名コミックの映画化だ。

 とにかく、ヒロイン美波の明朗なキャラクターに圧倒されてしまう。頑張る時には辛そうな表情をせずに笑ってしまうという得な性格。大会では活躍出来ないが、殊更に思い悩むこともなく、好きなことに対しては一直線だ。普段なら“そんな明るさ一辺倒の女子高生なんかいるわけがない”と突っ込むところだが、本作ではそれが説得力を持つようにドラマの背景が巧妙にセッティングされている。

 それはつまり、出てくる人間がすべてポジティヴなスタンスを持っているということだ。全員が自分の人生を受け入れている。いろいろ不満もあるだろうが、これが今の自分なのだと割り切り、どうやればよりマシな明日を生きられるかを考える。それは絵空事だと批判することは容易いが、本来はこういう肯定性・楽天性こそが人生の本質なのではないかという、作者の主張が見て取れる。

 沖田修一の演出は闊達そのもので、ギャグの繰り出し方も万全。主演の上白石萌歌を初めてスクリーン上で見たが、姉の上白石萌音よりもスポーティーでしなやかな肢体が印象付けられる、なかなかの素材である。表情も実に豊かだ。昭平役の細田佳央太も悪くないが、明大に扮した千葉雄大がケッ作で、これは彼の新境地と言えそう。

 古舘寛治に斉藤由貴、子役の中島琴音なども見せ場はたっぷりだが、何と言っても友充を演じる豊川悦司が素晴らしい。相変わらずの変態ながら(笑)、突如現れた実の娘に戸惑いながらも関係性を見出そうとする役柄を、うまく引き受けていた。芦澤明子のカメラによる夏の情景をバックに、ラストのラブコメ的な決着の付け方と絶妙のエピローグに、観ていて思わず表情が緩んでしまった。これはオススメの映画だ。
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「孤狼の血 LEVEL2」

2021-09-26 06:55:05 | 映画の感想(か行)
 前作(2018年)よりも面白い。パート1は往年の東映実録ヤクザ映画を“復刻”するというコンセプトを持っていたが、その方法論に拘泥するあまり、筋書きの精査は後回しになり現代に通じるモチーフも無いという、批判されるべきポイントが露呈してしまった。ところが本作は、復古趣味を捨象して単純なバトルものに徹しており、それだけ幅広い層にアピール出来る(まあ、描写自体はR15らしく過激だが ^^;)。

 前回から3年の月日が経った平成初期。広島の架空都市・呉原の暴力団の勢力図を仕切っているのが、伝説のマル暴刑事であった大上の跡を継いだ日岡秀一だ。各勢力を微妙にバランスさせ、とりあえずの平穏を保つ一方、日岡自身は上前をはねるという、持ちつ持たれつのヤクザと警察の関係を構築していた。



 ところが、前作で殺された親分の片腕であった上林成浩が出所したことによって、事態は風雲急を告げる。上林は血も涙も無い殺戮マシーンで、かつての競合相手を次々と粛正。上林組を立ち上げて、呉原市の裏社会を支配するべく暴走する。メンツを潰された日岡は上林と対立するが、警察上層部はそんな日岡を煙たく思っていた。柚月裕子の原作小説を離れて、今回は完全オリジナルストーリーで展開されている。

 とにかく、鈴木亮平が演じる上林の造型には圧倒される。人間らしさの欠片もない殺人鬼で、しかも不死身に近い。警察当局からの横槍は入るが、基本的にこのターミネーターのような怪物と日岡との戦いを軸に映画は進む。これが実に分かりやすいのだ。スクリーンの真ん中にこの2人のケンカを持ってくれば、あとの仕掛けが多少お粗末でも笑って許せる。

 だいたい、所轄の刑事一人で大勢のヤクザを手懐けられるはずがないし、上林が出所早々にやらかす猟奇殺人の捜査に警察が及び腰なのもあり得ない。日岡のスパイとなって上林組に乗り込む若造や、日岡とコンビを組むベテランの公安捜査官の扱いも悪くはないのだが、上林の前ではどうも影が薄い。有り体に言ってしまえば、アクション場面の段取りもイマイチだ。

 しかし、横暴さを極める上林と、それに立ち向かう華奢な若手刑事という図式は、昔の実録ヤクザ物のカテゴリーを軽く逸脱して訴求力を高めている。前作のアウトラインにあまり触れていないのも正解だ。白石和彌という監督はあまり信用していないが、今回に限っては好調だ。この勢いをキープ出来れば、パート3もあり得るだろう。

 主演の松坂桃李は良い感じに荒んでいて、鈴木の怪演と張り合っている。村上虹郎や斎藤工、寺島進、滝藤賢一、かたせ梨乃、中村獅童、吉田鋼太郎といった濃い顔ぶれを揃えているのも評価したい。ただし、一応ヒロイン役の西野七瀬はいただけない。演技が未熟でセリフを追うのが精一杯。バーのマダムという設定も噴飯物だ。このあたりが所詮“坂道一派”である。
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「ジョー・ブラックをよろしく」

2021-09-25 06:27:15 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Meet Joe Black)98年作品。マーティン・ブレスト監督といえば「ミッドナイト・ラン」(88年)こそ面白かったものの、寡作の割にあとの作品は大したことはない。本作もやっぱり要領を得ない出来で、少しも観る側の内面に迫ってこない。だが、映画のエクステリアだけは極上だ。その意味では存在価値はあると思う。

 最近体調の優れない大富豪パリッシュのもとに、突然見知らぬ客がやって来る。彼はジョー・ブラックと名乗り、パリッシュを迎えに来た死神なのだという。そしてついでに人間界の見物もしたいらしい。戸惑うパリッシュだが、それ以上に驚きを見せたのはパリッシュの娘スーザンだった。なぜなら、ジョーは彼女が以前知り合って意気投合した青年にそっくりだったからだ。

 しかし、ジョーはくだんの男とはまるで性格が違う。それでもスーザンは彼に惹かれていき、ジョーも満更ではない気分になる。それでもパリッシュの命が尽きる日が近付いてくるが、彼はビジネス面でのトラブルにも遭遇してしまう。1934年製作の「明日なき抱擁」を元にしているということだ。

 時空を超越した存在であるはずの死神が、今さら何で下界を見て回りたいのか分からないし、見かけは一緒でも中身は全然違う男にどうしてスーザンが惚れるのかも不明。パリッシュが見舞われる仕事上の不祥事には別に興味を覚えないし、そもそもこのネタで3時間も引っ張ること自体無理がある。M・ブレストの演出は冗長で、サッと流せば10分で済むシークエンスを余計なショットを水増しして2倍以上も引き延ばす。中盤以降は眠気を抑えるのに難儀した。

 ところが、この映画の“外観”は侮れない。まず、この頃一番ハンサムだった主演のブラッド・ピットのプロモーション・フィルムとしての価値は高水準だ(笑)。女子のハートをくすぐるような仕草と表情は、まさに絶品。オード・ブロンソン=ハワードらによる衣装デザインが、これまた効果的だ。そんな彼がスクリーン上で王道のラブコメをやってしまうのだから、彼のファンにとっては言うこと無しだろう。

 トーマス・ニューマンの音楽は素晴らしい。エマニュエル・ルベツキのカメラによる映像は、奥行きがあって美しい。パリッシュ役のアンソニー・ホプキンスをはじめ、クレア・フォーラニ、マーシャ・ゲイ・ハーデンらキャストの演技もサマになっている。まあ、割り切って観るには丁度良いだろう。なお、第19回ゴールデンラズベリー賞でのノミネート作品でもある。
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「うみべの女の子」

2021-09-24 06:22:21 | 映画の感想(あ行)
 面白く観ることが出来た。これはつまり、同じく石川瑠華が主人公を演じた「猿楽町で会いましょう」(2019年)の“前日談”のような映画である。あの作品のヒロインが、どうしてああいう感じになってしまったのか、本作ではその“回答”らしきものが提示される。もちろん、本作と「猿楽町で会いましょう」とでは製作元もスタッフも違う。だが、異なる映画を無理矢理に繋げてしまう石川の演技者としての存在感は評価されてしかるべきだろう。

 海辺の小さな街で暮らす佐藤小梅は一見普通の中学生だが、実は以前は先輩の三崎秀平と関係を持ち、今は同級生の磯辺恵介と懇ろな仲という、なかなか“お盛んな”女子だった。小梅は恵介とは最初は何となく付き合っていたが、やがて本気になってゆく。一方恵介はイジメによって命を落とした兄のことで絶えず気を病んでおり、ある日その復讐をするために思い切った行動に出る。浅野いにおによる同名コミックの映画化だ。



 恵介の家庭は複雑で、彼自身も大きな屈託を抱えている。小梅のクラスメートである桂子はお笑いタレントに御執心で、いずれは自分もお笑いの道に進もうと思っている。同級生の翔太は野球部のレギュラーだが、あるトラブルで大会出場は叶わなくなる。しかしそれでも野球への情熱を捨てない。つまり小梅の周りの人間はそれなりの矜持や嗜好を持って生きているのに対し、小梅だけが中身がカラッポなのだ。

 彼女にあるのは性欲をはじめとする本能的な衝動のみで、恵介に対する思いも、単なる独占欲に過ぎない。これは恋愛に代表されるような自身と相手(および周囲)を深く考察するようなプロセスを経ずに、いきなりセックスという即物的な行為が先に来てしまったため、内面がスポイルされてしまったのだ。そして彼女はそれに気付かないまま、他者に対して自分を取り繕うことだけを覚えて時を重ねていく。その成れの果てが「猿楽町で会いましょう」のユカのような人間だ。

 ウエダアツシの演出は、登場人物たちの扱いにはまったく“甘さ”を見せない。その容赦のなさは清々しいほどだ。主演の石川は相変わらずの怪演。この個性を伸ばしてほしい。恵介役の青木柚は初めて見るが、演技力も面構えも今後を期待させる。前田旺志郎に中田青渚、倉悠貴、そして村上淳という面子も万全の仕事ぶりだ。なお、挿入曲であるはっぴいえんどの「風をあつめて」は、正直ドラマに合っているとは思えないが、曲自体の訴求力は大したものだと改めて思った。
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「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」

2021-09-20 06:55:27 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE SUICIDE SQUAD )確実に観る者を選ぶシャシンではあるが(笑)、作品のカラーとリズムに乗ってしまえばこっちのもので、最後まで存分に楽しませてくれる。とはいえ、一般世間的には拒絶反応を起こす向きが多いと思われ、体裁はヒーロー物であるにも関わらずレイティングがR15であるのは、まあ当然ではある。

 米政府に属する特殊工作組織タスクフォースXの司令官のアマンダ・ウォラーは、服役中の極悪人たちを減刑と引き換えに、秘密の研究を行っているナチス時代の研究所ヨトゥンヘイムを破壊する任務を与える。編成された2つの部隊は別々に南米の島国コルト・マルテーゼに上陸するが、そのうち1つは敵の待ち伏せに遭ってほぼ全滅。かろうじて生き残ったハーレイ・クインとフラッグ大佐は、何とかもう一隊と合流することに成功。彼らは反政府組織のメンバーと協力し、謎の研究の指揮を執っているシンカー博士の拉致と実験プラントの破壊を敢行すべく、決死の戦いに身を投じる。

 DCコミックに出てくる悪役どもを寄せ集めて無理筋のミッションを課すという、デイヴィッド・エアー監督の「スーサイド・スクワッド」(2016年)の続編。ただし前作は不評で、これは仕切り直しの“リブート版”と言って良い。冒頭から残虐場面の釣瓶打ちで、スプラッタ度はそのへんのゾンビ映画より上である。ただ、徹底的にカラフルでポップにギャグ満載で仕上げられているので不快感よりも痛快さが先に来る(まあ、不快感しか覚えずに早々とリタイアしてしまう善男善女の皆さんも多いとは思うが ^^;)。

 とにかく、キャラクターの屹立ぶりが尋常ではない。ハーレイ・クインとフラッグ以外にも、スーパーマンも苦しめたという凄腕スナイパーのブラッドスポートに虹色のスーツに身を包んだ根暗のポルカドットマン、平和のためには手段を選ばないピース・メイカー、ネズミを操るラットキャッチャー2、そしてスキあらば人間を食おうとするサメ男キング・シャークという、見た目だけでなく性格もクセのありすぎる面々がそれぞれの持ち味を全面展開させて情無用の殲滅戦に挑むという、振り切った作劇が気持ちが良い。また、アマンダ・ウォラーの冷血ぶりも目立っている。

 ジェームズ・ガンの演出は手が付けられないほどの悪ノリで、しかも無茶苦茶さがドラマが進むごとに積み上げられ、クライマックスは怪獣映画としての一大カタストロフを創出している。クイン役のマーゴット・ロビーは相変わらず快演だが、イドリス・エルバやデイヴィッド・ダストマルチャン、ヴィオラ・デイビスら他の面子も負けずに濃い。またラットキャッチャー2に扮するポルトガルの若手女優ダニエラ・メルヒオールは魅力的だし、シルベスター・スタローンがキング・シャークの声を担当しているのも愉快だ。
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「ドライブ・マイ・カー」

2021-09-19 06:58:53 | 映画の感想(た行)
 濱口竜介監督といえば、2018年に撮った「寝ても覚めても」がどうしようもない駄作だったので今回もさほど期待していなかったが、実際に観てみると、想像以上の低レベルで大いに盛り下がった。しかも上映時間が3時間という、気の遠くなりそうな長さである。だったら観なければ良かったじゃないかと言われそうだが(笑)、第74回カンヌ国際映画祭において脚本賞を受賞した話題作なので、一応はチェックしておこうと思った次第だ。

 舞台俳優兼演出家の家福悠介は、脚本家である妻の音と何不自由なく暮らしていたはずだった。しかしある日、妻は突然他界。喪失感を抱えながら2年が経ったある時、彼は広島で開催される演劇祭で舞台監督を依頼され、自家用車で現地に向かう。ところが主催者側は別にドライバーを手配しており、演劇祭の期間中は彼の車は専属ドライバーの渡利みさきが担当することになる。そんな中、家福は出演者のオーディション会場で、かつて音と懇意にしていた高槻耕史の姿を見つける。村上春樹による短編小説の映画化だ。

 まず、主人公は東京から広島まで車を運転するほど自動車に思い入れがあるはずだが、そんなフェチシズムは映画からは微塵も感じられない。家福の愛車はサーブ900というマニア向けのモデルで、今でもこの車に乗り続けているのは絶対に強い動機があるにも関わらず、それを描かないのは致命的だ。極論すれば、車への偏愛を活写していれば、どんなに脚本がポンコツでも許せたのである。

 さて映画の筋書きだが、話にならないレベルだ。要するに何も描けていない。脚本家という触れ込みの音が、ベッドサイドで話す新作の内容のつまらなさ。彼女が他の男たちとの情事に溺れていることを知っていながら、黙認する悠介の不審な態度。耕史が音を“素晴らしい女性”と評するが、その理由は(情事以外は)不明。

 悠介が緑内障を患っていることや、みさきが悠介と音との亡くなった娘と同年齢であること、耕史がパパラッチを異様に敵視して挙げ句に不祥事を起こすことなど、散りばめられたモチーフが映画の焦点にほとんどアプローチしてこない。開演ギリギリに悠介がみさきと“長距離ドライブ”を敢行する意味も(物理的・時間的に可能どうかも含めて)まるで無し。それでいて、言い訳めいた説明的セリフはイヤになるほど多い。少しは“映像で語る”ということを考えたらどうなのだろうか。

 とはいえ、劇中のチエーホフの舞台劇は印象的だ。他言語を駆使するという変則的な作りながら、けっこうサマになっている。ハッキリ言って、チエーホフの戯曲をそのまま映画化した方が成果が上がったのではないか。主演の西島秀俊が大根に見えるのは、監督の演技指導が行き届かないせいだろうか。三浦透子に霧島れいか、岡田将生といった他のキャストも精彩を欠く。パク・ユリムにジン・デヨン、ソニア・ユアンなどの海外キャストの方がまだマシに見えた。それにしても、取って付けたようなエピローグには脱力する。大して意味があるとも思えない処理だ。
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「乱れる」

2021-09-18 06:56:25 | 映画の感想(ま行)
 昭和39年東宝作品。名匠・成瀬巳喜男監督の後期作品だが、森繁久彌主演の「駅前シリーズ」の併映ということもあり全盛期(昭和20年代から30年代初頭)の作品群ほどではない。しかしながらヒロインの内面描写には卓越したものがあり、観て決して損しないだけの求心力を備えている。

 戦時中に東北から静岡県清水市(今の静岡市清水区)にある森田屋酒店に嫁いだ礼子は、結婚して間もなく夫を亡くしたが、そのまま戦後の焼け跡から森田屋を復興させ、義母の面倒まで見ていた。礼子の義弟である森田屋の次男の幸司は、大学卒業後に東京の会社に勤めていたが、勝手に退職して清水に戻っていた。とはいえ幸司は何をするでもなく、毎日マージャンやパチンコに明け暮れていた。



 森田屋のある商店街ではスーパーマーケットが進出し、昔ながらの個人商店は危機感を抱いていた。そこで社長を幸司にして森田屋をスーパーマーケットにする話がもちあがるが、礼子は婚家ですべきことは全部やり尽くしたと、実家に帰ると皆に告げる。ところが幸司は猛然と彼女を引き留める。実は彼は昔から礼子が好きだったのだ。それを振り切るように列車に乗った礼子を、幸司は追いかけてくる。

 礼子は幸司が子供の頃から成長を見守ってきて、幸司から想いを伝えられるまで、彼を男として見たことはなかった。だが、彼から告白され、今まで亡き夫のことばかり考えてきた彼女の心は千々に乱れる。幸司と一緒の列車に乗る礼子が、彼との仲を徐々に縮めていくプロセスは成瀬演出の真骨頂で、直接的なセリフも無いまま2人の熱い感情を表現するあたり、感心するしかない。

 また、礼子の婚家での微妙な立ち位置、特に姑や小姑たちとの関係性の描写は見事だ。そして、古くからの商店街に入り込む大手資本と、対応に苦慮する地元住民という図式は、現在と変わらない。終盤は2人の“道行き”の様相を呈していくが、あまりにも唐突なラストには面食らった。松山善三によるオリジナル脚本ながら、プロデューサーから異論が出なかったのだろうか。

 主役の高峰秀子はさすがのパフォーマンス。よろめく女心を絶妙に演じる。相手役の加山雄三も、若干青臭いながらもナイーヴな好演だ。三益愛子に草笛光子、白川由美、浜美枝、北村和夫といった脇の面子も万全だ。
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「モロッコ、彼女たちの朝」

2021-09-17 06:23:08 | 映画の感想(ま行)
 (原題:ADAM)何やら、映画作りの方向性とストーリーが合っていない印象を受ける。つまりは、送り手がいたずらに“作家性”を前面に出したせいで、本来は単純であるはずの話が却って分かり辛くなったということだ。舞台設定とキャストの演技は申し分ないだけに、不満の残る出来映えである。

 モロッコの主要都市であるカサブランカの下町で、臨月のお腹を抱えてさまよう若い女がいた。彼女の名はサミアで、以前は美容師をしていたが、未婚の母はタブーとされる土地柄のため解雇されてしまったのだ。偶然サミアに一夜の宿を提供したのは、小さなパン屋を営むアブラだった。アブラは夫を事故で亡くし、幼い娘を養うため必死で働き続けていたが、本来あまり他人を受け容れない内向的な性格である。サミアは持ち前の器用さで店をうまく切り盛りし、アブラの娘も懐いてそのまま居候を続けることになる。だがある日、サミアは急に産気付く。2019年カンヌ国際映画祭の「ある視点」セクションでの上映作品だ。



 これが長編デビュー作となるマリヤム・トゥザニ監督は、極端にセリフを少なくして画面展開および登場人物の表情と行動だけで物語を進めようとする。饒舌さを抑えて映像(しかも、手持ちカメラによる接写が多い)だけで語るという形式を採用したのは、いかにも新進作家らしい気負いが感じられるが、この場合は不適当だ。

 何より、サミアのプロフィールが描かれていない。サミアはどうして妊娠するハメになったのか、なぜ元美容師の彼女は料理までも得意で何事も如才ないのか、まるで説明されていない。アブラにしても、なぜいつまでも心を閉ざしていたのかよく分からない。その代わりに強調されるのが、アブラが下着姿で鏡の前に立ったりするような、いかにも“思わせぶり”な描写である。ここだけは言わんとすることは分かるが、あからさますぎて鼻白む思いだ。

 こうして筋立てに関する言及があまりないまま、唐突なラストを突き付けられても、観ているこちらは困惑するばかり。アブラ役のルブナ・アザバル、サミアに扮するニスリン・エラディ、ともに好演。アブラの娘を演じる子役もめっぽう良い。雑然としているがエネルギッシュなカサブランカの街の様子や、宗教が生活に浸透している様子、個性豊かな隣人たちの扱いも悪くない。それだけに、肝心の物語の中身が言葉足らずなのは惜しいと思う。
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「フリー・ガイ」

2021-09-13 06:56:03 | 映画の感想(は行)

 (原題:FREE GUY)映画自体は面白かったが、それ以外にも興味を惹かれるモチーフがあり、楽しんで約2時間を過ごすことが出来た。また、お手軽作品のようでいてけっこう社会風刺も利いており、ドラマが薄っぺらくならないのも良い。キャラクター設定およびキャストの頑張りは印象的で、工夫次第ではシリーズ化も可能になると思われる。

 架空の町“フリー・シティ”に住むガイは平凡な銀行員。窓口業務を担当しているが、毎日のように強盗に襲われる。実はこの町はゲームの電脳空間であり、大半の住民はそのキャラクターに過ぎないが、皆何の問題意識も持たず同じ一日を繰り返している。ガイもゲームのモブキャラ(その他大勢)の一人なのだが、随分前から“理想の女性にめぐり会いたい”という欲求を持つようになっていた。

 そんな時、ゲーマーのアバターであるモロトフ・ガールと出会ったことを切っ掛けに、退屈な日常から抜け出すことを決心する。一方、現実世界ではこのゲームの作成者でありながら悪徳企業に版権を奪われてしまったミリーとキーズが、くだんの会社社長であるアントワンを相手に訴訟を起こしていた。

 ルーティンワークに忙殺されるガイの造型は、まさしく多くのビジネスパーソンの暗喩で、無個性な服装がそれを強調する。ガイはゲーム参加者の分身ではなく、AIがゲームの中に作り出した“人工生命体”で、意志と感情を持つに至っている。彼は他のモブキャラたちを鼓舞し、このヴァーチャルな町の“民主化”を訴える。自らの悪事の証拠がゲーム内に隠されていることを察知したアントワンはサーバーの破壊を企むが、それをゲームの内と外から時間内に解決しようとする主人公たちの活躍は、けっこうスリリングで盛り上がる。

 そして何より、冒頭おなじみのファンファーレとともに20世紀スタジオのロゴが出てくるのだが、そこに“FOX”という文字は無いことに驚く。そう、この伝統ある映画会社もディズニーに買収されたのだ。しかし、そんな手練れの映画ファンの思いをよそに、本作は他のシリーズからのキャラクターとネタを遠慮会釈無く放り込んでくる。これが意外に効果的で、終盤の大立ち回りの場面は爆笑と喝采の連続だ。

 ショーン・レヴィの演出は賑々しくもソツが無く、最後までテンションが落ちない。主演のライアン・レイノルズは絶好調で、一本気で憎めないキャラクターを楽しそうに演じる。ジョディ・カマーやリル・レル・ハウリー、タイカ・ワイティティ、ジョー・キーリーといった他の面子も良い仕事をしている。なお、映画会社の再編により、この映画の主人公もMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)に参画出来るかもしれない。次回はデッドプールの“分身”として活躍してもらいたい(笑)。
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「アメリカン・ユートピア」

2021-09-12 06:52:35 | 映画の感想(あ行)
 (原題:DAVID BYRNE'S AMERICAN UTOPIA )演奏者のパフォーマンスは素晴らしく、音楽ドキュメンタリーとしての体裁は整えられているが、これがスパイク・リーが演出を担当すると、途端にヴォルテージが落ちてくる。音楽に造型の深い別の監督が担当した方が、数段良い映画に仕上がったはずだ。

 91年に解散したトーキング・ヘッズのリーダーであるデイヴィッド・バーンが、2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたブロードウェイのショーを描いたものだ。さまざまな国籍を持つ11人のミュージシャンやダンサーとともに舞台の上を動き回り、同アルバムから5曲とトーキング・ヘッズ時代の9曲など、計21曲を演奏する。彼らはすべて楽器を“身体に装着”し、ステージ上には信号を送るケーブル類が存在せず、自由闊達なパフォーマンスを披露する。



 全員がかなりのテクニシャンで、その一糸乱れぬアンサンブルには驚くしかない。しかしながら、彼らの衣裳が地味なグレーの揃いのスーツであるのは、どうも意図不明だ。しかも、仕立ては上等ではないように見える。さらに、全員が裸足であるのは違和感しか覚えない。裸足であることで何か舞台上の効果が生じるわけでもないのだ。頻繁に挿入されるバーンのMCは、大して面白くもない。観客を“イジる”場面も完全に不発だ。

 そして中盤過ぎると興趣を大幅に削ぐ展開になる。突然バーンが“彼の名を呼べ!”と叫び、理不尽な暴力で命を失った多くの黒人の名前と写真が大々的に映し出されるのだ。これはどう見ても音楽ライブではなく、政治的アジテーションに過ぎない。そう、スパイク・リーはこれがやりたかったのである。

 元々この出し物に反黒人差別の要素が入っているのかどうかは知らないが、少なくともこの演出は、コンサートのテンションを断ち切るものでしかない。さらに言えば、終盤に描かれる観客席には黒人の姿はほとんど見受けられず、釈然としない気分は大きくなるばかりだ。

 トーキング・ヘッズのライブ映像といえば、まずジョナサン・デミ監督の傑作「ストップ・メイキング・センス」(84年)を思い出すが、本作はあれに遠く及ばない。また、バーンのソロアルバムからの楽曲よりも、トーキング・ヘッズ時代のナンバーの方が遙かに優れている。いかにあのバンドの業績が大きかったのか、改めて痛感した。
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